6・1 モノポライザー米家

「これです」


 米家さんは段ボール箱をテーブルに置いた。その風圧で柿プーがテーブルを滑る。空になったペットボトルも転げ落ちた。名前の書かれた署名用紙が詰まっている。


「パソ子さん、人数を読みあげます。計算してください」

「はいなのですー」


 部長は紙束を取りだし、署名された人数を数え始める。

 3、4、2とリズミカルに続ける様子を、俺たちは見守っていた。10、100と桁数が伸びる。


「……1。最後です。パソ子さん、合計は?」

「272、になったのですー」


 部長の表情がほころぶ。3分の2以上あります、と。


「すげぇ!」

「ぶちょー!」

「祭門部様はすごいのですー!」


 俺たちはその場で抱き合って喜んだ。

 やった。本当に3分の2も集めちまったぞ。無理かもしれないと思っていたのに。


「祭門部さん、約束を覚えていますか?」


 しばらく俺たちの様子を眺めていた米家さんが聞いてくる。

 サービスのことですね、との部長に、はいサービスです、との米家さん。そして2人の視線は俺を貫いた。止めてくれ。心臓に悪い。


「品近さん、約束を違えることはまかりなりませんよ」

やしろ君って、文芸部でも逆らえない立場なんだね」


 2人は用意周到に逃げ道を塞ぐ。見ない振りをしてきた夏休みの宿題に、学校が始まる前日に取りかかるような心境だった。


「品近さん、部長命令ですからね」

「中庭に行こうよ。あそこならゆっくりできるし」


 部長が脇を固め米家さんが切り込んでくる。どうしてこんなにも相性がいいのか。


「も、もちろん……、米家さんとご一緒できて嬉しいです……」

 俺がこの台詞せりふを、どんな顔でしゃべっていたか。夏休みの宿題顔だよ。



 □■



「じゃ、行こっか」


 米家さんは、俺の腕を拘束してから中庭へと歩きだす。

 放課後を迎えた女子ラクロス部を訪れると、入口で米家さんが待ち構えていた。お昼より獰猛どうもう――いや、元気そうに見える。


「ねえ、分かる? 今日はつけてるんだよ」


 にまにまと頬を緩ませながら、顔を近づけてきた。

 がっちり決まっている腕、そして指先には、彼女のそれがもつれるように絡まっている。さっきから伝わってきている体温やら感触やらで会話どころじゃない。


 あと大事なところで胸が……、米家さんの胸が結構おっきくて……。


「社君なら分かってるはずだよね?」

 楽しそうに聞いてくる米家さん。


 ねえ、分かる? 今日はつけているんだよ――何を?


 このクイズに正解しないと、胸が当たったままだ。それは困らないけど困る。

 にしても、さっきから胸が気になって仕方がない。もしかしたら正解は胸なんじゃないか。俺の腕につけているって――って、いやいや。


「で、答えは?」

「……顔は近いですよね」

「話をらしちゃだめだよ。ちゃんと答えないと」

「……思いついたことはあるんですけど、絶対に間違ってる自信があります」

「どうして? 言ってみないと分からないよ? 笑ったりしないから」

「…………ええと、それは……む――」

「――はい、時間切れ」


 俺がまごついていると、米家さんはクイズを打ちきった。


「正解は絆創膏ばんそうこうでした」

「絆創膏……?」


 腕を放した彼女は後ろ手を組んで、そっぽを向きながら視線だけを向けてきた。


「せっかく明るい黄色にしたのになあ。これってうにの色なんだよ」

 そしておでこを指差した。


 そ、そうだよな。

 胸をつけてくるとか、ただの欲求不満だよな。何を妄想してんだよ俺。

 でも胸は離れたから、結果的にはよかった。ああ、そのはずだ。間違いない。


「不正解の罰としてしゃべるんだよ。社君は、さっきなんて言おうとしたの?」

「気にしないでください。たいしたことじゃないですから」


 今日は胸が腕についています――口を裂かれても言ってはいけない。


「もしかして胸が当たってて気持ちよかった、とか?」

「んなぁっん、でっ!?」


 あっさりばれました。


「社君って、そういう人だったんだ。うわあ、そんな人がマネージャーだったんだ。本当はみんなのお着替えを見ながら鼻のしたを伸ばしていたんだね」

「違うんです! 俺はそういうことじゃなくて、どっちかといえば胸よりスパッツだからマネージャーになってですねっ!? 大いなる宇宙の真理によって気持ちのよい感触が――」

「――触る?」


 は? 触る?

 頭に詰まっていた言い訳が一瞬で吹き飛ぶ。


「今日だけは恋人。私のことを好きにできるんだよ?」


 彼女は一歩ずつ俺に近づいてくる。つい胸を見てしまったことに気づき、俺は視線を落とした。


「我慢しなくていいから、ほら」


 俺はシューズのつま先に視線を固定したまま耐えようとした。悪魔のささやきに耳を傾けてはいけない。理性のたがが外れてしまう。その瞳を見つめてはいけない。それを見ているとき、悪魔もまた俺を見つめている。石になっては抵抗できない。


「ほら触って」

 俺の手を持った米家さんは、それを引っ張る。だめです! そんな一方的なことしたら米家さんがけがれちゃ――――ぴとり。


 あれ、固い……?


 俺は指先に触れているそれを何度もなぞった。柔らかいあれでないことが分かる。


「どう? 私の絆創膏」

 顔をあげると、俺の指先は米家さんのおでこに乗っていた。


 やられた。

 絶対にわざとだ。完全に弄ばれている。


「相変わらず、社君は面白いなあ」

「……それはこっちの台詞ですよ」


 彼女はくるりとターンして、俺に背を向ける。

 そして跳ねるように進み、中庭の扉に手をかけた。ようやく目的地だ。助かった。


「触って欲しかったのになあ」

 米家さんはちらりと背後を振り向いて言った。えっ……。



 □■



「ここ、いてる」

 米家さんに引っ張られ、唯一空いていたベンチに座った。


 花園学園の中庭スペースはガーデニングのなされた憩いの場に見える。が、実は外側から見ることのできるマジックミラーに囲われている。内側からは隠れているつもりでも、外側から見られている。この状況が気持ちを燃えあがらせると評判だ。

 あの久利会長の成果の1つらしい。やっぱり頭がどうかしてる。


「見えないから存在しないって、変なの」


 米家さんは周囲を見た。

 だって全部見られてるんだし、という彼女に、まったくです、と俺は答える。


「でも、ちょっとだけ分かるんだ。ここがいいっていう人の気持ち」


 俺も見回してみる。ニチニチソウやヤマボウシといった草木が力強く成長しつつある代わりに春の可憐かれんな花々は退場しようとしていた。


「自慢したい人がいると、ここに来たくなるの。私の相手はこんなにすごいんだぞって」


 彼女は微笑ほほえみ顔を近づけてくる。

 もう経験したから分かるぞ。これはわなだ。俺をからかって反応を楽しもうとしているんだ。


「社君は、私の自慢だから」

 俺の手を握る。「ずっと見せびらかしたい。私の彼なんだって」


 米家さんは少しも笑っていなかった。

 俺は握られた手を見つめる。でも、こっちから握り返すことはしない。


「私ね、社君とお話がしたかったの」


 一度だけ力を込めると彼女は手を離した。「本当のことを教えてくれないから」


「米家さんに隠しごとなんてないですけど……?」

「嘘はついてないと思うよ。でも本音をしゃべってくれない」

「うーん、それもない気がしま――」「――じゃあ、聞いていい?」


 米家さんは言った。


「どうして花園学園に来ようと思ったの?」


 俺は予想しなかった質問に驚いてしまう。


「ショッピングモールでお買い物したときも言ったよね。社君は恋愛に興味がなさそうだって」


 俺が返事に困っているからか、米家さんのほうからしゃべり始める。


「え、ええ」

「だったら、どうして祭門部さんの署名活動を手伝うの? 最初から恋色エクリチュールのないところに進学すればいいだけだよね?」


 彼女は背筋をぴんとした。


「難しい話は苦手だし、紅莉栖くりすみたいに男子のことも分からないけど、社君のことなら分かるよ。恋愛よりも大事な目的があるんだって」

「……あんま楽しい話じゃないですし、たぶん聞いたら引きますよ」

「ううん」


 米家さんは真剣だった。

 顎を引き、握りこぶしを作っている。


「……分かりました」

 俺は大きく息を吐いた。



「俺がここにきたのは、姉に会いたかったから、なんです」

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