第6話 王宮の騎士見習い
「また読書ですか、サラ様」
イザベラ・チェンバレンが声をかけると、少女は読んでいた本から顔を上げた。
「イザベラー。お前までわたしにもう寝ろと言うのかー」
腰までの長い黒髪が揺れた。黒真珠のような瞳がイザベラを恨めしそうに睨みつける。
サラ・アレクシア・マリア・クリス・アル・エイプル。
エイプル王国の王女にして、今は亡きジョージ王の一人娘である。
時刻は深夜。すでに日付が変わっている。
サラは小学校に通う年齢、とはいえ学校には通っていない。家庭教師は王立学院の教授が務めている。
とんでもない夜型で、放っておけば二時まででも三時まででも起きて本を読み続ける生活は不健康そのものだ。
イザベラは自分がこれから仕える幼い王女の、いつも眠そうな三白眼が好きだった。小動物のようで可愛く見えたからだ。
実際、サラは同年代の平均的な女子と比べても小柄で、顔つきも幼く見える。
『きゃー、カワイイ!』と言って抱きしめたかったが、そんな不敬は許されないし、騎士は凛としなければならない。
もうミーハーな女の子は卒業だ。ついでに学生気分も卒業だ。
暑がりでドレスを好まず、平民が着るような丈の短い白いワンピースはアイロンすらかけられていないし、足元はゴム製のサンダル。完全にそこらへんの小学生である。
この方が楽だから、というのは本人の談だが、副次的に、何らかの理由で城外へ出た場合に誘拐等のリスクを下げることができるので、家臣も何も言わない。
もちろん公式の場でこういった服装はあり得ないのだが。
対してイザベラといえば、新品の、ぴっしりとプレスされた白い乗馬ズボンに顔が映るまで磨かれたブーツ。
金モール付きの青い近衛騎士団制式のジャケットはボタンをきちんと襟まで締め、白のアスコットタイも欠かさない。
彼女の胸は、細いウエストも相まって相当大きく見える。しかし、近衛騎士団の制服は一人一人の体格に合わせた特注品であり、苦しそうな素振りは見られない。
「当然です。私の任務はサラ様の護衛。すなわち、サラ様の健全な生活を守ることも任務に含まれるのですっ!」
「ぶー。研修中のくせに、生意気だぞー。学生ふぜいがー」
イザベラは自信ありげに胸を張る。豊かな胸がたゆん、と揺れた。
「確かに私は研修中の見習いではありますが、これでも学院の首席ですよ!」
しかし、サラは生暖かい視線をイザベラに向けた。
「ふーん。じゃあさー、これわかるー?」
サラが差し出した本のページには、電気工学の数式が書かれている。イザベラは一瞥すると、即座にはっきりとした口調で答えた。
「わかりません!」
自信に満ちた答えである。全く自慢にならない。
「どうやって首席取ったんだよー」
「これです」
イザベラはポケットからちびた鉛筆を取り出した。六角形の各面に番号が振ってある。
「…………」
「剣術と魔法の実技は実力でトップでしたよ? 特に魔法は、火属性一点特化で試験内容だけに特化した結果、全属性をそこそこ使いこなす天才魔法使いを総合的に上回る成績を……」
「わかったわかった、もういいよー」
王宮の地下にある図書室は王国最大級の蔵書量を誇るが、ごく限られた者しか入ることを許されない。
見渡す限りの本棚の森が体育館ほどの空間に広がっている。
照明は全て『電灯』だ。火災予防の観点から、ランプやロウソクは使えない。
さらに蔵書を保護するため、この国唯一の超科学設備『
そのため寒暖の差が激しい寝室よりも、はるかに快適に過ごすことができた。
今は亡きジョージ王が残した文献はオーバーテクノロジーの宝庫であり、司書と一部の研究者のほかは王家の関係者と限られた家事使用人、護衛の騎士、および総理大臣しか入れない。
今は解明されていない技術もまだまだ大量に眠っているため、厳重な警備が二十四時間体制で敷かれているし、現在考えられるあらゆる攻撃に耐えるよう作られていた。
非常時のシェルターも兼ねており、脱出路も完備している。
まさしくエイプル王国の頭脳中枢である。
「しかしジョージ王は天才ですね。三十年前にふらりとどこからか現れるまで、誰もその存在自体知らず、ケラー首相に見初められ、トントン拍子についに国王にまで昇り詰めた……」
「電気も蒸気機関も、父様が発明したとは言ってもなー。わたしにはどこからそんな発想が出てきたのかわかんないよー」
サラは溜息をついて肩を落とす。
科学文明の父とまで言われる自らの父親を越えるのは、並大抵の努力では叶わないだろう。たとえその天才の血を受け継いでいるとしても。
「サラ様はまだお若い。文献の解析も大切ですが、お休みの時間です、サラ様」
「もうちょっとだけー。いいだろー」
「だめです」
イザベラが突っぱねると、サラの目は一段と細くなった。
「イザベラの好きそうな本も見つけたのになー」
サラが差し出した本の表紙には、筋肉質の男と優男が上半身裸で抱き合う姿が描かれている。
これはジョージの著作ではなく、町の本屋の値札が付いていた。
イザベラの喉が動いた。
「……と、とにかくだめです。わ、私にそのような趣味はありません。ええ、ありませんとも」
イザベラは顔を横に向け目を逸らすが、琥珀色の瞳はちらちらと本に向かう。
その度に、ポニーテールに纏められた亜麻色の長髪が猫の尻尾のようにふらふらと揺れる。
紅潮し、緩んだ頬に気付かないのは本人だけだ。
「イザベラー」
「はい」
「チョコ食べたいー」
「……き、きちんと歯磨きをしてくださいね。虫歯になりますから。取って来ますので少々お待ちください」
イザベラは図書室を出ると地上への階段を昇る。広大な庭園を突っ切る渡り廊下を通り、厨房から食糧庫へ。
「デュフ……デュフフフ……」
彼女はその容姿からは想像できないような、異様な笑みを浮かべた。
王女が眠った後、例の本を読むつもりなのだ。本人はこういった趣味は密かに楽しんでいるつもりだったが、実際には周知の事実であるらしい。
しかし、優秀な成績と真面目な仕事ぶりゆえに文句を挟める者はいなかったのである。
少なくとも、彼女はそう認識していた。
実際には見ないふりをしてもらっていたのである。もっと言えば、関わりたくなかったのだ。
イザベラはチョコレートをいくつかポケットにねじ込むと、帰りの渡り廊下でふと立ち止まる。
「……騒がしいな」
ざわざわと多くの人の声がする。
また今夜もデモが起こっているのだろう。衛兵隊に取り締まりをしっかりするように要請しなければならない。
イザベラはチョコレートを一つだけ取り出すと、口に運んだ。
「また、太っちゃうかな……いや、一個くらい大丈夫だ。私はもう昔の私じゃない。生まれ変わったんだ。私をバカにし続けた無能どもめ、見ているがいい」
近衛騎士団。それは、王族を守るために精鋭を集めた部隊だ。
そこに入るために、彼女は過酷その上ない鍛錬を重ね、今まさに実を結ぼうとしていたのである。
全ては、これから。
待ち受けるのは、栄光の未来。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます