第4話 成瀬美月【後編】
●真之助視点
「ちゃんと作戦も考えておりますのよ」
「わたくしが殿方と親しくして油断している姿を見せれば、ストーカーめが隙を突いて美月に襲いかかってくるはずでございます。そこをわたくしと真之助様で叩きのめす! 新郎新婦の初めての共同作業ですから、作戦名は『新婚さん、イラッシャイ!』で決定ですわ」
私は首を捻った。
私と寿々子さんはいつの間に付き合っていたのだろうか。これは交際ゼロ日で結婚に至る有名人をマネた今時の冗談だろうか。
それに「イラッシャイ」と歓迎しても、イラッシャルのが不成仏霊のわけだから、新婚さんは必然的に不成仏霊になるはずだ。単身者を新婚さんと呼ぶのは、イチゴのないショートケーキをショートケーキと呼ぶくらい違和感がある。
ますます首を捻ったのは、この作戦名に耳なじみがあったからだ。掟を破った挙句、パクリ騒動まで抱え込むのは荷が重い。私は真のように命懸けで面倒ごとに首を突っ込むほどボランティア精神に長けていないのだから。
「ハイ、却下!」
若者の自由と柔軟さを目の当たりにした大人のように、ジェネレーションギャップを感じながら、私は寿々子さんからそっと離れた。
しかし、せっかく開けたその距離を寿々子さんはやすやすと詰め、私の腕をガッチリと取る。
一度噛みついたら離れないスッポンの忍耐力と粘り強さを思わせるほど寿々子さんはたくましい。
「この作戦を成功させるためには真さんの協力が不可欠でございます。
「はい、頑張ります!」
つい一秒前まで不安と恐怖がない交ぜになった顔をしていたくせに、すっかり焚きつけられた真は小さな体のどこに隠していたのか、やる気と血の気を取り戻した。
昨夜の私の忠告を全くと言っていいほど覚えていない様子の真も真だけど、寿々子さんも寿々子さんだ。少し悪ふざけが過ぎている。
「寿々ちゃん」
私はなるべく感情的にならないように小さな子供を諭すよう言葉を選ぶ。
「言っておくけれど、私はあくまでもサポートであって、直接手を下すのは貴女なんだよ」
「まあ、それでは美月がどうなってもよいと仰られるのですか」
「困っている人を助けるのが武士の情けってもんだろ。見損なったぜ」
すべての非が私にあるとでも言いたげな真の物言いに、流石の私もムッとする。
まるで、鼻先に人参をぶら下げられた馬ではないか。すっかり
「真が好きな人の前で見栄を張りたい気持ちはわかるけれど、できないものはできないんだ。守護霊界の掟で禁じられているからね。『一、他人のお付き人と関わるべからず』ってね。本当は寿々ちゃんが真に話しかけることだって掟破りなんだ」
「お堅いことを仰らないでくださいませ。バレなければ、結果オーライでございます」
「ちっともオーライじゃないよ」
「ご安心ください。わたくしが全責任を負いますので、真之助様は大船に乗ったつもりでお過ごしくださればよろしいのですから。そんなことよりも」
寿々子さんは守護霊界の上層部にコネでもあるのかと思うほど、余裕を含んだ表情で微笑んだあと、瞳に妖しげな光を灯らせた。
「ストーカーをおびき寄せるためには、もう少し距離を縮めた方がよろしいとは存じません?」
湿り気の多い声で囁き、私の手にそっと自身の白い手を重ねた。
「わたくし、甘い甘い恋を味わいとうございます」
親鳥に生きのいい昆虫をせがむヒナのように、寿々子さんが唇を寄せてきたけれど、私は彼女の親鳥になった覚えはない。
「もう! 私は寿々ちゃんの親鳥じゃないよ」
うっかり本音を滑らせると、寿々子さんは恋が一気に冷めるときのようにすっと体を離した。
私の本音に気分を害したからでもなく、自分の態度を反省したからでもない。成瀬さんが席を立ったからだ。
守護霊界の掟の「一、守護霊はお付き人から離れべからず」に該当する。
「わたくしはお先に教室へ参ります。この続きはまた後程」
何の続きをいつ始めるつもりなのか、寿々子さんが早口でそう捲し立て、いそいそと成瀬さんのあとを追ったとき、
「待って。本を借りたいんだ!」
まるで、高校球児が選手宣誓をするかのような場違いな声で、真が成瀬さんを呼び止めた。
この場にいる生徒や生徒の守護霊たちの視線が再び真に集中する。
成瀬さんは少し驚いたように黒目勝ちの瞳を見張ってから、口元に人差し指をあてて、くすくす笑った。
「シーッ。静かにしなきゃ。ここ図書館だよ」
鈴を転がすように心地よい声だ。
「あ、ああ。ごめん」
真は照れ隠しのためか、しきりに頭をかいた。
「崎山君が本を借りるなんて珍しいね」
「実は今日が初めてなんだ」
成瀬さんは慣れた手つきで、パソコンのキーボードを叩いたり、本についているバーコードを読み込ませたりと貸し出しの手続きをする。「桜並木市の歴史」とタイトルを読み上げる。
「崎山君って歴史に興味があるのね」
「ま、まあね」
「郷土愛が深いんだね。私、男の子って三国志にしか興味がないと思ってた」
「ま、まあね」
真が煮え切らない相槌を打つというのに、成瀬さんは包み込むような柔らかい笑顔を向ける。
「崎山君って優しいよね」
「オレが優しい?」
「この前、図書委員の集会があったときに、無条件で掃除当番を代わってくれたでしょ。あのときはとても助かったの。それに崎山君と話していると楽しい」
「オレが楽しい?」
「表情がコロコロ変わるから、見ていると心が癒されるよ」
これは運命だと言わんばかりの恋心が一気に開花したのだろう。耳の裏まで余すところなく真っ赤にした真は、会話にも花を咲かせようと思ったのか、共通の話題を持ち出そうと試みた。
「成瀬さん、昨日の夕方、桜並木駅前公園の近くになかった? 寿々子さんが公園に来たから――」
そこまで言って、慌てて口をつぐんだ。成瀬さんは寿々子さんの存在を知らない。それを思い出したようだ。
不思議顔の成瀬さんに空笑いを返して、真は話をすり替える。
「ごめん、何でもないんだ。それより成瀬さんの方こそ、何を読んでいたの?」
「私のはこれ」
成瀬さんの読んでいる本は私でも知っているほど海外の有名な劇作家の著書で、敵対する両家の若者の悲恋を描いたものだった。恋愛に憧れる辺り年頃の女の子らしくて微笑ましい。
「ねえ、真之助様。美月と真さん、お似合いだと思いません?」
「まあね」
私も満更でもない気分になる。もし、縁あって二人の交際が始まったとしたら、それは物語のような悲恋ではなく、素敵な恋愛であって欲しいものだ。
図書館を出たところで、自習室から勉強を終えた友人A君と鉢合わせした。
成瀬さんが気を利かせて、ひとり足早に教室へ向かってしまうと、二人の甘酸っぱい雰囲気を敏感に察知した友人A君が早速、真をからかい始めた。真は乱暴な言葉を返したが、湧き起こる喜びを抑えきれないようだった。
一度だけ成瀬さんが振り返った。
途端に真の顔に期待の色が広がったが、生憎、成瀬さんの視線は朝の挨拶運動を終えた風紀委員の腕章をつけた生徒たちの一団へ向いていた。
風紀委員の登場はホームルーム開始の予鈴が近いことを意味している。
彼女の足が一段と早まった。
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