第6話 ジンジャークッキーはいかが?

●真之助視点




 気持ちよく晴れ渡った空に、ふかふかの布団のような雲が浮かんでいる。


 何も考えず、のんびり雲の上で昼寝ができたなら、これほどの至福はないだろう。


 昼休み。


 東校舎と西校舎の間にある中庭に寝転んでそんなことを考えていると、一羽のカラスが水を差すように横切り、私は体を起こした。


「おい、寿々子すずこさんがこっちを見ているぞ」 

 

 お弁当を食べるまことに促され、肩越しに振り返ると、成瀬さんが友達同士でお弁当を広げている姿があった。


 その後ろで、私たちに向かって大きく手を振る寿々子さんに、真は人目ひとめはばかって小さく手を振り返す。

 

「真之助も振れって」


「面倒だなあ」


 私はお座なりに手を振って、すぐに顔を元に戻した。


 成瀬さんにまとわり憑く不成仏霊のストーカーは昼休みになっても姿を現していなかった。


 真はせっかく寿々子さんから成瀬さんの傍にいるよう頼まれているのに、奥手な恋愛下手が災いして、結局こうして遠くから見守っている。


 これではまるで真の方がストーカーだ。


「まだストーカーは現れないのかよ?」


 ストーカーがストーカーの出現を気にする可笑しな構図に、私は笑いをかみ殺して応える。


「さあ」


「さあ、じゃねえよ。しっかりしてくれよ。真之助がこんな腑抜けじゃあ、成瀬さんを助けることができないだろ。今日中に不成仏霊が現れなかったら、作戦は明日も継続だからな。お前のやる気スイッチを見つけてやろうか?」


 真は道を踏み外した友人を非難するように言った。情熱が沸騰している真に比べ、ぬるま湯程度の私のやる気が気に入らないらしい。


 私は不良少年になったつもりで反論する。


「もともと私は納得していないんだ。仮に寿々子さんの作戦通りに動いたとするよ。それが裏目に出て、真の身に危険が迫ったとしたら誰が真を守るっていうのさ? 私は成瀬さんの守護霊じゃない、真の守護霊なんだ。そこんとこ夜露死苦」


「何が夜露死苦だよ。もう勝手にしろ、お前には頼まねえよ。そんなに気乗りしないんだったら、オレが真之助に代わって成瀬さんを守ってみせるからな」


「それは名案だ」


 根拠のない自信に満ち溢れている真に賛同する。


「私は掟を順守するから、真は成瀬さんを守ればいい。そして、不成仏霊の返り討ちにあって勝手に死んじゃえばいいんだ。真が死んだら成瀬さんと付き合える可能性がゼロになるだけだからね。さあて、彼女は将来どんなイケメンと付き合うのかな」


「真之助様、申し訳ありませんでした。どうかお許しください。愚かな私をお守りください」


 真は態度を急変させ、印籠の前で呆気なく非を認める悪代官のように深々と頭を下げた。


 地面に額をこすりつける見事な低姿勢に感心こそすれ、私は考えを変えるつもりはない。気乗りしないものはしないのだ。


「何度も言うけれど、寿々子さんがしていることは掟破りなんだ。自分のお付き人を守るために他の守護霊を頼ったり、まして、他人のお付き人の前に姿を現すなんてもってのほか。第一、寿々子さんは印綬を帯びた立派な守護霊だ。真が心配するほどヤワじゃない。あのね」


 守護霊の資格の信用性について強調するために、わざと重い口調を心掛ける。


「守護霊は厳しい訓練を乗り越えたほんの一握りの幽霊だけがなれる特別な仕事なんだよ。人の命を預かる責任があるから、生半可な覚悟じゃ務まらないんだ」


「だからって、今更聞かなかったことにはできねえよ」


「真が何と言おうと、協力するのは今日限りで延長はしない。放課後には解散だ。何て言ったってバイトの面接があるんだからね」


 放課後には昨日坂本君から紹介されたファミレスのアルバイト面接が控えている。これ以上は寿々子さんの作戦に付き合いきれない。


「守護霊にとって掟は絶対なんだよ」


 真は「ふん」と鼻を鳴らすと、自棄やけを起こしてガツガツとご飯をかきこんだ。


 それから、納得のいかない顔で私に箸を向ける。


「だいたい掟を破るとどんな罰を受けるっていうんだよ?」


「それ訊いちゃう?」


 私は大仰な仕草で周囲を確認してから、真の耳に口を寄せた。


「まず守護霊裁判を受け、有罪が確定した守護霊は罪人として、地獄へ連行される。そこで待ち受けているのは恐ろしい形相の鬼たちだ。ぐつぐつと湯だった地獄の鍋に一人ずつ放り込まれたあと、皮を剥がれる。それから他の罪人と一緒に棍棒で叩きのめされるんだけど鬼たちの手はまだまだ緩まない。やたらめったらに刀で切りつけられ、ミンチにされ、小判型に整えられた挙句、最期は熱々の油が張った釜でカラッと揚げられるんだ」


 私は真のお弁当から覗いたコロッケをちらりと見た。確か真が生まれる少し前に流行ったコロッケの作り方を歌ったアニメソングを思い出しながら、適当な嘘を口にした。


「三田村さんの始末書の方が百倍マシだな」


 私の嘘をに受けた真は聞かなきゃよかったと後悔を滲ませる。


 今のはコロッケの作り方なんだよと冗談の引っ込みがつかなくなった私は、


「それにしても聖子先生は強いね。プライベートで通り魔事件の被害にあったばかりなのに、クラスで盗難事件が起こってしまうだなんて、弱り目に祟り目だ」


 多少の罪悪感を埋めるために盗難事件を口にしたが、聖子先生への同情は嘘ではなかった。


 中庭からは東校舎一階の職員室が丸見えで、聖子先生が迷惑そうに首を横に振っている姿が見える。相手は二階堂先生だ。デートの誘いを断っている様子だとすぐにわかった。


 真は私の視線を辿って、二階堂先生のしつこさに呆れた様子を見せたあと、私に向き直った。そして、重大な告白をするように声を潜めた。


「真之助は財布を盗んだ犯人が誰なのか知っているんだろ?」


「知らないよ。守護霊はお付き人と常に一緒だから、真が見聞きした情報や経験が私のすべてなんだ」


「じゃあさ」


 今度はずいと膝を詰めて、幸福の青い鳥を見つけたようにキラキラと瞳を輝かせた。


「クラス全員の守護霊に、犯人を知っているか聞いていけば、簡単に見つかるんじゃねえの?」


「オレって天才じゃね?」と言わんばかりの得意顔を、私は無慈悲にも「ダメダメ」と一蹴する。


「犯人を捕まえたい気持ちはわかるけれど、守護霊界は生者の社会が足下にも及ばないほどプライバシーの管理が徹底しているんだ。守護霊同士が互いのお付き人の情報を交換することも御法度だ」


「別に犯人を捕まえたいわけじゃねえよ。守護霊たちに聞いて回れば、クラスの中に犯人がいないと証明されるかもしれない、そう思ったんだよ」


「また、ひとりで喋ってんのかよ。そこに誰がいるっていうんだ?」


 購買部から戻ってきた友人A君がパンを片手に、同情に傾いた気の毒そうな視線を真に投球した。


「守護霊だよ」と抑揚なく真実を伝える真に、友人A君は「あ、そ」と軽く聞き流し、真の隣で焼きそばパンに大口でかじりついた。


「で、昨日は聖子ちゃんと何があったんだ?」


「別に何も」


「それは嘘だ。今朝のホームルームで聖子ちゃんが怪我の話をしたとき、クラスの中で顔色を変えずに聞いていたのは真だけだったんだぞ」


 本日、何度目のやりとりだろうか。その都度、真は冷や汗を額に浮かべながら、忙しく目を泳がせる。まるで取り調べ室の犯人と刑事のようだ。


「話したくないんだったら、無理にとは言わない。でも、オレは真実を知っているんだぞ」


「し、真実って?」


「昨日起こったことのすべてだよ」


「聞いたのか?」


「おう、聞いた。確かにな」


 友人A君が自信ありげに大きく頷いた。

 

 真は友人A君のタレ目の奥に隠された真実を注意深く探っていたけれど、やがてすっと目を逸らして、観念したかのように小さく息を洩らした。


「聖子先生も案外お喋りだな」


「ほら、やっぱり何かあったんだろう!」


「図ったな」


 友人A君の力強い腕が真の細い首に絡みつき、蛇が獲物を締め上げるように技をかけた。

 

 真は友人A君の腕をすかさずタップするが、力が緩む気配はない。


「おい、助けろ!」


 助けて欲しいわりには偉く横柄な真に、私は笑みを返した。


「安心してよ。友人A君は手加減しているし、真が本気で苦しんでいないのも知っているから、私は子犬のじゃれあいを微笑ましく眺める飼い主の気分だ」


「ふざけんな!」

 

 友人A君は真の抗議が自分に向けられたものだと思い違いをしたまま、嬉しそうに新たな技をかけ始める。


「いい加減、吐いた方が楽になるぞ」


 「やめろ!」と真が悪態をつく傍で、私は平和なお昼休みの一コマに安堵の息を洩らしたとき、背中に刃物を突き付けられるような視線を感じ、咄嗟に振り返った。


 聖子先生が腰に手を当て、美人が台無しになるような鋭い眼力で、真と友人A君を睨めつけていた。


 怒りで長い髪が逆立ち、今にも地鳴りが聞こえてきそうだ。


「二人とも仲がよくて何よりね」


「聖子ちゃん」


 友人A君が真から手を離す。


「オレに本当のことを話してくれ。昨日、真と何かあったんだろう?」


「何かとは何ですか! 芦屋君が何を疑っているか知りませんが、邪推するようなことは何もありません」


「でもよ──」


「でも、じゃありません。これ以上、無用な勘繰りをするのなら、これはいらないってことでいいわよね?」


「それ、何ですか?」


 消極的だった真まで身を乗り出し、釘付けになっている。


 聖子先生の左手には可愛らしいラッピングの小袋が二つ。


 もったいつける口ぶりで聖子先生は言う。


「昨日、お見舞いに来てくれた二人へのお礼の気持ちでジンジャークッキーを焼きました。私の手作りです」


「マジかよ!」


 二人は歓喜の声を上げながら、はしゃぐ子犬のようにまっしぐらに駆け寄った。それぞれクッキーの入った包みを受け取る。


 手作りのお菓子はもちろん、バレンタインデーとも無縁の真は嬉しさもひとしおのようで、相手が苦手な聖子先生であっても感動のためにどんぐり眼を潤ませている。


「仲良く食べるのよ」


「はい!」


 聖子先生の前で優等生のような返事をした友人A君だったが、聖子先生が立ち去ると、真のクッキーをひょいと取り上げた。


 そして、包みを広げたかと思うと手作りクッキーをパクパクと食べ始めたのだ。


 独り占めして美味しそうにというより、工場のロボットのように効率よく迅速に作業的にクッキーを口に詰め込んでいく。


「今、聖子ちゃんと目配せしただろう。オレにはわかるぞ。お前たちの間には何やらエロい空気が流れている」


「流れてねえよ! 返せよ」


「これは愛の味だ、聖子ちゃんの愛だ。クッキーはオレだけのものだ、聖子ちゃんの愛はオレだけのものだ」


「オレのクッキー!」


 友人A君の嫉妬は案外根が深い。


 昨日の警察署での出来事はこのまま隠し通した方が賢明かもしれない。


 のどかな昼下がりの中庭に真の叫び声が響き渡り、私は笑った。

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