1・4 ちょうやくコントラクト
文芸部はこじんまりとしていた。
女子ラクロス部のすぐ近く、わずか数十秒の距離に、その部屋はあった。本のない本棚にはうっすらとほこりが積もっている。部屋の中央を、接客用のテーブルとソファが占領中。テーブルにはノートパソコン1台、それと異様に山盛りの
「お座りください」
月餅山の向こう側から、俺たちにソファを勧めてくる祭門部さん。どうぞ、と座ったばかりの俺と素子に月餅2つを置いた。一瞬、山が揺れ崩れそうになる。
「もともと文芸部は、小説を読んで書くところでした。それが恋愛小説を
祭門部さんが説明する横で、素子は月餅山を凝視していた。手を伸ばし、えいっ、勢いよく月餅を引っこ抜く。それでも山は崩れない。勝ち誇った表情で瞳を輝かせながら、俺を見てきた。もちろん相手にしない。食べもので遊んじゃいけないからな。
「品近さんのご質問は、なぜ私が誓約書に無記名のままでいられるのか、その方法を教えて欲しい、ということでしたね」
「はい」
「見ていただいたとおりです。講演活動を続け、生徒の恋愛意識の向上に貢献していると、生徒会に評価されているためです。ですので、品近さんが無記名になるのは難しいのではないかと」
「……はい」
あの講演を聞きながら、薄々は感じていたことだった。
あれだけのことを続けていれば例外事項として評価もされるだろうな。祭門部さん自身は、恋に落ちる暇もないくらい忙しいはずだし。
「あ、お茶もだしていませんでしたね」
いきなり祭門部さんは立ちあがり、部屋の隅へと向かった。ちょっとだけ見えた、驚く表情がかわいい。
――他に方法はないのだろうか。
祭門部さんの真似はできないし、できても俺じゃ需要はない。だから例外事項は適用されない。
「シスコンなスパッツ品近でもいいって幼馴染なら、ここにいますけどね!」
俺と月餅に割り込んで視線を合わせてくる素子。びっ、と親指を立てている。言っていることが男前なだけに腹が立つな。
「どうぞ」
戻ってきた祭門部さんが、ペットボトルのお茶を2本だしてくれた。
「ろくにおもてなしもせず失礼しました」
「他の部員はお休みとかですか?」
「いえ、部員は2年生の私だけです。昔はたくさんいたのですが、講演が忙しく、勧誘する暇もありません。恋愛相談や部室の管理もできない有様です」
――あ、これだ。
俺はあることを閃いた。素子の視線を切り、その奥の月餅を越えて、祭門部さんの顔を見る。
「俺を文芸部に入部させてくれませんか」
一瞬、祭門部さんから表情が消える。その横で素子が月餅を喉に詰まらせていた。
「祭門部さんは忙しくて、やるべき仕事を抱えている。もし誰かが部員として手伝ったら楽になると思いませんか?」
「おっしゃるとおりですね」
「いろんな活動を含めての文芸部だとしたら、祭門部さんのように、その部員も例外事項ってことにはならないですかね。恋愛に貢献しているって意味で」
「なるほど。興味深いですね」
「もし生徒会に提案してくれたら、俺だけじゃなくて素子もつけます」「ちょっ、ちょっと品近!?」「俺たちは1年生だから、あと2年はお手伝いできます」「勝手に話を進めないでよ」
俺はまくしたてて提案した。素子がしゃべるたびに月餅の欠片が飛び散ってくるが、今は気にしない。
祭門部さんは顎に人差し指を当て、テーブルに視線を落としたまま動かない。
「分かりました。品近さんと素子さんの入部を認めましょう」
そしてあっさり提案を受け入れた。
「ただし、例外事項の適用は保障できません。もちろん善処はします。それでもいいですか?」
「はい!」「品近、無理言っちゃだめだよ……」
「あと、例外事項を目指すからには、相応に忙しくないといけません。恋に落ちる暇すらないと、生徒会に説明しなければいけませんから。毎日のように仕事をお願いすることになります。その覚悟はありますか?」
「もちろんです」「……待ってよ品近ってば」
祭門部さんは静かに頷いた。
月餅山から2つ引っこ抜いて、俺たちの前に差しだす。
「ようこそ文芸部へ」
正面から見た祭門部さんの笑顔は、とてもかわいいものだった。
□■
「どーして私まで入んのー」
素子はおかんむりのまま、はたきで文芸部の本棚を叩いていた。
「そう怒んなって」
俺は、床に落ちているゴミをほうきで掃く。
「なんでも言うこと聞くって約束は守るから」
「ほんとっ?」
素子の声がいきなり明るくなった。
翌日。
文芸部にめでたく入部を許された俺たちの仕事は、まず部室を掃除することだった。汚れていたり散らばっていたりこそしないが、触れないところにほこりが溜まっている。窓を開放し、月餅を避難させ、本棚の掃除にとりかかったばかり。
ひとまず文芸部の仕事を覚えて、誓約書をどうにかしないとな。姉ちゃん探しはそれからだ。
「じゃーあー」
素子は、俺への願いごとで一杯になっていた。手が動いていない。俺は「休むな」とおでこを叩こうとする。
「付き合ってよ」
素子は、耳を疑う発言をした。
「……どうしてそうなる。文芸部に入った意味が、根こそぎ壊滅するだろ」
俺はほうきに手を戻した。
無記名でいるために苦労して入った文芸部なのに、何を言ってるんだか。
すると素子はさらに動かなくなった。まるで静止画像のように俺を見ている。どうしたんだよ、と俺が声をかけようとした途端、笑顔が戻った。
「ぶちょーが教えてくれたじゃん、喫茶店のあるとこ。面白そうだから行くのに付き合ってよってことだったんだけど」
「あ」
今度は、俺が手を止める番だったらしい。「仕事しろ」「身体動かせ」と素子が
「う、うるせえな。分かってたよ、それくらい。楽勝だ」
素子を見ないまま、俺は言った。ほうきに活力が戻る。
「約束だからね」
ぱたぱたとはたきのリズミカルな音が聞こえてきた。
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