2章

暴かれるものたち 1

 アルルは町を囲む城壁というものを見るのも初めてだったが、ひしめき合う家々や店の間をこれほど多くの人や物が行きかうのを見るのも初めてである。

 喧騒に満ちた通りを、身の丈の半分ほどもある大樽を背負った男が、籠を下げた女と喋りながら歩いている。祭りでもないのに、道の角で芸人たちが芸を披露している。をねだる物乞い。走っていく野良犬。肉屋の店先で足を縛られてもがく鶏を、客の女が指差して声高に値切っている。驢馬に乗った修道僧は、祭りからこちら頻繁に来るようになったログウィックの森に竜が出るという相談にうんざりしているそうで、従者らしき太った男に愚痴をこぼすので忙しい様子だ。

 石が敷きこまれた通りの中央には、汚水を流すための溝が切られていて、茶色く濁った水が流れている。その溝を跨いで商館へ急ぎ足に入っていったのは、遠くから羊毛でも買い付けに来た商人だろうか。ロンプでは見ることのなかった異国風の極彩色の身なりが華やかに目を引く。

(噂には聞いたことがあったけど、領主様の膝元っていうのは、こんなにも違うものなのか)

 町に入るための税を払いネヴィン入り口の門を通り抜けてから、アルルは見るもの聞くものに目を瞠りっぱなしだ。

 羽振りの良い商人の妻か貴族の婦人らしい装いの女が、ご領主の子息のせいでまた税が上がりそうだと侍女に話しながら、先ほどの異国の商人を追うようにアルルの目の前を過ぎっていった。丁度その耳元で揺れる大きな耳飾りが目に入り、アルルはこの町へ来た目的をハッと思い出す。

(そうだ。お婆さんが言ってたエン・テーレって人を探さないと。吃驚しているうちに日がくれてしまう)

 ネヴィンの賑わいに驚いている場合ではない。アルルは適当に歩いている人間を捕まえては尋ねた。

「すみません、人を探してるのですが。この町で『エン・テーレ』という人を知りませんか?」

「さあね、知らない」

「わからないね」

「聞いたこともないよ」

「ねえ、わかるのって名前だけなの? それ以外には――年とった男で黒い耳飾りをしてるかもって? あんた莫迦じゃないの。それじゃこの町で探すのはとても無理よ」

 成果は芳しくない。何度も繰り返す内には、立ち止まって耳を貸してくれないだけでなく、歩きながら迷惑げに手を振って犬のように追い払おうとする者まで出てくる始末である。

「あんた、人探しなら宿屋に行きなよ」

 見かねたのか靴を縫っていた親方が、陳列台越しに店の中から声をかけてきた。

「酒を飲ませる場所には色んな人間が集まるからね。人の噂も集まりやすいよ」

 靴屋は台越しに店の外へ身を乗り出し、通りの先を指差して言った。

「そら、あそこに三角を二つ組み合わせた星みたいな形の魔除けを看板にしてる店が見えるだろ? あそこも宿屋さ。あんた、あてがないなら、まずあそこへ行ってみな」

 なるほど。確かに手当たり次第道で人を捕まえて尋ねてみるよりは、手がかりを掴みやすそうである。それに丁度空腹と喉の渇きを覚えてきたところだ。

「ありがとうございます。ご親切に、どうも」

 アルルは帽子を取り靴屋の親方へ丁寧に礼を述べると、教えられた店に向かうことにした。

 魔除けの描かれた扉を開ければ、薄暗い店の奥から酒の臭いと酔いを含んだいくつかの人目がアルルを出迎える。瞬きの後に視線が逸らされたのは、受け入れられた印だ。

「いらっしゃい」

 席に着くや否や、その気になれば大の男も伸せそうな腕っ節の女将が近寄って来た。

「うちの麦酒エールは二ブロティカ。壺でなら二ブロティカ半。その他の飲み物は三ブロティカ。食べ物は三ブロティカ半。泊まりは二階の相部屋で一晩一レンギからだよ」

「ありがとう。泊まるかどうかは後で考えるよ。食べ物が少し高くない?」

「今はどこもこんなもんだね。先だっての祭りで占いによくない兆が出たもんだから、買占めが始まってるのよ。うちはまだマシな方だね」

「そうなんだ。ごめん。それじゃ僕に麦酒を。特に香りをつけたりはしないで。食べ物は今日は何?」

「塩漬けの豚肉を戻したやつを豆と一緒に煮たものだね。昼過ぎに作ったところだからまだ温かいよ」

「うん、じゃあそれもお願い。麺麭をつけてね。二ブロティカと三ブロティカ半で、五ブロティカ半だったよね?」

「麺麭を付けるなら合わせて六ブロティカ半だよ。お代は前払いで頼むよ」

 やはり食べ物が少し高い。そう思ったが、アルルは言われた通りの代価を卓の端に置く。女将は貨を手に取り誤魔化しがないか調べると、貫禄のある胸元にしまいこんで、注文した品をすぐに運んできた。

 アルルはまず食事を胃に収めてしまい、麦酒で喉を潤して一息つくと、杯を置いて店内を見回した。

 それほど広くはない店の中は、半分ほどの席が埋まっている。荷物を壁に立て掛けて、アルルと同じ食事を摂っている男は、おそらくは行商人だ。くたびれた様子の足元が随分と埃に汚れている。

 あちらで葡萄酒を飲みながら賭け事に興じている数人は、息抜きにやって来た騎士らしい。嵐の中飛ぶ竜を見たとかいう騎士を輪の中心に、領主の竜退治の準備がどうのと話をしながら賽を振っている。

 柱の陰で一人飲んでいる男は、身なりからすると地元の者だろうか。左目のすぐ下から鼻を横切り右頬を抜けて顎まである火傷痕のような赤い痣が、薄暗い中でも目立って見える。

 混んでいるというほどではないが、日のある内としてはまずまずの客の入りのようだ。さて、誰から声をかけたものかと思案していると、柱の陰で飲んでいた赤痣の男と視線が合った。

 赤痣の男は暫しこちらを見つめた後、ニヤリと笑ってみせ、

「やあ、兄さん。楽しんでるかい?」と杯を持ち上げ声をかけてきた。

「え、ああ、どうも」

 アルルが会釈を返すと、赤痣の男は酒壺ごと隣へ移ってくる。

「どうだい一緒にもう一杯?」

「ああ、ありがとうございます」

 男はアルルの杯になみなみと麦酒を注いだ。

「この町は初めてかい? どこから来なすった」

「ロンプからです。そんなに遠くない」

「おおロンプ! あそこはのんびりしたいいところだ」

「ご存じなんですか?」

「行ったことは無いがね。想像はつく。田舎町だ」

「まあそうですけど」

 アルルは苦笑する。赤痣の男に悪気はないらしい。

「うはははは、そうだろそうだろ。ネヴィンへは物見遊山かい?」

「いや、僕は……」

「待て待て。すぐに言っちゃつまらん。当ててみせよう。うーん……」

 赤痣の男は、額に手を当てて悩む真似をした。

「商人、て感じじゃねえな。ははあ、人探しだ。『意中の彼女を追いかけてネヴィンへ来た!』どうだ、当てたか?」

 男は人差し指を立て、得意げに目を剥いて見せる。大仰な身振りにアルルは笑い出した。愉快な男だ。

「残念。女の人じゃないですよ。人探しには違いないけど。僕の名はアルルといいます。あなたは?」

「俺の名はスケラ。あんた、その名前と赤毛、〈竜の舌〉かい?」

「まさか! 僕はただのアルルです。名前と赤毛は似ているけど、魔術は使えません。よろしく、スケラ」

 アルルは右手を差し出し、赤痣のスケラと握手した。

「僕が探してるのは男の人なんです」

 アルルは言った。

「ネヴィンにいるのは確かなんだけど。名前はエン・テーレ。たぶんこれと同じ耳飾りをしていると思うんです」

 大切にしまっておいた耳飾りを、懐から取り出してスケラに見せる。

「こいつは……」

 スケラはアルルの掌にある耳飾りを目にした途端、食い入るように見入り、ゴクリと唾を飲み込んだ。それから上を向いて、はあ、と息を吐き出す。彼は声を潜めてアルルに言った。

「あんた、凄いものを持ってるな。こりゃ本物の竜の鱗だ」

「何ですって?」

 アルルは聞き返す。彼は今何を言った?

「いや、間違いない」

 スケラは至極真面目な顔を向けてきた。彼はそのまま辺りを憚るように声を潜め続ける。

「俺は宝石を磨く連中と付き合いがあるし、ちいっとだが魔術士の知り合いもいるんでわかるんだ。こいつは一見煙水晶を薄く削って作ってあるように見えて、そうじゃねえ。竜の鱗を耳飾りに細工したもんだ。まずめったに見られるもんじゃねえ、とてつもねえ宝物だよ」

 スケラは、耳飾りをしまっておくようにアルルに忠告した。アルルが素直にそれに従うのを待つ間、彼は唇を何度か舌で湿し、それから、こう尋ねた。

「アルル、あんた、『竜鱗の愚者団』て知ってるか?」

「愚者団……? 何ですか、それ?」

 聞きなれない名前にアルルは眉根を寄せる。賽を振る音が少し間遠になった気がする。スケラがしぐさで、何故かアルルに声を小さくするよう指示してきた。

「分からねえか。もしかしてと思ったんだがな。『竜鱗の愚者団』ってのは、魔術士たちが中心の集団だ。この黒い耳飾りは、その団に所属する者たちが身に付けてる目印だよ。もっとも、あんたの持ってるやつ以外は皆煙水晶でできてるがな」

 スケラは、ここからが肝心の所だというように、ゆっくりと言葉を続けた。

「『竜鱗の愚者団』は――彼らは竜を聖なるものとして位置付けてる。世界は竜に作られたものなんだと。〈竜の舌〉のアルルも、あんたの探すエン・テーレって男も、そこに所属する魔術士だ。あんた幸運だな。どっちとも俺は知り合いだぜ」

 そう言ってこちらを窺うように見てくる顔が抜け目なく見えて、アルルは、急にスケラを胡散臭く感じた。

 賽の音が聞こえなくなる。


 いつの間にか、騎士たちの目が、食いつきそうにアルルたちを見ていた。

「おい、貴様ら」

 剣をわし掴みながら騎士の一人が立ち上がった。先ほど輪の中心になって話していた、竜を見たという騎士だ。

「貴様ら、『竜鱗の愚者団』に係わる者か」

 竜を見た騎士は、アルルたちを睨むように見据えながら、大股にこちらへ近づいてくる。他の騎士たちもそれぞれに剣を掴みながら、次々と立ち上がった。皆、アルルたちに近づきながら纏うのは、一様に異様な雰囲気だ。

「答えろ、そこの赤毛」

 騎士は威圧感を振りまきながら、アルルたちに尋ねる。

「貴様『竜鱗の愚者団』とどう関係している。それからそちらの赤痣。奴らの知り合いと言っていたな。貴様は〈竜の舌〉と〈硬骨〉の魔術士の居所を知っておるのかどうか」

 騎士はアルルたちのすぐ傍まで迫ると、彼らを見下した。

「答えろと言っておる!」

 恫喝。こじりが鋭く卓を突き、残っていた杯の中身が零れて周りを濡らした。

 呆気にとられているアルルの隣で、スケラが動いた。酒壺を掴みまだ充分に残っているその中身を、騎士たちの顔に向けて勢いよくぶちまける。思わぬ目つぶしに彼らが混乱している間に、スケラはアルルの腕を掴み椅子から引き立てた。

「こっちだアルル」

 女将の叫びと騎士たちの怒声を背中に聞きながら、店内をそのまま引きずられるようにして外へ飛び出し、適当な路地に走りこむ。いくつかの角を曲がり、でたらめな方向に走って追手をまき終えたところで、ようやくスケラが足を弛めた。

「もう平気だ」

 二人ともに壁にもたれて暫し呼吸を整える。ふとスケラの横顔を見やったアルルは、異様な光景にぎょっと目を剥いた。

「スケラ、首が……」

 どこか怪我をしたのだろうか。スケラの首から襟にかけてが、べっとりと赤い色に染まっている。もしも傷から噴き出たものならば、かなりの量の出血と見えた。

「ん? ああ、これか。麦酒がかかったんだな」

 指摘されてようやく気付いたらしいスケラは、しかし特段慌てることもなく、懐から半分練った脂のようなものと端切れ布を引っ張り出す。

「少し待ってくれ」

 彼は赤痣と血に染まったような首に脂を馴染ませるように塗り、次いで浮いてきた赤い色を布で拭い取っていく。拭い終わった後の肌はごく普通の色合いで、血と見えたものも火傷のような赤い大痣も、そこにあったという痕跡すらない。

「こうしておくと皆痣に目を取られて、顔を覚えられんのだ」

 あっけにとられるアルルに向かって、今や赤い痣の無くなった男は、ニヤリと不敵に笑ってみせる。

「さて、それではアルル、改めて君に真の名を名乗ろうか」

 スケラはアルルに向きなおり、真っすぐに彼を見て言った。

「私の名はエン・テーレ。『竜鱗の愚者団』に属する〈硬骨〉の魔術士。君が探していると言った男だ」

 そうしてスケラ改め〈硬骨〉の魔術士エン・テーレは、アルルの前に両腕を広げたのだ。

「我が同朋〈竜の舌〉のアルルよ。君との再会を、心より喜んでいる」

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