第11話 四面楚歌
二時間ほど歩いただろうか。とは言え、森の中だ。あまり長い距離を移動できた訳ではない。
平地を歩く二時間とは違う。
鬱蒼と茂る森が途切れ、小さな野原がる。
崖の前は直径百メートルほどの広場になっていた。
背の高い草を倒すと、崖の斜面に穴がある。高さは二メートルほど。横に渡した板と釘で塞がれているが、スコップでこじると簡単に外れた。覗き込むと、奥はかなり深いようだった。
足元には、泥で埋まった線路の痕跡。何かの鉱山だ。
「研修中に偶々見つけてな。かなり昔に閉鎖された廃鉱らしい。地図にも無かったからな。おそらく誰も知らないだろう」
「なるほど」
ビンセントは、マッチを擦ると坑道に投げ込んだ。
「……酸欠の心配は無いようです」
イザベラが頷く。
「そろそろサラ様を休ませたい。私も少し疲れた」
全員入ると、板を戻す。これで外からは変化がないように見えるはずだ。
懐中電灯を頼りに坑道を少し進むと横穴があり、ちょっとした広場のようになっている。
下も比較的平らだ。操業していた当時はここで寝泊まりしていたのかもしれない。
ここなら良いだろう。
「サラ様に毛布を」
ビンセントは
「どうぞ、サラ様」
サラは素直にポンチョに横になる。
「ブルースのカバンは何でも入ってるんだなー、まるで父様が話してくれた青ネコのポケットだー」
父様、というのは前王のジョージ王の事だ。異国の出とされるが、出自はいまいちはっきりしない。サラと同じ黒い髪と瞳が特徴で、卓越した知識と斬新な発想で科学文明の礎を築いた。
当時の王女と結婚して王となったが、四年前に暗殺されてしまったのだ。
犯人は隣国クレイシク王国の過激派。
エイプル王国は大国オルス帝国と、クレイシク王国はこれまた大国のピネプル共和国と同盟を結んでいたため、互いに宣戦を布告。
結果、全世界を真っ二つに分けた泥沼の大陸戦争に至る。
「青ネコ? 何ですか、それは」
「小さい頃、父様がよく寝る前に話してくれたんだー」
イザベラがサラに毛布をかける。
「サラ様、ネコではなくタヌキではありませんでしたか?」
「タヌキ扱いされる自称ネコだよー……」
すぐに寝息を立て始めた。
「私も少し休む。見張っていろ」
そう言ってイザベラも横になる。
◇ ◇ ◇
坑道の入り口を塞ぐ板の隙間から見える外の森は、一見静寂そのものに見える。
サラとイザベラが眠ってから数時間後、太陽が傾き始めた午後。
悲鳴のような音を立てて木が倒れ、鳥の群れが羽ばたいて逃げた。
「嘘だろ……」
遠くから徐々に、そして確実に近づく履帯とエンジンの音。リーチェで幾度となく聞いた音だ。
「戦車か、厄介だな」
いつの間にかイザベラが隣に来ていた。ビンセントの隣にしゃがむと、板の隙間を覗き込む。
肩が触れ合う。思ったよりも柔らかかった。
「こちらに気付いているでしょうか?」
「気付いていないと思いたいがな。それよりも少し離れろ。狭い」
狭い坑道でそんな事を言われても困る。
さらにはわざとか無意識か、ビンセントに触れた左肩を手で払う仕草が気力を削ってくれる。
はっきり汚物扱いであった。しかし、貴族とはおおよそ平民を人間扱いしていないものである。
だが今の問題はそこではない。
「あの、やっぱりトラックを……」
「だろうな、燃やすわけにも行かなかったし、沈めるような池などないからな。本来ならもっと離れるべきだったろうが……」
お互い口には出さなかったが、サラの体力を考えると、移動できるのはこの辺りが限界だったのだ。
「サラ様を起こしてくる。お前はここで見ていろ」
左右を上面までぐるりと履帯に囲まれた菱形の車体。後部には方向転換用の巨大な尾輪が見える。装甲板を留めるリベットは否応なしに威圧感を醸し出していた。側面に張り出した砲塔に大砲がついていて、こちらを狙う。
この新兵器は塹壕を突破するために開発されたもので、森林に持ち込むのは用途外のはずだ。
戦車はどんどん近付き、百メートルほど先、広場と森の中間ほどで側面をこちらに向けて停まった。
攻撃魔法を警戒してのことだろう。周りの随伴歩兵もそれ以上は近付いてこない。
拡声器かららしい、電気的なノイズ交じりの声が響く。
「サラ王女殿下。お迎えに上がりました。お食事とお菓子とベッドの用意がございます。お連れの方もご一緒にどうぞ」
聞き覚えのある声だ。ビンセントのいた第三連隊、ガーランド分隊長だ。
サラは、腕を組んで口を尖らせた。
「私を子供扱いしてるなー。ああいうの一番嫌いなんだー」
「サラ様、耳を貸してはなりません」
「わかってるよー。ぶー」
放送は続いた。
「ブルース・ビンセント一等兵。そこにいるな? 王女殿下を説得して連れて来い。脱走を含む様々な軍規違反は不問に付すよう、上に掛け合ってやる」
イザベラが冷たく突き放す。
「ふん。『不問に付す』ではなく、『不問に付すよう掛け合う』と言うのだから、掛け合ったけど駄目だった、という回答が待っているだけだ。行けば間違いなく殺されるだろうな。だが、その前に私がお前を斬る」
イザベラの口調には何の感情も感じられない。ビンセントが死んだところで、彼女は眉一つ動かさないだろう。
「逃げ場なしですか……」
しょせんビンセントはその他大勢の雑兵である。その命はとても軽い。
「イザベラー。あれ壊せるー?」
イザベラは肩を落とし、首を振った。
「残念ながら……魔法のみで戦車を撃破した例はありません」
「だろうねー、ブルースー、どうだー?」
「前に戦車と戦った時は、五十人で相手して、生き残ったのは二十人ほどでした」
砲兵の支援を得られない場合、戦車を破壊するには肉薄して銃眼に弾を撃ち込んだり、ハッチをこじ開けて手榴弾を投げ込んだりといった、決死の白兵戦しか無いのが現状だ。複数現れた場合は逃げの一手しかない。
「お前らどっちも一人じゃ無理だよなー。貴族は平民を見下しすぎだよなー、やられるのも無理ないよなー。ちゃんと協力すれば戦えるのになー」
イザベラが顔を曇らせる。
「協力ですか? 私が? これと?」
ビンセントを指差す。
これ扱いである。しかし、貴族の士官としてはごく一般的な反応と言えた。戦場での貴族の仕事は、逃げる平民兵士へ攻撃魔法を放って規律を維持する事にある。
「魔法は効かないしー、取り囲むだけの人はいないしー、でも、ブルースあれ持ってるだろー、徹甲弾」
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