第5話 すなわちオレ最強

●真視点




「おはようございます」


 規則正しいリズムを刻むヒールの音が、ホームルーム開始の鐘と同時に三年一組の教室へやって来た。


 聖子先生が教壇に立った。勝ち気な視線が生徒たちを一巡りすると、一瞬だけオレを射貫くように止まる。


 もちろん、オレの後ろに立つ真之助が見えているわけでなければ、遅刻しなかったことを称賛しているわけでもない。


「昨日のことは芦屋君には秘密よ」と無言の圧をかけているのだ。


 オレは背筋を伸ばし、「もちろん通り魔事件のことは言っていませんよ」とパチパチとまばたきでモールス信号のように応えると聖子先生の視線が外された。水中から顔を出したときのような安堵感と解放感で酸素が肺に戻ってくる。


「聖子先生、怪我の方は──」


「怪我の具合は大丈夫かよ」


 心配顔のクラスメイトを代表して委員長の宮下が挙手をしたとき、友人Aがその場に立ち上がった。カルタの札を払うようにして、宮下の声が散らされる。


「昨日はわざわざ電話してくれてありがとうな。オレ、すげえ嬉しかったんだ。聖子ちゃんと話せたら、お互いの気持ちが通じ合っていたってことがわかったんだ。そしたら、心臓がドキドキ騒ぎ出して一晩眠れなかったっつうか」


 友人Aの様子から、聖子先生の業務的な折り返しの電話をどう受け止めたのか想像するのは簡単だった。勘違いも甚だしく教師と生徒の距離を掴み損ねてしまっている。勘違いをした友人Aほど恐ろしいモンスターはいない。


 しかし、聖子先生は対応は流石だった。女騎士がバッタバッタとモンスターを斬り倒していくように、友人Aの突飛な発言を見事な言葉の切り返しで打ち捨てたのだ。


「芦屋君、昨日は心配の電話をくれてありがとう。も心配かけてごめんなさい。でも、怪我事態は大したことはないから安心してくださいね。これからは心配をかけないように私の方からに連絡を入れるようにするわね。そうだ、三年一組でグループLIMEを作りましょう。私もに用事があるときはグループLIMEを使うから、も私に何かあるときは必ずグループLIMEを使って。いい? 必ずグループLIMEよ、芦屋君」


 「みんな」と「グループLIME」を何度も強調されれば、いくらストーカー気質のある友人Aであっても期待を持つことは不可能なはずだ。もしかすると、昨晩から聖子先生が考え抜いた台詞なのかもしれない。覆面パトカーの中で困惑しきった先生の様子を思い出す。


「友人A君がこの世の終わりみたいな顔をしているね」


 いつの間にか隣に立っていた真之助が笑い声を洩らした。


 つられて噴き出してしまいそうになり、痙攣する腹筋に力を込めて堪えた。周囲に自分真之助の声が聞こえないからと言って、何でもペラペラ喋っていいというものではない。オレへの配慮が欠けすぎているのだ。


 「静かにしろ」と真之助を横目で睨むと、


「ほら、前を見ていないと聖子先生のチョークが飛んでくるよ」


 オレの心配をしているとは到底思えない陽気な声が返ってくるから、すみやかに従うしかなくなる。


まことさんったら」


 寿々子すずこさんに今のやり取りを聞かれてしまったようだ。廊下側の最前列に座る成瀬さんの横でクスクス笑っている。やっぱり、あとで真之助にクレームを入れよう。


 聖子先生に斬り捨てられた友人Aが悄然として席に着くと、取るに足りない疑問が湧いているのに気がついた。


 斬り捨てられた──?


 それは常識をひっくり返す真之助の登場や謎のエネルギー体元凶、成瀬さんとの急接近で見過ごされてきた疑問だ。


 オレの隣に立つ歴史絵巻物から飛び出してきたような美丈夫は腰に大小を帯びていない。


 つまり、丸腰なのだ。


 オレを元凶から守るときには風属性の魔法使いのように掌から風を出したり、体を張ったりと、刀や武器に頼ることはなかったし、同業者である寿々子さんに頼られるくらいなのだから、それだけ真之助は守護霊としての腕に定評があるのだろう。


 もしかすると最強の守護霊ではないのだろうか。


 最強の守護霊が付いているオレはすなわち最強!


 その最強のオレは成瀬さんを不成仏霊から守れるはずだ。


 成瀬さんを守った暁には、寿々子さんの力で成瀬さんの心を動かせるかもしれない。いや、もうすでに動いているのかもしれない。十八歳を目前にして、いよいよ春の訪れが見えてきた。


 そんなことを考えながら、成瀬さんの後ろ姿に見惚れていると、ゴムが切れたパンツのように口元が勝手に弛み、鼻の下がだらしなく下がっていく。


「そんなことより!」

 

 聖子先生の引き締まった声で現実に引き戻された。脳内青春の一ページを見透かされたかと反射的に身構えた。が、チョークは飛んで来なかった。


 聖子先生は凛然りんぜんとして言った。


「残念なニュースがあるの。このクラスで、またお財布が無くなりました」


 安堵に包まれていた教室が今度は水を打ったかのように静まり返った。


 聖子先生は教壇に両手を付いて、ひとりの女子生徒の名前を挙げる。


「今朝、報告がありました。昨日の五時限目までは鞄の中にお財布が確かにあったそうです。無くなったと気がついたのは放課後。そうなると六時限目の前後に何かが起こったことになります」


 確か、昨日の六時限目は三年一組の教室から別教室へ移動しての授業で、クラスメイト全員が参加していたから、授業の五十分間、教室はもぬけの殻で完全に無人の状態だったはずだ。


 外部からの侵入が百パーセントないとは言い切れないが、校門は閉鎖されているし、わざわざ一階職員室の真上にある三年生の教室へ階段を使ってやってくるのは不自然すぎる。


 「何かが起こった」と、聖子先生は婉曲えんきょくに表現した。


 けれどオレを含めクラスメイト全員の脳裏にはひとつの答えが鮮明に映し出されているに違いない。


 この中に犯人がいる、と。


「先生はみんなの中に犯人がいるだなんて信じたくありません。みんなも同じ気持ちだと思いますが、今回で三度目です」

 

 一度目は四月後半、二度目は二週間ほど前に盗難事件が起こっていた。


 最初は校内で財布を落としたかもしれないという話だったが、二度目が起こると悲しいかなクラスメイトを疑いの色眼鏡いろめがねで見る生徒が増えていった。


 もともと防犯セキュリティーの緩い学校だから、生徒用の個人ロッカーに鍵はついていない。

 

 事件後、貴重品は必ず聖子先生に預けることがクラスの決定事項なっていたが、きちんと預ける生徒もいれば、面倒がって鞄の中で自己管理している生徒も大勢いた。オレも後者のひとりなのだが。


 聖子先生は、深い海の底に眠る宝物を探すようにじっくりと時間をかけて、ひとりひとりを見つめた。


 それから一度みんなに目を閉じるよう促し、盗難事件について何か知っている人がいるか挙手をするように訊ねたけれど、結局、誰の手も挙がらなかった。と、真之助から聞いた。

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