4・7 決意ワンダリング

「社、生徒会に入れ」


 久利会長は俺の肩を抱き寄せた。

 俺はいきなりのことで反応できない。


「分かっているはずだ。自然な恋愛感情など存在しない。誰もが規則を必要としている。そしてそれを適切に提供することのできる人間がいなければならないのだ」

「……俺は、あの話に納得していません」

「だが否定もしなかった。私の言葉に、一抹の真理を見たからではないのか」

「それは……」


 違う、はずだ。

 反論できなかったことと、それに賛成することは……。


「自然な恋愛感情を信じるかぎり、米家初夏のような不幸を招く。プールに子どもを投げ込んでも泳げるようにはならない。まずは泳ぎを教えることが先決だ。私たち生徒会は恋愛を教えているのだ。誰もが恋愛に溺れてしまわないように。恋色エクリチュールは、社が考えるようにいびつなものではないのだぞ」


 会長は俺をまっすぐ見ている。

 表情は真剣でさっきまでのおしゃべりのときとまるで別人だった。


「楽羽への義理立てか? くだらない」


 返事をしない俺に、会長はため息まじりに言った。


「楽羽のおかげで例外措置を得られたとでも思っているのか」

「そうです。部長は俺たちを助けてくれました」

「それがくだらないのだ。お前たちを助けたのは文芸部でも楽羽でもない。生徒会だ」

「けど生徒会にかけあってくれたのは事実です」

「楽羽のことを何も知らないのだな」


 会長は大きなため息をついた。


「どうして講演活動を文芸部としてする必要がある? あそこまでして恋色エクリチュールを毛嫌いする理由を知っているのか? なぜ部員が誰もいない? 楽羽ほどの人間なら部員集めくらい造作もないではないか」

「それは……、恋愛相談からエクリチュールの問題に気づいて、それで……」

「楽羽め」


 会長は苦虫をみ潰したような顔になる。



(まだ気持ちの整理が追いつかないのです。必ずお話しします。ただ今は……)



 部長が多くを語りたがらないことは俺だって分かっている。会長には気をつけろと言いながら、そのわけを教えてくれなかったんだ。

 だけど文芸部の目的は教えてくれた。姉ちゃんのことだって話すと約束してくれている。

 だから部長のことを知らないからといって――


「――2年宇組の祭門部楽羽は、お前の姉である品近茜に恋をしていたのだぞ」


 吐きだそうとしていた二酸化炭素が喉元でつっかえた。

 部長が恋をしていた? しかも品近茜って、何がどうなっている。


「お前の姉がいなくなったのは、楽羽が追いやったからだ」


 言葉がなかった。

 情報量が多くて理解が追いつかない。部長が姉ちゃんを好きだったっていう話も呑み込めないないのに、しかも行方不明の原因が部長にあるなんて……。


「昔話は好きじゃないがな」


 会長は、俺から腕をほどいて語り始めた。文芸部に入って部長や姉ちゃんと知り合い、姉ちゃんが消え、生徒会に移るまでのことだった。自分が会長として恋色エクリチュールを強化・徹底し、あの不幸を引き起こさないようにするためなのだと。饒舌じょうぜつな会長にしては、たどたどしい口調だった。


「楽羽は、社が入学してくることなど百も承知だったはずだ。放っておくはずがない」


 ――生徒会に行けば、会長の蕗奈が放ってはおかないでしょう――


 ここに来る前に交わした会話と会長の台詞は、まるで写し鏡だった。


「社、聞くんだ。茜が会いたがっている。お前たちが考えているよりも、ずっと近くにいる」

「……ど、どういうことですか」


 俺は会長の腕をとり力を込める。

 会長は抵抗しない。ゆっくりとうなずき返してくる。


「文芸部を辞めるんだ。生徒会なら例外措置などいくらでも受けられる。楽羽の近くにいては道を誤るだけだ。茜が戻ってきたら、何不自由なく一緒にいられる」

「姉ちゃんはどこにいるんですか。教えてください」

「まだ教えられない。だが必ず会えると約束しよう」

「本当に? 本当に会えるんですか?」

「ああ、私を信じろ」


 会長は俺の手を握り返してきた。


 会える。こんなに調べても居場所の分からなかった姉ちゃんに。女子ラクロス部の部員も、1年星組のクラスメイトも知らなかった姉ちゃんが、すぐ近くにいる。


 なら努力して文芸部に残って、あの校則を廃止しなくていい。生徒会で例外措置になって姉ちゃんとすごせるんだから。会長だって俺たちのことを気にかけてくれている。いいことだらけじゃないか。迷うことなんてない。今すぐ、はい、と言えば。



 ――忘れちゃったの――



 不意に、素子の声が聞こえてきた。は? なんでお前なんだよ。こんな大事なときに。


(お姉ちゃんお姉ちゃんってうるさいからだよ。ばーか)


 うるせえ。ばかはお前だ。

 俺がどんだけ苦労して例外措置になったと思ってんだ。


(ぶちょーにはいっぱい助けてもらったよね)


 でもそれは俺が弟だからであって、会長の言ってたように、俺たちのためってことじゃない。


(私はぶちょーの言うとおりがいいかなって。品近には悪いけど)


 ……そう、かよ。もし俺が生徒会に行ったら、素子とは別々になるな。ま、それもいいだろ。お前にはお前の考えかたがあるんだから。俺は俺なりに頑張るだけさ。


(ふーんだ、ふーん。ばーかばーか)


 何だよ。ばかとか言うな。人のことをばかって言うやつが――――いや、待て。

 俺は、あることに気がついた。ばかって言う奴がばか、だ。


 冷静に考えてみろ。どうして会長は姉ちゃんが近くにいる証拠を見せてこない。電話なりなんなりして、この話が嘘じゃないことを示せば、俺はすぐに文芸部を辞めるんだから。


 それができない理由は…………たぶん姉ちゃんが近くにいるってのが嘘だから。


 会長は部長をよく思っていない。文芸部という居場所を壊されたから。だから俺を生徒会に引き抜いて部長を困らせようとするくらい考えるだろう。花園学園の恋色エクリチュールに貢献している部長に露骨な嫌がらせはできないから。


 ――だとしたら、俺の選択は。


「せっかくのお誘いですが」


 俺は、会長の手を剥がして立ちあがった。


「お話を聞けてよかったと思います。昔の姉ちゃんの様子も分かりましたから」

「待て社。嘘ではない」


 会長もすぐに立ちあがる。


「嘘をつく人は、いつでも自分のことを正直者だとかたります」

「冷静になるんだ。茜に会いたくないのか?」

「だったら証拠を見せてください。姉ちゃんに会えたら会長を信じます」

「……それはできない、まだ」


 会長は視線を逸らした。


「それに俺、文芸部がしょうに合っています。自然な恋愛感情を大事にするって部長の考えかた、俺も好きですから」


 俺は一礼をして出口に向かおうとする。

 すると「社」と呼び止められた。


「いずれ後悔するぞ」

 俺は振り返らずに、屋上をでていった。



 □■



 花園学園の屋上に、久利蕗奈の姿が残っていた。おもむろに携帯を取りだす。


「失敗だ」


 相手が応じるや否や言った。


「そも無理筋な勧誘だ。楽羽に抱き込まれている。どうする?」


 通話相手のため息が聞こえてくる。やや間があってから向こうはしゃべりだした。


「分かった。すぐに発議しよう」


 すぐに、ぶつり、と通話は途絶えた。

 役目を果たした携帯を見つめながら、久利はしばらくじっとしたままだった。

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