6・5 ディスアポイントメント祭門部

 翌日の放課後。

 俺と素子、そして祭門部部長は文芸部に集合した。部長はすでに署名用紙入りの段ボール箱を抱えている。


「では行きましょう」

「はい」

「はい!」


 俺たちは、生徒会室に向かった。



『投票会場』


 生徒会室の周辺には、立て看板があった。入口周辺は訪問者でごった返している。


「先に終わらせてきます。戻ってくるまで署名用紙を預かってください」


 部長と素子は、人混みの中へと消えていった。

 しばらくすると2人が戻ってきた。ほっとした表情の部長。素子は、ぶいっとピースサイン。部長に署名用紙を託し、俺も生徒会室に向かった。


 生徒会室には、一方通行の通路ができていた。

 入口から左回りに進み、まず受付に到着する。そこで投票用紙を渡される。

 次に記入用テーブル。間仕切りが設置されていて、隣にいる人が書いている中身が見えないようになっている。

 最後に投票箱。そこには久利会長が腕を組んで立っていた。


「記入はこちらになります」


 受付には眼鏡くんが待っていて投票用紙を渡してくれた。「そこに記入用テーブルがあります」


 テーブルで投票用紙を確認する。裏面には恋色エクリチュールの新旧対照表が印刷されており、投票用紙の正しい記入例も説明されている。それを確認して俺は表面を開いた。



『賛成あるいは反対を丸で囲んでください。

 恋色エクリチュールの改定に 賛成/反対 する』



 それだけだった。

 俺は反対に丸をして、投票用紙を二つ折りにする。それを握りしめて投票箱に移動した。

 投票箱の前に会長がいたが、視線を向けても返事はない。俺は、箱に開いている穴から投票用紙を入れた。

 生徒会室をでてすぐに部長たちと合流する。


「署名の提出は、開票作業が終わってからにしましょう。蕗奈ふきなも忙しいでしょうから」

 そこで俺たちは、時間がすぎるのを待つことにした。



 投票時間が終わると、生徒会室は締めきられた。

 俺たちが何もしゃべらないままじっと待っていると、がらりと扉が開く。


「どうぞ」


 眼鏡くんが手招きをしてきた。部長は署名用紙を抱えながら入口に向かう。


「失礼します」


 部長の挨拶に続いて、俺と素子も入る。

 すでに室内は投票会場のレイアウトではなく、いつもの生徒会室になっていた。


「待たせたな」


 受付カウンターの手前、会長が声をかけてきた。その背後には他の生徒会役員も顔を連ねていて、すぐ隣にはいつもの眼鏡くんが立っている。生徒会総出での出迎えだった。


「開票作業は、無事に終わりましたか?」

「ああ、滞りなく」

「それは何よりです」


 部長は会長に、手にしていた署名用紙を渡す。


「恋色エクリチュールの廃止に賛同する署名です」

「全校生徒の3分の2以上あるのだな?」

「はい」

「そうか、ご苦労だったな」


 会長の態度がいつもと違うことに気づき、部長は両目を細めた。

 俺でも分かる。やけに素直すぎるんだ。


「ありがたく頂戴ちょうだいしよう。生徒会で協議のうえ――」

「――蕗奈」


 段ボール箱を引き取ろうとする会長を、部長は制する。


「まさか、とは思いますが、廃棄したりはしないでしょうね」

「まさか。貴重な生徒の声だ」

「……」


 部長は、ためらいながらも段ボールから手を離した。


「文芸部にはいつも助けられるな」

 生徒会室をでようとする俺たちに、会長は言った。



 そして夜が明け、迎えた次の日。


 石を呑み込んだような気分のまま花園学園に到着すると、生徒会室の入口に人だかりが見えた。俺と素子は視線を交わし、群衆をかき分けていく。

 目の前の掲示板には、生徒会の公印を押された張り紙があった。


『通知第234号 生徒各位』

『生徒会会長 久利蕗奈』

『恋色エクリチュール改定の発議に係る投票結果と、全学署名およびそれらへの対応について』


 活字を順番に追っていく。

 まず俺は、投票結果という文字に目を留めた。



 賛成 160

 反対 150

 無効 15



 ……賛成票のほうが多い。しかも反対票が署名数をはるかに下回っている。無効票を足しても、325にしかならない。投票していない生徒も結構いるということか。


『投票の結果、全校生徒の3分の2以上の賛成が得られなかったため、恋色エクリチュールの改定は行わないものとする。文芸部によって提出された署名を考慮すれば、なおさら当然である』


 安堵あんどのため息がでてきた。

 ひとまず離婚できない婚姻届は回避できたってことだ。


『しかしながら、賛成票が多く、現行の恋色エクリチュールを維持することもまた適当ではないと考えられる。したがって下記のように対応することを、先日の協議会において決定した』


 横にいる素子を見ると、「うん」と返事があった。

 俺は高まる鼓動を感じながら、続きに視線を走らせた。



1・1・1 【変更なし】誓約書への記名は1名であること。

1・2・2 【廃止撤回】誓約書の書き換えは、別途、規定するものとする。

1・2・3 【新規創設】当事者間の私的関係については、これを問わない。



『本来であれば、これもまた発議の対象となるが、生徒への負担を考慮すると適当ではない。したがって1週間の猶予を設け、異議がなければ改定するものとする』


 ここで文章は終わっていた。

 俺と素子は肩を落とす。恋色エクリチュールの改定はたしかに免れた。だが、俺たち文芸部が目指していた廃止には至っていない。


 周囲の生徒たちは、やったやった、と声をあげて喜んでいる。ある生徒は抱きつき、別の生徒は大げさに万歳をしている。「ありがとよ、文芸部」「祭門部様、すごいですね」と声をかけてくる生徒もいた。あれ、祭門部「様」?


 よく見れば、隅のほうに部長が立っていた。まばたきもせず張り紙を見つめ、少し下唇をみしめている。俺たちに気づいていない。


「あ、品近さんに……、素子さん?」


 俺が肩を叩くと、驚いてこっちを見た。


「すみません、俺たちが不甲斐ふがいないばっかりに……」

「ぶちょー、ごめんなさい」


 俺たちが頭をさげると、部長は膝を曲げて、視線の高さを合わせてきた。


「気落ちしないでください。あの改定を阻止できたのです。前進は前進として喜びましょう」

 部長は微笑ほほえんだ。

 一番悔しいのは部長のはずなのに。気丈な振る舞いは変わらなかった。



 その日、もう1つの変化が文芸部に起きていた。


 パソ子さんが呼びかけても反応しなくなった。あのアイコンも画面からなくなっている。誰かが消してしまったのかもしれない。何かの予兆ではないのか。そう感じずにはいられなかった。


 そうして生徒からの異議がないまま1週間がすぎていった。

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