6・7 ギャザリング品近家

「私は登校を続けます」


 部長の柔らかい返事には、拒絶の意志が込められていた。

 ようやく部長に追いついてみれば、そこは2年宇組の教室だった。あの祭門部「様」に、普段はいないはずの1年生である俺がいる。教室の生徒たちは、好奇と奇異の視線を向けていた。


「文芸部だったら俺と素子でどうにかしますから、今は大人しく――」

「――そんなことをすれば、文芸部が間違っていたと公言するようなものです」


 でも、と食いさがっても、いいえ、と聞いちゃくれない。


「品近さん、いいですか?」

 それどころか俺を説得しようとしてくる。


「恋色エクリチュールは、自然な恋愛感情をゆがめているのです。それを廃止し、純粋な恋愛を手中にする。謹慎処分に唯々諾々いいだくだくとしたがっていては、夢のまた夢です」

「ですけど、これ以上逆らったら謹慎処分どころじゃすまないじゃないですか」

「結構。私を止められるものなら、そうしてみればいいではありませんか」


 ああ言えばこう言う。俺と部長は平行線のまま。


「ぶ、ぶちょー!」

 すると、間の抜けた声が教室に入ってきた。素子だ。額に汗している。


「だ、だだだ、大丈夫ですか!? あの、処分って、ぶちょー!」

「落ち着け素子。今その話をしているんだ」


 ぺちん。俺は素子のおでこを叩く。

 きょとんとしている素子に、俺はこれまでの経緯を説明した。素子は文芸部への処分にあらためて驚いていた。


「部長、とにかくですね」

 素子を納得させた俺は、話を仕切り直した。


「ここで無理したってエクリチュールは廃止できません」

「エクリチュールの廃止を訴えた人間が、生徒会に屈するのですか?」


 俺と部長が言い合っている様子に、素子はおたおたと困っている。クラスの2年生もざわつき始めた。


「ちょっと我慢するだけなんです。たった1週間じゃないですか」

「筋の通らないことをすれば、たとえわずかな事柄でも信用を失います」


 くそ。なんで我慢できねえんだよ。

 講演活動を続けてきたしたたかさは、どこいっちまたんだ。


「部長のいない花園学園なんて嫌ですよ、俺たち」

「品近さん。これは部長命令です。放っておいてください」

「文芸部は活動停止中なんです。部長命令も何もありません」

「どうしてこんなにも自明の理が――」



「――楽羽、どうして部員を大事にできない」



 誰かが近づいてきた。

 つややかな長い黒髪。細い手脚。自信に満ちた態度にしゃがれ声――久利会長だ。どうしてここに。俺たちは呆気あっけにとられる。


「2年宇組は私の教室だ。会長であっても授業はあるからな」

 部長と俺の肩に手を置きながら、あいだに割って入ってくる。


「会わせたい人物がいる。放課後の時間をくれないか」

「会わせたい」「時間?」


 ああ、とうなずく会長。聞こえるか聞こえないかの声で「タイムリミットだからな」とつぶやいた。


「八重歯娘も来い。お前も無関係ではない」

「へ、私も……?」


 会長は再度頷いた。


「楽羽はひとまず授業を受けろ。1年は1階に帰るがいい。喧嘩けんかの続きは、用事をすませてからでも遅くないのだからな」


 その落ち着き払った態度に、俺と部長はすっかり熱を失っていた。

 俺は部長に謝ると、素子と一緒に1年星組へ帰っていった。



 □■



 放課後を迎え、俺と素子が教室をでると、中央階段をおりてくる部長と会長の姿があった。すぐに駆けよる。


「こっちだ」

 会長は顎で合図をする。


「行きましょう。蕗奈にも事情がありそうですから」


 部長は俺たちに目配せをして、会長に続いた。俺らも一緒になる。

 会長の足は、生徒会室と真反対の方向に進む。誰もしゃべらない。校舎の東側。渡り廊下が見えてくる。


「ここだ」

 到着したのは喫茶店だった。


 古ぼけた外観にコーヒーの香り。会長は振り返らないままドアベルを鳴らす。誰もいない店内を突き進む。


「連れてきたぞ」


 店の一隅。

 米家さんとの会話を、部長や素子が盗み聞きしたところに、人が座っていた。



「久しぶりだね」



 その人物は立ちあがって笑顔を向けてきた。


 ――ちょっと待て。おい……、これって、どういうことだよ……。


 理解が追いつかない。

 現実が、俺を置いてけぼりにする。


 ――そんなこと、あるはずがない……、だって、ずっと……。


 それでも呼び覚まされた記憶との照合作業は、俺を無視して勝手に進んでいた。

 一重まぶたの瞳は、俺にそっくりの見慣れたかたちのまま。長い黒髪は、前よりも伸びたかもしれない。身体は細くなっている。ちゃんと食べているのか。運動不足じゃないのか。背丈が前より伸びている。ますます差がついてしまった。声は変わらない。温かく、心地良いまま。

 そのどれもこれもが、ここの制服に納まってしまっている。


 ――間違い、ない。


 照合作業が進むにつれて、俺が現実に追いつき始める。

 今までどこに隠れていたんだ。

 勉強はしていたのか。

 本当に会長と知り合いだったのか。

 なぜ今になって姿を現したのか。

 疑問があふれてくる。何から話せばいいのか分からない。視線がそこにくぎづけにされるだけ。


「姉ちゃん……」


 ようやくだせたのは、その一言だった。

 姉ちゃんはそれを見て微笑む。間違いない。この笑いかたは姉ちゃんのものだ。


「社は、ちっとも大きくなってないね。ご飯食べてるの?」


 言いたいことがあるんだよ。

 姉ちゃんに謝りたいんだ。ずっと知らない振りして迷惑をかけてきたから。行方不明になったことも俺のせいなんだよ。だから俺は――


「詳しいことはあとでね。先に話があるから」


 姉ちゃんはくすりと笑い、部長を見た。


「茜……なの?」

「急に消えちゃってごめんね。心配はさせたくなかったけど連絡する手段がなくて」


 部長は涙を流しだした。

 会長はなぜか2人から目を背ける。


「……ずっと謝ろうと思っていました。あのとき追い詰めたりしなければ、恋色エクリチュールなど信じなければ――」

「――ずっと一緒にいられた、かな?」


 姉ちゃんは歯を見せずに笑った。

 あれ、こんな風に姉ちゃんって笑ったか……?


「楽羽のせいじゃないよ。どうせ近いうちに姿を消してたし」

「……どういう、こと」

「私がここに入学してきた理由、まだ楽羽には話してなかったよね? あれって社と結ばれるためだったの。誓約書があれば社を恋人にできるから」


 部長は俺を見た。視線が合う。

 動揺を隠そうとしているのが分かった。


「って、思ってたんだけど、きょうだいを記名している生徒なんていなかった。無記名だと半年しか待てない。社が入学するまで1年はかかる。だからどうにかしないとって、ずっと悩んでいたの」


 姉ちゃんは、部長を真似するように俺を見た。

 2人の視線が食い込む。


「3年生の先輩に告白されたとき気づいたの。恋色エクリチュールを利用したらいいんじゃないかって。だって先輩、記名後の関係がよければ、そのまま卒業後に結婚する人がいるって言うんだもん」


 姉ちゃんは部長に視線を戻す。

 部長は一瞬だけ、身体を緊張させた。


「発議で変えればいい。社と一緒になれるように。姉弟だと直接すぎるから、私的関係とかに言い換えて、誰も文句を言えないようにすればいい、でしょ?」


 姉ちゃんは両手を合わせて首をかしげた。

 あの仕草は、わがままを言うときの、お約束だ。


「例外措置でもいいんだけど、文芸部にいたくなかったし、姿を消したほうがいいかなって。独りで考える時間も欲しかったから。で、蕗奈にかくまってもらったの」

「蕗奈が、茜と一緒……?」


 部長はすがるように会長を見つめた。その瞳は黒く濁りだす。

 背を向けたまま会長は動かない。小さく背中を丸めたままだった。


「蕗奈は協力してくれたよ。ご両親がいないから大丈夫だって。あとは発議のタイミングだけ。だから蕗奈には生徒会会長になって、いつでも動けるように待機してもらっていたの」

「全部、計算ずく……」


 部長の真っ黒に染まり、光を失いかけていた。

 もう会長も姉ちゃんも見ていない。


「当事者間の私的関係について問わない――自分たちが投票で決めた恋色エクリチュールになれば、もう一度変えようなんて思わない。自分が選んだものを人間は否定したがらないからね」


 部長は力なくその場に倒れた。操り人形の糸が切られたかのように。

 すぐさま素子が駆けつけその肩を抱き寄せる。どさり、という音に反応して、会長もすぐさま駆けつけていた。素子と一緒に部長を支えている。


「楽羽のやったことは無駄じゃなかったよ? 文芸部と生徒会の対立があったから、発議もスムーズだったし改定にだって成功した。ありがとう、でも、さようなら。もう文芸部はいらな――」

「――茜、もう止めろ」


 会長は姉ちゃんをにらみつける。

 むきだしの敵意が、そこにはあった。


「楽羽をいじめて何が楽しい。社と一緒になるためのエクリチュールを創ったのだから、もういいではないか。楽羽はお前のことを想い続けてきたのだぞ……」

「蕗奈だってずっと私に協力してきたじゃない。目的は違うけど利害が一致するからって。お互い様でしょ?」

「否定はしない。だがここまでの仕打ちは不要だったはず……、見損なったぞ、茜」

「いいよ。どう思ってくれても。蕗奈にかくまってもらう必要はないから。今までありがとう」

「くそっ……」


 会長は歯ぎしりをし両目を閉じた。

 話は終わりだと言いたげに、姉ちゃんは俺に近寄ってくる。


「社、やっと会えたね。これからはずっと一緒だよ。後ろめたい気持ちにならなくていいからね」


 俺の両手をとり、指を絡め、親指のつけ根を何度もなでてくる。

 その様子は昔となんら変わっていなかった。優しくて恐ろしいまま。


「大好きだよ、社」

 姉ちゃんは俺を抱き寄せた。

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