ラボラトリーの中で②

 ごく一部の人間を除いて、世間から全く知られていないその組織は「ラボラトリー」と称されていたが自ら名乗ったことも、掲げたこともなかった。

 言うなればそれは無名であり、他人が彼らを呼称するのに必要だったから名前をつけたにすぎない、記号のようなものだった。


 そんなラボラトリーは組織の人間であっても実態のほとんどを把握していない。建物が国のどこに存在しているか、建物の構造がどうなっているのか、組織の構成員が全部で何人いるのか、すべてを知るものは限られているのである。


「なぁ、もうやめようぜ。俺は金にならない労働と、過労で死ぬことが世の中で一番馬鹿げてると思ってるんだよ」


 ラボラトリーの建物内に、だだっ広くて真っ白で、地面とカベ以外何も無い部屋が存在する。構成員たちは「トレーニングルーム」と呼んで、実戦の動きを確認したり、研究物の実験をしたり

、様々な用途で使用していた。


 そんなトレーニングルームで二人の人物が相対している。


「僕はそうは思いません。労働とは貢献であり、金銭の取得よりも大切なものが得られると思います。後者については全面的に肯定しますがね」

「ハァ、くだらねぇ。てめえは所長に心酔してるかもしれねぇが、俺は男に媚びへつらうなんて気持ちの悪いことはできねぇんだよ。所長が女に取って代わるか、性転換でもしてから出直してこい」


 一人は以前、夜の城下町でフレンたちを襲った「先輩」と呼ばれていた男だ。それに真っ向から対峙しているのは、金色の長い髪を持つ碧眼の爽やかな青年だった。


「ハハハ、僕は所長を尊敬してはいますが、心酔した覚えはありませんよ。ラボラトリーの理念に共感して傾倒しているだけです」

「だから一人でやってろって。俺とカナンには関係ねえだろうが」


 楽しそうに笑う青年に、辟易とした様子の先輩。そして先輩の背後には気を失って倒れているカナンの姿があった。


「貴方は食客という立場ですから、別段問題はないのですが、ラボラトリーの一員としてカナンには少し教育をしなくてはならないのですよ」

「はっ、作戦失敗の責任を取るのはカナンじゃなくてライラだろうが。それに、そもそもてめぇらの見通しが甘いせいで、カーミラには出し抜かれるし、宝剣使いのガキも見落とすんだよ」

「ライラにはすでに教育しました。ですので、次はカナンだったのですよ」

「だから、もう十分だろうが!」

「いいえ、まだまだです。彼女は私情で動きすぎる。だから無駄な動きが多く、相手に遅れを取るのですよ。宝剣使いはともかく使用人ごとき、満足に一人で相手できないとは……情けない!」


 二人の対話は決裂し、金髪の青年は腰に携えていた鞘から一振りの剣を取り出した。根本から切っ先までが細く長く、鋭く尖る剣はいわゆるレイピアと分類される突剣であり、空を斬る甲高い音とともにそれを回転させると、ピタリと先端を先輩へ突き向けた。


「この糞ガキが……いいぜ! 特別におじさんが無料で労働おしおきしてやるよ!」


 明らかなる敵対の意思を見せつけられた先輩は、怒りの形相でもってポケットから取り出した十字架を手にして両拳を眼前に上げた。

 今までやる気というやる気を見せなかった男が自分のために、戦う決意をしたことに満足したのか金髪の青年はニヤリと笑い、そして高らかに言い放った。


「そう、それでいいのですよ。ラボラトリーの崇高なる理念を貴方にわからせてあげます――ゲイル=ストラゴス推して参る!」


 言い終わるやいなや、爆発的な突進から繰り出されるレイピアの剣先が先輩の喉元めがけて襲いかかる。その速さは常人では見極められないであろう、風のような速度だ。

 しかし、先輩はすでにゲイルがどこを狙っているのかを把握していかのように、難なく突きを躱すと、十字架を魔力を込めた拳で力強く握りしめた。

 

「調子に、乗ってんじゃねェッ!」


 すると十字架はまたたく間に肥大化して、さながら十字型のブーメランのような形へと変形する。その先端でもって、先輩はゲイルに斬りかかった。

 しかし、十字架による攻撃はゲイルによって簡単に弾かれてしまう。突きから切り払いまでの動きが流麗すぎて、無駄な動きが一切ない。


「ふん。その程度の攻撃……唯一無二のダークプリーストが聞いて呆れますね」

「こりゃダークプリーストの力で生まれたおまけみてぇなもんだ。お仕置きはこれからだ!」


 鍔迫り合いから、先輩が一度距離を離すと、またも先輩がポケットから別の十字架を取り出し魔力を込める。

 すると今度はもう片方の手からも肥大化した十字架が出現し、二つの十字架を構えた先輩は器用にゲイル目掛けて十字架を投げつけた。


 凄まじい回転力でもって十字架は弧を描きながらゲイルに襲いかかる。


「チッ!」


 獲物が二つになったことで対処しなくてはいけないことが二倍になる。ゲイルは不規則に飛んでくる十字架をレイピアで撃ち落とそうとするのだが、その推進力を止めることができないと判断し、いなすことでなんとかブーメランの軌道を変える。

 そのブーメランを二つも対処するのだから、バランスを崩されるのは必至だった。


「おっとまだまだ。安心するのは早いぜ糞ガキィッ!」


 だが先輩の猛攻はまだ続く。


 いくつ持っているのだろうか、というほどにポケットから次々に十字架を取り出し、魔力で巨大化すると、そのすべてをゲイルに向けて投げまくった。


 右から左から上から斜めから、色んな角度から飛んでくる十字架のブーメランは必ずゲイルに当たる軌道を沿ってくる。一本のレイピアで無数のブーメランをいなすゲイルの動きも目を見張るものがあるが、圧倒的な数の暴力の前に劣勢を強いられていた。


「こんなもんでやられてくれるなよ! 血術・紅霧べにぎり!」

「!?」


 何やら先輩が両手の指を眼前で組み、詠唱をすると突然すべてのブーメランから赤い霧が発生した。

 大量の霧がゲイルの視界を奪い、どこからブーメランが飛んでくるかがわからなくなってしまう。


「目眩ましだと……! くだらない、こんな玩具! すべて撃ち落としてあげますよ!  リュミエール・ド・ヴォルテ!」


 視覚で補足してから対応するのは不可能と判断したゲイルは、重心をずらし、腰を低くして構えると目にも留まらぬ光速の突きによって次々とブーメランを破壊していく。

 もはや当てずっぽうではあるのだが、その突きの回転率が高いため、ゲイルに近づくものすべてを撃ち落とす勢いがあった。


「けっ、そのスキルはただの“カウンター高速突き”だろうが。ランサーの癖に槍じゃなくて突剣なんて使いやがって、ナルシストもいい加減にしろよ。鏡見すぎなんだよ。お前、カナンとライラから鏡が過労死するって言われてんぞ」

「はっ、嫉妬ですか? 見苦しい! 僕はランサーを極めし者、ゲイル=ストラゴス! すべての人類は僕を頂点にして淘汰されるのです!」

「性格まで気持ち悪いんだよお前! くだらねえ、ちょっとイケメンだからって調子乗んなロン毛!」

「うるさいハゲ! 死ね!」

「ハゲてねーよ! お前が死ね!」


 無数のブーメランが飛び、それを高速で撃ち落としていく、凄まじい戦いの場に子どもの口喧嘩が飛び交う。しかし、それほどの拮抗状態であるとも言える。


 二人の攻防は、先輩の十字架が全て撃ち落とされるか、ゲイルの体力が底をつくかでの勝負になる――と思われたのだが。


「うっ……! これは……!」


 突然、ゲイルは自分の足が言うことを効かなくなるのを感じた。さっきよりも足取りが重く、満足にスキルが使えない。


「やっと効いてきたか、この鈍感ロン毛。てめえの周りに発生させた紅霧ってのは、毒だ。つっても何も命を奪うもんじゃねえ。ただ、吸い込んだヤツの神経を麻痺させる効果があるんだよ」

「くっ、卑怯な……あ、貴方は……どこまで……」


 紅霧の毒に抗おうと、必至にブーメランを撃ち落とすゲイルだったが、やがて足だけでなく全身がしびれて動かせなくなり、終いには口すら動かせなくなってしまった。


「ふぅー、くそ! この十字架一個いくらだと思ってんだ! ったく、本当にくだらねえ」


 ようやく気を失ったゲイルの姿を見て、先輩もどかっと地面に座り込んだ。ポケットの中はすでに空になっていて、これ以上十字架を壊されたらお手上げだった。


「まったく、他人の尻拭いなんてするもんじゃねえな……いや、待て。概念的な意味ではなく、物理的にも尻を拭ってやるのも……」


 ふと、先輩はゲイルに倒されて気を失っているカナンの存在を思い出した。いつもちょっかいを出せば鉄拳制裁が飛んでくる危険な女ではあるが、今は無防備な状態だ。

 少しくらいイタズラしてもバレないのではないだろうか。そう思って先輩はゆっくりとカナンに近づいていく。


「人間、具合が悪いときは楽な格好が良いっていうしな。窮屈な服を脱がしてやればカナンも喜ぶ――」

「……わけねーでしょう!」

「エブぇ!?」


 あと数センチでカナンの胸部に触れそう、という手前で突如死角から鉄の塊が飛んできたかのような衝撃が走る。


「ちょっと見直したと思ったのに、とんだクソ野郎二人組じゃねーですか。どっちも死ね」


 本来なら何が起こったのかわからないまま、ぶっ飛ばされるのが常なのだろうが、先輩はゆっくりとスローモーションになる世界でカナンの右膝蹴りが自分の側頭部を捉えたのだということを認識するのであった。

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冒険者は金が欲しい なおゆき @kakeru1213

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