第5話 機械じかけの魔法使い その二

 味方の伝令兵が叫びながら駆け抜けた。泥跳ねが顔にかかる。


「――戦車だーッ!! 敵の戦車が来たぞーッ!! 対戦車戦闘開始ーッ!!」


 その場に居た全員の顔が青ざめた。一体、戦車アレをどうしろというのだ。


 戦車。

 それは地響きを立てながら進む、鋼鉄の魔獣。


 その車体の左右をぐるりと巻いた履帯キャタピラは、有刺鉄線をなぎ倒し、塹壕の溝をたやすく乗り越える。


 そのリベットの並ぶ装甲板は、小銃や手榴弾をものともせず、攻撃魔法すら通用しない。


 その主砲から放たれる砲弾は、防御魔法すらも焼き尽くす、伝説のドラゴンの炎を思わせた。


 この膠着した大陸戦争の四年目にして現れた、戦争の恐怖を体現する超兵器。

 噂には聞いていた。


 ただの歩兵たるビンセント達に、いや魔法を駆使する貴族の士官にとっても、対抗する手段は事実上、存在しない。


「いやある! ビンセント、徹甲弾!」


 男はビンセントに手のひらを伸ばす。

 確かに徹甲弾なら戦車相手でも、どうにか戦えなくはない。

 開発されたばかりの新兵器は、それを動かすエンジンの出力という制約があり、正面以外の装甲は薄い。


 側面に回り込めば戦えるが、当然それを見越して機関銃が設置されている。

 機関銃の弾幕を掻い潜り、肉薄して徹甲弾を打ち込む。人海戦術でかかれば行けるだろう。

 しかし――


「徹甲弾だと? そんな物は無い!」


 実際にはある。今日届いたばかりだ。補給所まで取りに行かなければならない。そんな時間はない。今すぐにでも必要なのだ。あるもので何とかしなければならない。


 ◇ ◇ ◇


 戦車の後ろには、車体を盾にして敵の歩兵が潜んでいる。おおよそ一個小隊といったところ。

 戦車の役目は歩兵の支援だ。当然歩兵とも戦わなくてはならない。


 手榴弾、小銃擲弾を無茶苦茶にぶち込み、ひたすらに弾丸を撃ち込む。

 もちろん敵からも撃たれまくるが、幸いにして砲兵からの榴弾が戦車の後ろに着弾し、敵歩兵のほとんどは無力化された。


「行ける!」


 この隙に火炎瓶を車体後方のラジエーターにぶつけ、動きが鈍った所を取り囲む。


 オーバーヒートを狙うのと同時に、行き場をなくしたエンジンの排熱により、内部は相当な高温になる。乗降用の上部ハッチが開くのを粘り強く待つのだ。


 その間も銃撃は続く。敵は戦車だけではない。

 無人地帯を挟んだ敵陣からも、援護射撃の弾がこれでもかと飛んでくる。

 一人、また一人と味方は声も無く倒れていく。


 周囲に砲弾が落下して土砂を巻き上げるが、果たして敵の攻撃なのか味方の援護なのか、それすらもわからない。

 貴族だろうと平民だろうと、敵だろうと味方だろうとお構いなしだ。

 死は平等に降り注ぐ。


 目の前の味方が背中を撃たれて倒れた。

 自陣からの友軍誤射。これだけは勘弁してほしい。


 戦車は主砲の他にも副武装として機関銃が備え付けられている。銃撃でまたしても味方はバタバタと倒れていく。

 その弾幕を掻い潜っての決死の肉弾攻撃は、二度やれと言われても出来るものではない。


「開いたぞ!」


 戦車のハッチが僅かにでも開けば、そこにスコップやワイヤーカッターを捩じ込む。

 内部からは地獄のような熱気が溢れてきた。

 僅かな、ほんの僅かな隙間で良い。そこに、手榴弾を投げ込むのだ。


 ◇ ◇ ◇


 結果を言えば、戦車は撃退した。数が少なかったのがせめてもの幸いである。


 一両の戦車を撃破するために、少なくとも三十人が犠牲になった。バラバラの肉片を集めれば、おおよそ三十人分、という意味だ。


「…………」


 ビンセントは装弾子クリップで纏められた五発の黒い弾を握りしめた。

 重金属タングステンで作られた特殊な弾で、本来は精密射撃用だ。極めて硬い弾頭は、ある程度の鋼板を貫通できる。

 これが、あと五分、いや三分でも早く届けば、犠牲者は十人ほど減っていたはずだ。


「……よう……ビンセント……無事か」


「お前が庇ってくれたお陰だ。ピンピンしてる」


 先程の男は胸と腹に銃弾を食らい、苦しそうに必死の呼吸を繰り返している。ほんの二メートル居た場所が違えば、こうなっていたのはビンセントだ。


「俺も……さ、……こ……こんな女と……一緒に……さ……」


「うん、うん」


 男は震える手で胸のポケットから先程のページを取り出した。


「お茶……して……旅行なんかも……行って……」


「あまり喋らないほうが良い」


 しかし、黙っていれば助かるという訳でもない。はっきり言って致命傷だ。衛生兵も力なく首を横に振るばかり。


「こんな所……で死ぬよ……り……こんな女を……守って……」


 そこで男は息を止めた。永遠に止めた。

 しかし、何を言わんとしたかは理解できた。


「こんな女を守って死にたかった、か……。確かにそれなら納得が行くだろうな。イライラの捌け口に無駄に突撃させられるよりは、遥かに良い」


 男のその目は、もう二度と彼女の写真を見ることはない。


「俺、あんたの名前も知らなかったな。あんたは俺の名前を知っていたのに」


 その日、膠着していたリーチェ戦線は大幅に後退。

 第十八歩兵連隊は壊滅的な打撃を受け、再編成を余儀なくされた。

 多くの者が二週間と持たずに死んでいく。ビンセントが生き残ったのは、ただ運が良かったに過ぎない。

 

 そんな状況では、人の名前を覚えても仕方がない。いつの間にかビンセントもそう考えるようになっていた。

 これは、ほとんどの者が同じである。


 しかし、先程話していた男はビンセントの名前を知っていた。

 きっと、人を大切に出来る男だったのだろう。


 軍での扱いは確かに悪かった。まるでモノである。そして、いつの間にかビンセント自身、他人をモノのように扱っていたのかもしれない。


 そんなことに、ふと気付いてしまう。

 もう少し早く気付けばよかった。せめて、彼が生きているうちに。


 塹壕の底で眠る男を、冷たい雨が打ち続ける。

 もう動かない男の手から、ビンセントは雑誌のページを受け取った。


「確かに、かわいいね。あんたも良い趣味してるよ」

 

 当然、返事はない。

 

「ごめんな……俺たち、けっこうよくやってたのに」


 雨。雨。雨。


「そうだ、もしも……もしも万が一この子に会ったら、あんたの分までこの子を守って戦ってやるよ。そうだ、それがいい。だって、俺とあんたのマドンナだからな。相手は迷惑かもしれないけど、せめて気持ちだけでもさ。だから……」


 男の見開かれたままの目を手で閉じた。口から溢れた血を拭う。


「安らかに……眠ってくれ」


 振り向けば、リーチェを見下ろすブラシカ山脈。山頂に万年雪が輝いている。

 ここは、エイプル王国。中央大陸の東にある小国だ。

 首都は王都エイプル。

 主要産業は農業で、小麦などの主食はもちろん、牧畜も盛んで、かつては食料自給率が二百パーセントを超えていた時代もある。これもジョージ王の農業知識の賜物だ。


 元々は大小さまざまな国がひしめく大陸において、他の国と大差ない、なんら特筆すべきでない普通の国であった。

 山を囲んだ農業くらいしか取り柄のない小国は、時代の流れに翻弄されるだけの小さな国だったはずだ。


 ……ジョージが現れるまでは。

 この小国こそが、全世界を巻き込んだ大陸戦争の震源地である。


 ジョージの様々な発明は、世界中に拡散していった。彼は魔法を使えなかったので、発明は全て機械じかけ、電気じかけの科学的なもの。


 ビンセントがポケットに納めた雑誌の切り抜きだって、紙の大量生産と、写真を大量に印刷する技術の賜物である。

 かつて本は非常に高価で、庶民がおいそれと買えるものではなかった。

 いまや、場末の雑貨屋にも本が溢れている。


 我に出来る事は彼にも出来る。各国でコピーがコピーを生み、独自の改良が施され、今や魔法は過去のものとなりつつある。


 それを決定づけた出来事があった。

 エイプル王国に隣接するクレイシク王国の青年が、ジョージ王を暗殺したのだ。

 ポケットに収まる小さな拳銃で、背後から一撃。即死だった。


 戦争が始まった。

 エイプルのクレイシクへの報復戦。そんな小さな紛争のはずだった。


 しかし、政略結婚によって網の目のように張り巡らされた同盟関係に、中央大陸最大の大国であるオルス帝国と、長年睨み合うピネプル共和国が組み込まれていた。


 ジョージ王によって発明され、大陸中にその線路を伸ばしていた鉄道は、軍隊の機動力を数百倍に高めていた。

 鉄道ダイヤによってがんじがらめとなっていた動員計画によって、史上最大の総動員体制が各国で敷かれ、大陸全土を巻き込む大戦争へと発展した。

 

 とりわけ新兵器・機関銃の存在は瞬く間に死体の山を築き上げ、兵士たちは塹壕を掘って立てこもった。


 戦線は膠着し、四年の年月が流れた。


 そして、終わりは未だ見えない。

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