第8話 3日目

「そうそうそうそう」

明るいというより軽い調子で、奥谷主任がにこやかにうなずく。

奥谷主任は20代半ばくらいで、2階フロアのハンドメイド部門をまとめる最年少の主任だ。歳が近いというかノリが軽いので、かしこまり過ぎずやりやすい。


今教わったのはヤットコの持ち方だった。

ヤットコというのは細かい作業ができるよう、先をごく細くしたペンチみたいなもので、ジュエリー業界にいるなら必ず使う工具だ。

主に、“丸カン”という小さな輪に切り込みの入った金具やパーツを組むのに使用し、これができなければ仕事にならない。ジュエリーメーカーにいるなら必須スキル

だそうだ。

丸カン自体は目立たない―むしろ目立たせない―パーツではあるが、金具とチェーンを繋いだり、パーツとパーツを繋ぐのに欠かせない大切な金具だ。

今日の仕事は丸カンでチェーンの両端に金具――引き輪とプレートを組む事だった。


意外と間違った持ち方の人が多いというヤットコの、正しい持ち方と使い方を教わり、実際に丸カンを閉じてみる。

「人によっては正しい持ち方を教えても、今までのやり方のがやりやすいって言い張って、直してくれないんだよね」

小声で苦笑する奥谷主任に、そっと見回してみると、両の手の平を内側に向けた持ち方で作業している人が結構いる。

正しい持ち方をすると、自然と左の手の平が内側、右の手の平が外側になる。


前任者がきちんと教えなかったらしく、この会社である程度長い人は、今までこれでやってきたという自負とプライドもあり、直してくれないらしい。

また、一時ブームとなったビーズ細工のおかげで、我流でヤットコを握ってしまった為に間違った持ち方で変なクセがついている人も多いそうだ。

ビーズ細工の本はたくさん出ているが、どれもヤットコの持ち方までは解説していないらしい。


「見てて。手首の関節ってこうして両方の手の平が内側になるように動かすと、絶対に捻りが入るんだよ。平行には動かないから、平行に動かす為に正しい持ち方があるんだけどね~。最初はやりづらく感じるかもだけど、とにかくやってみてよ」

「やってみます」

「口合わせと傷を入れないように注意して、10本できたら見せにきて。あの席でロウ付けしてるから」

口合わせとは、丸カンで組むのに1度開いたカンの切り口を閉じる事。当然、合わせ目が綺麗に合わさっていなければいけない。


1個組んでみて、見直してみる。横から見てちゃんと丸になっていて、縦に見てもズレがなく、合わせた面が隙間なくぴったり合っているか。

………ダメだ。

横から見てきちんと丸になったと思ったが、縦に見たら結構ズレてる。

金属にはバネ性があるから、ズレを直すにはわざとちょっと行き過ぎたようにして戻してやらなければ揃わない。

………あれ?今度は丸が合わない

出っぱった方をちょっとヤットコで抑えてみる。微妙に円が歪んだかな?後で大丈夫な範疇か聞いてみよう。

………こっちから見るとぴったり合ってるのに、反対側から見ると隙間が空いてる?

おかしいな?これ以上寄らないのに隙間が空くぞ?

………やっぱり、丸が合わない……

縦から見た口合わせを重視すると横から見ると少しズレてるし、横からを重視するとその逆。なんでだ?

円がズレないよう、今度はヤットコでしっかりと丸カンを掴んで戻してみる。

………!!

ヤバい、傷が入った!?

1個1個に不安が残る出来栄えのまま、とりあえずようやく出来上がった10本を見せに奥谷主任のところへ行く。


「あ」

僕がプレスで絞ったパーツだ。

すでに組まれて長いチェーン状になっているのを、主任がロウ付けしているところだった。

ちょっと嬉しくて、声をかけるのも忘れて手元を見つめる。固定されたコマの合わせ目にバーナーを当ててロウを流す。バーナーの火の当て方も、ただずっと1ヶ所に当てるのではなくサッ、サッと全体をまんべんなく温めてじゅうぶん熱くなってから、流したい部分に集中する感じだ。スッとロウが流れて赤く光る。

ふっと息を抜き、コマをひっくり返そうとして、後ろの気配に気付いたようだ。

「おお?びっくりした~声かけてよ」

「このプレスパーツ、僕が抜いたんです。で、嬉しくてつい見つめてしまいました」

「それは嬉しいよね~。組みできた?」

「あ、はい。お願いします」


主任が手渡されたチェーンに目を凝らす。

「あ~、握痕が入ってるね」

「アクコン?」

「ヤットコで握った痕の事だよ。あんまり力を入れて握ってると、潰れて傷が入るから注意して。全く入らないようにするのは難しいけど、肉眼で見てここまで傷が入ってるとダメかな。真円は……まあギリで大丈夫だけど、これ以上歪んだら丸カン交換して組み直してね」

「はい。あの……」

「ん?」

「どうしてか開いて戻す時に必ずズレるんですけど、何かコツってありますか?」

「たぶん丸カンを開く時に、手首を変にひねってるんだと思うよ。

丸カンって1本の線材をバネみたいにグルグル巻いたのを糸ノコで切って作るんだよ。もちろんバネみたいに隙間が空いてたらサイズが狂うから、隙間がないようにきっちり巻いていくんだけど、ともかく巻いて作っているから必ずヒネリが入っているし、糸ノコで切るからノコ刃の厚み分がなくなるワケで、真円が狂うのは仕方がないんだよ。そこに手首までヒネリを加えたら当然綺麗には口は閉じられないよね。だからなるべくヤットコを平行に動かして開くように心がけてやってみてよ。正しい持ち方でヤットコ握っていれば、自然と平行に動かせるハズだからさ。作業って、とにかく慣れだから」

「分かりました。アドバイスありがとうございます」


丸カンを組むなんていうのは技術で言えば初歩の初歩。超基本。できて当然、というかできないと話にならない。こんなところでつまずいている訳にいかない。

アドバイスされた要点に注意して組んでみると、なるほど、意識していなかったけど確かにさっきまでの僕は、手首を捻ってしまってようだった。今度は合わせやすい……ような気がする。

よし、なんかいけそうだ。


とはいえ視界に入る他の丸カン組みをしている人たちは、僕の何倍ものスピードでどんどん進めていく。慣れた人と比べるのは失礼かもしれないが、それでも焦る気持ちを抑えて、確実に綺麗に組むんだと自分に言い聞かせる。いいかげんな仕事をして後でやり直しになるくらいなら、遅くても確実なものを上げる方がいいだろう。


それにしても、と奥谷主任の背中に視線を飛ばす。

プレスに引き続きの地味な(と言ってしまうのはナンだけど)丸カン組みの加工に比べて、“ロウ付け”は加工的に花形な感じがする。やってみたい気持ちはあるけど、すごく難しそうだ。

この2週間でやらせてもらえるチャンスはあるだろうか?なさそうなら、休憩時間とかに教えてもらえないか頼んでみようかな。



「プレートを検品してから組んだ方がいいわよ」

隣で同じく金具を組んでいた、ちょっと年配の人が教えてくれる。

「最初に気を使っていれば、後が楽だから。後っていうのは具体的には仕上げと検品ね」

チラッと名札を見ると、“ハンドメイド課ハンドメイド 赤樹”とある。

「検品、ですか?」

「傷が入っていないかをね。ここで傷が入ったプレートを組んだら、この後の工程が無駄になるでしょう?検品まで行ってから弾かれて、また組みからやり直しって、二度手間になるから。昔はみんなそうやっていたんだけど、今は“検品で見るからいい”ってやらなくなっちゃったのよね」

なるほど。

奥谷主任には言われていないけど、なんとなく赤樹さんの言っている事は理解できるのでプレートの表裏をチェックする。


これは……いいよな。これも大丈夫。これは………細ーい傷が入ってるから一応弾いておこう。……良し。良し。良し。良し。………どうだろう、これは。後で聞こう。……良し。良し。良し。良し。良し。良し。良し。たぶん良し。良し。……うわ、この傷は絶対ダメだな。うーん。この傷に比べたら前の2枚は傷の内に入らないか?


悩んでいるのが伝わったのか、赤樹さんが声をかけてくる。

「ああ、ごめんね。入ったばかりで検品の基準が分からないよね。私が検品するから、どんどん組んでいってくれる?一応どの程度ならOKか、見ながら」

「絶対に傷が入ってちゃいけないってワケじゃないんですか」

「この後、仕上げをするから。ちょっとくらいの傷ならあんまり目立たなくなるから大丈夫なの」

そうなのか。

赤樹さんは傷が入らないよう柔らかな布の上に広げたプレートをざっと見ると、ピンセットを使い1枚1枚片っ端から引っくり返して反対面も検品する。

そのパパパパッと返す手元は、さながらプロのたこ焼き屋みたいだ。

身近で色んな加工を見るようになって感じるのは、こういう現場では、例えば今みたいに“プレートを引っくり返す”みたいな、時間をかけるべきではない動きがもの凄く速い。

その代わり、時間をかけるべきところではきちんと時間をかけるのだろう。


一向に速くならない自分のヤットコ遣いに焦りながら、ふと気付く。

そうか、さっき僕は“検品の基準”をまず確認するべきだったんだな。

どの程度の傷ならOKで、どの程度だとダメなのか。それをまず見せてもらってから検品するべきだったんだ。基準が曖昧なまま、いいのか悪いのかただ悩むのは時間の無駄でしかない。


「あの、赤樹さんは金具の組みだと、どのくらいで組めるものですか?」

「私も、今はそんなに速くないの。何しろ老眼だからね。1時間で400ヶ所くらいかな。早い子だと500ヶ所くらい組めるみたい」

マジか……。

壁の時計を見上げ、組み上がった本数と時間を計算して落ち込みかけ、自分に言い聞かせる。

今の自分の出来なさ加減に落ち込んでも仕方がない。慣れていないのだから。これが何度もやっているのに最初と比べて全然進歩しないようだったら、その時に落ち込めばいい。

いや、その時はゴールドスミス自体諦めた方がいいのかも。

それにしても、多少人よりも器用な方だと思っていたが、全く以って勘違いだったな……。



赤樹さんが少し席を立つと、さりげなく様子を見に来た奥谷主任が、小声で訊ねてきた。

「赤樹さんに何か言われた?」

「あ、いえ、組む前に金具の検品をした方がいいと教えてもらっただけです」

「ああ」

軽く苦笑いして、

「あの人も長いから、結構昔のやり方を引きずってるんだよね。時間短縮の為に、”やらなくていい”って言ってるんだけど」

「はあ……」


ちょうどかかってきた内線電話を取りに自分の席へ戻る主任の背を見送り、困ったなあと小さく溜め息を吐く。

どちらのやり方も一理ある。だがこんな風に正反対のやり方をそれぞれに言われると、言われた方は混乱してしまう。

やり方のコツというのは経験から導き出されるから、人それぞれ違うのは分かる。それに方針として、”こういう流れでやりましょう”と決められたのなら、そのやり方に従わなければいけない気もする。

でも赤樹さんの言っていたように検品をしておけば二度手間を防げるという話も、間違ってはいないと感じる。


たぶん引っかかっているのは、少し意外だった奥谷主任の陰口みたいな言い方だ。そこに、単に反発を覚えているだけなのかも。

なんとなく板挟みになった気持ちで一生懸命ヤットコを動かしながら、どちらがいいとも判断できないまま、今は、”いろいろなやり方があると知る事ができた”という事で、結論を保留にする。と、受話器を置いた奥谷主任から声がかかった。

「西原くん、午後2時になったら、『検品』の手伝いに行ってくれる?」




検品部門は3階だが、検品作業の一環である”分析”という作業の為に、1階の『熔解』に来た。

ちなみに分析装置は検品にもあるのだが、調子が悪く、メンテナンスをしてくれるメーカーの人待ちだとかで、1階にある分析装置を借りての作業だ。


「じゃあ、これから分析――金性と品位に間違いがないか調べてもらうワケだけれど、西原くん、キミ、”試金石”って知ってるかな?」

検品課の黄瀬さんが、ネックレスがたくさん並んだトレイをテーブルに置きながらにこやかに訊ねる。

なにか鼻に付く話し方をする男性社員だ。

「”この試験が、君の将来を占う試金石となる”みたいに使われる言葉ですよね?”実力を計る”みたいな意味合いで」

「そう。でもそれは本来の意味から転じた慣用句で、試金石っていうのは元々、金の品位を調べるための石の事なんだ」

「金かどうかを調べるんじゃなく、品位ですか?」

黄瀬さんが大げさに吹き出す。

「ジュエリーメーカーで製品を、加工の1番最後に”金かどうか”を調べてたら、お話にならないよ」

そりゃそうだ。


少し話しただけだが、黄瀬さんがどういう人か、なんとなく分かった。クラスに必ず一人はいる、少しでも自分を大きく見せようといちいち物事を大げさに言ったり、他人を小馬鹿にするタイプだ。

「昔は、黒い石をすべすべに砥いで油を塗ったところに金を擦りつけて、そこに硝酸・硝酸に灰を混ぜたもの・王水をかけて、溶けるか溶けないか・溶ける速さ・変色の色味なんかの反応を見て、判断してらしい。あ、”王水”って分かるかな?塩酸と硝酸を2:1で混ぜた――」

「3:1ですよね?」

こういう人は、話を最後まで聞いてあげないと面倒くさいと知っていたが、さすがに聞き流せない間違いを、反射的に指摘してしまった。

思った通り、話の腰を折られた黄瀬さんは鼻白んだ様子だったが、すぐに気を取り直す。

「そうだった、3:1だね。ちょっと言い間違えたよ。……で!」

芝居がかった身振りで、テーブルに置かれた機械とパソコンに、体ごと向き直る。

「これが現代の試金石、”蛍光X線分析装置~”」

「おおー」

いちいち大げさな態度と、未来から来た青い猫型ロボットみたいな言い方にイラッとしたが、”どうだ、すごいだろう”と言外に匂わされた為、棒読みながらも一応驚いてみせた。その反応に気をよくしたらしく、黄瀬さんは得意気に説明を続ける。

「名前の通り、X線を当てて、金性と品位を確認できる機械だよ」

30~40㎝四方の大きさの箱型で、上部を開くと中央に丸い小さな窓があり、照準のような縦線と横線が描かれている。

「ここに置くと――ほら、パソコンの画面を見てみて」

画面には、今置かれたネックレスの金具部分のアップが映し出されている。指先でちょいちょいと測りたい箇所が中心にくるよう調節し、蓋を閉める。

「あとはこのパソコンで操作」

設定や手順を教わりながらメモを取る。


「……で、ここをクリックすると元素周期表が出てくるから、K18を調べるなら”Au””Ag””Cu”を選んで、ここをクリック。ちなみに、K18WGを調べる時は今の3元素にプラス”Pd”と”Rh”、K10のイエローは3元素にプラス”Zn”。プラチナなら”Pt”に、”Cu”か”Pd”か”Co”か”Ru”のどれかを選んで、グラフの山が重なる元素で特定。今回はK18だから、出てきたパーセンテージでAuが75%以上になっている事を必ず確認してね。75%切ってたらすぐ呼んで。大問題だから」

なんでだろう。他の人が教えてくれる時には、分からない単語やスラングっぽいこなれた言い回しがかっこいいと感じられるのに、この人が言うと”スラスラと言える俺、カッコイイだろ”と副音声が聞こえてきて、素直に素敵と思えない。

いいや。やり方は大体分かったから、話を変えちゃおう。


「金って、”18金”って言う人と”K18”って言う人がいますけど、”K”ってなんですか?」

「ああ~、時々、素人の人に”K18って18金の金を略した言葉ですか?”とか聞かれる事あるけど、キミもそのクチ?」

いちいち腹立つな、この人。

「Kは”KARAT(カラット)”の略だよ。品位の事。素人の人がよく混同するけど、石の”CARAT(カラット・キャラット)”とは全くの別モノ。日本語表記的にはどっちも”カラット”って書かれているけど、この業界の人間は”18カラットの金”なんて絶対呼ばないし、石の事なら”1キャラットの石””1キャラの石”とか石目なら”キャラ目”とか、”キャラット”って使うから、聞けばどっちを言ってるのか一目瞭然」

聞くのか見るのか、どっちだ?とツッコミたいのをグッと堪える。


「ちなみに日本の硬貨を作っている造幣局は、貴金属の品位証明もしているけれど、あそこで打ってくれる品位は、K18なら”750”という感じに1000%――パーミル表記になる。そもそもK24という表し方は――」

まずい。この先の話は長くなると知っているので、慌てて遮った。

「なるほど~。じゃあ僕はこのトレイのネックを片っ端から計測していけばいいですね?」

「待った待った、まだまだ!説明、まだ終わってないよ。調べるだけじゃダメなんだ。このお客さんは納品時に分析結果を印刷して、付けなくちゃいけないから」


X線分析はいわば簡易検査な為、造幣局が打刻してくれるホールマーク(検定マーク)のような保証性はない。あくまで確認の為に使用しているものだ。

だから納品前の分析は、お客さん(取引先)にこちらで使用している分析装置の仕様を伝え、”この設定で分析した結果であれば信頼性が高いと認めましょう”と取り決めをした上で行う確認作業という事だ。

さらに疑り深い、じゃなくて、慎重なお客さんには分析をするだけでなく、分析の結果を製品に添付する事を取り決めていて、今日午後からの僕の仕事というわけだった。


ちなみに、お客さんによっては検定マークが付いた製品――匠美鎖スラングでは”検付き”――を指定される場合もある。だが造幣局に依頼すると分析の際に熔かされてしまう、つまり非破壊分析ではない為、例えば10本の検付きネックレスを納品する場合は、造幣局へは11本、と余分に用意する必要がある。造幣局はそこから無作為に1本を選んで分析、結果に問題がなければあとの10本はめでたく検付きに出世して戻るのだ。――という話を、昼休憩の雑談で聞いたばかりだった。



「ここの”印刷”をクリックすれば分析表が発行される。金具とチェーンとトップの3か所測ったらネックレスは透明袋に入れて、分析表3枚と一緒にクリップで留めておいてね。とりあえず1回やってみて。見てるから」

「はい」

走り書きのメモを解読しながら、なんとか分析表を1枚発行すると、黄瀬さんは「じゃあ、あと99本。もし何か変な数字が出てきたら、内線ちょうだい。大問題だから」と言い残して3階に戻っていった。

よくもこんなに並べられたと思うほどギッシリのネックレスが並ぶトレイと、梱包用の透明袋、大量のクリップと一緒に残され、よし、と気合いを入れ直す。頑張るぞ。



……”それ”に気付いたのは、分析を始めて3時間以上、時計が17時半を回る頃だった。

それまで、滞りなく手順をなぞる事と、金――Auが75%を下回らない事にしか気が回らなかったが、ようやく50本目のネックレスの金具部分の分析表をふと見た時、”Au 75.83%”という数字に引っかかる。あれ?

次にチェーン部分を分析し、結果を見て混乱する。”Au 76.12%”

やっぱり。なんだこれ?どうして?

慌てて熔解の電話を借り、黄瀬さんに内線をする。

「――あの、大変です!分析装置、壊れてるみたいです!」



「本当だ……数字が違う」

黄瀬さんがパソコンの画面と印刷された表を見比べる。

なぜか、画面に表示されているのとは違う結果が、印刷されていた。

「すみません。僕がもっと早く気付いていれば。100本もあったので、とにかく早くやる事にばかり気を取られてて」

「いや、俺が悪かったわ。すっかり上の機械に慣れてて、こっちの機械は注意しなきゃいけない事、忘れてた。これ、結果がズレてるんだよ」

バツが悪そうに、黄瀬さんが謝る。


検品にある分析装置と比べ、熔解にある分析装置は少し旧型で、普段からほとんど検品の分析は上の機械しか使っていない黄瀬さんは、実は下の機械を触るのはかなり久しぶりだったそうだ。


今パソコンの画面に出ている分析結果は”Au 75.77%”。だがそれを印刷した分析表には”Au 75.81%”となっている。75.81%は、これの前に分析した結果だ。つまり、結果と表の値がズレている。

機械が壊れていると早合点してしまったが、前に分析した結果を印刷しないまま次の分析をしてしまうと、こうしてズレた分析表が出てきてしまうのだそうだ。つまり、最初からすべてズレていたという事だ。


”それなら、発行した表を1枚ずつズラしてクリップで留め直せばいいのでは”と思うかもしれないが、残念ながら分析表には分析箇所の画像も印刷されていて、画像は映し出されたまま印刷されていた。


「これ……やり直しですか?」

「残念だけど、そうなるね」

分析の結果としては75%を下回ったものは無いし、1%にも満たないズレだ。

だけどここで”ま、いいか”と、このまま提出し、それがバレた時、会社の信用にかかわってくる。いや、バレるバレないの問題ではない。これはジュエリーメーカーとしての誠意と誇りの問題だ。


”やり直しだ”と即答した黄瀬さんを、ちょっと見直す。

100分の1のパーセンテージにこだわる誠意と誇り。じいちゃんが言ってた通り、ここはいい会社だ。

そうは言っても3時間以上やった仕事が無駄になるショックと脱力感は、大きいけれど。

「悪いな、せっかくやったの無駄にしちゃって。とりあえず18時まで――あと15分しかないけど――進めてよ。あとは俺がやるから」

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