第15話 夢見る機械

 食事が済むと、サラはまた寝てしまった。

 懐中電灯も松明も消してある。いつまで穴の中にいるのかわからないので、なるべく節約しなければならない。


「……なあ、ビンセント」


 真っ暗で表情は読めないが、初めて名前を呼ばれたような気がする。


「お前は……リーチェに居たんだったか」


「はい、第十八連隊でした。つい先日第三連隊に移動になりましたが」


 リーチェでのことは、あまり思い出したくはない。


「…………」


 少しの沈黙の後、イザベラはまた口を開いた。


「……その、どう……だった?」


「どう、と言いましても」


 第十八連隊は、リーチェの戦いで全滅に近い打撃を受け、連隊長も戦死した。連隊は再編成を余儀なくされ、ビンセントを初め、生き残った兵は他の部隊に割り振られた。


「……色々あるだろう。私だって、卒業式が終われば近衛騎士団に制式に配属されるが、いずれ前線に出ないとも限らない。だから、少しでも現場の事を知っておきたい。どんなことでも良い。……話せ」


 ビンセントは、淡々と語る。感情を込めてダイナミックに語るのは、記憶があまりにも生々しい。


「作業でしたよ」


「作業?」


「ずっと穴掘り作業でした。戦闘も頻繁でしたが……人を撃つのも、撃たれるのも……『作業』です。別に敵が憎くて撃つ訳じゃありません。仕事だから、義務だから、そうする。……それだけです」


「…………」


「内心、本当に撃ちたかったのは直属の上官でした。些細なことで、いつも怒鳴ってばかりでしたから。フォークの持ち方が悪いと、二時間説教されたこともあります」


「……そうか……しかしなんだ、貴族の風上にも置けん奴だな? 高貴なる者の義務ノブレスオブリージュというものがあるだろうに! 私だったら、もっとこう、兵の先頭に立ってだな」


 しかし、その認識は現実感を欠いている。


「弾丸は身分を選びません。貴族だろうが平民だろうが、弾が当たれば死ぬだけです。そんなのはもう、物語の中だけですよ」


 その上官も戦死した。しかし、何も感じなかった。嬉しいとも悲しいとも思わなかった。

 ああそうか、と思っただけだ。


 きっと、自分が死ぬ時もそうなのだろう。そう思っていた。

 あの名前を知らない兵士が死んだ時から、何かが変わった気がする。


「嫌で嫌で仕方がなかったですね。上官に怒鳴られるのが嫌で、いつもビクビクしていました。敵と戦うほうが気分的には楽でしたよ。塹壕掘りも戦いも、上官に怒鳴られないために、自分で考えるのをやめてひたすら手を動かしていただけです」


「…………」


「生き残ったのもただの運ですよ。二メートル隣にいた者は死にましたから。敵の攻撃力が完全ではなかった、ただそれだけです」


 話すつもりになった理由はわからない。

 ただ、その二メートル隣にいた者と最後に交わした話題は、イザベラの事だった。しかし、それを話す必要はない。


「ふん……軟弱者が」


「おっしゃる通りです。返す言葉もありません」


 とはいえ、なぜか少し楽になった。人に話したことで、少し楽になったのだろうか。

 確かに軟弱者である。


 いつの間にか、イザベラの微かな寝息が聞こえる。眠ったようだ。ビンセントも瞳を閉じた。


 ◇ ◇ ◇


 ビンセントは夢を見ていた。


 穏やかな日差し。

 塹壕の底に掘られた排水用の溝を、サラサラと綺麗な水が流れる。

 そのすぐ横に、ピンク色の綺麗な花が何本か咲いていた。


 好き、嫌い、好き……と、女の子が花占いに使う花だ。

 何という名前の花かは知らない。


 現実のリーチェで晴れることは稀だ。塹壕の排水溝に流れるのは悪臭のする汚水だし、そもそも雑草一本生えていないので、花が咲いているのは夢ならではだ。

 花の横で、名前を知らない戦友が雑誌を眺めている。


「……よう」


 戦友はビンセントに気付くと手を挙げる。


「どうだい? 納得の行く戦い、できそうか?」


「わからない」


 ビンセントは俯いた。彼の目を見るのが躊躇われる。

 写真からイメージしたイザベラの性格は、芯が強く優しい乙女、といった印象だった。


「性格がキツイ? でもまあ、女なんて多かれ少なかれワガママなもんだよ。勝手に自分のイメージを押し付けた、お前さんが悪いよ」


 思わず笑みが溢れる。


「そうだな。でもまあ、写真だけの存在よりは退屈しない」


 戦友は微笑んだ。

 彼はピンクの花を摘むと、ビンセントの胸ポケットに刺した。


「あの子のこと、よろしく頼むぜ、戦友!」


 彼は光の中へ消えようとしている。


「待ってくれ、お前の名前は……」


 戦友の口が動いたが、何も聞こえない。聞き返そうとした時、全てが闇に覆われた。


 ◇ ◇ ◇


 女のすすり泣く声が聞こえる。

 同時に、喉の渇き。胸に手を当てたが、そこに花はなかった。


「…………」


 この闇は、夢ではない。現実だ。森の廃鉱に閉じ込められたのだ。


「ぐすっ……ひっく……もうやだ……もういやだよう……おうちに帰りたい……パパ……ママ……お兄様……」


 イザベラのすすり泣く声も、現実だ。

 枕元の懐中電灯に手を伸ばそうとして……やめた。


「なんで……なんで私ばっかり……せっかく近衛騎士団に入れたのに……こんなのってないよ……ううぅ……」


 プライドの高い彼女のこと、泣いている姿は見られたくないだろう。

 泣き声が収まり、しばらく時間が経ってから、これ見よがしにアクビをする。さも、今起きました、という風に。


「あれぇ、懐中電灯はどこかな」


 わざとらしく周りを探る。

 小さな炎が灯った。イザベラの魔法だ。


「お前のすぐ横だ! サラ様の前で醜態を晒すな! 王国兵士ともあろう者が情けないぞ!」


 泣いていたことが嘘のような凛とした声が返る。ビンセントはホッとした。


「すいません、ありがとうございます」


 イザベラはプイ、とそっぽを向いた。

 強がれる余裕があるなら、まだ持つだろう。

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