ラタトゥイユ、溶ける
スーパー内に設けられた地場産品のコーナーで、とてもいいズッキーニを見つけた。大きくて、つやがあって、ハリがあって、しっかりとしているけれど固くなく、グリーンとイエローのものが2本ひと袋でなんと100円。お買い得すぎる。
隣を見たら、ナスも安かった。
「あー、ズッキーニ。俺ね、てんぷら結構好き」
ひょこりと顔を出したお前が、俺の手にしたズッキーニを見て言った。
「あと、チーズ乗せて焼いたやつもおいしいよね」
「──いや、別のものを作る」
俺はズッキーニとナスをお前の持つカゴに落とし、青果売り場でピーマンと玉ねぎもカゴに入れた。
「──トマトはこの前買ったのが残ってるし、缶詰もあるからいいとして……」
つぶやく俺を見上げて、お前がぽんと手を打った。
「あ、あれでしょ。カポナータ」
にこりと笑ったお前を見て、俺は、言った。
「違う。ラタトゥイユだ」
「──どう違うの?」
野菜の入ったカゴを手に俺のあとをついてくるお前が、首を傾げた。
「同じじゃないの?」
うむ、確かに。
その2つは似て非なる料理である。詳しい説明はあとにして、俺はとりあえず、一番大事なところだけ、教えてやることにした。
「カポナータはイタリア、ラタトゥイユはフランスだ」
びしっと要点を押さえる教師のように言い切ってやったのに、振り向いたら、お前の姿はなかった。
「ねー」
一足先に精肉売り場に向かっていたお前が、俺を呼ぶ。
「どっちでもいいけど、鶏肉入れていいー?」
そう言って、お前が手にしていたのは鶏ムネ肉。しかも1キロ入りのお徳用のパックだった。
はたして鶏肉が入ったものは、ラタトゥイユなのか?
俺は眉間にしわを寄せて悩んでみたが、結局はお前の望み通り、鶏肉入りのそれを作ることになるということは分かっていた。大人しく1キロ入りの鶏肉をカゴに入れ、帰ることにした。
キッチンで、まずは野菜を切っていく。玉ねぎはくし形切り、ピーマンは4つ割り、ズッキーニは細い部分は厚めの輪切りに、太い部分は半分に切って同じく厚めの半月切りに。ナスは乱切り。鶏肉は3枚入っていたので、1枚をひと口大に切る。
鍋にオリーブオイルとつぶしたにんにく、赤唐辛子の輪切り少々を入れて火にかけ、じわじわと香りが立って来たら野菜と鶏肉を入れてしっかりと炒める。油が回って角が取れてきたら、皮をむいたトマトを4つ割りにして加える。トマトが足りないようなら水煮缶を加える。ローリエとバジル、オレガノ、赤ワインを加えて煮込む。
カウンターの向こう側で頬杖を付いてこちらを見ていたお前が、ところでさ、と言った。
「カポナータとラタトゥイユの違いって、何だったの?」
「カポナータはイタリア料理。ラタトゥイユはフランス料理」
「それだけ?」
「──いや、厳密にはもっと違う。こうやって、野菜をしっかり炒めてから煮込むのがラタトゥイユで、カポナータの方はナスを揚げたものを煮込む」
「へー、そうなんだ」
「味も微妙に違うな。ラタトゥイユは塩コショウだけで味付けするし、カポナータは砂糖とワインビネガーが入る」
「あれ、そんなに違う?」
お前が驚いたような顔をする。
「あー、でも、考えてみたら、カポナータの場合はいつもそのまま食べてるイメージだね。ラタトゥイユだと、そのままっていうよりも……」
「そうだな、パンに乗せて食べたり、ご飯にのせて丼にしたりもするし、パスタソースにもする」
「そっか、だからあんまり単品の料理って感じじゃないんだ」
俺の嗜好の問題だが、ラタトゥイユは料理としてよりもソースとしての方が好みである。だから、俺が作るといつも、具が煮崩れるまでしっかり煮込んで、バジルを多めに効かせたものになる。それに慣れているからなのか、お前も単品の料理としてラタトゥイユという名前がでてこなかったのかもしれない。
「次の日の、くったくたでどろっどろのソースでパスタ食べるの、めちゃくちゃ好き」
確かにそれは俺も好物だ。しっかりと煮込んで野菜が溶け込んだソースは、とてもうまい。
しばらく煮込んでいる間に、副菜の準備。薄くスライスしたジャガイモは少しずつずらすようにして耐熱容器に重ねて、牛乳を振り、塩コショウ、オリーブオイルをかけ、上からシュレッドチーズをかける。さらにオリーブオイルを回しかけ、オーブンで焼くだけにしておく。
ベーコンと玉ねぎを炒め、ホールコーンを少々加えて牛乳を注ぎ、煮込む。煮立てないように玉ねぎが柔らかくなるまで火を通したら、塩コショウで調味してスープを作る。
チコリは食べやすい大きさに、マッシュルームは薄切りにしてボウルに入れ、食べる直前にレモン汁とオリーブオイル、塩コショウであえてサラダにする。
主食はパンでもご飯でも、お前が食べたい方を選んでもらうことにした。
ラタトゥイユがいい感じに煮崩れてきたら、残っていた鶏肉の厚みに切り目を入れてそのまま鍋に加えて弱火でくつくつと煮込んでいく。柔らかくなるまでじっくりと、ゆっくり火を通す。これを今日のメインにする。
俺はコンロのタイマーをセットして、鍋にふたをし、キッチンを出た。
「夕飯まで、ちょっと休憩」
ソファに身体を投げ出すと、お前がスツールから下りて、俺の隣に移動した。
「この前、ランチにカポナータが出たんだけどね」
「しゃれたランチだな」
「うん。──確かね、ツナとアンチョビ入ってたよ」
「へえ」
「味見させてもらったけど、ちょっとクセがあって、おいしかった」
お前の友人でもある厨房スタッフは、やたら優秀だ。どこで修行をしたというわけでもないらしいが、どんな料理も作ってしまうらしい。大学時代、各国を旅行しながらひたすら料理を食べ歩いてきた、という強者だ。
「ショートパスタに添えて出したんだけど、結構評判よかったよ」
「本当に侮れないよな、お前の店のランチは」
「定番メニュー以外は、楽しんで企画してるみたいだしね」
俺はまだ会ったことはないが、その友人の話になると、お前が少し、嬉しそうになる。元々友人と呼べる相手がいなかったお前だから、まだ少し照れくさそうに、友達がね、と口にするのを見ていると、妬きたくなる半面、何だか妙にかわいらしい。
「タコとか入ってたらおいしそうだと思った」
「──今度、作ってみるか」
「うん」
しかし、ツナとアンチョビ、ねえ。
多分、その学生時代の食べ歩きの旅で食してきたのだろう。普通のレシピにはなかなかお目見えしないだろうな、と俺は思った。
つまり、俺のように詳しいレシピを検索したり、調べたり、有名店で食べたものを再現したりするタイプではない人間には、作れないものだ。
「俺の場合は、食いたいものを適当に作ってるだけだしな」
調べるのは最低限の材料と作り方だけ。あとは適当に自己流だ。だから、厳密には正確な味に出来上がるわけではない。自分好みに味を調整して、もしかしたら全く違う料理になっている可能性もある。
今日のラタトゥイユもしかり。煮崩れるまで煮て、ソース状態で利用するなんて言ったら、プロヴァンスの人たちに怒られてしまうかもしれない。
「適当でも何でも、俺は好き」
お前が俺に寄りかかるような格好になる。
「──味覚が似てるって、大事だと思う」
「そうだな」
「あんたがおいしいと思うものを、俺もおいしいと思う。──あんた好みに作ったものが、俺の好みなんて、もう、運命的だよ」
「かもな」
思えば、あのときの料理がお前の口に合わなければ、こんな関係になることはなかったのだろう。
俺の作った料理を、お前が幸せそうに食べる。そんなことが、何だか急に奇跡的にも思えてきた。
お前が言う通り、これは、運命なのかもしれない。
「──あのときお前が腹をすかせてなかったら……」
スーパーでばったりと出会ったお前が、カップラーメンを買おうとしていた。今思えば、あんな即席麺ひとつで、お前が満足できていたことが驚きだ。
「あんたが、飯を食いに来ないかって言ってくれなかったら、もしかして、俺たち、まだ店員と客の関係だったかもね。未だに挨拶くらいでどきどきしてたかも」
お前がおかしそうに笑う。
根気のない俺が、よくまあ、あんなに長い間、客と店員という立場に甘んじていたものだと思う。あのときは、ただほんの一言、二言の会話がとても楽しみだった。もちろん、そのタイミングを窺ってはいた。どうやったらあの不愛想な顔が笑顔になるのか、ずっと考えていた。
まずは、一言。仕事以外のことで、話をしたい。そう思っていた。だからと言って仕事の邪魔になるようなことはしたくない。そんな葛藤があった。
あの日、俺は、窓際の席にいた。会社を出たときから雲行きは怪しかった。そしてその窓際の席で注文したランチを待つ間に降りだした雨が、チャンスをくれた。初めてお前と言葉を交わしたとき、俺は内心、ガッツポーズをしたくらいだ。
──すごい雨だな。
──そうですね。
たった、それだけ。
俺の言葉に応えてくれた。たったそれだけのことが、やけに嬉しかった。
お前からの一言に舞い上がり、それだけで満足できた。
我ながら、気の長い話だ。
「まあ、つまり──」
俺はぽん、とお前の頭に手を置いた。
「あれだけ慎重になるくらい、お前に惚れてたってことだな」
「──俺が先」
素早く返って来たそんな言葉に、お前を見下ろす。
「は?」
「だから、惚れてたのは、俺が先」
「──どっちでもいいだろ、そこは」
「駄目。絶対俺が先」
俺にくっついたまま、目だけで見上げるようにして俺をにらむお前が、ムキになって言い返す。
「分かった、お前が先」
「分かればいい」
お前はそう言って俺にぎゅっと抱きついた。
「──何も、望んでなかったのに」
お前は小さくつぶやいた。
「その姿が見られればそれで、よかったのに──」
抱きつく力が強くなり、俺は再びお前の頭に手をやる。ゆっくりと撫でてやったら、俺の胸に顔を押し付けた。
「──こんなに幸せで、どうしよう」
そんな台詞、もう、殺し文句だぞ。
「望んでいいよ」
俺は自分の胸にお前の頭を押し付け、耳元でささやく。
「もっといっぱい、望んでいい。好きなだけ、どんなことでも」
顔立ちがやけに整った、見目麗しいカフェ店員。いつも女性客がお前の姿を目で追い、熱い視線が向けられる。仕事中はわずかの隙も見せず、その不愛想な表情が崩れることはない。どんなに熱心に誘われても、するりとかわし、冷淡にも思えるほどの態度で壁を作る。
お前の笑顔が見たい、と思った。
それが始まり。
「俺、どんどんわがままになる」
「なっていい」
「これ以上?」
「まだ、こんなもん、だよ」
「──本当に、甘やかしすぎだよね」
「甘やかすのが好きなんだ」
「──そういうとこ、悔しいくらい好き」
俺は苦笑する。悔しいくらい好きって、何だよ、と思った。
「調子に乗るから」
「乗ればいいさ」
「いっぱい、甘えるからね」
「いいよ」
「……だったら──」
お前が顔を上げ、俺を見つめる。
「もっと、好きになって」
俺は一瞬、言葉を失う。
「馬鹿だな──そんなのとっくだ。毎日毎日、記録更新してるよ」
「記録更新?」
「毎日、どんどん好きになってるってこと」
お前の頬にキスをしたら、お前が微笑んだ。
「それなら、俺も一緒だね。俺なんて、毎分、毎秒、好きになる」
「じゃあ、こうしてる今現在も、どんどんニューレコードだ」
「そうだよ」
楽しそうに笑ったお前が、俺に飛びつく。
「おいしいご飯食べさせてくれたら、さらに大幅更新かも」
「そりゃ、頑張らないと」
「──うん、頑張って」
お前が俺にキスをする。ゆるゆると、まどろっこしいくらいかすかに触れ、甘い吐息がかすめる。焦らしているのか、作戦なのか、そのもどかしさに、俺は我慢できなくなった。お前の腕をつかんで引き寄せ、後頭部を押さえ込んでキスをする。
お前がぼうっとした目で俺を見た。
「──たくさん、甘やかして」
「いくらでも」
するりと俺の首にお前の両腕が絡み、俺は再び唇を重ねる、
くつくつと煮込まれて、形を崩していくラタトゥイユ。どろどろに煮溶けて鶏肉に絡み始めたその香りが、部屋中に漂っていた。オリーブオイルと、トマトと、バジルの香りだ。
お前をソファに押し倒したら、コンロのタイマーが、ぴぴっと音を立てたのが聞こえた。あと30秒で、火が消える合図。
俺はお前にキスをする。
おいしいご飯、は、後回し。
30秒後、コンロの火が消えたことを表す、ぴーっという音は、無視することに、した。
了
2人のなれそめのお話、雨の日の会話はこちら→「some as you ~another eye~」(https://kakuyomu.jp/works/1177354054884132930/episodes/1177354054884132943)
夏と言えば夏野菜。
夏野菜はおいしいです。
ラタトゥイユは、いっぱい作って冷蔵庫で冷やしておきます。そのまま食べたり、パンに添えたり、パスタにしたり、冷たいまま食べるのがお気に入りです。
パスタソースにするときは、バジルとオリーブオイル、塩を足します。フライパンであっためて、パスタを投入してじゃじゃっと和えるだけで、完成です。
丼にするときは、お塩を振って塩分を足してもいいのですが、ほんのちょびっと、一滴か二滴、しょうゆを垂らして混ぜ、ご飯の上に盛り付け、オリーブオイルを回しかけます。スライスチーズを上に乗せてレンジあっためるのもおいしいです。
そんなわけで、夏になると、大量のズッキーニとナスと玉ねぎ、ピーマン、トマトを買い込み、大きな鍋で作ります。
ズッキーニのてんぷらは、わりとおいしいです。
フリッターの方が一般的かもしれませんが、てんぷらにお塩、またはめんつゆも結構いけると思いました。
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