第19話 美女と野獣

「毎度あり! ちょっとオマケしといたよ!」


「ありがとう、助かるわ」


 肉屋の主人が、少し多めに肉を包んでくれた。カーターが寄付してくれたお金があるとはいえ、助かる。

 そう。何は無くてもタンパク質だ。炭水化物は控えめに。愛は筋肉。すなわち、筋肉は愛。


「ええと、あとは……」


 エミリー・ホイットマンは、買い忘れがないかともう一度頭を巡らせた。

 夕方の商店街。

 とはいっても、街道沿いに二百メートルほどの商店街が続き、その中心に駅があるだけで、周りは農地しかない。


 それでも、町では最も人通りが多い所だ。とはいえ、都会に比べると当然人は少ない。それに、多くの人は顔見知りだ。

 石を投げれば知り合いに当たる。

 誰かに話した秘密は、電波よりも早くフルメントム中に拡散するのだ。


 特殊ルールもある。留守中に玄関に置かれた差し入れの農産物は、その日のうちにノーヒントで贈り主を特定し、お礼に行かなければならない。

 今まで常識だと思っていたそれは、王都ではあり得ない事だという。

 それを聞いた時のエミリーのショックは深く、未だに立ち直れていない。


 ショックといえば、カーターの友人が訪れた時だ。

 死んだ魚のような目をした彼が、何の気なしに弄んでいたのは、家の鍵。

 フルメントムでは、鍵自体はあるにはあるが、生まれてこの方使ったことが無い。


「……?」


 エミリーは買い物客の中に見知らぬ顔を見つけた。

 すらりとした肢体に豊かな胸、流れるような亜麻色の髪。まるで絵の中から飛び出したかのような姿。

 田舎臭い自分とは比べ物にならない、都会的で洗練された雰囲気。歩き方からして違う。


「あっ……」


 思わず路地に身を隠す。隣によく知った顔を見つけたからだ。


「なぜ、兄さんがあんな女の人と……?」


 鼓動が高鳴る。二人は一体、どんな関係だろう。

 手のひらに汗が浮かぶ。少しだけ、嫌な想像が頭に浮かんだ。


 カーターは自分の筋肉にしか興味が無いと思っていた。

 いや、そう思おうとしていた。そう思うことで自分を安心させようとしていたのだ。

 王都にはあんな美女がウヨウヨしているとしたら、田舎娘の自分の事など忘れてしまうかもしれない。

 エミリーは、建物の影から顔だけを出して覗き込んだ。


「わあっ!」


 そこにあったのは、当のカーターの顔。わざわざ高さまで合わせて、こちらを覗き込んでいた。

 ものすごく心臓に悪い。

 決して悪い事だとは思わないが、顔も大きいのだ。


「何やってんだ? エミリー」


「え、ええと、あの、今日は天気が良いからその、ね?」


 思わずしどろもどろになる。ちなみに、今日は曇だった。

 慌てて話題を逸らす。


「お、お友達かしら!」


「ん、その、まあ何だ」


 違う。こうではない。さらに悪いことに、帰ってきたのは煮え切らない答えだ。


「お久しぶりです。エミリーさん」


 どこかで聞いた声。もう一人男が居た。存在感が希薄で、死んだイカのような目をしていたので気が付かなかったが、面識がある。


「ブルースー、この人おもしろいなー」


 ブルース・ビンセントだ。

 エミリーが初めて会った頃は今より多少マシだったような気がする。顔を合わせるたび、徐々に表情が暗くなっていく。

 なんか、死にそう。そして筋肉が足りない。


 エミリーは、自分の中にある良い男の基準が世間からずれている事に気付いてはいなかった。

 実際にはビンセントは無駄な肉のない、やや痩せ型の筋肉質な体型で、身長も平均値に近い。

 しかし、エミリーの目にはヒョロガリのチビにしか見えなかった。

 ビンセントには筋肉が足りない。すなわち、愛が足りない。

 エミリーは本気でそう考えていた。


 彼の袖を引っ張っているのは黒髪の少女だ。やはり面識はない。

 問題の女性がエミリーの目を真っ直ぐに見つめる。


「エミリー・ホイットマン殿とお見受けする。私はイザベラ・チェンバレン。……無理を承知で少し、話を聞いてもらえると助かるのだが」


 イザベラと名乗った美女の服装は、よく見れば新聞や雑誌でおなじみのもの。実物の近衛騎士団の制服を見るのは初めてだった。

 しかし、鮮やかなブルーは泥まみれ、埃まみれでくすんでいる。

 まるで、土木作業の後のようだ。


「いや……俺から話します」


 カーターはいつになく真剣な眼差しだ。彼のこんな顔は見たことがない。エミリーの胸が高まる。

 こういう時、だいたいは良くない話が始まる。

 エミリーは、商店街の外を指差した。教会の方向だ。


「その、立ち話もなんですから。近くなんです」


 エミリーたちは、ひとまず教会へ向かう。一行は無言で付いて来た。


 ◇ ◇ ◇


「お客さん?」


「このお姉さん、胸すっげ~!」


「こっちのお兄さん目が怖い、ぐすん……」


「うわ~ん!」


 子供たちが元気に出迎える。珍しい来客に興味津々だ。

 子供たちの目から見ても、このイザベラという女性は魅力的らしい。


「大事なお話があるから、みんな後でね」


 ひとまず礼拝堂へ案内することにする。


 ◇ ◇ ◇


 そこで聞いたカーターの話は、エミリーの想像を遥かに超えるものだった。

 クーデター。

 王女の暗殺未遂。


 不穏な噂は少しは聞いていた。

 しかし、あくまでも噂の域を出ないものだった。だが、どうやら事実だったらしい。


 教会としては神父が不在な以上、中立を保つのが正解と思われた。

 しかし、困った者を助けずして何が教会か。

 何より、出来ることがあるならカーターに恩を返したい。それに。


「…………」


 イザベラを一瞥する。続けて、壁に掛けられた鏡に目をやった。

 一度深呼吸。大丈夫。自分には長年積み重ねた絆がある。そう簡単に壊れはしない。させない。

 それに、都会的でおしゃれなコーディネートなんかも教えてもらえるかもしれない。

 エミリーは、彼女たちを受け入れる決心をした。

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