バブルを忘れられない人達が搾取してるから、下は貧しく過酷な労働を強いられている。
お金を持ってる人間が心の豊かさとか言えるのは当たり前。
衣食足りて礼節を知る、貧すれば鈍する。
お金の余裕も時間の余裕も搾取してる側の人間が偉そうに上から目線で言うなと思う次第であります。
最近の成長ってのはたいがい、影で犠牲にしてるモノが「心」に関連するものなワケで、このおじいさんは暗に「(成長よりも)犠牲にしてるモンを省みたらどうよ?」と提示してるだけでは?
ものすごく共感のできる話です。
昔好きだった文筆家が二言目には脱成長と言い始めた時の脱力感を思い出します、
私見ですが、成長でなく、代謝とかって言い換えると随分違う議論ができると思うんですよね。代謝、止まると死ぬし、し過ぎても死ぬ。ほどほどに続くのが理想で……ていう。
貧すれば鈍すると言いますが、ほどほどに経済を楽しく回せる社会でないと、苦しい苦しい言っている間に人生終わっちゃう。それって心の豊かな社会かな、と思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
代謝っていう言い方はいいですね。私も「脱成長」的な話を聞く度にいつも「うーん…」と釈然としない思いを抱いています。
人の役に立ちたいという気持ちが真っすぐに経済成長に反映されて、無理なくほどほどに、昨日より今日がほんの少しずつ素晴らしくなっていく、そんな社会にできたらいいのにと思います。
笑