6・6 メリトリウス久利

 目を開くと、薄暗い天井があった。視線を枕元に動かすと、デジタル時計が6:00を表示している。


「……朝か」


 胸に手を当てると心臓が激しく鼓動していた。寝ていただけなのに。こんなことは初めてだ。


 ――もう眠れそうにないな。


 俺は母さんを起こさないように身支度をすませると、学校に出発した。人気もなく薄暗い通学路。まるで夢を見続けているかのよう。足元には、外灯に飛び込んで死んだ虫の死骸がたくさん散らばっていた。


 いきなりポケットの携帯が振動し始める。

 見たことのない番号。もしやと急いで返事をする。


「おはよう社。調子はどうだ?」

 期待を裏切る自信に満ちたしゃがれ声――久利会長だった。


 心臓の鼓動が落ち着いてくる。会長という現実が、ここが夢ではないことを教えてくれていた。


「朝っぱらから、なんの用事ですか」

「そう怒るな。朗報がある」


 会長の声は弾んでいる。


「例外事項を適用され、花園学園うちに残る方法を教えてやろう」

「生徒会には入りません。それよりどうやって俺の番号を知ったんですか」

「文芸部と仲良く心中するつもりか、生徒会の次期エース。枯匙かさじと組めば百人力なのに」

「お断りします」


「あの八重歯の娘も連れてこい。人手は多いほうがいい」

「ですから俺も素子も文芸部を辞めません。辞めたとしても生徒会には行きませんから」

「茜に会わせてやるのにか?」

「会長にはだまされませんよ」

「強情だな。変なところが茜にそっくりではないか」


 強情なのは会長のほうじゃないですか、という返事をぐっと呑み込む。話を合わせると通話を切れなくなる。


「まあいい。すぐに再会しよう」


 ぶつり、と会長は電話を切った。一体何だったんだ。それに「すぐに再会しよう」って。

 俺は、夢現ゆめうつつの通学路を進むことにした。



 花園学園の下駄箱につくと、そこから生徒会の入口が見えてくる。


 ――なんだ、あれは。


 投票結果の掲示とは違う、別の張り紙があることに気づいた。シューズに急いで履き替え、張り紙の前に到着する。


 生徒会の公印。

 生徒会会長・久利蕗奈の名前。


 変な胸騒ぎがする。さっき収まったばかりだというのに。俺はタイトルに視線を向けた。


『文芸部の処遇について』

 俺は磁石に引き寄せられるように顔を近づけ、続きの文章を読み始めた。



『文芸部は、花園学園の教育理念を体現する恋色エクリチュールを否定し、あまつさえ誤った恋愛観を喧伝けんでんし続けてきた。部活動とは、本来、生徒の自主性に委ねるべきであり、生徒会による対応は馴染まないものではあるが、看過しえないと思われる。

 協議会での慎重な審議を重ねてきた結果、その活動を無期限停止とし、文芸部部長である2年宇組・祭門部楽羽の例外事項の適用を剥奪するとともに、1週間の謹慎処分とする』



 □■



「蕗名、どういうことですか!」


 俺が生徒会室に駆け込んだ瞬間、聞いたこともないほどの大声がした。部長だ。受付カウンターにいる。その奥には、久利会長と眼鏡くんが立っていた。


「落ち着け。大事な部員が見ているぞ?」


 会長の視線に合わせるように、部長は振り向いた。俺と目が合う。

 敵愾心てきがいしんに染まった瞳は、すぐに穏やかになっていった。部長は恥ずかしそうにうつむく。


「朝から胸騒ぎがして眠れなくて……、それであの張り紙を見つけて、ここに……」

「お見苦しいところを、お見せしてしまいました」


 俺は部長に近寄っていく。カウンター越しに会長を見上げた。


「納得のできる説明をしてもらいましょう」


 部長も会長をじっと見つめる。


「掲示内容のとおりだ。恋色エクリチュールの否定は認められない。花園学園の理念だからだ。その理念を守るのが、生徒の代表機関である生徒会の仕事だからだ」

「反対署名をどう考えるのですか? あれもまた全校生徒の意志なのですよ」

「だから我々生徒会は、エクリチュールの改定を部分的なものに留めた」


「そもそも3分の2以上の賛成が得られない時点で、改定などあり得ないはずです」

「もちろんだ。だが賛成票を無視していいという話にはならない。賛成、反対、廃止、無効。すべての意見を総合的に判断した。事実、この1週間生徒からの不満は寄せられていない」

「文芸部の功績をどう考えるのですか? 私たちがいなければ花園学園は誤った方向に進んでいたかもしれないのですよ?」

「とても感謝している」

「それだけですか?」

「だから楽羽の謹慎処分に留めた。社と宇井戸原はおとがめなしになっている」

「文芸部への理不尽な対応について、他の生徒がどう感じるでしょう。それが生徒の代表機関である生徒会のやりかたなのですか?」

「生徒会とて人の集まりだ。間違いはある。だから批判は大歓迎だ。声があればいつでも対応する。もちろん声があれば、の話だがな」


 そこで部長は言葉を止めた。

 その様子をしばらく眺めていた会長は、腕を組み直す。


「ひとまず休め。復帰したら記名相手を探せばいい。及ばずながら私も協力しよう」

「蕗奈、あなたもしかして」


 部長は何かに気づいて口を開いた。


「最初から計算していましたね。私たちが反対署名集めに成功することを知りながら、署名活動を放置していた」


 部長の指摘に、俺は息を呑んだ。

 そうだ。会長に感じていた違和感はこれだったんだ。


 ――廃止の署名が集まるといいな――


 俺と米家さんをくっつけようとしたときの、あの台詞。やっぱり空耳なんかじゃなかったんだ。これなら正門での署名集めを妨害しなかったことも説明できる。


 だとすれば――


「目的はなんですか。文芸部や私を処分するだけなら、ここまで手間をかける必要はないはずです」

「考えすぎだ。さすがの楽羽も疲れているのだな」

「投票率をあげるためですか? 私たちが活動していれば耳目を集めるから。それとも『当事者間の私的関係については、これを問わない』という一文を盛り込むことに、それほどの意味があったのですか?」

「頭を冷やせ。話はそれからだ」


 会長はくるりと背中を向けると、奥へと消えていった。


「蕗奈、逃げるのですか」

「すみません、会長はお忙しいので」


 詰め寄ろうとする部長に、眼鏡くんが割って入った。

 部長は彼に背を向けて、生徒会室をでていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る