2・2 極楽パラダイス

「品近社と言います。本日よりマネージャーとしてお世話になります」


 女子ラクロス部の部室。

 一列の輪になって俺を包囲する女子部員。俺は一礼し、ここのマネージャーになることを報告したところだった。


 ……お分かりいただけただろうか? しかいない女子ラクロス部に、である俺がマネージャーとして入部したことの意味不明さが。


 作戦会議の翌日。

 俺は女子ラクロス部の門をたたいていた。米家先輩にボディガードの件を伝えると、あっさり認められ、めでたく話はまとまった。


 まあここまではいい。ボディガードっての以外に、変なところはない。


(女子ラクロス部に入ってしまいませんか?)


 ところが話はいきなり、変な方向に進む。くにゅり。ここんとこ耳を疑うような台詞ばかり続いているな。


(先輩、ここって女子ラクロス部ですよね?)

(部室でも一緒だと安心だから。マネージャーなら未経験者でもいいし)


 経験者でもよくない。

 高校野球のノリで、異性をマネージャーに加えてはいけないんじゃないか? たとえば密室の空間。そこでのお着替え。俺はどうやって耐えればいい?


(せっかくだし、みんなの着替えくらい手伝ってよ)


 むしろお着替えに参加する方向だった。いやいや米家先輩。


(どっちかっていうと、社君がお着替えさせられちゃうかな。みんな社君のことを気にかけていたから)

(自分のボディをガードってことですか!?)

(みんな一斉に襲うんじゃないかな。せっかくの男子だし。私も参加するつもりだから、ちゃんとボディをガードしてね)

(依頼人がボディガードを襲うって、100%おかしいですよね)

(あはは、そうかも)


 先輩は楽しそうに笑った。社君っておかしいね、と。

 そこは笑うところじゃないし、おかしいのはそっちだから、というツッコミはしなかった。先輩とはほぼ初対面だったし。


 そして話は戻って現実。女子ラクロス部。


 俺の入部宣言に、彼女たちは大いに沸いた。しなちは彼女と別れたの、マネージャーはなんでも言うことを聞くんだよ、スパッツってはいたことある、優しくするからね、痛いのは最初だけだから、などなど。矢のように質問と命令が降ってくる。最初は痛い? 何が?


「はいはい、おしゃべりは練習が終わってから」


 そう先輩が言うと、一気にみんなが緊張する。そして各々、俺に目配せしながら、グラウンドへとでていった。


 逃げだしたい衝動を抑えつつ、俺もグラウンドに続いた。



 □■



 俺は、グラウンドの隅のほうで体育座りをしながら練習風景を眺めていた。


 クロスと呼ばれる網のついた棒を操りながら、ボールを奪い合い、敵のゴールネットめがけて動き回ってる。激しい接触が何度となくあり、そのたびにかけ声や怒声が響きわたっていた。練習とは思えない気合いの入れようだ。


 ――ん、そういえば米家先輩の姿がないような……。


「面白いでしょ」


 俺の隣に米家先輩が座ってきた。練習に参加しないのか聞くと、今日はいいから、と返ってくる。俺に気を遣ってくれているのか。


「イメージしていたのと違いますね、ラクロスって」

って言うくらいだからね。なのに、このスカートがだますんだよ」


 先輩はスカートをつまんで動かして見せる。

 俺はとっさに視線をらした。いくらスパッツをはいていても恥ずかしいって。


「ラクロスは競技人口が少ないからメンバーがそろわないんだよ。12人いる花園学園は、とっても珍しくてね」

「そうなんですか」


 俺は何げない仕草を装ってグラウンドへと視線を戻す。クロスがぶつかり合いながら鈍い音をだしている。あれでは生傷が絶えないだろうな。


「あの、米家先輩――」

「――米家さん、でいいよ」


 横を見ると、笑顔の先輩。心臓がどきりとした。


「……じゃあ、米家、さん」

「はい」


 白い歯がますます輝いた。


怪我けがとか、しないんですか?」

「するする。擦り傷とか切り傷はしょっちゅうだし、鼻の骨折ったり、歯が欠けたりもするよ」


 ほら、と先輩はおでこの絆創膏を剥がした。1センチほどの傷跡が顔を覗かせる。


「クロスをぶつけられて切ったんだよ。形成外科に行けばいいんだけど時間がとれなくて。これ張ってごまかしてるんだ」


 再び、絆創膏で覆われる傷跡。先輩は苦笑いだった。


「でも、すごいかっこいいと思いますよ」

「そう?」

「それって勲章というか、ラクロスに打ち込んでるっていうか、米家先輩らしい――」

「――さん、だよ社君」

「あ……っと、米家さん、らしいです」

「あはは」


 米家先輩は、苦笑いから笑顔になっていた。


「どうせなら、かわいいのほうが嬉しかたったけどな」


 おおげざに残念がる先輩。


 笑う先輩を見ながら思った。かわいい人にかわいいと直接言うことは、わりと難しいんだなって。



 □■



「……長かった」

「社君は大人気だね」


 人気のない校舎を、俺と米家先輩は並んで歩いていた。


 グラウンドでの練習が終わり、戻ってきた部室では、俺への質問攻めが待っていた。永遠に続くんじゃないかと感じられた質問が終わる頃、すでに外は暗くなっていた。


「社君がマネージャーで大正解みたい。紅莉栖くりすも気に入ってくれたし」

「……明日からは、着替えは、外にいていいですか……?」

「どうして? みんな喜んでたのに?」


 先輩はあっさり言い放った。着替えを見せつけられながらの質問攻めは、俺が喜ぶだけだから。この楽園は俺には耐えられない。


「変なの、社君は男の子なのにね」


 先輩は笑って、重そうな荷物を担ぎ直す。それにはユニフォームやクロスにシューズなどが入っている。手伝おうかと声はかけたが、自分の道具は自分で手入れすることにしているの、とやんわり断られていた。


 ただ、荷物が廊下のスペースを奪い、俺たちの距離が近くなってしまっている。


「あ、すみません。さっきから……」

「いいよ。全然気にしてないから……」


 そのせいで先輩の腕や肘に触れっぱなし。

 これは祭門部部長に教えてもらったのだが、校舎の廊下は、古いデザインを生かして狭いままらしい。生徒の接触回数を増やすためなのだとか。恋に落ちるための設計もいいが、火事でも起きたらどうするつもりなんだろうか。


「…………」

「…………」


 俺と先輩は押し黙る。何度も謝るのは変だし、かといってさっきの話題は終わっている。無視しようとすればするほど気になっちまう。自然と早足になっていた。

 ようやく下駄げた箱のスペースに到着すると、俺たちは、ふぅ、と一緒にため息を漏らした。それがおかしくて、俺は吹きだす。


「ちょっと社君、笑わないでよ。失礼だな」

「米家先輩が笑うからですって」


 すでに彼女もほほを緩めていた。


 下駄箱をでると、俺たちはおしゃべりをし始めた。女子ラクロスのルールやフォーメーションについての、米家さんからのレクチャーが中心だった。


 理屈は分かるけど理解できない。俺はそんな顔をしていたんだろう。


「やったほうが早いよ」


 先輩は、肩にかけていたクロスを渡してきた。俺はそれを受け取る。


「ボール投げるから、それでキャッチしてみて」


 先輩は荷物をおろすと、そこからボールを取りだす。そして、浮かべるようにボールを投げた。あっさりネットに収める俺。なんだ楽勝じゃないかと思った瞬間、ボールはネットを滑り落ち、道路のアスファルトに落下した。おかしいな。


「えっとね、こうやって遠心力を使うんだよ」


 その様子に先輩はくすくす笑っていた。

 彼女はボールを拾い、ネットに乗せ、俺の手のうえから、クロスを握ってくる。そして手首を動かしボールを維持して見せた。後ろから抱きつかれるようなかたちが恥ずかしくて、俺は自分でやってみます、と彼女の手をすぐほどく。で、やっぱりボールは落ちてしまう。


「あはは、へったくそだなー」

「…………」

「どうしたの? もしかして怒っちゃった?」

「……あ、いや。難しいなって思って」


 俺はボールを拾い、先輩に返す。


「最初はこんなもんだよ。社君だって練習すれば、私たちと一緒に試合できるくらいになれるから。なんでも繰り返し。私のことも、さん、って呼べるようになるよ」

「……また間違えてましたか、俺」

「うん」


 ボールを片手に、笑顔の先輩。

 彼女を見ていると頭がぼーっとしてきた。マネージャー初日だから疲れてんのかもしれない。



「今度こそ、先輩は止めてもらうからね」


 気持ちがふわふわしている。今日は早く寝てしまおう。

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