第16話 ふたりの距離

 まるで迷路のような坑内を進む。先頭は相変わらずイザベラだ。

 いくつもの分岐を、左へ右へ、あるいは上へ下へと進んでいく。


「イザベラー。本当に出口があるんだろーなー」


「出入り口が一つとは思えません。大丈夫です」


 さらに歩く。

 地下世界に昼夜の概念はない。時間の感覚は当てにならず、腕時計だけが頼りだ。

 もっとも、ビンセントとイザベラの時計はすでに三分も違う。

 当然、イザベラの時計の方が正確だろう。値段が数十倍、下手をすれば数百倍も違えば、ある意味当然と言えた。


 何度も休憩をはさみつつ、丸一日と少し経った頃合いである。


「イザベラー。適当に歩いてるだけじゃないのかー」


 イザベラの肩がピクリと震え、ゆっくりと振り向く。少し動きがぎこちないように見える。

 彼女は腕を組み、少しだけ顎を突き出した。


「……ビンセント、まさか貴様、道に迷ったのではあるまいな! だったらそう言わないと、全員が危険に晒されるのだぞ!」


「えっ? 俺ですか?」


 ビンセントは最後尾を歩いていたはずである。


「当然だ! 一番経験の豊富な者が最後尾に着くのだぞ。一体部隊で何を訓練してきたのだ! 貴様それでも王国兵士か!」


 なお、ビンセントは入隊後の最初の二週間しか訓練を受けていない。あとはひたすら塹壕掘りである。雲の形から数時間後の天候を読めても、廃鉱の探索など全くの未経験であった。


「まーたブルースのせいにするー。で、実際どうなんだー? イザベラー」


「いえその、確かに火が揺れているので、その、出口はあの、なんというかビンセントが何も言わないから、その、ええと、これは……」


 イザベラから徐々に表情が消えていく。様子がおかしい。嫌な予感がする。

 イザベラはビンセントを睨みつけると、絞り出すように呟く。


「……くっ……殺せ!」


「はぁ?」


「仕える主君の前で辱めを受けるくらいなら、私は死を選ぶ!」


「何をバカ言ってるんですか」


 しばし沈黙が続く。

 ついに彼女は肩を落とし、下を向いて黙ってしまった。


「……………………あの……ごめん……なさい。……迷いました……」 


 しばしの沈黙の後、絞り出すような小声でイザベラは謝った。

 イザベラが謝った。あのイザベラが。


「…………」


「…………」


 誰も、何も言わなかった。

 もう元の場所に戻り、地道に掘り返すということもできない。


「――あうっ、えぐっ……ぐすっ……」


「よしよしー、泣かないのー」


 ――まあ、泣くよね、普通。


 ……などと言えるはずもなく。

 傍らではサラがへたり込んだイザベラの頭を撫でているが、事態は深刻だ。

 前線で無茶な突撃を命じられ、わけも分からず蜂の巣になるのと、暗闇で美女、美少女と一緒に干からびるのとでは、どちらがマシだろうか。


 後者のほうが気分的にはまだマシな気もするが、餓死は一番苦しい死に方だという。

 そんな事を真剣に考えながら、ビンセントは手近な岩に腰を下ろす。


「どうだーブルースー。イザベラは可愛いだろー。わたしの家来だからあげないぞー。羨ましいだろー」


「はぁ」


 確かに普段強気で偉そうな人がわんわん泣いてるとギャップがものすごく、何やら胸に来るものがある。それは認める。ちょっと可愛いかもしれない。

 やはり無理をしていたのだろう。それだけは間違いない。


 こちらが素で、普段の毅然とした言動も、そういう『キャラクター付け』なのだ。

 近衛騎士団は、実態は宣伝機関である。身も蓋もない言い方をすれば、お飾りだ。


「どうぞ。ハンカチでなくてすみませんが」


 ビンセントは三角巾を差し出す。ティッシュは使い切ってしまったのだ。

 イザベラはむしり取るように三角巾を取ると、鼻をかんだ。

 それに、泣くのは悪い傾向ではない。人間的には、まだまだ大丈夫だ。


 最後の缶詰を開ける。水も残り僅かだ。

 食べ終わると、なるべく体力を温存するため横になる。

 暗闇の中、サラの寝息が聞こえるのを待っていたかのようにイザベラの口が開いた。


「今更になってなんだが、……礼を言うぞ」


「何の話ですか?」


「森で出会った時も、廃坑の入り口でも、庇われてしまったからな」


「いえ、大したことでは」


「大したことだ。二度も命を助けられたからな」


 ビンセントは、胸ポケットに手を触れた。

 中には、今も雑誌の切り抜きが入っている。

 共に戦った名もない、しかし自分の名前を知っていてくれた兵士の形見。


 彼の言葉を思い出す。

『彼女との出会いは運命だ』、彼はそう言った。あの時は雑誌の事だったが、今は本物が目の前にいる。


 ビンセントが彼に誓ったのは彼女を、イザベラを彼の分まで守って戦ってやる、ということ。

 現実になるとは思ってもみなかった。

 命を二度助けたならば、少しは彼の無念も晴れるだろうか。


 ……たとえ、その寿命が数日伸びただけだとしても。


 ふと、故郷に残る『あの人』の顔が浮かぶ。

 別に特別親しかった訳ではない。恋人ではないし、下手をすれば友達どころか知り合いレベルだった。


 だが、元を質せば、ビンセントにとって戦う為の理由の一つだったのだ。

 彼女に悲しい想いをさせたくなかった。危険な目に遭わせたくなかった。

 その為の戦いだと自分に言い聞かせた。


 おそらくは、彼女のことを好きだったのだろう。

 だが、今となっては、もう自分の気持ちすらわからない。忘れてしまった。

 

 とにかく、誰かの為にと自分を納得させる必要があった。

 近所のお姉さんだろうと、雑誌に載っていたグラビアの女性だろうと、実際にはあまり関係がない。


 誰かの為に。

 戦友の言葉を借りるならば、愛のために。

 死んでいった仲間のために、この手で奪った生命のために。自分たちがしてきた事を、どうにか正当化しなければならない。

 卑怯かもしれない。イザベラの言う通り、軟弱かもしれない。

 とにかく、拠り所が欲しかった。


 イザベラが口を開いた。


「ビンセント。私も……様はいらんぞ。サラ様を差し置いて私だけ様付けでは面目が立たん」


「はぁ。では、今後そのように」


 その表情は闇に阻まれ、伺えない。

 だが、話し方は先程よりも心なしか力強いように思える。

 元気を出してくれたようだ。

 そんな心情が余裕を生んだのだろうか。


「…………?」


 気のせいだろうか。


「あの、イザベラさん」


「どうした?」


 気のせいではない。確かに、水が流れる音がする。……空気も流れている?

 懐中電灯をつける。

 音のする方の暗がりを照らすと、岩の陰に横穴があった。線路は通っていない。懐中電灯を手に覗き込むと、かなり深い。


 慎重に少しずつ進んでみると、そこにあったのは巨大な空間。高さは約五メートル、広さは駅のホーム程だろうか。中央に小川が流れているのが見える。

 そして、川の先からは小さな光が差し込んでくる。


「出口です」

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