6・4 ダーカー素子

 ――そうだったんだ。


 米家さんの感想はそれだけだった。お姉さんのことは知らないって、力になれなくてごめんね、と。


 俺はお礼を述べてから、米家さんと別れると、下駄げた箱へと向かっていた。

 その途中で文芸部の前を通りかかる。すると扉がわずかに開いていた。戸締まりを忘れるなんて律儀な部長にしては珍しい。そう思いながら扉に手をかけると、部室の奥にぼうっと人の気配を感じた。


「素子か?」


 とっさにその名前がでた。「あ、品近?」と返ってくる。「明かりもつけずに何してんだよ」と素子に近づいていく。


「えっとね、ぶちょーから伝言があって。明日は生徒会室で投票があるから、そのときに署名も一緒に提出するって。放課後に部室集合だからって」

「それ言うためにこんな遅くまで? メールでいいじゃねえか」

「そうだね」


 素子は答えた。

 様子がおかしい。どうせ明日も会うんだ。それに米家さんに付き合っていたから、いつ帰ってくるかなんて分からないし、部室に戻ってくるともかぎらない。


「品近、あのさ」


 次第に暗闇に慣れてくる。テーブルの段ボール箱には、署名用紙が収まっていた。

 ぼんやりと素子の顔も確認できる。


「米家先輩とどうだった? 仲直りできた?」

「たぶんな。思ってたより風通しはいい」

「そっか」


 素子はテーブルの署名用紙に視線を落とす。


「これが生徒会に届いて、へんてこ校則がなくなるといいね。茜さんが戻ってくるかもしれないし」

「そうだな」

「ここが嫌でいなくなっちゃったんだし、半年で退学とかならないなら、品近がいるところに絶対帰ってくるよ」

「……だといいんだが」


 素子の声は明るい。いつもと同じようにも思える。

 けど違う。素子はこんな気遣いはしない。姉ちゃんに会えたらいいね、なんて気休めは言わない。


「ねえ」

「ん?」

「……もし茜さんが戻ってきたら、品近はどうするの」

「どうって、それは」


 正直、よく分からない。

 姉ちゃんの気持ちにどうやって応えればいいのか。また一緒に暮らしたいってだけで。


「品近はさ、茜さんが大好きで、茜さんは品近のこと本気だよね。だったら何もないってことは、ないと思うけどな……、ここは花園学園なんだよ……」

「どうしたんだよ素子、さっきから変だぞ」


「ずっと1人で考えてたんだ。ぶちょーは茜さんのことが大好きで、そんなぶちょーのことをかいちょーだって心配してて、へんてこ校則をどうにかしようっていがみ合って。でも茜さんは品近のことが好きだから、きっと誰にも相談できなくて、ここにいられなくなっちゃって。茜さんを探すために品近はここに入学して、ぶちょーと頑張って、それって私じゃどうにもならないなって」


「何が言いたいんだよ」

「……私って、ばかだよね」

「ばかって」

「だってばかじゃん。花園学園になんでいるのか分かんないし」

「一緒に文芸部で頑張ってきたじゃねえか。米家さんのことも署名のことも」

「でも品近は茜さんが好きなんでしょ!」


 素子は大声をだした。

 表情をゆがませているように見える。けど暗がりのせいで分からない。


「いつか諦めてくれるって信じて、ずっと待ってたけど、そんなことなかった! こんなに一緒にいて毎日話してるのに、目の前にいない茜さんに勝てないんだよ!? でも品近のこと諦めきれなくて、同じところに進学して、そこでも茜さんが一番なんだって思い知らされて……、これがばかじゃなかったら何がばかなの!?」


「自分のことを、ばかって言うな!」

「じゃあ品近のこと、待ってていい!?」


 素子の声は泣いていた。


「米家先輩といたときだって品近は……! ずっと私、なんで……、おかしいじゃん……。こんなのやだよ、ずっと幼馴染おさななじみでなんも変わらないなんて……」

「素子」


 俺はソファを立ちあがり、素子の隣に移った。その手を強引に握りしめる。


「姉ちゃんのことは、たしかに好きだ」


 彼女は、苦痛に耐えるように握り返してきた。


「でも姉ちゃんと一緒になるつもりはない。姉ちゃんは姉ちゃんだ。恋人じゃない」

「……でも、それじゃだめだよ、品近」

「だめじゃない。恋色エクリチュールを廃止して、姉ちゃんが帰ってきたら、家族に戻るんだ。姉ちゃんの気持ちを受け止めてからな。そのための花園学園だ」

「……できるの、そんなこと……? 品近は、それでいいの……?」

「できるかできないかじゃない。やる。そう決めたから」

「……でもだって……」

「せいっ」


 俺はもう片方の手で、素子の鎖骨を勢いよくなぞった。「熱うっ!?」と火遊びで火傷しそうになった子どものように、すっとぼけた声をあげる。


「なっ、何すんの!?」

「トリノコトリだ。素子が素子語を分からないとか、どういうことだよ」

「……使いかた間違ってるし。鳥の小鳥だし」

「一緒だろ」


 素子はもう片方の手で鎖骨を優しくなでる。


「お前は昔っから誤解してたけどな、俺はシスコンじゃねえ。姉ちゃんをそういう意味で好きになるわけないだろ。たしかにあっちはブラコンだけど」

「じゃ、なんで中学生のくせに、べたべたしてたわけ?」

「逆らえないからに決まってんだろ、腕力で」

「じゃ、じゃ、品近はよかったの? 付き合ったりしなくて」

「……まじで鈍いな、お前……。まあいいけど」


 俺は小指を、素子のそれに絡ませた。


「姉ちゃんと再会できるまで待ってくれ。会ってけりをつけたら返事をする」

「う、うん……」


 ゆーびきーりげーんまーん、嘘ついたら針千本のーますー、ゆーびきった。

 俺たちは約束を交わすとと、ソファを立ちあがった。


「素子ん家まで送るわ。暗いしな」

「え、どったの? 品近が優しい?」

「わざとらしく驚くな。どうせ目と鼻の先じゃねえか。方向が逆なだけで」

「いいの? そんなことしたら私が襲っちゃうかもよ。品近はだって女の子だもんね」

「素子、そういうことを女の子は言わないんだぞ」

「そもさん」

「せっぱ」

「私のこと女の子だなんて思ってないくせに。嘘つき」

「そもさんって言ったら質問しろよ」

「そもさん」

「せっぱ」

「シスコンって、やっぱり気持ち悪いね」

「誰がシスコンだ、誰が」


 こうして俺と素子は、静かな文芸部をあとにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る