暴かれるものたち 2

 エン・テーレに案内されたのは、住居というよりもただの一時的な隠れ場所というのが相応しい、とある家の屋根裏に作られた部屋だった。

「フィグニステルから連絡を受けて、ちょうど迎えに出ようかと考えていたところだったのだ。先ほどは騙すような真似をしてすまなかった。色々と事情があるものでね、ネヴィンでは素直に名乗るわけにいかないのだよ」

 部屋の中を見回すアルルに椅子を勧め、自分は寝台に腰かけながら、エン・テーレが言う。

 生活の匂いのしない部屋である。むき出しの粗末な壁。眠るための簡素な寝台の傍には卓が一台と椅子が一脚――これには今アルルが腰かけている。それから、窓の脇に置かれた小さめの長もちの上には、たくさんの細かな瑠璃石を嵌めこんだ人の頭ほどの瓶が載っている。最低限の物しかない部屋の狭い窓から入る明かりの中で、長もちの上に置かれたその瑠璃瓶は場違いに目立っていて、アルルは注意していなければついそちらへ目を向けてしまいそうになる。

 エン・テーレはアルルの視線を辿り瓶を確認すると、「気になるかね」と含み笑いながら尋ねてきた。

「ええ、まあ」

 アルルは歯切れ悪く答える。

「さっきからずっとチラチラ光っているみたいで」

「そうだろうそうだろう」

 彼の顔を見て頷くエン・テーレは、一人妙に楽しげである。しかし不満そうなアルルの表情に気づいて、すぐに笑うのを止めこう尋ねた。

「何か質問が?」

「山ほどありますよ」

 待ちわびていたとばかり、アルルは声を上げた。先ほどの騎士たちは何者なのか。『竜鱗の愚者団』は彼らに追われているのか。もしそうならその理由は何なのか。老婆は混乱していたのだろうからともかくとして、否定しているのにもかかわらず、何故エン・テーレまでもが自分を〈竜の舌〉のアルルと呼ぶのか。溜まりに溜まった疑問を矢継ぎ早に投げつける。

「どうしてなんですか。『〈竜の舌〉の魔術士』は、吟遊詩人たちが作り上げた架空の人のはずなのに!」

「なるほど。山ほどだ」

 エン・テーレは、昂るあまり知らず立ち上がっていたアルルを見上げ、丁度奥歯の疼きを堪える時のように軽く顔を顰めた。

「しかもそのどれもが絡み合っていて、端的に答えるのは少々難しい。……ふむ、そうだな。質問への答えが前後するが、わかりやすくなるように整理して話すことにしよう」

 エン・テーレはアルルにもう一度椅子に座るよう促し、自分もまた腰をかけなおした。

「まず最初に大きな誤解を解いておこう。君は『〈竜の舌〉のアルル』をただの作り話だと思っているようだが、アルル・ケスは、架空の人間ではない。実在する魔術士だ。吟遊詩人たちの歌ううたには確かに脚色も多いが、おおむね語られているのは実際にあった出来事だ。事実、私も私の仲間たちも、詩の中にあるようにマナバスにある学びの館で、彼と暮らしていた時期があった」

 その上でひとつ目、と彼は言った。

「さっきの騎士たち。彼らはおそらく『ネヴィンの守護者団』に属する者だ。『ネヴィンの守護者団』は竜を護る我々『竜鱗の愚者団』とは敵対している。これについてはネヴィンとネヴィン領主のゴド家の成り立ちも関係しているのだが、君はその話は知っているか?」

「いえ。僕はネヴィンが大昔はログウィックと同じ森だったと聞いたことくらいしかありません」

「わかった。そこから詳しく話そう」

 エン・テーレは語り出した。


 北ウルムズ街道の要衝として栄える町、ネヴィン。この町が開かれたのは、人々の祖父の祖父のそのまた祖父の時代である。町の始まりは、一人の英雄の物語とともに次のように伝えられている。

 かつてネヴィンは、ログウィックの森とひと続きになった深い森にある、いくつかの小さな村の総称だった。

 ログウィックの森には竜が棲んでおり、当然のことながらネヴィンもまたその竜の縄張りだった。

 竜は毒の牙を持ち、人々が捧げた黄金と宝石の上にとぐろを巻いて血色の霧を吐き出す恐ろしい怪物だった。竜は時に家畜や人をも狩ることがあり、この地に住む人々は怯えながら日々暮らしていた。

 ある時、村に住む一人の若者が、竜を殺す方法を探して旅に出た。

 若者は、人に尋ね、獣に尋ね、水に、土に、風に尋ね、ついに一人の魔術士の下に辿り着いた。

 若者は言った。「この心臓と引き換えてもかまわない。邪悪な竜を倒す方法を、僕は知りたいのです」と。

 魔術士は答えた。「ならば君を竜に変えよう。竜の子は竜を殺し、人の子らは解放されるだろう」と。

 魔術士は若者に魔法で竜の卵の殻を被せ、その卵を件の竜の巣にこっそりと紛れ込ませた。

 ログウィックの森の竜は七日七晩卵を温め、若者は竜となって殻の外に躍り出る。

 竜は我が子として彼を育むが、やがて成長した若者は親竜に牙を剥く。

 ついにその牙をもって竜を殺した若者は、村へ帰り英雄と讃えられた。

 若者はその功績からネヴィンを治める最初の領主となり、森は拓かれ町となって栄える。

 これが今に続くネヴィンとその領主ゴド家の興りである。


「めでたし、と締めたいところだが、この話には続きがある。若者にかけられた魔法が変質したのだ。若者は確かに竜を殺すことに成功し、英雄として領主の座にも着くことができた。だが、竜の断末魔の咆哮が、若者にかけられていた魔法を歪め、彼はついに完全な人に戻ることはできなかった。それ以来、彼の血筋は呪われ続けている。呪われた血に負けた者は身も心も蜥蜴のように冷えて行き、やがては心を壊し、衰弱して死に到るそうだ。君も町で噂を聞かなかったか。領主の息子のせいで、税が上がるかもしれない、とね」

「そう言えば」

 アルルの頭の中を、裕福そうな装いの女が侍女に話しながら過ぎっていった。

「耳にしました」

 エン・テーレが頷く。

「ネヴィンの現領主レンデス・ゴド伯爵の息子キニス・ゴドには、遊学先で作った莫大な借金があるのだ。さらに言えばキニス卿の心は呪いによって既に冷え始めている。間違いない。私は館に仕える侍女たちに直接確かめた。折も折、ログウィックの森に、気まぐれか竜が舞い降りた。レンデス卿は息子が呪いに負けたのは、この竜のせいだと思っている。彼は息子の心臓を購うために、竜殺しを企てている」

「そうすれば呪いが解けると思っているから、ですか?」

「それもある。だが、目当ての大部分は巣に蓄えた財宝と竜の体だ。竜の死骸は、血の一滴に至るまでなにもかもが黄金の価値を持つからな。それを売り払った金で息子の借金を返すつもりなのだ。『ネヴィンの守護者団』はそのために設けられた、竜狩りが目的の集団だ」

「なるほど。でも、それと僕にどんな関係が?」

 アルルは尋ねた。

「『竜鱗の愚者団』と『ネヴィンの守護者団』が争う理由はわかりましたけど。今日ネヴィンに来たばかりの僕は、たまたま貴方たちの争いに巻き込まれただけではないのですか」

 言外に自分は無関係ではないかと批難を滲ませる。

「もちろん関係があるとも。君が我々の仲間、〈竜の舌〉のアルルだからだ」

 エン・テーレが一刀に断じた。

「アルル・ケスは『竜鱗の愚者団』に所属し、竜を護る強力な魔術士なのだ。何故君を〈竜の舌〉のアルルと呼ぶのかは、先にも言った通り、私が君と同じ館で暮らしていた、よく知った間柄だからだよ。マナバスの学びの館で、私は幼い君の――〈竜の舌〉のアルルの親代わりであったし、君がある程度成長してからは、師となって魔術を教えもしたのだ」

 束の間彼の顔の上を、遠い昔を懐かしむ影が過ぎっていく。

「でも僕はただの人間です」

 アルルは反論した。

「ロンプじゃ〈ひょうきん者〉って呼ばれてましたけど、それは絶対に魔術士の名前なんかじゃない。それにさっきの、貴方が親代わりっていうのもおかしいですよ。父は亡くなりましたが、今も昔も僕にはちゃんと母がいますし、どこかに預けられてたなんて記憶もありません。だいたい、貴方は見たところ僕よりもせいぜい三つか四つ年上な程度でしょう。僕は十八ですよ。赤ん坊だった頃に親代わりになんてなれるはずがない」

 興味深そうに耳を傾けていたエン・テーレがさらりと言った。

「私は見た目の軽く五倍は生きているよ」

 あまりにもさらりとしていたせいで一瞬わからなかったが、理解した次の瞬間アルルは椅子から転げそうになった。

「ごっ、……何ですって?!」

「五倍だ。ちなみに君も見た目通りの年齢ではないし、先ほど口にしていたのよりも三倍は年を取っている。君のご両親も既にこの世の方ではない」

 アルルは今度は本当に椅子から転げ落ちた。

「さ、な、そっ……」

 尻もちをついた格好のまま空気を求めて口をパクパクさせる。

「そんな莫迦な!」

 ようやくのことで声になった。

「やはりか」

 エン・テーレは立ち上がって、アルルを引っ張り起こしながら言った。

「魔術や魔術士について君の中の基本的な知識まで抜け落ちているようだな。先刻居酒屋で会った瞬間からの君の反応から疑ってはいたが、私は今確証を持つに到ったよ。君の記憶は魔術によって歪められている。もう一度あの耳飾りを出して見せてくれるか?」

 アルルが出した耳飾りを取り上げ、エン・テーレは検分する。彼が何事かを呟くと、耳飾りの周囲とアルルの周囲で、パチパチと青く小さな火花が散った。

「我々魔術士は、他の魔術士の臭いに敏感なのだよ。既に解けかけてはいるが、思った通り、この耳飾りにも君にも、強く、何者かの術がかかっている。耳飾りの方は少し前のものだが、君にかかっている術はつい最近にもかけ直された気配があるな。おそらくは『ネヴィンの守護者団』に属する者が身近にいたのだろうが……誰か心当たりがあるかね?」

 アルルの頭の中を、真夜中に見た従姉の姿が過ぎっていく。

「ターグ……」

 いや、莫迦な。アルルは首を振っておかしな考えを追いやろうとする。あれは夢魔の見せた幻だ。だからターグも忘れろと言ったではないか。

「あれは夢だ」

 しらず、つぶやきが口をついて出る。

「ターグ・ティナーがそう言ったのかね?」

 すかさず指摘が入った。ハッと視線を上げた先では、〈硬骨〉の魔術士の鉄色の目が、じっとこちらを観察している。

「波打つ豊かな髪の銀、黄昏の豊穣を映す瞳の紫、ほっそりとした腰つきの麗しの女の立ち姿」

 エン・テーレが、まるで吟遊詩人の節を真似るように歌ってみせた。

「〈赤鹿の叡智〉のターグ・ティナー。『ネヴィンの守護者団』の女魔術士だ」

「莫迦な!」

 アルルは立ち上がった。勢いのあまり椅子が倒れて床で大きな音を立てた。

「莫迦な。莫迦な。莫迦な。莫迦な。ターグは正しく僕の従姉だ」

 アルルはうろうろとその場を歩きまわる。

「そんなことがあるはずがない」

 こぶしを口元に押し当てて、彼は呻く。

「何故言い切れるのかね」

 エン・テーレはあくまで冷静だ。

「君の記憶はあてにならないと言ったばかりだろう。全てが歪められている。君が友人だと思い浮かべる者たちも、家族だと思っている人間の記憶も、何もかもが女魔術士の術によって歪め教え込まれたもの、偽りばかりだというのに」

 エン・テーレはアルルの腕を掴み、瑠璃瓶の元に引き立てた。

「確かめてみるといい。君は先ほどこの瑠璃瓶を気にしていたね。これはかつての君の持ち物、遠く彼方の地を映し出し真実を露にする魔術道具だ。さあ」

 〈硬骨〉の魔術士は、強引に彼の両手を瓶に添えさせ、内側を覗き込ませる。

「集中したまえ。君になら容易いはずだ。真実をその目に映したまえ」

 最初は迷うように底の方でチラチラと瞬いた光が、青く膨れ上がり、水となって瓶の縁までを満たした。

 水鏡は遠く今まさに繰り広げられている光景を、くっきりと映し出す。

 昨日後にしてきたばかりのロンプの我が家が、傾きかけの日を受けて変わらずにたたずんでいる。ちょうど仕事から帰ってきたヘスが、家の扉を開けたウレリに迎え入れられるところだった。ただ今と抱きしめるヘスの唇にウレリは口づけ、お帰りなさいあなたと確かに口を動かした。

 アルルの肩が震える。これじゃまるで夫婦だ。どうして。ヘスとウレリは兄妹のはずだ。

 姿が見えないターグはどこだろう。アルルが思うと同時にさざ波のように水面が揺れ、映し出される場所が変わった。

 どこか、おそらくは誰か貴族の館の広間が水面に映し出される。

 燃え盛る炉の炎を前にターグが片膝を突いている。彼女は見たこともない濃い緑色の長衣ローブを身につけて鹿皮の外衣を肩に羽織っている。高く結い上げた髪の両脇に枝角のような飾りを刺しているせいで、その姿はまるで森に棲むという鹿の王のように見えた。

 ターグは炉を挟んだ向こうにいる誰かと話している様子だった。

 不意に彼女は立ち上がり、こちらを振り向いた――振り向いて、アルルを見た。彼女の唇がはっきりと動き、彼の名前を口にする。

『アルル――』

 アァルウゥルウゥゥと耳の奥で声が反響した。

 手の下の瑠璃瓶がカッと熱くなった。引き伸ばされたように画面が大きく膨れ上がり、険しい表情でこちらを睨むターグの顔が目の前で爆けて消えて失せる。音立てて瓶が割れ、撥ねた飛沫が数滴アルルの顔に飛んだ。長もちを伝い流れ落ちた水が、辺りの床をぐっしょりと濡らしていく。

 アルルは片手で目を覆いながらよろよろと後退った。

「向こうに気付かれたようだ。術が壊された」

 今にも倒れそうな彼を受け止め、〈硬骨〉の魔術士が顔を覗き込む。

「わかっただろう?」

 とっさにアルルはエン・テーレの腕を振り払っていた。

「知らないっ」

 彼は叫ぶ。今目にしたものなど信じられない。信じたくない。

「記憶も竜もどうだっていい。僕は知らない、魔術士のアルルなんてそんなの全部知らないっ!」

 アルルは部屋を飛び出し、日の落ちる町へ走り出した。何もかもが酷く混乱して、嵐の中に投げ出された心地がする。

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