4・6 覚醒リマインディング


 ノートパソコンの画面を見つめる祭門部楽羽の姿があった。待ち受け画面には、とある集合写真が映しだされている。


 桜の木から、散り落ちる花びら。

 飲み物やお弁当の置かれたブルーシートのうえで、はにかむ3人の女子生徒。


 右端の女子――あどけない少年のような、妖艶ようえんな女性のような風貌。長くつややかな黒髪を持つ彼女は、鋭い視線を、中央の女子に向けていた。


 左端の女子――自負心のあふれた態度に、すらりと細長い手脚と美貌びぼう。刈り込まれた短い髪型の彼女は、右端の女子を見つめていた。


 中央の女子――個性的な女子2人に挟まれているせいか、美人であるはずなのに目立っていない。切れ長の一重まぶたが、柔らかい曲線を描いていた。


「茜は、どうしているのでしょう」

 祭門部楽羽は、天井を見上げ、遠い過去を思いだしていた。



 □■



(よぉーっし)


 花園学園の正門前。

 小さく握りこぶしを作り、胸元に寄せる女子。中学時代から恋愛小説を読みふけり、恋愛こそが試練をもたらし、葛藤かっとうを経験させ、揺るぎない愛をもたらすと信じる祭門部楽羽その人だった。


 ――恋は人を清く、正しく、美しく、そして幸せにする――


 天使像に刻まれた言葉は、まさに彼女の気持ちそのもの。露出の多い制服に不満はあるけれど、ここならきっと素晴らしい恋愛ができる。


(天使、お好きなんですか?)


 すると背後から声をかけられた。驚いて振り向くと、にこにこと微笑ほほえむ女子生徒が立っている。


 天使が好きかとは、どういう類の質問だろう。食事や趣味の好き嫌いじゃない。そう思うのだが、彼女の笑顔がそんな疑問をかき消す。


(はい。悪魔よりは、ずっと)

(わあ、偶然ですね。私も一緒です)


 彼女は嬉しそうに両手を合わせ、笑いかけてきた。


(私、品近茜って言います。おんなじ新入生だよね、よろしく)

(祭門部楽羽です。こちらこそ)

(……さ、さいもん、べ? どういう字を書くんですか?)

(しなちか、という漢字も想像できませんでしたよ?)


 茜と名乗った女子は、困り顔から笑顔になった。

 2人は数語言葉を交わしすぐ別々になるが、入学式後の新入生ガイダンスで再会

を果たす。


(あ、天使の)

(悪魔のかたですね)


 再会を喜び合う2人が、親友となるのに長い時間はかからなかった。


 それから2人は花園学園が恋色エクリチュールという校則で運営されていること、半年以内に相手を見つけなければならないことを知る。出会いのために、部活動に所属する生徒が多いことも合わせて耳にしていた。


(文芸部はどうでしょう?)


 いかにも読書好きの祭門部らしい選択だった。じゃあ、と応じる茜。こうして2人は文芸部に入部する。


 当時の文芸部には、3年生の男子が2名のみであり、2年生はいなかった。そこに1年生の女子が合計3人入ったことになっていた。祭門部楽羽、品近茜、そしてもう1人の女子が。


(ん)


 部室で祭門部と茜を紹介されたもう1人の新入部員は、読書をしながら返事をする。


(久利蕗奈だ。よろしく)


 そう言ったっきり。視線は活字を追いかけ続けるままだった。


 ――無愛想な人ね。


 祭門部は彼女を避けようと思ったが、茜は気にしていない様子だった。

 細やかな気遣いのできる祭門部と、些細ささいなことを気にしない久利。水と油の関係にあったが、茜の仲裁によって、つかず離れずの関係を維持していた。


 だがその均衡関係はすぐに崩れることになる。


(私は辞める)


 ちょうど入学式から1ヶ月がすぎた頃。新入生歓迎会を準備しようとしたときのことだ。


 いきなり久利が退部すると言いだした。のんびりすごすつもりなのに、イベントをされては困る、だから私は辞めたい、と。3年生や茜の説得にもかかわらず、その意志は変わらなかった。祭門部は止めようとしなかった。辞めたければ辞めればいいのだから。


 結局、その日の準備はお流れになる。祭門部が1人で部室から帰ろうとすると、正門近くに人影があった。


(久利さん、帰らないのですか?)


 勝手にでていったくせに未練がましい。祭門部はそう思った。


(楽羽、あんたに礼を言いたくてな)


 だが久利の返事は予想外のものだった。どうしてですかと祭門部の口は動いていた。


 彼女の両親は、海外を飛び回っているため、もうじき日本を離れるのだという。事情を言えば、歓迎会が送別会になってしまう。それを避けるため喧嘩けんか腰で辞めたのだと。ただ、ずっと仲良くしてくれた祭門部にはお礼を言いたくて待っていたのだと説明した。


(茜には、あんたから謝っておいて欲しい)

(嫌です。自分で言えばいいじゃないですか。親の説得もできないで、わがままがすぎます)


 ――私、なんでこんなことを。


 祭門部は、考えのない発言をしたと思った。


(すみません。事情も知らないのに……)

(いや、あんたの言うとおりかもしれない)


 今度は、久利の言っていることが分からなくなった。


 ほどなくして。久利から日本に残れるようになったと連絡があった。なぜか両親が花園学園に残って勉強しろと言いだしたらしい。文芸部は彼女の復帰を喜んだ。


(素直じゃありませんね)


 もちろん祭門部だって喜んでいた。



 □■



「祭門部様、祭門部様」

 どこからか声がする。重たいまぶたを空けると、パソコン画面に少女のイラストが映っていた。


「20時をすぎてるですー。明日があるから帰るのですー、祭門部様」

「……もうそんな時間ですか」


 自分は眠りに落ちていたらしい。


 いつ頃からだろう。「さん」ではなく「様」と呼ばれるようになったのは。3年生が卒業してからか。蕗奈が生徒会に移ったときか。それとも茜がいなくなってからか。


 いや、あの告白からだ。

 あいつがあんなことをしなければ、今頃、茜は。



 □■



(『点と線と面』? これは幾何学をやるための小説ですか?)


 とある社会派小説を片手に、久利蕗奈に迫る祭門部。


(『恋は短し乙女よ走れ』? こんな子どもだましの何が楽しいんだ?)


 とあるラブロマンスを握りながら、祭門部楽羽に悪態をつく久利。


(まあまあ)


 口角泡を飛ばす2人のあいだで、幾何学模様に騙された子どものような表情の品近茜。


 あの一件から、2人の距離は急速に縮まっていた。とはいえ元々は水と油。距離が近いだけに対立も目立つようになっていた。中和剤役の品近茜がいなければ対話すら成立しない。


(今日はこれくらいにしておきましょう)

(そうだな。らちが明かない)

(どうして2人とも、手加減して話ができないのかな……)


 ただ、本気でなされる感想交流はたしかに文芸部を活発にしていた。感想交流のあとに行われる茶飲み話の雰囲気とまるで対照的なことも特徴だった。


(それにしても誓約書の相手はどうしましょう)

(困ったら適当に拾ってくればいい。名前があれば文句はない)

(2人とも、もっと焦ろうよ。退学になっちゃうんだよ、私たち)


 じわじわと迫る期日。いつも話題は記名相手のことになる。美人3人が相手もいないまま、のんびりしている様子は、文芸部七不思議の1つとしてうわさされていた。


 だが、この見慣れた光景は、突然暗転することになる。


(品近さん、記名してくれませんか)


 いつもの茶飲み話が終わったとき、文芸部の3年生が告白をしてきた。つい最近、記名相手と別れたという。品近茜に恋してしまったから、と。文芸部全体が凍りつく。


 ――茜には似合わない。


 祭門部は冷ややかにその様子を眺めていた。

 さしたる魅力がない。無難。平凡。告白してきた3年生はそんな形容が当てはまる人物だった。あの美しくて優しい茜が応じるわけがない。私たちの平穏は続くはずだ。そう思っていた。


 しかし品近茜の反応は、その思いを裏切ることになる。


 何も言わないまま、彼女は部室をでていってしまったのだ。一瞬、何が起きたのか分からなかったが、祭門部は茜をすぐに追いかける。


(あのような人を記名するのですか?)


 彼女に追いついた途端、とげを含んだ言葉がでてきた。

 うつむきながら首を振る茜。呼吸は乱れ、頬を赤く染めている。

 その瞬間祭門部は悟った。なぜ苛立いらだったのか。茜をどう見ていたのか。


 好きなのだ。


 彼女を奪われることが身体を引きちぎられるように痛い。止めろ。彼女は私のものだ。誰にも渡さない。


 その日を境に3人の関係は一変する。


(蕗奈、私は茜の意見を聞きたいのですが)

(落ち着け楽羽。私に争うつもりはない)

(ちょっと、もう止めなよ)


 いつものおしゃべりは、久利や3年生を警戒する時間になっていた。

 文芸部だけではない。教室も登下校も。久利が珍しく柔軟に対応しても祭門部の強気は止まらない。水と油のバランスはすでに崩れてしまっていた。


 そして事件は起きてしまう。


 突然、品近茜は行方不明になったのだ。それは文芸部だけではなく、家族や学校関係者にとっても晴天の霹靂へきれきだった。祭門部と久利は一時休戦して、心当たりのある場所を探し歩いた。


 ――恋色エクリチュールがあるから、茜は消えてしまったのです。


 だから自分のせいではない。

 彼女の失踪は恋色エクリチュールのせいだ。自分は彼女を愛していたのだから。そう考えるしか祭門部にはできなかった。


 こうして祭門部は、久利とたもとを分かつことになる。

 3年生が卒業すると祭門部は文芸部の部長となり、恋色エクリチュールの廃止を画策するようになる。


(楽羽が目を覚ますまで、私は諦めない)


 そして久利は同時期に文芸部を辞めて生徒会に移っていった。すぐに頭角を現し、時期会長候補になる。


 花園学園が変われば茜は戻ってくる。あの楽しい時間も取り戻せる。祭門部の激流のような感情は、油ごと押し流し、品近茜めがけて流れ込んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る