第7話 2日目

まだ緊張はするが、現場の雰囲気に少しだけ慣れてきた気がする。

まわりはみんな大人で社会人だから、新人の僕が危なっかしいのか、よく声をかけてくれるし、聞けば親切に教えてくれる。まあ人によっては無愛想な人もいるけど、だからといって何か人を陥れるような意地の悪い事をするとか、そういう事はない。


2日目もプレスだった。予定ではなかったらしいが、パートさんが急に1人休んでしまったとかで、急遽の配置だそうだ。むしろ僕としては昨日と同じ場所と聞いて実はほんの少しホッとしていた。

やはり新しい場所というのは、どうしたって緊張する。

とはいえ今日も1日細かい加工かと思うと少しだけ複雑ではあるが、それはどこの部署でも同じだろう。


「じゃあ今日はネコをやってもらおうか」

「猫?」

思わず周りを見回す。

会社のマスコットとか、または社長が無類の猫好きとかで、会社で飼ってでもいるのかと思ったからだ。いや、まさか。

「ああ、これがネコ。ネコプレス」

ポアロ係長が作業机の上にある機器を指す。

「このハンドルを回すと、この部分が上下する」

高さ30㎝くらいのどっしりと構えた手ごろな大きさの鋳鉄のその機器は、後ろに車の操作に使うような丸いハンドルが付いていて、回すと手前の一部分が上下に動いた。たぶん機構としては単純なんだろう、昔から使っているらしい年代を感じさせる佇まい。

実は昨日から気になってはいた。

4人いる女性従業員のほとんどが机に向かってこの機器を扱っていたし、作業机の1つをこの機器がずらりと占拠していたからだ。

「ま、プレス機の簡易卓上版だね。この部分に用途に応じた型や治具を固定して、様々な加工をする。細かなパーツを作るのにこのネコは必須でね。だけど作っているところが少ないから、絶対壊さないように」

この鋳鉄の塊をどうやったら壊せるのか思いもつかなかったが、とりあえず了解の返事をしておく。

ちなみに治具というのは元々は英語の”JIG”に当て字したもので、同じ加工を繰り返し大量に確実に行う為に固定・誘導する装置の事だ。

ここでは特定の加工の為に製作・調整された専用の器具・道具を指し、今回のネコプレスなら、”穴を空ける治具”や”90度に曲げる治具””半円に丸める治具”というように様々な用途によって付け替え、使い分ける。

しかも治具のほとんどは手作りだという。


とはいえ、どんな型や治具を付けても、ネコを使用した加工はただひたすらハンドルを小刻みに回す作業だ。

予想はしていたけれど、昨日から“ただひたすら繰り返す加工”の洗礼を受けていて、これがメーカーの仕事なのだと痛感しないわけにはいかなかった。

最初は慎重だった手元が慣れてきた頃、ふと思い出したのは昨日観たニュース番組の特集だった。


今は、あらゆる業種で工場見学が流行っているんだそうだ。

企業が一般の消費者向けにツアーを組み、生産ラインを見せ、いろいろな体験ができたりお土産を付ける事でイメージアップを図る。

テレビでも教養・情報番組だけでなく、クイズ番組などバラエティでもよく取り上げられている。開発秘話なら今までにも啓発系の番組でよく見かけたけれど、生産ラインにのせる為の小さな苦労や工夫の積み重ねは“何度も試行錯誤を繰り返した”という一言で片づけられてしまっていたように思う。


僕を含めて視聴者が面白いと思うのは、やはり、普段は見られない加工の工程が見られる事だろう。

消費者として手に取る完成品、それがどんな風に作られるのか、大量生産ならではの特化した機械、技術、工夫を知る事ができるのは知的好奇心をくすぐり、作られている工程を目の当たりにする事で安心を得、それを公開する企業への信頼へとつながる。

企業としてもこれまで取り組んできた努力を大いにアピールし、信頼を得る絶好のチャンスになる。


ただ、こんなひたすら繰り返す作業を何時間も見せる事はないわけで、メーカーとしての苦労は、上っ面をさらう程度の工場見学では知る由もないし知らせる必要もない。

それでも何千個、何万個と作られる小さなパーツには一つ一つに必ず手間が掛けられていて、どれ一つとっても不要なものはない大切な作業だ、と知ってもらいたい―――と、こうしてネコを操り5㎜程度の小さな板に1枚ずつ、わずか0.8㎜の穴を開ける加工をしながら、今の僕は思う。

働き始めてたかだか2日目だが、地味な作業を繰り返す事で、今まで見てきたSAIHARAの工場見学やテレビ番組での特集がどれだけ面白い部分だけをイイトコ取りしたものなのかを身をもって実感させられる。

ジュエリーのような高額で特殊な品物でさえも、こんな地味で地道な作業に支えられているのだ。

実際に“働く”という事は、工場見学気分ではありえない。分かっていたつもりだったけれど、どこか甘く見ていたのかもしれない。


「なになに~溜め息なんてついちゃって~。もうイヤになっちゃった!?」

「梅崎さん……今まですみませんでした」

「は?え、なに!?」

たまたま声をかけてくれた梅崎さんに、思わず謝ってしまった。思いもかけぬ反応だったらしく慌てている。

「ジュエリーがこんなにも地道な作業だと思い知って、どんなに無知だったかを反省しました。こんな風に気が遠くなるような作業を積み重ねて、ジュエリーって出来てるんですね」

「うん……なんかそういう風に言ってもらえると、あたしも嬉しいよ………」

いつの間にか周りにいて聞いていた他の従業員も、妙にしんみりと頷いて、午前中は黙々と加工に専念したのだった。



午後になると、午前中の妙な連帯感から梅崎さんたちがいろいろとぶっちゃけ、いや、内部事情的な話をしてくれた。

と言ってもさすがというか当然というか、その手元はまるで機械のようにリズムを刻んで、話しながらでも加工は止まらない。


「え!?ここにいる皆さん全員パートなんですか?」

「そうだよ~。でも結構長いから、とっても敬うよーに。キミにはまず梅ちゃん先輩と呼ばせてあげよう。あと、手ぇ動かす~」

思わず止まってしまった手元を指摘され、慌てて作業を再開する。

「いえ、敬意を表して梅崎さんと呼ばせていただきます」

「営業さんはともかく、アトリエで働いている女の人はほとんどがパートなんです。まあメーカーなんてどこもそんな感じなんでしょうけど。こういう作業ってやっぱり安い賃金でやらないと割りに合わないんでしょうね」

大鳴さんは子持ちのパートさんで、なぜか僕にも敬語で話す人だ。

「そう……かもですね……」

「大きいトコは外国で安く作ったりするみたいだから、就職難のこのご時世にこんな風にちゃんと雇ってもらえるだけマシだよ~。まあ時給はそんなに高くないけどね」

「えっと、800円からですよね」

「毎年5円上がるんだ~」

「5円ですか……。1ケタってめっちゃシビアですね」

「昔は年1回も上がらない事もあったのよ」

これは三角さん。本当は“みすみさん”だけど、名札を見るとどうも“さんかくさん”と思ってしまう。が、印象的には角なんかない、むしろ”丸さん”と呼びたくなる肝っ玉母さん的貫禄だ。

「そうそう、売り上げ悪かったりすると、上がんない年もあるんだ~。まあそれは仕方ない。だって稼げたお金がないのに分配しようがないもんね」

「それはそうですけど……。えっと、1日8時間で6400円、1ヵ月の実働が約22日として……14万くらいですか」

「若いと計算が早いわね~」

大した計算じゃないのだが。

「実際そっから税金とか引かれて、12万弱ってトコかなぁ。独り暮らしの人は残業しないとやっていけない金額だよね~。あ、さっき上がんない年もあるって言ったけど、最近はないよ。あたしが入ったばっかの頃の話で、今は一部の上の人が頑張ってくれてるから」

一部?

「田辺部長が中心になって何人かの役職者が頑張ってくれているんです。あの挨拶とかを提案したのも部長ですし、私たちみたいなパートの話を聞いてくれるような雰囲気にしてくれたのもそうですし。なんとか悪いところは改善していこう、会社を元気にしていこうって」

頬に血が上るのが自分でも分かった。

こんなところで田辺部長の名前が出てくる事が素直に嬉しい。

じいちゃんとつながっている人が、ちゃんと前を向いた人と知って、胸が熱くなる。

「そうなんですね」

「お、ニヤけちゃって~。まあ、そうだよね。君の叔父さんはこの会社ではすっごい部下からの信頼厚いよ。あと、手ぇ動かす~」

「は、はい!僕も頑張ります」


分かってるんだ。田辺部長は。

この会社がメーカーである以上、こんな気の遠くなるような作業をこなしてくれるパートさんたちにきちんと向き合って話を聞き、話しやすい環境をつくり、ちゃんと見ていると伝える事で、やる気を与える事が大切だと。悪いところを見ないフリをするのではなく、いい方向へ向けようと努力をしているんだ。

昨日の社長の態度で、あんなんじゃ、みんなやる気をなくしてしまうと感じ、その事に対して誰も何も言えないような雰囲気の会社なのかと思っていたから、こうして正攻法で会社を支えようと頑張っている人がいる事が分かって、自分でもおかしいくらいに嬉しかった。


…………あれ?

「でも昨日の社長回診の時……」

社長と一緒に付いて回っていたのは田辺部長じゃなかった。人を見た目で判断するべきではないが、いかにも周りを見下した感じの五十がらみのおっさん2人。印象は猿と犬。

「あ、気付いちゃった?」

ちらりとこちらに苦笑を見せる。

「そう、社長のお気に入りでそばに置いてるのは田辺部長たちじゃない。社長はあたしらパートのコトは“雇ってやってる”くらいにしか思ってないし、だから部長たちが頑張ってくれてるコトも、内心くだらないと思ってるだろうね」

「………………」


それは僕なんかにはどうにもならない現実で、だけどどうしたって受け入れられない事実だった。せめて僕にできるとすれば、これを教訓にSAIHARAでそんな立場になった時には活かしていく事だろう。

でもじゃあ、匠美鎖の人たちは?本当に何もできる事はないんだろうか?

いや、おこがましい。僕なんかが口を出すべき事ではない。たった2週間では何をやっても中途半端になるだけだ。

焦りのような気持ちを抑え、自分に言い聞かせる。

今は目の前の作業に集中する。それが僕にできる最大の事だった。

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