エピローグ

 ――大陸暦一六四八年 第八月


 リーンは露台に出て、集まった国民に手を振った。城下にいたときは煉瓦色に染めていた髪は黒に戻した。その髪を結い上げ、頭には小さなティアラが載っている。白いドレスの上に夏の日差しが躍る。

 隣には結婚式を済ませたばかりの夫、シイナ。反対側には王の正装で手を振る弟のカール。彼の前髪は今はもう短い。露台の端には、再びリーンの護衛に戻ったラルゴと、王の補佐に就いたシャルトムール公爵サクシマ、宰相のドーアンが控えていた。

 こんな日を迎えられるとは夢にも思っていなかった。

 魔女エヌの友人だった魔女と一緒に暮らすことにしたと言うニナを、王城に引き止め続けて、なんとか結婚式にも出席してもらった。ちなみに、シイナは大陸の北端にある島国出身の貴族、ニナはその妹という設定になっている。ニナのことは、後々を考えてリーンが根回しした。宰相はリーンの思惑を察して痩せた頬をひきつらせたものの、最終的には応じてくれた。

「あなたのお父様もご招待できたら良かったのですけれど」

 リーンが小声でそう言うと、シイナは微笑んで、空に目をやる。

「白い翼の大きな鳥が飛んでいましたよ」

「本当ですか?」

 リーンも空を探すけれど、もう雲一つなかった。

「ニナとは仲良くなれましたの?」

 腹違いの妹の存在をリーンがシイナから聞いたのは、駆け落ちするよりもずっと前だ。魔女エヌに魔法の依頼に行ったシイナが「初めて妹に会いましたよ」と話してくれたのを見て、リーンはこっそりモニエビッケ村からラルゴに手紙を出した。シイナとニナの繋がりが途切れないように。

「うーん、どうでしょう? お互いに緊張してしまって、なかなか簡単にはいかないですね」

 シイナは苦笑した。

 その夜は、国賓を招いての舞踏会だった。先王の喪が明けたこともあり、リーンの結婚とカールの即位の披露を兼ねている。国内の貴族はもちろん、近隣諸国の王族も出席していた。

 叔父のスグラスも、栗色の髪の若い女性を同伴して出席していた。サクシマが「本当に人が変わったようで……」と言っていた通り、朗らかに談笑している。ずっと昔に亡くなった叔母には申し訳ないけれど、運命の人に出会ってわかることもあるのだ、とリーンは思った。

 しかし、リーンとカールの母である王太后とはうまくいかないままで、彼女はもうずっと離宮に引っ込んでおり、今日も出席していない。どうにもならないこともある、とカールは諦めた顔で言ったけれど、リーンはいつか三人で穏やかにお茶を飲める日が来ることを願わずにはいられなかった。

 一通りの挨拶を終え、広間を見渡すとニナを見付けた。舞踏会の始めに少し話してそれきりだった。

 この日のために仕立てた萌黄色のドレスに、少女らしく肩にかかるように結った淡い金の巻き毛が揺れている。今夜はサクシマがエスコートしているはずなのに、ニナは一人で、彼女より何歳も年上の貴族の若者数人に囲まれていた。何か話かけられていたが、ニナは固い表情で何度かうなずくだけだ。教師について習った貴族らしい口調にどうしても慣れない、と話していたのを思い出す。

 リーンの視線の先に気付いたシイナが、リーンを促してニナに近付く。

「お話し中、失礼します。妹を少しお借りしても?」

 シイナを認め、ニナがほっとしたのがわかった。

「それでは、ごきげんよう」

 ぎこちなく笑って、ニナはするりと輪から抜け出す。魔女の性質なのだろうか、元々姿勢がよく堂々とした態度のニナは、立ち居振る舞いに関しては教師のお墨付きで、ドレスも難なく着こなしていた。

 ニナは最初、貴族の作法を習うのを面倒くさがったけれど、シイナのためにと言うと二つ返事で承諾してくれた。ニナとシイナはすぐに仲良くなれる、とリーンは思っている。

 そのまま連れ立って庭に出て、広間から目が届かないところまで歩くと、ラルゴがすかさず近くに立った。

 ニナは周りに知っている人だけになったのを確かめてから、

「ありがとうございます。わけのわからない話ばかりするし、どいてくださいって言っても聞いてくれないし、蹴り飛ばしそうになって困ってたんです」

「まあ、ふふふ。どんな話を?」

「うーん、春の花がどうとか、秋の月がどうとか。今は夏なのに、おかしいですよね?」

「あら、それはたぶんニナのことですわ。あなたの可憐さを喩えたかったのでしょうね」

「あ! あー、そうか。召喚魔法みたいなものか。遠回しすぎてよくわからなかったけど、ああいう言い方もあるんだ」

 褒められたことより魔法の話になっているニナに、シイナが笑顔を向ける。

「何かされそうになったら、遠慮なく蹴り飛ばしていいよ」

「えっ、いいの?」

「じゃなかったら、僕がそうしてる」

 ニナとシイナが話すのをリーンは微笑んで見ていたところ、カールがやってきた。

「ニナ、ここにいたのか」

「そうだ、えっと……。本日はお招きいただきありがとうございます。ご即位のお祝いを申し上げます」

 ニナは優雅に礼をして、「どう? うまくできてる?」と試験の採点を待つような緊張した表情で聞いた。

「ああ、よく似合っている」

 カールはとても真面目な顔で、少し的外れな答えを返した。

 リーンはシイナの腕をそっと引いて、数歩後ろに下がった。そこにサクシマが近付いてきて、

「少し離れた隙にニナ嬢がいなくなってしまったので、陛下に言われて探していたんですよ」

 そして、声を潜めて続ける。

「陛下、ときどき『あの子は妹だ』ってぶつぶつおっしゃってるんですが」

「俺も聞いたことがありますな」

「やっぱりそうなのか。いやーさすが先王陛下は違うね。あの伝説の美人、魔女エヌを射止めたなんて」

 サクシマとラルゴがうなずき合う。リーンが見上げると、シイナは肩をすくめた。訂正するつもりはないらしい。

「いやいや、そうじゃなくてですね。妹ならまずいですよね」

 サクシマに言われて、カールとニナに視線を戻す。

 カールがニナの髪に手を伸ばして、慌ててひっこめ、ニナが怪訝な表情をした。そのとき、宙に突然男が現れた。鮮やかな朱色の髪の美男子で、異国風の衣装を着ている。彼を見るなり、ニナが飛び付いた。

「アケミ!」

 魔女エヌの眷属の魔物らしい、とラルゴが教えてくれた。魔物を初めて見たリーンは、人間と変わらない姿に驚く。

「ニナ、抱き付いたね」

「あれは仕方ないだろう。親代わりだったらしいぞ」

 滅多に見られないニナの満面の笑みを、シイナとラルゴが複雑な顔で見ている。

 アケミはニナを抱き上げると、浮いたまま一度くるりと回ってから、ニナを下ろす。甘えるように彼の服を掴むニナが珍しく年相応に見え、リーンは微笑ましく思った。

「ニナ、久しぶりだな!」

「うん!」

「お、綺麗にしてもらって良かったな。よく似合ってるぞ」

「本当? わぁありがとう!」

「しかし、こんなに早くお前のところに出て来れるようになるとは思ってなかった」

「そうだ、あと何年かかかるって言ってたのに。どうして?」

 聞かれたアケミは、カールに向き直る。

「よお、少年。ニナに触るのは許さんが、お前には感謝しよう」

 軽い口調でそう言って、カールの顔を覗き込む。

「俺が自由に出て来れるようになったのは、お前がニナに恋してくれたおかげだ」

「ばっ! 何を言う!」

 カールが飛び退く。ニナが照れるでもなく、不審な目でカールを見ているのが、わが弟ながらとてもかわいそうだ。

「は? 恋?」

「いや、違う! 恋じゃない! 好きだが、恋じゃないんだ」

 カールは国内で大災害が起こってもこんなに慌てないんじゃないだろうか、とリーンは思った。サクシマが呆れたように「今、好きっておっしゃいましたね……」とつぶやく。

「あなたは僕の妹だろう?」

「妹? 何言ってんの? 全然違う」

 外野では「ついに言ってしまったか」という意味のため息が全員から漏れたが、そのタイミングは二種類だった。

 リーンはくすくすと笑って、空を見上げる。隣のシイナがリーンの腰を抱き寄せた。

 今夜は月がない。しかし、かすかに届く広間の灯りを押しのけるほどの、満天の星が輝いていた。



終わり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

金の葉の魔女 葉原あきよ @oakiyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ