第20話 入浴の幻

  イザベラは、大きな姿見に写った自分の姿を見た。


「はあ……」


 酷いものだ。近衛騎士団の制服に、泥や粉塵の付いていない部分はない。

 せめて前髪を軽く直す。髪も埃だらけ、泥だらけだ。


 ほぼカーターのトレーニングルームと化している教会の空き部屋は、鉄アレイやバーベルなどがゴロゴロと転がっている。

 姿見の隣にはムキムキマッチョマンがポージングしているポスター。

 イザベラは何の気なしにアオリ文を読み上げる。


「……ふむ。『筋肉は愛。』か」


 イザベラの横で、サラは珍しそうに周りを見回していた。城にも練兵場には同じ器具があるが、サラはその辺に出入りはしなかったようだ。


「なら脂肪は無関心ってかー? このポスター作ったやつ、女のおっぱいとか興味ないのかー?」


 広さは十分だが、なぜか暑い気がする。

 イザベラは、男性の部屋に入ったのは初めてだった。

 ビンセントの部屋もこんな感じなのだろうか? そう思って彼に目をやると、苦悶の表情で頭を抱えている。


「どうした、ビンセント……頭が悪いのか?」


「学がないのは確かですが……」


「何の話だ? 苦しそうに頭を抱えていただろう」


「いえ、別に……なんでもありません。ただ……」


 呆れているような顔に見えた。


「平民の暮らしがみんなこうだとは、思わないでください……。この部屋だけが特別なんです……!」


 いつも以上に目が死んでいる。まるで傷んだサバだ。


「……? よくわからんが、お前の部屋がこうじゃないのはわかっ――サ、サラ様! 危険です! お離れください!」


 サラは鉄アレイを持ち上げようとしていた。全力で駆け寄る。


「ご自身のお身体に合った物をお使いください!」


 イザベラはサラから鉄アレイを取り上げた。足に落とせば骨折の危険があるからだ。また、成長期の子供に過度の負荷は有害である。


「いきなり二十キロなど、身体を壊すだけです!」


 イザベラは鉄アレイを部屋の隅に、床に傷を付けないようそっと置いた。


「まずはそこにある一キロのを千回ほど……」


 なぜかサラとビンセントは顔を見合わせ、目を丸くしていた。


「こんなの絶対無理だよー。両手でわたしの体重をかなり超えるじゃんかー。なんでそんなにヒョイヒョイ持ち歩けるかなー」



 ドアが勢い良く開く。カーターだ。後ろには子供たち。


「服を借りてきました! 子供服もあります! パンツとブラジャーはこちらです!」


 デリカシーに欠ける男である。しかしこちらは世話になる身だ。


「う……うむ、感謝する、ボールドウィン」


「カーターとお呼びください! それより風呂があるんですよ! 子供たちと作ったんです! さあとうぞ! さあ!」


 ◇ ◇ ◇


 納屋に建て増しされた風呂は、三メートル四方ほどの広さがあり、端の方に置かれた木桶の浴槽には、なみなみと湯が張られている。

 イザベラは、石鹸を手に取った。


「イザベラー。本当にシャンプーハット無しでやるのかー?」


「仕方がありません、サラ様。この教会にはありませんので……ずっと目を瞑っていてくだされば、大丈夫ですよ」


 イザベラは忠臣であった。

 決して『同年代のお子様は、とっくにシャンプーハットを卒業しています』などとは言わない。

 それが是か非かを判断するのは、彼女の役目ではない。


 静かに湯を流す。


「うわー」


 普段使っているものよりも、石鹸の泡立ちが悪い。

 一般庶民向けの物だから、やむを得ないのだが。


「髪がキュッキュいうぞー」


「仕方がありません。いつものシャンプーは手に入らないでしょうから。オリーブオイルか何か借りましょう」


 いつものシャンプーは特注で、一瓶でビンセントのような兵士の月給に相当する。当然、町の商店で手に入るとは思えないし、そんな金もない。

 サラの頭と身体を洗うと、今度は自分の番だ。浴槽の中ではサラが鼻歌を歌っている。


「イザベラー。一緒に入るぞー」


 浴槽は小さなものなので、自然とイザベラがサラを抱きかかえる形になった。


「父様と入ったのを思い出すよー。私は小さかったが、なぜか風呂の改良と普及に異常な情熱を持ってたのを覚えてるぞー」


「この形の風呂は、ジョージ王が研究開発の末考案し、パッケージ化して各家庭に普及させたものと聞いております。今や貴族平民関係なく、風呂のない家は殆どありません。……おかげで街の公衆浴場がずいぶん廃業したようですが……いずれにせよ、私も生まれる前の話ですので、それ以前のことはよくわかりません」


「お風呂屋さんには可哀想なことをしたなー」


 天井から結露した湯気が落ちる。


「イザベラのおっぱい、柔らかくて落ち着くなー。さすが九十、五十九、八十六、かなわないなー」


 入団時の測定データだが、サラがこんな些細な事まで記憶しているのには驚かされる。


「数値は重要ではありません。前はもっと大きかったのです」


「ふーんだ。私だっていずれは追いついてやるんだからなー。垂れないようにせいぜい気をつけろー」


 ◇ ◇ ◇


 借りたワンピース服をサラに着せる。

 子供たちの誰かの物だろう。形は少々古く、よく見なければわからないがあちこち補修の跡がある。サイズはピッタリだった。ほとんど白と言ってよい、ごく薄いブルーも涼しげだ。


 イザベラも、若干躊躇したものの、エミリーの服に袖を通す。


「くっ……」


 ブラジャーは諦めた。サイズが小さく、何をどうやっても収まらない。

 上に着る白いブラウスはぴったりだ。むしろぴったり過ぎる。

 下手に動けばボタンが飛びかねない。紺のリボン・ネクタイもおまけに付く。


「うわぁー……」


 サラが手のひらで顔を覆った。しかし、指の間から目が見える。


「イザベラのエッチー」


「え? 何故ですか?」


 またおかしなことを言う。


 えんじ色のプリーツスカートはウエストが少し余ったが、ずり落ちる事はない。

 騎士団の制服はスラックスだから、スカートは久しぶりだ。

 どれもきちんとアイロンがかかっている。


「……気を遣わせてしまったかな」


 さっき見たエミリーの服装を鑑みるに、よそ行きの服と思われた。


 ◇ ◇ ◇


 部屋に行くと、ビンセントがカーターのポージングを見せられて頭を抱えていた。


「ビンセント、風呂が空いたぞ」


 まるで助かったとも言いたげな、珍しく明るい表情をする。


「…………」


 ビンセントは、呆けたような顔をする。


「どうした?」


「いえ……その服、似合いますね。今までとまるで印象変わります。じつに素晴らしい」


 一体どんな印象を持っていたのだろうか? 後で問い詰めておく必要があるだろう。

 とはいえ、不思議と悪い気はしない。


「そうか。この後もみんな使うから、ちんこと尻の穴を洗ってから浴槽に入るのだぞ」


「わかっています」



 ◆ ◆ ◆


 風呂から出たビンセントは、窓辺に腰掛けた。

 鈴虫が鳴き、夜風が心地よく吹き込んでくる。


 フルメントムの夜は静かだ。商店街からそれほど離れてはいないが、窓の外にはひと気がない。


「ほらよ、相棒!」


 カーターがサイダーの瓶をよこす。里帰りのお土産として、買ってきたそうだ。

 サイダーを王都でケース買いして、それを担いで来たとはじつに馬鹿げている。

 フルメントムではサイダーは珍しいのでやむを得ないとはいえ、筋肉を自慢したいというのが本音だろう。


 バカだ。


「サンキュ」


 窓枠に引っ掛けて、肘で突き栓を開ける。

 炭酸が身にしみる。この手の飲み物は、風呂上がりが一番美味い。


「開けてー」


 サラも瓶を抱えてトコトコとやってきた。こうして見ると、本当にただの子供だ。同じように開けてやると、他の子供たちも列を作った。 

 窓枠を使って開けるのが面白いらしい。この数なら栓抜きを使ったほうが良いのだが、そこはサービスだ。

 栓を開ける度に子供たちが声を上げる。ふと嫌な予感がして、聞いてみた。


「カーターはどうやって瓶を開けているんだ?」


「手で開けてるよ。ふんっ! って」


「その後、王冠を握りつぶすんだよね~」


 筋肉自慢もいい加減にしてほしい。


 エミリーには、サラの正体を子供たちには伏せておくよう頼んでいる。悪い大人の誘導尋問で秘密が漏れかねないからだ。

 他に通れる道がなかったのでやむを得ないが、今更ながら制服姿で商店街を歩いてきたのが悔やまれる。フルメントムは田舎で、エミリーも最初は気が付かなかったというので杞憂だと思いたい。


 今はビンセントもカーターに借りた服だ。サイズはかなりブカブカである。

 洗濯された制服が窓辺で揺れていた。


「…………」


 やはり子供は子供同士が良いらしい。サラと子供たちは、すぐに仲良くなったようだ。

 子供たちは、サラがお姫様だと知ったらどんな反応をするだろうか、少し興味が無いではない。


 お姫様など絵本の中の存在だろう。

 だが、こうも思う。

 きっと子供たちは、サラが王女だと知っても態度を変えないだろう。――これは、願望だろうか。


「ブルースー。私とイザベラの出汁だしがたっぷりの、風呂の残り湯をゴクゴク飲んだんだろー? 水分のとり過ぎだぞー。おしっこ漏れるぞー」


「ゲフッ! ゴホッ! ゴホッ!」


 激しくむせる。


「動揺したなー? 図星なんだろー」


「ち、違いますって!」


 子供たちが一緒になってスケベ、変態と囃し立てる。じつに見事な連携だ。

 イザベラがまるで汚物を見るような眼差しを向けてきた。


「……ふん、変態が。本気で気持ち悪いぞ」


 そろそろサラの言うことを無条件に肯定するのを何とかして欲しい。


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