落伍者と怪奇達

鯉々

第1話:恐らく今は無きサスカッチ

 アタシは天井を眺める。

 いつもと変わらない、何てこと無い日だ。

 外では小鳥達がさえずり、青々とした葉が風に揺れる。いつもと変わらない心地よい午後だ。

 畳の匂いがアタシをまどろみへと誘う。ちょっと昼寝でもしようか……。


「起きろーーーーッ!!」

 アタシは突然鳴り響いた大声によって起こされた。聞きなれた声だ……。

「あぁ、イチ公か……どうした?」

「どーしたもこーしたもありません! いい加減お金返してください!!」

 あぁ……その事か。アタシは耳が痛くなる。

 しかし、アタシは疑問に感じた。前に返さなかっただろうか?

「なぁイチ公。前にちゃんと返したよな?」

「それは3ヶ月前のやつでしょう!? 先月のがまだ返ってきてないんです!」

 ……そうだったか? こいつの事だから嘘はつかないと思うが……。アタシは財布を鞄から引っ張り出し、中を覗く。

「……すまん。今手持ちが無い」

「もーーー!! 喜瀬川キセガワさんはいっつもそうじゃないですか! 何でいつも財布が空なんですか!!」

 ……何とか反論したいが、金を借りてる立場からして何も言えない。どうしたものか……。

 そうだ。そういえば、いつぞやテレビで見たアレがあったな。

「おうイチ公。ちょっと聞いてくれ」

「何ですか!!」

「お前ェ、『サスカッチ』って知ってるか?」

「さすかっちぃ……?」

 知らないみたいだな。メンドクサイ奴だ。

「あのな、サスカッチって言うのはだなァ、所謂ビッグフットみたいなもんなんだよ」

「……それ、今関係あります?」

「まァ最後まで聞けや。それでだ、最近近くの峰白山で目撃されたみたいなんだよ」

「サスカッチがですか……?」

「おうよ。で、だ。こいつを捕まえりゃァ賞金が出るんだよ。その額、何と100万円!」

 これならイチ公も納得するだろ。お堅い顔して意外とこういうの好きだからなこいつは。

「……それ、捕まえたら賞金はどうするんです?」

「もちろん山分けだ! それで借りてる分はチャラにしちゃあくれねェか?」

 とりあえず、頭を下げておこう。こういう時は下手に出た方がいいからな。

「……分かりました。じゃあそれで手を打ちます」

 よし!何とか命を繋いだ!後は、見つかるのを祈るだけだな……。




 数日後、アタシ達は峰白山に来ていた。

 いつ見てもデカイ山だ。こんだけデカければ、サスカッチの一匹でもいるかもな。

「喜瀬川さーん!」

 おっ!来やがったな。待ち合わせ時間五分前に来るってのァイチ公らしい。

「おう、来たか。そんじゃ、さっさと山入るぞ」

「はい。……あの、約束忘れないでくださいね?」

「わァーってるよ。山分けだろ?ヤマワケ」

 アタシ達は山へと入ることにした。

 山の中は極一部が舗装されているだけで、他は獣道やただの傾斜ばかりだった。とはいえ、元々運動神経の良いアタシにとって、これ位はどうという事は無かった。

 アタシは後ろを振り返る。

「おーい!大丈夫かー!」

「だいっ……はぁっ……ぐっ……大丈夫です……!」

 大丈夫じゃねェなアレは。

 仕方なく、アタシはその場でしばらく待つ事になった。


「ふぅ……ふぅ……お、お待たせしました」

「おう。待たされたよ」

 ようやくイチ公が登ってきた。こいつは中学の頃から体力なかったからなァ……。

「い、行きましょう」

「言われなくてもそうするつもりだよ。ちゃんと付いて来いよ」

 アタシはイチ公を連れて、再び登り始めた。何にしても、まずはサスカッチがいるって証拠を抑えないとな。


 しばらくの間歩いていると、川が見えてきた。あれは町に通ってる川だな。

「……少し休むか」

「そう、ですね……」

 アタシ達は川の辺で石に腰掛け、休憩を挟む事にした。

 すると、イチ公がアタシに話しかけてきた。

「喜瀬川さんは、何でいつもお金無いんですか? 落語やってるんですから、少しは収入があるんじゃないんですか?」

「バッカお前ェ、そんなにあるわけねェだろ? アタシはまだ一応、修行中扱いなんだからよ」

「だとしても、いくらなんでもお金借りすぎじゃないですか? 仕送りとかは……」

「……あんまし人様の事ずけずけ聞くもんじゃねェよ」

「あっ、すみません……」

 気まずい空気になってしまった。くそ……余計な事聞くからだ。

「あの……喜瀬川さん」

「どーした?」

小幸コユキちゃんは、元気ですか?」

 小幸。アタシの師匠の孫。アタシにとってはガキの頃から知ってる妹みたいなものだ。

「ああ。何ともねェよ」

「すみません……。あの大学を卒業するまでに、必ず何とかする方法を見つけますから……」

「別に心配いらねェよ。あいつは普通に元気にしてる。体にも問題無い」

 イチ公は小幸の精神の事を心配してるんだろう。あの子は、アタシが知る限りでは、初めて会った時から多重人格を患っていた。……いや、患うという表現が正しいのかは分からない。もしかしたら、あれがあの子にとっての普通なのかもしれない。

 何となく前にある木を見ると、何か違和感を感じた。何だ、あれは?

 アタシは隣にいるイチ公に声をかける。

「おい。あれ、何か変じゃねェか?」

「どれです?」

「あの木だ。ちょっと行ってみよう」

 アタシはイチ公を引き連れ、木へと向かった。


 その木を近くで見ると、大きな爪痕の様なものが付いていた。

「これ……」

「熊じゃねェよな。形が違う」

「じゃあこれって……」

「一応注意しとけよ。危なくなったらすぐ逃げろ」

 アタシはその場にしゃがむ。もしここにサスカッチが来たなら、足跡か何かが残ってる筈だ。

 その予感は的中だった。見事に足跡が残っていたのだ。

「イチ公見ろ。これ」

「あっ! これ……」

「間違いねェみたいだな。向こうへ続いてるぜ」

「……い、行きます?」

「お前ェここまで来てビビってンのかよ? 金欲しいだろ?」

 アタシは立ち上がり、地面をしっかりと踏みしめながら前へと進む。イチ公は後ろから付いてきていた。

 思い返せば、こいつは初めて会った時もこんな感じだったな。アタシの後ろをこそこそつけて来てたっけ。


 足跡を追って歩いていたアタシはあるものを見て足を止めた。

「んぎゃ!? ちょっと急に止まらないで下さいよ!」

「イチ公……静かに……」

 アタシの目の前には大きな洞窟があった。足跡は洞窟の入り口近くまで続いていた。

「え、これって……」

「ああ。多分、そういう事だろうな」

「行くん、ですよね?」

「別に怖けりゃここにいてもいい。ただ、アタシは行くぞ」

「ひ、一人でいるよりかは喜瀬川さんと一緒にいた方がマシですよ!」

 こいつ失礼だな……。

 ともかくアタシはイチ公を連れて、洞窟へと入っていくことにした。


 洞窟内部は薄暗く、夜になれば真っ暗になる事が容易に想像出来た。

「暗いですね……」

「まァ、洞窟だからな」

 アタシは持ってきておいたライターを点け、前へと進んでいった。

「懐中電灯とか無いんですか?」

「ありゃ光が大きすぎる。ばれるかもしれねェだろ」


 しばらく進んでいると、目の前に開けた空間が見えてきた。アタシは迷わず足を踏み入れる。

 空間を見渡すと、辺りには机や椅子、箪笥などの家具が置かれていた。……そういう事か。

「き、喜瀬川さん。この場所おかしくないですか?」

「ああ。だが、疑うべきはアタシ達の常識の方かもしれねェ」

「そ、それはどういう……」

 突如、イチ公の声を遮る様に足音が聞こえてきた。

「だ、誰か来ますよ……!」

「ああ。ここで待ってよう」

 アタシはこの空間の入り口の方を向き、入ってきた者に声をかけた。

「悪いな。邪魔してるぜ」

 目の前にいたのは、毛深い大男だった。身長2m近くはあろうか。とにかく、大柄な男だった。

「君達は……?」

「先に謝らせてくれ。すまん。あんたの暮らしを邪魔するつもりじゃなかった」

「え?この人……」

「……もしかして君達もサスカッチを探しに来たのか?」

「ああ。あんたなんだろ?サスカッチは」

 アタシは自分の中で立てていた予測を投げかけた。

「……そうだな。いつしかそう呼ばれる様になった。私はただ、ここで静かに暮らしたいだけなんだがな……」

「こ、この人がサスカッチなんですか?」

「ああ。サスカッチの正体は、ただの大男って事さ」

 目の前の男はアタシに話しかける。

「私に……賞金が掛かってるんだろ?」

「よく分かってるじゃねェか。理由、分かるよな?」

「……分からない」

 どうやら、白を切るつもりらしい。

「じゃあ教えてやるよ。テレビでもやってたぜ?『峰白山のサスカッチは人を襲う』ってな」

「ち、違う!あれは向こうが先に!」

「襲い掛かってきた、か?残念だがその言い訳は通用しねーンだわ。お前、相手の荷物奪ってただろ?」

 そう。最初のニュースは、登山客が巨大な獣に荷物を奪われたというものだった。あれから何度か被害者が出て、目撃者の証言からサスカッチの名前が出てきた。

「に、人間……なんですよね?」

「……ああ。君が見た通りだ。それでどうするんだ?私の住処を奪った奴らとまた一緒の社会で生きろと? 捕まれと言うのか?」

「……別に、どーもしねェ。ただ、もう人から物奪うのは止めろ。メーワクしてんだよ。あんたがやってる事は、あんたの言ってる『住処を奪った奴ら』とやらと変わらねェだろ」

 アタシはこいつに何があったのかは知らない。だが、悪事は止めるべきだ。

「……分かった。これからはしない。約束する」

「おうそうしてくれ。またやったって分かったら猟友会連れてカチコミかけるからな」

 アタシはイチ公の手を引いて出口へと歩く。

「じゃあな。せいぜい長生きしろよ」



 アタシ達は洞窟の外に出てきた。

「結局、サスカッチじゃなかったんですね……」

「ま、こんなもんだろ。解明されない謎の方が面白いもんだ」

 さて、このまま帰ろうか。そう思っていると、イチ公が肩に手を乗せてきた。

「あ? どした? おんぶか?」

「ふざけてんですか!? お金ですよ! お金!!」

 ちっ……気付きやがったか……。

「しゃーねーだろ?本物じゃなかったんだし」

「それとこれとは話が別です! 大体、自分でちゃんと返してくれれば文句言いませんよ!」

 あーうるせェうるせェ。ずらかるかな。

 アタシは脇目も振らず、全力疾走した。

「あ!? コラ! 待てぇーーーっ!!」

 後ろから怒鳴り声が聞こえる。……まァ、黙っとくのが正解だったよな。調度イチ公からは見えてなかったみたいだし。

 アタシは大男の尻にあったアレの事を記憶の奥にそっと仕舞い込み、山道を駆けていった。

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落伍者と怪奇達 鯉々 @koikoinomanga

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