5・4 めいあんアイスブレイクタイム

 迎えた決戦の日。


 俺はジャージとスパイクそれにクロスを持参し、女子ラクロス部を訪問していた。早朝、なけなしの財産をはたいてスポーツ用品店で買ってきたものだ。もちろん買ってきたままじゃない。クロスのネットを不正改造してボールを拾いやすくしている。少しでも勝率をあげるためだ。なりふりなんか構っていられない。


「ふうん、自分で買ってきたんだ」


 ところが紅莉栖先輩が不満そうに絡んでくる。

 やばいな、クロスの不正を見抜かれたかもしれない。


「初夏と仲直りしてくれて感謝はしてる、けどね」


 紅莉栖先輩はいかつい口調のまま。「私は許していない。初夏をあんなに傷つけたんだから」


 先輩の話は、俺の準備についてではなく米家さんとのことだった。

 それはそれで厳しい指摘だったけれど、不正が見抜かれたわけではないと知り、俺は内心ほっとしていた。


「でね?」


 俺が首をすくめていると、先輩の口元がいきなり緩み始める。「私もしなちも納得できる方法が1つだけあるんだ」


 そしてぎらぎらとした目つきに変わり、両手をにぎにぎしながら、先輩は近寄ってきた。


 あ。壊れたはずの本能が危機を訴えている。それは絶対に誰も納得できない方法だって。問い返してはならない。好奇心は猫を殺す。そして俺は殺される。


「最初だけだよ? 痛いのは。目をつむってたらすぐだから、抵抗したら長引くから」


 紅莉栖先輩はその魔の手を伸ばしてきたのだった。



「社君って、そういう趣味だったんだ」



 グラウンドで待っていた米家さんは、俺を見るや露骨に不快そうだった。


 何が起きたのか説明しよう。俺は身ぐるみを剥がされ、ラクロスのユニフォームを着せられていたのだった。ラクロス部のユニフォーム、つまりは、スカイブルーのポロシャツにプリーツスカートという格好をしている。てかスパッツはいてます。


 実際に着てみれば、スカートの風通しはよく、スパッツの通気性も素晴らしい。ただまた辺りが窮屈なのは男女の違いか――って、その情報はどうでもいい。


「俺の純情を返せ――――――――っ!!」


 俺はあいを叫んだ。女子ラクロス部員たちは、似合っているだのかわいいだのと責任感の欠片かけらもない声援を送っている。こいつら最低だ。


「しなちぃーっ! 録画してあげてるからね!」


 紅莉栖先輩はもっと最低だった。しっかり右手に携帯を持っている。……不正画像ですよ、パソ子さんの出番ですよ。


「とってもお似合いですよ、品近さん」


 彼女らの歓声に混じって落ち着いた声が聞こえてきた。応援席をじっと観察すると、微笑みながら手を振っている祭門部部長を発見した。柿プーとお茶を手にしている。


 どうして!? 署名活動はっ!?


 俺が唖然あぜんとしていると、部長は口を手で隠しながら隣の席を指差した。またもや目を凝らすと見慣れた人物が見えてくる。


 …………素子だ。


 何度も首を左右に振っては、俺を見て、ため息をつくジェスチャー。ちなみに柿プーは2袋。


 どうやら俺の人生はここまでらしい。部長と素子に見られるわ、動画にもばっちり収められるわ。パソ子さんとのおしゃべりも加われば、あわせ技で一本負け。……パソ子さんは、それでも俺の友だちでいてくれるだろうか。


「もう始めていいですか?」


 米家さんはクロスを担ぎながら俺のところまで歩いてきた。

 そうだ。こんなところで萎えてる場合じゃない。ここで負けたらなんのためのはずかしめか分からないぞ。


「1on1で勝負します」


 彼女はアイガードをかけた。俺も真似するように装着する。


「センターラインに投げられたボールを奪い合って、相手のゴールにボールを沈めたら1点。これを繰り返して、先に10点をとったほうが勝ち。これでいいですか?」


 予想どおりの内容に、俺はほくそ笑んだ。

 練習試合のメンバーがそろわないとき、米家さんは紅莉栖先輩とよくこの1on1で遊んでいたから、提案されると思っていたんだ。


「米家さん、ルール変更をお願いできますか?」


 だからまずは勝機を生むための交渉から。


「このルールだと俺に勝ち目がありません。素人同然ですから」

「ラクロスの勝負を挑んできたのは、社君じゃない」

「だからハンデをください。たとえば1回でも得点できれば俺の勝ちというのはどうですか?」

「……いいよ、別に」


 少し間を置いてから米家さんは言った。


「私が10回連続で点を入れれば勝ちってことだよね?」

「はい」

「分かりました。ルールの変更を認めます」


 米家さんは手にしていたボールを近くの部員に渡した。

 俺と米家さんはコートに移動して、センターラインを挟んで対峙たいじする。互いににらみ合いながら、ボールが投げられるのをじっと待つ。


 声援が消える。米家さんの雰囲気も一変し、まるで猛禽もうきん類のようなプレッシャーを与えてきた。


 そしてボールが投げ入れられた。俺はクロスを伸ばす。


すきだらけですね」


 米家さんは俺よりも高く飛びあがってボールを奪う。そのままゴールまで走り、得点してしまった。流れるような動きに悪あがきする暇もない。


「1対0。まだ9回も残っていますね。ゆっくり楽しめそうです」

 彼女は挑発しながら元の場所に戻ってくる。


 ――厳しい、な。


 米家さんが上達している。俺がマネージャーをしていた頃よりもずっと。冷や汗がしたたり落ちてきた。


 すると再びボールが投げられた。


 俺は彼女を妨害するようにクロスを伸ばす。しかし彼女は華麗な体捌さばきで、俺のクロスを滑るようにかわし、あっさりボールを拾った。そしてボールはネットに沈む。


「もう2対0ですか」


 米家さんは退屈そうに欠伸あくびをする。

 それからも俺は一方的な得点を許してしまう。フェイントは見破られ、素人の限界を思い知らされ続けた。


「5対0になりましたけど」

 米家さんは油断しきっていた。俺が全力をだしても勝てるはずがないと。


 ――そろそろだ。


「米家さん、タイムをお願いします」


 計画どおりに俺は言った。米家さんは同情のまな差しを向けながら「いいですよ」と言う。俺はコートを離れ、気分転換をする振りをしながら、わざと転んでポケットに集めてきたグラウンドの土を手に握った。


 作戦はこうだ。


 センターラインでの奪い合いで、高く飛んで手から土をこぼす。アイガードがあるせいで視界を覆うことはできないけれど驚かすくらいならできる。その隙にボールをとり、温存してきた体力で全力疾走をして、そのままゴール。


 単純な作戦だ。自分で用具一式を管理する米家さんに細工をする隙はなかったし、紅莉栖先輩のせいでネットを広く深くしたクロスも没収されたのだから仕方がない。


「お待たせしました」

 退屈そうな米家さんと俺は、センターライン越しに向き合った。


 ボールが投擲とうてきされる。俺はいち早く反応して空中を制すると、握っていた土を落とした。アイガードにぶつかる音。着地。よし、今のうちにゴールを――


「――せこい作戦ですね」


 目の前に立ちはだかる米家さん。俺の頭部を殴りつけるかのようにクロスを振りかざす。俺が思わずひるむと、その隙にボールは奪われ、彼女の得点を許してしまった。


「6対0」


 米家さんはゆっくりとゴールからセンターに戻ってくる。


「さっきのは見逃してあげますよ。偶然ってこともありますからね」


 アイガードについた土を払いながら米家さんは笑った。くそ、あれくらいでは怯まないということか。


 女子ラクロスのルールだと、近距離でクロスを顔に向けるのは反則だ。だから彼女は、反則になる直前でクロスを引いて、俺の油断を誘った。目の前に棒きれが飛んでくれば、素人は怯んでしまう。反則ぎりぎりを攻めて得点する米家さんに、ルールを破っても勝てない俺。旗色が悪すぎる。


 こうしてすべもなく、俺は得点を許し続けた。


「9対0です」


 泥と汗まみれの俺とは対照的に、息も切らさず話しかけてくる。


「必殺技とかないんですか? さっきみたいに姑息こそくなのでもいいですよ?」

「……とっておきは、ありますから」

「それは楽しみ」


 米家さんはマウスピースに覆われた歯を見せた。

 俺は膝をつき、クロスに体重をかけながら、呼吸を整えるだけで精一杯。子どものようにあしらわれて1点も奪えない。もうだめか。それこそ姑息な手段は他にないのか。


 ――あ。


 俺は久利会長との話を思いだした。会長の言ったことが本当なら、やってみる価値はある。正直、まったく気乗りしないが、手段を選べる状況でもないしな……。


 そして最後のボールが投擲された。だが俺は拾わない。米家さんが先手になるように仕向ける。


「諦めるのが必殺技ですか?」


 米家さんは戦意喪失と思ってか、ゆったりボールを拾った。今はそれでいい。

 ゴール目指してのんびり走る米家さんの背後めがけて、俺は全速力で走っていった。追いつかれたことに気づいた米家さんが口を開いた瞬間だった。



「俺、米家さんのことが好きです! 誓約書に記名してください!」



 できるだけ耳の近くで叫んだ。彼女は足を止めて振り返る。俺はその隙を狙ってボールを奪いとった。そしてゴール目指して駆けだす。


「ひ、卑怯ひきょう者!」


 背後から怒鳴り声が聞こえてくる。が、彼女が近づいてくる気配はない。俺は体力のすべてを使って走った。ゴールラインを越えないように、ボールを投げると、それはゴールネットを揺らした。


「と、とった……!」


 俺はその場に崩れる。1点をもぎとった安心感から足腰に力が入らない。


「なんで」


 すると米家さんが追いついてきた。アイガードとマウスピースを剥ぎ取って、俺

を見下ろす。


「……ひどいよ」

「すみません。ああでもしないと勝てなかったから」

「……あんなの、だめだよ、反則だから……」


 彼女のクロスが落下した。


「私、勝っても仲直りするつもりだった。どうして記名して欲しいとか、好きとか……」


 俺はゆっくりと立ちあがる。


「聞いてください。俺はずっと後悔していました。どうしてあのとき追い詰めてしまったんだって。恋愛のこととかエクリチュールのこととか、もっとたくさん話し合っていれば、ああはならなかったはず。だから今日は、どうしても勝って米家さんと仲直りしたかったんです」

「なら、なんであのとき書いてくれなかったの!?」


 米家さんは怒鳴った。


「ずっと好きだったのに! あんなに好きだったのに! どうして社君は、どうして!」

「すみません……」

「ラクロスに集中しようって思ってたのに、社君が話してくるから……、私……! ばか! ばか! 社君のばか!」


 苦悶くもんの表情を浮かべ、両手で殴ってくる。

 だがその勢いは弱まっていき、動きを止めてしまう。両手をだらりとさせたかと思うと、彼女は抱きついてきた。


「ばかぁ、ばかぁ……」

 米家さんは首を振りながらしばらく両肩を震わせていた。

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