ノスタルジックエモーション
県の南の方にある某市の名物は、温麺。普通のそうめんと変わらない見掛けだが、一見してすぐに分かる違いはその長さ。10センチほどに裁断されたそれは、そうめんよりもずっと短い。油を加えるそうめんとは違って、こちらは油分を加えないさっぱりとしたもの。ごく普通にゆでてめんつゆなどで食べるのが一般的だが、温かくしても、冷たくしてもおいしい。
県内ならその辺のスーパーでも容易く手に入る。3束がひと袋になって売られていて、これがひと袋100円前後。そんなわけでうちにはいつもいくつかストックを欠かさない。
会社から帰ると、お前がその温麺を食べていた。
いくら料理下手なお前でも、乾麺をゆでるくらいはできるだろう、と俺は思っていた。だから、ソファの上で体育座りをしてそれを食べている姿を目撃したとき、思わず、おい、と突っ込んだ。
お前は、温麺を、ゆでもせず、乾麺のままぽりぽりとかじっていたのである。
「横着するな」
「おやつだから」
「──腹壊すぞ」
「大丈夫」
「塩分も高い」
「──そうなの?」
「乾麺っていうのは、塩分量が多いんだよ。ゆでりゃほとんど抜けるけどな。そのまま食べてたら、身体に悪いぞ」
「スナック菓子みたいで結構おいしいけどな」
まだ食べ始めだったせいか、口を開けた温麺はほんの数本しか食べられていないようだ。俺はお前の手からそれを没収した。お前が名残惜しそうに口をとがらせる。
「お菓子のストック切れたんだもん」
「だからって、乾麺を菓子代わりにするな」
「本当は即席麺かじろうと思ったんだよ。──でも、さすがにあっちはしょっぱいかなって」
と、某有名インスタントラーメンの名前をあげた。お湯を入れてふたをして3分待つ、あれである。俺は呆れて物も言えなかった。それこそ、作って食え。
「すぐ夕飯作ってやるから、待ってろ」
会社で、旅行に行った女子社員が配っていたお菓子をもらっていたことを思い出し、俺は鞄からそれを取り出してお前に渡してやる。北の方の県の温泉名が入った日持ちのしそうなケーキである。俺がスーツを脱いでいる間に、お前がそれを一口で食べてしまう。
「ねえ、どうせなら、温麺食べたい」
「分かった」
俺は鍋に湯を沸かし、温麺をゆでることにした。冬ならば、しょうゆ仕立てやみそ仕立ての汁にそのままぱらぱらと加えてぐつぐつ煮込んで、少しとろみのついたものもおいしい。寒い時期ではない今なら、一度ゆでてから料理した方がさっぱりと食べられる。
ゆで時間は短い。さっとザルに上げて、冷水で引き締めておく。
それから、さて、何を作ろう、と考えた。
メインとしては量が少ないので、サイドメニューにするつもりだ。米はお前が炊いておいてくれたので、冷蔵庫や野菜ボックス、乾物まで覗いてメニューを考えた。
「温麺チャンプルー。温麺サラダ。温麺グラタン」
お前が妙な節をつけて歌うように言った。
温麺グラタン?
マカロニの代わりにするのだろうか、と考えていたら、お前が続ける。
「温麺カレー。温麺シチュー。麻婆温麺~」
なんだ、適当に歌っているだけか、と理解し、無視することにした。
「温麺クッキー。温麺ケーキ。温麺アイス~」
どんどん妙な方向へ向かっていくお前の鼻歌に笑いながら、俺は準備を始める。
温麺サラダ、は悪くない。採用。と、いうことで、ハムときゅうり、レタスは千切りにして温麺を加え、マヨネーズとレモン汁、塩コショウで調味。プチトマトを半割にして盛り付ける。
一品目が出来上がる頃、カウンターの向こうで頬杖を付いていつものようにこちらを見ていたお前が思い出したように言った。
「あれ、食べたいな。おくずかけ」
「ああー、そんなのも、あったな」
多分、地元の郷土料理なのだと思う。ゆでた温麺にとろみのあるしょうゆ味の汁をかけたものだ。
「あれってさ、うちではお盆にしか食べなかったんだけど、俺、昔すごく好きだったんだ」
「そういや、食わないな」
「とろとろした汁がおいしいし、豆麩が大好きで」
「──作るか」
残った温麺はお椀に2~3杯分くらいの量なら充分間に合う。俺は冷凍していたささがきゴボウとニンジン、スライス干しシイタケを小鍋に入れて水を加え、火にかけた。だしの素とめんつゆで調味して、水で戻した豆麩を加える。水溶き片栗粉でしっかりとしたとろみをつけて火を止めておく。
「シンプルだね」
「うちのは、汁が少ないタイプだったんだ」
「うちは結構多いかなー。あんかけうどんみたいな感じ」
「へえ」
俺の家で作るそれは、お椀に少な目に持った温麺の上に、強めにとろみをつけたくずあんをあまりたっぷりかけないものだった。ところ変われば、というか、家庭ごとに定番の作り方は違うらしい。
「汁けが少ない割には、茄子とかササゲ豆も入ってたかな」
「へえ、おいしそう。うちは油揚げとか玉ねぎとかも入ってたよ」
「俺はシンプルな方が好きだったから、自分で作ると具は少な目だな」
「うん、それもおいしそう」
お前がにこりと笑う。
「あとはメインだな──何にするかな」
サイドメニューが出来上がってしまっているので、メインも手のかからないものにした。冷凍してあった豚肉を解凍し、たっぷりの玉ねぎと一緒に炒めて甘めに味付けして、丼にした。とろりと甘しょっぱいたれが絡んだ豚肉の上に卵黄を落として、万能ねぎの小口切りを散らす。
ついでに冷蔵庫に残っていた豆腐の水気をきって、たっぷりのおろししょうがと万能ねぎを散らし、冷ややっこも添えた。
今日は徹底して手抜き料理。
空腹で乾麺をかじっていたお前を待たせることなく出来上がった。
「いただきます」
両手を泡さえ手から、まずはお椀を持ち上げた。
「あ、本当にシンプル。汁っていうか、本当にくずあんだね」
おくずかけを一口食べて、お前が満足そうに笑った。
「うん、おいしい。さっぱりしてて、何だかほっこりする味だね」
「確かに」
お盆の時期になると現れる謎の郷土料理、という感じだったが、こうして作ってみると、なんら特別感のない料理である。身体に良さそうな優しい食感と味は、子供や年寄りにはよさそうだ。
「何か、懐かしいな」
「うん。──小さい頃、夏休みになるとおばあちゃんが作ってくれたりしたよ」
「ああ、うちもだ」
母親の実家は同じ市内。市の端っこの方にある小さな町で、農家をやっていた。小さい頃は、夏休みになると弟と2人で何日間か預けられたものだった。ばあちゃんが作る料理はどれもおいしくて、家でとれた野菜も、ばあちゃんがつけた漬物も、弟と競うように食べていたことを思い出す。
そういえば、母親の作るおくずかけよりも、俺の作るそれは、ばあちゃんが作るものに似ているような気がした。
「──そうか、ノスタルジックな気分なんだな」
「ん?」
お前が丼飯を掻っ込みながらきょとんとする。
「いや、何でもない」
「サラダもおいしいよ」
「ああ」
「豚肉とこの甘くて濃いたれに卵黄がね、また、たまらない」
「そうか」
あまりに幸せそうに食べているので、俺は思わず笑った。短い時間で作った手抜きとも言えそうな料理なのに、これだけ喜んでもらえたら本望である。
「──もう、乾麺かじるなよ」
「おやつのストック切らさなければね」
「──しょうがないな」
俺は溜め息をつく。
「片付け終わったら、少し、散歩でも行くか」
「夜なのに?」
「おやつのストック、ないんだろ?」
「うん」
「スーパーまで、お散歩デート、しよう」
俺の台詞に、お前が驚いたように目を丸める。
「お散歩デート」
言葉のチョイスが意外だったらしく、ぽかんとして俺を見ている。
「たまには夜道を並んで歩くのも、いいだろ」
「──うん」
「行き先がスーパーの菓子売り場ってのが、ちょっと微妙だけどな」
「ええ、最高じゃん」
お前のセンスが分からないよ、俺は。苦笑しながらそう思った。
「どこがだよ。ロマンチックのかけらもないぞ」
「そうかな。──夜道を2人きり、は充分ロマンチックだよね」
「それはな」
「それで、お菓子を買いに行く」
「そこだ」
俺が指摘すると、お前が首を傾げる。
「大好きな人と、大好きなものを買いに行くんだよ」
お前は力説するように言った。
「帰りは、大好きな人と、大好きなものをいっぱい抱えて、夜道を歩くんだよ」
そして、ふわりと笑う。
「それって、最高にロマンチックだよね」
「────」
意表を衝かれた俺は、何だか急に、照れくさくなった。
大好きな人と、大好きなものを買いに行って、大好きな人と、大好きなものをういっぱい抱えて夜道を歩く。
確かに、それは、かなりロマンチックかもしれない。
お前の発想は素晴らしい。
「手をつなげたら、もっと幸せだね」
「──分かった」
俺は箸を持ち上げ、食事を続けた。
食事を終えたら、並んで後片付けをする。それからマンションを出て、腹ごなしとばかりにわざと遠回りしてスーパーへ向かう。いつも利用するそのスーパーの閉店時間は22時。ゆっくりと寄り道しても充分間に合う。
閉店前のスーパーは、きっとがらんとしているだろう。
山ほどお菓子を抱えたお前の姿を想像して、俺は苦笑した。
いつものエコバッグにぎゅうぎゅうにお菓子を詰めて、一緒に帰る。暗い夜道を、ゆっくりと。人気のない帰り道は、きっと、誰にとがめられることなく手をつなぐことができるだろう、と思った。
「おじいちゃんとね」
キッチンに立ったお前がおくずかけのおかわりを入れて戻ってきた。
「夏休み、いつも、夜になると散歩にに行ってたんだ。夕涼みがてら、近所をぶらぶらするだけだったんだけど」
「ああ」
「まだ田んぼがあるような田舎で、カエルの声とか、虫の声とか、いっぱい響いてたんだ」
うちの田舎も同じようなものだ。農家をやっているから、もちろん周りはほとんど田んぼと畑。今でもそのやかましいばかりの鳴き声は思い出せる。
「俺、夜の散歩が好きだった。空はきれいで、星は光って、田舎だから車なんて一台も通らなくて──近所に一軒だけあった、小さな商店で、帰り道、おじいちゃんがアイスを買ってくれるんだ」
どこか、覚えのあるようなその思い出を、俺は黙って聞いていた。
「帰り道、おばあちゃんには内緒だぞ、って言われるんだけど、いつも、アイスの棒を捨てるところがなくて、家まで持って帰って来て、ゴミ箱に捨てようとして必ず見つかっちゃうの」
お前は楽しそうに話していた。多分、それは小学生くらいの話なのだろう。下手したら20年も昔の思い出だ。
「それで、おばあちゃんに怒られる。お腹冷えるでしょ、って」
くすくす笑って、お前が続けた。
「おばあちゃんが作るおくずかけはね、しょうがが入ってたよ。だから、お腹ぽかぽか。夏で暑いのに、さらに暑くなっちゃうの」
「──ああ、それで、アイス」
「そう。多分、寝冷えしてお腹壊したりしないようにって考えて作ってくれてたおくずかけだったのに、おじいちゃんがアイスを買ってくれて──」
「なるほど」
「おばあちゃんに怒られるおじいちゃんの、困ったような顔が、今も忘れられない。──何か、おくずかけ食べたら、そんなことを思い出した」
「いい思い出だな」
「うん、いい思い出」
お前がうなずく。
俺たちは食事を続けた。残っていた温麺は、鍋のくずあんを全部かけて、お前がきれいに食べた。
2人並んで食器を片付け、俺たちは散歩に出かける支度をした。お前が嬉しそうに靴を履き、玄関を出た。俺もそのあとに続き、鍵をかける。
スーパーに着いたら、お前がほしがるだけ、いくらでも、お菓子を買ってやろう。
それから、アイスを一本。
帰り道、それを食べるお前と一緒に歩きたい、と俺は思った。
もう、寝冷えしてお腹を壊すような子供ではない。アイスの一本や二本で壊れるようなやわな腹の持ち主でもないだろう。
アイスを食べるお前と手をつないで──
俺は、そんな姿を想像して、思わず笑ってしまう、振り向いたお前がきょとんとして首を傾げた。
了
その家庭によっていろいろみたいです。おくずかけ。
元々は精進料理だと思うんですけど、場所とか家庭によっては、鶏肉とかも入るみたいです。
私は、母の実家で出るおくずかけ(祖母と、叔母作)の、茄子とかササゲがくったらーんと柔らかく煮えたあれが苦手で、いつも「ゴボウとしいたけと豆麩だけでいいのに」と思ってました。
だから、実際作るとシンプルになります。彩り足りないので、にんじんとか入れますけど。本当はこれもいらないなーと思う。
他にも、伯母の作るものはとにかく薄味で、なんかしっくりこなかったのを覚えてます。母は作らなかったかな。
気になる方は、多分ネットにレシピがあると思うので、探して作ってみてください。
やっぱり、温麺で作るのが、一番いいと思います(^-^)
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