赤い雨
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赤い雨
現実とは、当人の眼前のみに存在するものではない。
§
世界は赤に染まっている。
その日、長い階段を駆け上る、青年等がいた。
数は3。パッと見た所の彼等に共通するのは、一様に雨合羽を着用している点である。
濁った白色のごく一般的な雨合羽だった。
だった。というのもその濁った白色は、屋上に出た瞬間別の色に塗り潰されてしまったのである。それは、赤赤赤赤、赤、赤、赤、赤赤。赤。
なぜなら天上から赤が降ってきている。
§
ウウゥゥゥゥゥゥウウウン。
サイレンが鳴り空間に谺する。俺が生まれる以前から鳴っているこれは、人々にあるものの到来を知らせているのだ。音が鳴り終え暫くすると、空より降って来る血のように真っ赤な雨を。
大昔に、スリランカやインドで降ったという赤い雨、ケーララの赤い雨と言ったか。地球外生命体の混入が囁かれたこの事件の雨には、地球上のものとは思えない細胞状物質が大量に含まれていたらしい。こんな珍妙な事も過去にはあったようだが、要は現代頻繁に降る赤い雨は、ケーララの赤い雨とは違うということ事を言いたい。
先程、赤い雨を血のようにと喩えたがこれは間違いだ。ように、などではない。なぜなら現代に降る赤い雨は正真正銘"血"であるから。そして、紛れもなく人の血だ。
サイレンが鳴ると同時に駆け出した3人は、いつもの様に屋上へ出る。そして、3人が屋上に来るのを待っていたかのように、赤い雨が降り始める。
「今日のはいつもより大粒だな・・・」
そう言い、見上げる青年の眼鏡には赤い水滴が増えていく。
「極力体内には入れるなよナツト、感染症にかかってしまったら僕等の目的の達成もできなくなってしまうからな」
ナツトと呼ばれた眼鏡の青年は、その言葉を受けて上げていた顔を下ろした。
「ああ・・・分かっているさトーヤ。でもな、この一粒一粒を少しでもよく目に焼き付けおきたいんだ」
「その気持ちが分からないわけでもないが、程々にしとけよ」
頷いたナツトはトーヤより目を離し、今度は顔をそのままにして空間を眺めている。
その2人を後方から見ていた青年が口を開いた。
「今日は、いつもより沢山の人が殺されたんだね・・・」
目尻には涙が滲んでいた。
「無理しなくてもいいんだぞムク」
トーヤの気遣う様な声がかかる。
大丈夫、と答えたムクは続けて言った。
「この現実をしっかりと目に焼き付けてあいつらをやっつけないと、だしね」
そう言いムクは先程よりも真剣味を帯びた目で空間を見据える。
トーヤも、そうだなとボソリと呟きそれに倣う。3人共が空間に降り頻る赤い雨を見つめた。
ビルの屋上から見晴らせる、かつての市街地は赤く赤く染まっている。
四方八方一面の赤である。
§
俺達は、赤い雨が降る時は決まって居住区である地下シェルターを抜け出してこの廃ビルの屋上へ来る。元がなんのビルであったのかなどは風化し過ぎて分からないが、ここら一帯の建物の中で一番高い為ここにしたという訳だ。辺りをよく見渡せるしな。
トーヤとムクは幼馴染みだ。現在19になるまでずっと一緒にいる。俺達に家族は居ない。この3人が家族の様なものだ。今までも助け合って生きてきた。
俺達は、物心ついた頃から既に現代のこの現状を認知していた。認知せざるを得なかった。そうしないと生きてはゆけなかった。
現代、各国は躍起となってクローンの製作にのめり込んでいる。勿論、人間のだ。クローン人間、彼等は人間の母親から産まれる訳ではないのだ。試験管を胎内に培養液を羊水に、母なるは数多の科学者。それらに経過を観察されながら産まれてくる。
こうしている今も数多くのクローン人間が次々と製造されているだろう。
そして、
処分されているだろう。
これは、そういう雨なのだ。製造は浮遊する研究機関で行われている。そこで数多く製造されるクローン人間の中には失敗作もある。其れ等は殺処分が下される。
このおびただしい量の赤、一体どれ程が処分されればこうなるのかなど想像も出来ない。
これ程残忍な所業に反対する者が居なかった訳ではない。寧ろ大勢いた。デモ行進で道路一帯が数キロにわたって埋め尽くされた事も珍しくない。しかし、皆赤い雨となった今、反対派の人等はすっかりなりを潜めている。中でも、過激派はマークされている為大概は汚染区画で息を潜めている。
先ず、赤い雨は何処にでも降るわけではない。赤い雨の降る地点は汚染区画として嘗てあった街を降雨地とし、立ち入り禁止となって隔離されている。現在彼等のいる此処もその汚染区画の一つである。
立ち入り禁止とはいえ此処に住まう者も少なくない。日陰者や隠者、親を失った孤児など様々である。其れ等が集まり密かに居住区の様なものが出来ている汚染区画もある。
政府もこれには気付いているが取り締まる為に使う資金や労力の事を考え、見て見ぬ振りを決め込んでいる。無法者共にしてみればこの上ない事である。そこに付け込み、住み着いているわけだ。
§
タタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタポタポタポタポタポタポタ......ポタ............ポタポタ....................ポタ..............................................................。
────シン
雨が止んだ。
後に残るのは鉄臭い残香と赤く染まる街並みのみである。
「.........帰るか」
トーヤの発言をきっかけに呪縛が解かれたように意識が現実に引き戻される。
トーヤとムクは既に屋上の扉を出ようとしていた。俺もそれのあとを追う。
雨を見た後は決まって沈黙が訪れる。皆、様々な気持ちが混在している為言葉が出てこないのだ。階段を下りる足も心做しか重く感じる。しかし、俺達にはこの雨を見る責任がある。見なければ自分を許せず押し潰されそうになる。きっと、他の2人も同じだろう。
階段を下り終え、ビルの出口へ向かうと先に進んでいた2人がビルを出た辺りで立ち止まっていた。
その方からは光が差しており2人は黒く影に見える。
眩しさに目をすがめながら俺も横に並ぶと、2人は遠くを見上げていた。その先を目で追うとそこには───────
虹があった。
「...綺麗だね」
そう言うムクの目にはまた涙が滲んでいたが、恐らく先程の涙とは内包するものが違うだろう。
ああ、本当に綺麗だ...。例え血の雨であってもこれ程までに綺麗な虹ができる。まるで彼等を弔っているようではないか。
残酷な世の中だけれど授けられてしまった命。死した彼等には見えているだろうか...この虹が。これで少しは浮かばれないだろうか...いや、見えてはいる筈がない。俺は何を考えているのだろうな。ただ、少しでも或いはと考えずにはいられない。
「...彼等にも見えているといいな...」
「見える訳ないだろう、もう死んでるんだぞ?」
「でも、だって...」
2人の会話が聞こえ思わず頬を緩める。
「俺もそう思うぞムク」
「お前もか?!」
トーヤの驚きように2人で笑いながら、俺達は帰路につく。
俺達には成さねばならない事がある、あの研究所から逃げ出す時置き去りにしてしまった彼等への贖罪。
それを胸に今日も俺達は抗う。研究所の奴等に、そして己の罪に。
§
ツーツーツーー
そこにあるのは機械音と静寂。
「No.7210の状態はどうだ」
「数値は正常です。異常はありません」
そして、白衣に身を包んだ研究者然とした者達。彼等の目の前には円筒状の水槽がある。中には何も見に纏わず幾つもの管に繋がれた青年が意識なく漂っている。
「全く、数値が乱れたというから来てみれば...まあ、異常が無いに越したことはないがな。にしても、数値が乱れたというが機械は一体何を検知したんだ?」
「ええ...恐らくですが、No.7210は夢を見ているようです」
「ほう、夢を」
「はい、先程乱れた数値ですが人間が夢を見た際に生じる数値と酷似しています。推測でしかありませんがNo.7210は夢を見て、その中で興奮したのでしょう」
「ふむ、なかなか面白い推測だな。ただの取り越し苦労かと思いきや、なかなか面白い研究データじゃないか。なるほど、こいつ等も夢を見るか...益々人間に近付いてきたな」
そういう男の顔には不敵な笑みが張り付いている。
「このデータは解析に回しとけ。どれ、ふむ。お前は一体どんな夢を見ていたんだっと......ん?」
男は、目の前の水槽の中に意識なく漂う全裸の青年の顔を覗いた所で目を顰めた。
「お前......笑っているのか?」
意識ない青年の顔には確かに笑みが浮かんでいた。
「は......はははははははは。そうか、そうか!随分と幸せな夢を見ていたとみれる!今日はいつになく沢山データが取れるな!フククク...まあ、幸せな用で何よりだ...。しかし、所詮お前は籠の中の鳥、何も成すことはできんのさ。ただ私達にデータを取られながらその夢の中に溺れているといいさ。なあ、どんな気分なんだ?」
可笑しそうに肩を震わせてながら問うが勿論反応は無い。
その後、所定の処置を終え男達がその場を去るとまた静寂が訪れる。
ツーツーツーー
そこにあるのは機械音と静寂。
そして、
広い空間の中に整然と敷き詰められた数多の水槽。
ツーツーツーー
空間に機械音が谺響する。
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