第3話 騎士の産声
「パパ! ママ! 私、受かったわ! 受かったのよ!」
チェンバレン伯爵は、パイプの煙をくゆらせながら、胸に飛び込んできた娘を受け止めた。
けっこうな勢いだったが、娘の豊かな胸がクッションになって衝撃はあまりない。
妻の若い頃にそっくりだ。
あやうくパイプを上に上げる。万が一にも娘が火傷をしてはたまらない。もっとも、娘の背はわりと高いので、もうあまり意味はない。
ついこの間までクッションを布団代わりに寝ていたというのに。伯爵自らオシメを替えたこともある。
ついこの間、というのは語弊がある。年をとると時間の流れが早くてたまらない。そんな気がするだけだ。娘にとっては覚えてもいない大昔だろう。
そんな娘も、もうすぐ王立学院を卒業する。全ては一瞬だった気がしてならない。
優しく娘の髪を撫でる。亜麻色の艶やかな髪は、母親のそれと同じだ。
「おお、良かったな! イザベラ!」
代々続いた軍人の家系。まさか娘までもが継いでくれるとは思わなかった。
しかし、同時に不安も覚える。
今は戦時だ。平時ではない。
しかし、娘が入る部隊はほとんど広報が目的だし、前線に出る可能性はない。
むしろ国で一番安全と言えるだろう。国民の大多数を占める平民よりは、よほど生存率が高い。
伯爵夫人は嬉し涙を拭きとると、娘を抱きしめた。
「今夜はお祝いね。今夜はイザベラの好きなものを、たくさん用意して……」
しかしイザベラは口を尖らせる。
「ママ! それじゃ、せっかくの努力が無駄になっちゃうわ! 私、もうあんなのはごめんよ」
これが娘だろうか。
内気で、引きこもりがちで、変な本ばかり読んでいた、あの娘だろうか。
イザベラは、この一年間、まさしく死ぬほどの努力を重ねてきた。
その成果がやっと出たのだ。
かつての姿とは似ても似つかない。まさしく生まれ変わったと言って良いだろう。
しかし、誰よりも優しく、まっすぐな心根は何一つ変わってはいない。
自慢の娘だ。
しかし、お祝いをしたいという母親の気持ちも分かってやって欲しい。
「あら、ごめんなさいね、シェフにちゃーんと考えてもらうから、それで良いでしょ?」
「うん、それなら」
現金なものである。
「ハッハッハ! もう昔の服は捨てても構わないな?」
「うん! 新しい制服も早速届いたの! さっそく研修だって! 明日の朝、楽しみにしててね!」
娘は明日のことを知っているのだろうか。確かめておく。
「研修初日に、いきなりパレードだぞ? それが伝統だ」
「ええっ?」
イザベラは、困ったような顔をした。
「私……自信無い……」
伯爵は娘の肩を優しく叩く。
「大丈夫、大丈夫。お前は母さんに似て、とっても美しくなったのだからな。もう
イザベラは頬に手を当て、溜息をついた。
「酷いのよ、あの子ったら。いきなり撮るんだもの。でも思えば、あれがきっかけだったのかしら。あの子が一年間留学に行くから、帰るまでに見返してやるんだ! って思えたのね」
「ははは、感謝しなきゃな」
◇ ◇ ◇
娘の大躍進を祝って、家族だけの宴が催された。
「お兄様は? また残業?」
「あいつも色々、忙しいからなぁ……」
軍で少佐の地位に付く息子が帰ってきたのは、三人があらかた食事を終えた後だった。
「ただいまー、やれやれ、今日も疲れた」
疲れた顔で息子は帰宅した。
「お兄様! 聞いて聞いて、私ね、受かったの!」
息子は、娘の報告を聞くと我が事のように喜んだ。
「そうか、良かった! その口調も直さなきゃな、騎士はもっと凛々しくなければ。さっそく練習だ!」
「ええー? 明日からじゃダメかしら……」
「ハハハ、冗談だよ、研修でたっぷりしごかれるからね。嫌でも身に付く。でも、『くっ、殺せ!』くらいは練習しようか」
「意味がわからないわ!」
明日、新たな騎士が産声を上げる。
王家の剣。
王家の盾。
それが、近衛騎士団。
一時はどうなることかと思ったが、これから娘の人生は明るいことだろう。
あとは嫁ぎ先だが、伯爵家は息子が継ぐし、娘の事を第一に思ってくれる人が良い。
気弱だが、おしとやかで優しく、そして美しい娘だ。どんな男も選び放題だ。
伯爵は万感の思いで暖炉の横の壁に目を向ける。
「……うむ」
そこには、去年撮った家族写真が飾ってある。毎年、写真屋を呼んで撮っているものだ。
そうだ。娘は美しい。
ちょっと我儘で泣き虫だが、可愛いものだ。
雷鳴が轟き、大粒の雨が窓を叩き始めた。
暖炉の側に、娘の愛読書が置きっ放しになっている。
伯爵は何気なく手に取った。
『――あ、兄貴! オレ、もう我慢できねぇ!
――サブ……俺もだ。俺にはお前しか……!
――兄貴ィ!
――サブ!
二人は熱い抱擁を交わし、しばし見つめ合った後、口付けを――』
「あとは、この悪趣味を隠し通すことが出来れば……娘の趣味を受け入れてくれれば一番良いが、……無理だろうなぁ」
伯爵の諦めにも似た嘆きは雨音にかき消され、誰の耳にも届く事はなかった。
「パパ! 違うの! それは友達が勝手に――!」
伯爵は窓越しに天を仰ぐ。
「ジョージ王よ。娘を導き給え。願わくば、いつの日か娘を正しい道へとお戻しください」
教育は親の努めと言わんばかりに、近くの避雷針に雷が落ちた。
「もっと早く手を打っていれば……人格形成が完了した今となっては、もう……」
避雷針もまた、ジョージ王の発明である。
雷の正体が電気であることを、科学的に発見したのだ。
そして、魔力に頼らずに電気エネルギーを利用する機器は、いまや生活に無くてはならないものばかりだ。
◆ ◆ ◆
翌日、パレードは滞りなく終わった。
人混みは例年以上で、特にカメラを構えた者が目立った。数多のレンズが娘を追っているような気がする。
「無事に済んで、良かった……」
本人以上に心配し焦燥しきっていた伯爵も、一日ぶりに眠ることができた。
明日からしばらく、娘の写真が載った新聞、雑誌を買い逃さないように使用人に命じてある。
「がんばれ、イザベラ。これからは忙しくなるぞ……」
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