5・3 わかいティーンエイジャーバトル

 翌日。早朝。


 米家さんとの一件を報告しようと文芸部を訪れてみれば、祭門部部長と素子が熱心に打ち合わせをしていた。署名集めの時間と場所を決めている。俺が部屋に入ったことに気づかない。


 いつものテーブルにはお茶請けではなく、署名用紙が大量に置かれていた。その足元には見慣れない大きな段ボール箱が、でん、と2つ。俺は側面に貼られたラベルを確認する。


『金田の柿プー 詰め合わせ』

『こーい、お茶 500ml』


 兵糧かな。


 1ヶ月は忙しくするわけだし。甘さ控えめのチョイスは食べすぎ防止のためかもしれない。にしても柿プーを箱買いする人間がいるなんて……。


「米家さんについては、品近さんに期待しましょう」

「はいっす、ぶちょー。品近のばかを待ちましょう」

「誰がばかだ、誰が」

「あら品近さん――」「――なんか、久しぶり?」


 ようやく2人は俺の存在に気づく。ちょっと寂しかったぞ。俺はソファまで近寄っていく。


「あら……」

「どったの、その痛そうなほっぺ?」


 反応こそ違うけれど、同じところに注目する2人。


「……ええと、これは、ですね」


 米家さんとの交渉結果について、俺は説明した。


「あら、あら、あら」

「やーい、ばーか。殴られてやんのー」


 言葉こそ違うけれど、同じ感想を抱いた2人。笑われたって仕方ないけれども!


「品近さんでも無理なら、文芸部だけで働きかけるしかありませんね……」


 部長は署名用紙に手を置き、それをじっと見つめる。


「恋色エクリチュールの改定が発議されたら、すぐに署名活動を開始しましょう。連絡しますから、2人は部室で待機していてください」

「はい」「はい!」


 そしてその日のうちに、生徒会からの恋色エクリチュール改定が発議された。

 事前に知らされていたように、書き換えができなくなり、個人のことには踏み込まない、という条文だった。


 でも俺は別のことで頭が一杯になっていた。



 □■



 授業がすべて終わると、俺は寄り道をしてから、女子ラクロス部へと走っていた。


 素子にはあとで合流すると伝えてあるから問題はないはずだ。

 ラクロス部の入口に到着し、こんこん、とノックすると、はい、と米家さんが扉を開けた。その奥には紅莉栖先輩も含めて数人の部員がいる。


「……帰ってください」


 米家さんはうつむきながら言った。


「昨日のことを謝りたくて」


 俺は後ろ手に持っていた紙袋を渡す。

 彼女は険しい表情のまま受け取る。青いリボンをほどきラッピングされた小箱を開けた。中身を無言で見ている。


「リストバンドです。実用的なものがいいかと」

「……受け取れば、いいんですね」

「はい」


 米家さんは紙袋ごと握りしめ、そのままグラウンドへ向かおうとする。


「あ、あと、もう1つ入っていて……」


 俺は彼女を呼び止めた。

 米家さんは乱暴に紙袋をまさぐる。それに触れると、えっ、と声が漏れた。


「これって……」

「うにです」


 手のひらサイズの黒いゴム製の球体。四方八方にとげが伸びており、切れ目の入ったところから黄色いぶつぶつがあふれている。彼女がかわいいと手にしていたものだ。


 しばらくうにを見つめたあと、米家さんはため息をついた。


「練習が終わってからならいいですよ。帰り道なら時間がありますから」

「えっ、はいっ?」

「嫌ならいいです。私から話すことなんてありませんから」

「いっ、いえいえ、はい!」

「どっちですか。話あるんですか? ないんですか?」

「ありますあります! 部活が終わるまで待ってます!」


 ぷい、と米家さんは向きを変えて、グラウンドへ歩いていった。



 □■



 こうして迎えた帰り道。


 俺は米家さんと一緒に歩いていた。家の方角は同じ。遠回りをさせてはいない、はず。


 話ならあるはずなのに、俺は何を言っていいか分からなかった。署名の話があるにはあるけど、そのことを伝えるのは、今は違うと思っていた。


「ねえ」

 沈黙が破られる。「どうして黙っているわけ?」


「ええと……」


 だが言葉を続けられない。

 会長のアドバイスが脳裏をよぎるが、そういうことじゃないと打ち消してばかり。


「ばっかみたい」


 米家さんはそれっきり黙ってしまった。

 こうして静かな道を歩き続け、彼女の自宅に到着してしまう。


「着いたんだけど」

 荷物を持ち直しながら俺を見た。「話がないなら帰っていい?」


「だ、だめです!」

「だめね……」


 米家さんはそっぽを向いて、人差し指で頬をかいた。


「あのことだったら、もう気にしてないから」

「あれは、どうしても、米家さんに伝えた………はい?」

「だからいいって言ってるの。嘘がばれて、私がふられただけじゃない。根に持つのは変でしょ。社君だって気にすることないし」

「……ですけど」

「そうやって落ち込まれると、まるで私が悪いみたいなんだけど?」

「あ! 違います! そういうことは全然ないです!」

「ならいいじゃない。私がいいって言ってるんだから」

「だっ、だめです! それじゃだめなんです!」

「何それ」


 彼女はくすりと笑った。これまでしかめっ面しかしなかったのに。


「じゃ、どうすればいいわけ?」


 人差し指を頬に添えて、微笑んでいる。

 俺は試されている。ここでちゃんと答えられたら、米家さんとの関係を改善できるかもしれない。



「……ラ、ラクロスで勝負してください!」



 誰もいない通学路で、俺は叫んだ。


 あ、いや、待って。ラクロス? ちょ、俺は何を血迷って!? どうして米家さんに勝負を挑んでいるんだよ! 勝てるわけねえし、そもそも意味が分からねえ! なしなし、今のなし!


「社君って、ほんとおかしいね」


 米家さんは笑いだした。その瞳には涙すら浮かんでいる。

 たしかに変なことを言った。それは俺が一番分かっている。


「あのね、どうして社君とラクロスで勝負しなきゃいけないの? 言いたいことってそれ?」

「……違うんです。そういうつもりじゃなかったんです。けど自分でもよく分からなくて」

「でも嫌いじゃないよ、そういうの。ごちゃごちゃしゃべるより、白黒はっきりつくもんね」


 米家さんは自信満々に両腕を組む。


「なら決まり。私と社君の一騎討ち。勝負に負けたほうが、勝ったほうの要求を呑む」

「のっ、望むところですよっ!?」


 絶対に間違えた。

 俺は跳躍してはいけない暗黒を越えちゃったぞ。要求を呑むとか、剣呑けんのんではない条件もくっついてきたし。


「社君が勝ったら、私と仲直りしたいってことだよね?」

「は、はい!」

「私が勝ったら、そうだね……」


 米家さんは言葉を濁す。


「明日、グラウンドで待ってるから。敵前逃亡は許さないよ」


 そして彼女は自宅へと消えていった。

 前よりは話ができたかもしれない。けど米家さんにラクロスで勝利するという、針の穴にらくだを通すよりも難しい条件が生まれてしまった。


 ――正攻法じゃ無理だな。


 どうにか勝機を見いだそうと、俺は頭を悩ませながら家へ帰った。



 ちなみに、家に帰ると携帯にこんなメッセージが届いていた。


『署名は、私たちに任せてください』

『品近のばーか、ばかちかのばーか』


 俺の行動はすべてお見通しだったらしい。ばかって言う奴がばかなんだからな!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る