7・5 

「かいちょー!」


 私はすぐに生徒会室に戻った。

 驚いてる眼鏡くんを押しのけて、部屋の奥に入っていく。かいちょーが顔だけを私に向けてきた。


「なんだそのつらは? 泣くか笑うか、どっちかにしろ」


 かいちょーはそう言いながらハンカチを渡してくれた。


「泣くから笑えるんです」


 ハンカチで鼻水をかみながら、私は答えた。

 かいちょーにハンカチを返そうとしたけど拒否されちゃった。もういらんって。


「急ぎか? 慌てなくても生徒会には入れるぞ」

「あの、そうじゃなくて……、品近のばかを助けて欲しいんです」

「社を助ける?」


 かいちょーは顎を引いて、片方の眉をあげた。

 私はさっきまでのことを説明した。品近は茜さんと結ばれるつもりがなくて、一緒にいるのは今だけだって。


「しかし、どう見てもあれは……いや、確認しておくか」


 おい眼鏡――眼鏡じゃなくて枯匙かさじです、って言い合ってから、かいちょーは受付に向かった。眼鏡くんと話したり、本棚のファイルを調べたり、パソコン画面とにらめっこしたり。そしたらかいちょーはすぐに戻ってきた。


「宇井戸原の言うとおりだった。2人の誓約書がない」


 かいちょーの息が弾んでいる。すごい驚いているみたい。


「ほら、最初から信じればいーんです」

「どうして茜と一緒にいるのだ? その気がないのだろう? 茜が帰ってきた今、無記名でいる意味などないではないか」

「ふーん、かいちょーは品近のこと、知らないんですねー」

「ん?」


 かいちょーは不思議そうに眉をひそめた。米家先輩の真似してみたけど失敗だったかも……。


「品近は茜さんの気持ちを受け止めたいんです。ばかだから振るとか、そういうことできなくて、とってもばかだから、茜さんの名前を書かずに、お互いが納得できる関係になろうとしているんです」

「ずいぶんとややこしいが、つまり、良好な関係のまま茜を振りたいのだな?」

「そーいう言いかたは、どーかと思います」

「一緒ではないか」

「一緒じゃありませーん」


 むっとした表情でかいちょーは腕を組んだ。

 あ、違うって。そういう話がしたいんじゃないよ。私は話を戻すことにした。


「とにかく、かいちょーの力が必要なんです」


 かいちょーは腕を組んだまま、身体を横に曲げた。どうして欲しいのだって聞いてくる。


「品近を助ける方法を考えだしてください!」


 ここぞとばかりにおっきな声で言うと、かいちょーの身体はもっと傾いていった。腕を両膝について、姿勢を立て直す。


「社の恋愛には関与できない。記名するしないは個人の自由だ」

「でもそれじゃ半年後に辞めさせられちゃうんです!」

「もちろん勧告も指導もする。記名しろとな。退学の可能性だって通知する」

「それじゃ茜さんを記名しちゃいますよ! だめですって!」

「……私にどうしろと言うのだ」


 かいちょーは片手で顔を覆った。


「茜によって恋愛を邪魔されているのなら話は別だが、無記名同士の人間が、言語的・身体的接触をすることに問題はない。生徒会の管轄外だ」

「品近は、茜さんを説得しようと頑張ってるはずなんです! でもきっとうまくいってないから一緒にいるしかなくて!」

「それはそのとおりなのだろうが、私的関係には立ち入れないぞ」

「かいちょぉ、頭いいんですよね、どうしてもだめなんですかぁ」

「残念ながら」


 私はがっかりしてうなだれた。

 へんてこ校則にあることしかできない。それが破られてからじゃないとかいちょーは動けない。そういうことみたい。


「宇井戸原の訴状は分かった。とりあえず今は――」


 と、口を開いたまま、かいちょーは黙った。

 どっかから振動する音が聞こえてくる。携帯かな。


「す、すまない」


 かいちょーは私から離れて、部屋の隅に向かった。

 携帯を手にしたとき、かいちょーはとてもびっくりしていた。話し相手は分からない。こっからだと会話が、ときどきしか聞こえてこないし。


「……タイミングが……ぞ……れで、私に……」


 ちらり、とかいちょーは私のほうを見た。

 何度も頷いたり首を傾けたりしている。


「……事情なら宇井戸原から聞……さっさと……もう変えるのは無理だ……」


 意地悪そうに笑ったり、本当に笑ったり。かいちょーは忙しそう。


「……本気なのだな……分かった……少し話を……ぎか……」


 かいちょーは通話を切った。


「宇井戸原、社を助けてやれるかもしれない」

 そして私のほうを向くと、不敵に笑った。


「へえ?」

 私の頭は、はてなで一杯になった。



 □■



「楽羽、いるな」


 会長はノックもせずに文芸部に入る。そのままソファまで一気に進み、部屋の荷造りをしているぶちょーに迫った。


蕗奈ふきなに……素子さん?」


 ぶちょーは私とかいちょーを交互に見てる。たしかに変な組み合わせだもんね。


「お前にしか頼めない仕事がある。手伝え」

「生徒会の話はお断りしたはずです。それに文芸部も活動停止中ですよ」

「心配ない。文芸部の凍結なら解除してきた」


 かいちょーは手にしていたプリントを見せた。

 ついさっき生徒会室で、眼鏡くんと一緒に作ってた奴だ。少し見せてもらってたけど、ぶちょーが反省したから活動停止は止めますって書いてあった。


「……どういう風の吹き回しですか」

「宇井戸原からの訴状だ。品近茜への恋愛指導をしてくれとな」


 ぶちょーは両目を開いて息を呑んだ。茜さんの名前がでてきたからかも。


「茜に?」

「そうだ」

「素子さん、が?」

「ああ」


 ぶちょーは私を見てくる。私は「はい」と返事をした。かいちょーが勝手に話を進めるから、何をするのかは分からないけど、とりあえず。


「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ、と言うだろう?」


 かいちょーは、ぶちょーに耳打ちを始めた。

 顔をしかめながら話を聞いてたぶちょーだけど、すぐに表情が真剣になっていく。


「言いたいことは分かりますが、それは越権行為です。それに」


 人差し指を顎に当てて、ぶちょーは間を置いて、「これは品近家の問題でしょう? 私たちに裁く権利はありません」と言った。


「もちろん。そして同時に、社や宇井戸原や文芸部の問題でもあり、そして」

 にぃ、とかいちょーは歯を見せた。


「私と楽羽の問題でもある」

 その顔は今までで一番意地悪そうだった。


「いいのか? 茜があのままで。仕返しとまではいかなくとも、ささやかな抵抗くらいは示したいと思わないか?」

「私利私欲のために、蕗奈は恋色エクリチュールを利用するのですか?」

「当然だ。壊れた本能の代わりだからな」

「信じられない発想ですね、相変わらず」

「なら自然な恋愛感情を主張して、私を止めればいい。あの執念深い楽羽はどこにいったのだ? それともようやく真実に気づいて、私に賛同することにしたのか?」

「そ、そんなわけがないでしょう! 私はまだ……。それに品近さんと茜の関係は自然な恋愛感情に支えられているのですから……」

「楽羽、活動停止のせいでぼけてしまったのか? 弟を囲い込むために恋色エクリチュールを変えるような奴の恋愛が、自然だとでも言いたいのか?」

「……それでも、最初は自然な恋愛感情だったはずです……」

「愚か者め。埒があかん」


 聞きかたを変えてやる、とかいちょーはさらに迫った。


「お前の文芸部を助けてきた部員がかわいくはないのか?」

「当然です」

「そのかわいい部員が自然な恋愛をしようとしているのだぞ? 放っておくのか? 私が楽羽だったら助けるだろうな。社も宇井戸原も、大事な花園学園のエースなのだから」

「…………」


 ついにぶちょーはしゃべらなくなって動かなくなった。

 さっきまでの元気なやりとりがなくなって、部室はすごい静かになる。かいちょーはぶちょーの顔を覗き込んだまま。真面目な顔でぶちょーの返事を待ってる。


「分かりました」

 ぶちょーがついに沈黙を破った。ソファの背に寄っかかる。


「私が証言すればいいのですね。品近さんと素子さんの様子について」

「そうだ。こればかりは文芸部の人間でなければならないからな」


 かいちょーはぶちょーの反対側に座る。

 私はどっちに行っていいか分からなくて立っとくことにした。


「ですがその仕返しをするために、恋色エクリチュールに頼らなければならないですね」

「嫌か?」

「ええ。酷くしゃくに障ります」


 でも我慢しますよ、部員のためですから、と続けた。

 荷造りの箱から柿プーを取りだし封を切って食べ始めた。「湿気っていますね」と。


「私とて、エクリチュールの廃止を狙うような輩に助けなど求めたくはない」


 だがエースのためだからな、と続けた。

 ぶちょーから柿プーを奪ってそれを口にする。「しっとりして美味いぞ」と。


「ああ言えばこう言う」

「うるさい旧友だな」


 2人は同時に笑い声をあげた。


 その様子はなぜかとっても懐かしい感じがした。

 それで結局どうすんの? 品近の助けかたについて話し合ってないよね? あれ、もしかして私だけ分かってない?


「あのー」

 私はおずおずと片手をあげる。「これから、どうするんですか?」


 ちょーちょーは、きょとんとした表情でお互いに見合う。そして、にぃ、と歯を見せた。2人はソファから立ちあがって私に近づいてくる。


 うわあ大変。このまま両脇を抱えられて連れ去られそうな気がするよ、私。ちょーちょーがちょー怖い……。


「素直で素敵な素子さんを見ていて、羨ましいと思ったのです」

「私たちだって馬になって蹴っ飛ばしてもいいではないか、とな」

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