I melt with you
こうやってしゅるしゅるとピーラーでゴボウを長くスライスしているのを、飽きもせずにじーっと見ているお前が、時々、すごく幸せそうに微笑む。
それは今日に限った事ではなくて、要するにキッチンで料理している俺、を見ているときに、時々見られる表情だった。俺はそれに気付かないフリをして料理を続けるが、内心では少し、ほっとする。
お前について俺が知らないことは沢山あるが、それを聞き出そうと思ったことは一度もない。 一緒にいるようになって、会話の端々に過去のことを匂わせることはあっても、それをきちんと話すつもりがないことは分かっていた。
多分、話したくないのだろうな、と思う。
別にお前の過去を根掘り葉掘り聞いて、全部把握しようとは思わない。人間、20年も30年も生きていれば、話したくない過去のひとつやふたつ持っているはずだからだ。
俺は基本的に隠し事を好まない。と、いうよりは、隠し事の出来ない性質である。ごまかそうとしたり、嘘をついたりすれば、どこかにほころびが生じ、簡単に破綻する。そうなるくらいなら、最初からそんなことをしない方が楽、というモットーだからだ。
けれどまあ、そんな俺もさすがに家族や友人に男が好きですなどと大っぴらに吹聴することはできなかった。結局、親にカミングアウトしたのは大学卒業と同時、一人暮らしを始めるときだ。もう帰れないだろうという決意で打ち明けた。
友人にも、もちろん相手を選びながら慎重に。子供の頃からの友人、高校時代の部活の仲間、学生時代の友人。大抵がわりとすんなり、こちらが拍子抜けするくらい簡単に受け入れてくれた。
でも、お前だってことには変わらないしな。
そんな風に、いとも簡単に、何事もなかったかのように言い返された。
と、言うわけで、俺が打ち明けた人間の9割がそれまで通り、1割が距離を置く、というとても偏った結果になった。さすが俺の友人たちである。
けれど、その1割の中に、自分父親が入っていることだけはきちんと受け止めておくべきなのかもしれないが。
まあ、長くなってしまったが、言いたいことはただひとつ。
なあ、お前、俺と一緒にいて、ちゃんと幸せなのか?
お前の過去や、お前に対して、何も聞こうとしない俺を、お前がどう考えているのか、実はすごく不安になるときがある。話したくないなら話さなくていい、そう思っているけれど、もしそれが俺の勘違いなら?
お前はもしかしたら、俺に何もかも聞いてほしいと願っていたとしたら?
恋愛ってさ、面倒くさい。
今までだって散々経験してきたはずなのに、似たようなことでいつもつまずく。
俺が歴代の恋人と別れてきた理由はほとんどそれ。いつも同じ言葉を言い残して、彼らは去って行った。
──俺のことは何も聞いてくれないね。
と。
いつだってすごく優しい、と言われた。隠し事もしない、嘘もつかない、もちろん浮気もしない。いつも付き合ってきた相手に誠実に向き合って、めいっぱい愛してきたつもりだった。
けれど、なぜか、相手はそんな俺の態度に不安になるらしい。
──俺のことなんて、何も知りたくないんじゃない?
知りたくないわけじゃない。
ただ、知らなくてもいいと思っていたことは事実だ。
そして、相手が話してくれるというのなら、いくらでも真剣に聞く覚悟だってできていた。
けれど俺は、いつも同じミスをする。
知りたくないわけじゃない。知ろうとしなかったわけじゃない。ただ、待っていただけだ。
──ゴボウは、50センチほどの長さのひらひらしたリボンみたいになって水を張ったボウルに落ちていく。うっすらとアクに染まった茶色い水の中から引き上げて、水気をよく切る。
殻をむいて茹で、冷凍していた銀杏は解凍して爪楊枝に3つずつ刺していく。銀杏はそのまま素揚げ、ゴボウの方は片栗粉をまぶしてリボン状のそれをくるくるとゆでる前の乾燥タリアテッレみたいにまとめ、から揚げにする。どちらも油をきって塩を振る。
ニラはさっとゆでて5センチ長さに切り、水気を絞る。小さめのボウルに刻んだキムチとニラ、短冊切りにしたイカの刺身を入れて、ごま油と醤油で和える。
砂肝は厚みに十字の切り込みを入れ、塩とかなり強めにブラックペッパーを挽いて、グリルでこんがりと焼く。
もやしはみじん切りにしたにんにく、しょうが、豆板醤、豚挽き肉とともにごま油で炒めて、醤油で調味。
他には何かあったかな、と冷蔵庫を漁っていたら、見慣れないパッケージのチーズがあった。どうやらお前が買ってきて、放っておいたらしいカマンベール。野菜室を探ってニンジンときゅうりを見つけ出し、それをスティック状に切る。お前に見つからないように、こっそりと、カマンベールチーズの箱を捨てた。証拠隠滅。そのカマンベールは缶ブタだけ開けて、トースターで缶入りのまま溶けるまで焼く。オリーブオイルを回しかけ、ブラックペッパーを挽いたら、即席チーズフォンデュである。
もちろん、お前のために肉料理も必要である。ただし、安売りしていた豚ロース肉を塩コショウしてソテー下だけのシンプルな一品。これは食べやすいように切り、焦げ目がつくくらいしっかりとソテーした薄切り玉ねぎとともに盛り付ける。
土曜日、午後まで2人でだらだらと寝て過ごし、かなり遅めのランチを食べた。だから、夕食はつまみ程度にして飲むことにした。その代わり、お前が物足りないと駄々をこねないように、つまみの量は多めだ。
とりあえずビール。このあとはぬるく燗にした日本酒の予定。
テーブルに並んだ料理を、お前は今日も嬉しそうに、楽しそうに眺める。俺が料理している間中ずっとカウンターの向こう側から眺めているくせに、こうしてまだ鑑賞できるらしい。
「いただきます」
俺は缶ビールを開けた。グラスに注いで飲んでいたのは初めだけで、あとは缶から直飲み。
──幸せそう。
と、俺は思ったが、ものを食べているとき、お前は本当に幸せでいっぱいという顔をしている。
それが、俺が作ったものなら尚更。
「ゴボウさくさくだね。ビールと合うね」
ところどころ白く粉が浮いたゴボウをかじるたびに、サクリ、カリリ、と音がした。その音が気に入ってか、お前がわざと少しずつそれをかじる。
俺は砂肝を食べ、ビールを飲む。最高。
「うちの母親も結構料理はうまいと思ってたんだけど──今じゃあんたの料理の方が好きだな、俺」
母親、というキーワードが出てきたのは初めてだった。
付き合い始めのとき、家族構成を聞いたことはあった。両親と姉が1人。それだけ言って、お前はそれ以上語らなかった。性癖のことは両親には秘密なんだ、と聞いたのはそれからだいぶあとのことだった。
一緒に住むことになったとき、姉に報告に行く、とお前が言った。その時初めて、そのお姉さんが8歳も年上だということを知った。結婚して医者をしているのだという。俺の味方なんだ、と笑いながら言っていた。
帰ってきたお前が持ってきたのは手作りらしいチーズケーキで、それは焼き色もまだらに、がたぼことした不格好なものだった。姉の唯一の得意料理だと笑っていたが、出来栄えは最悪。かろうじて火は通っているが、オーブンの温度設定を大幅に間違っているのだということは容易に想像できた。
それなのに、そのケーキは驚くほど美味しかった。
それは、きっと、ケーキについていた1枚のメモ。箱からひらりと俺の足元に落ち、それを見たとき、俺はその理由が分かった。
『弟をよろしく』
まるで走り書きみたいな素っ気ないメモだった。カードですらない。俺はお前に見つからないように、それをしまいこんだ。
口にしたケーキは、やっぱり下手くそで、けれどさっきよりもおいしいと感じた。
きっと、俺には、何百回焼いたってあんなケーキは作れない。
家族の話はそれっきり。
だから、母親も、などと口にしたのには驚いた。
「料理教室通ってたんだよね、うちの母親。カルチャースクール好きでさ。友達いっぱいいて、みんなでお茶したりするのが大好きなの」
「へえ」
「習いに行くのより、終わった後の寄り道が目当てだったのかも」
たいして酒に強くないとはいえ、まさか、たった1本の缶ビールで酔っているわけではないだろう。けれどやけに饒舌だ。
「俺も、姉さんも昔からよく食う子供だったから、母親の中では食事は大量の肉と野菜、みたいなイメージだったみたいで」
どこか楽しそうに、お前が話す。
「でもどっかずれててさ、コロッケとか、4人家族なのに20個揚げたりすんの。それで付け合わせにポテトサラダ作ったりしてさ。どんだけ芋食わすの? って感じ」
お前が笑う。だから俺も笑う。
家族の話をするお前の姿を見るのは、久しぶりだ。一緒に住むと決めたことを報告した、お姉さんのことを話したあの日以来。
スティックにんじんをチーズに突っ込もうとして、お前があれっと首をひねった。
「あー、これ、俺の秘蔵カマンベールだよっ」
「ああ、使った」
「ううー、高かったのに」
カマンベールは俺の好物でもある。それを、俺のテリトリーである冷蔵庫に隠せていると思っているお前が悪い。
俺はお前より先にそのとろけたチーズにきゅうりを突っ込んで、思い切りすくい取った。
「もう遅い」
「いいけど。おいしいから」
ふくれっ面のままにんじんをぽりぽりとかじる。
ビールは2本目。350ml缶なら4本あたりがお前のデッドライン。それ以上飲むと酔っぱらう。
「あんたのお母さんは? やっぱり料理上手?」
少し赤くなった目元で俺を見た。かすかにほほ笑むその顔がかわいい。
「普通、かな。まずくはないけど、すごく上手ってほどじゃない。でも、うちも似たようなもんだよ。俺と弟と2人、運動部でいつも腹すかせてたから、しょうが焼きとかが大皿でどかんと盛り付けられてたり」
「うわ、いいな、大皿山盛りしょうが焼き」
「……そのうち作ってやるよ」
お前が喜びに万歳している。
「お母さんは優しい人?」
「まあ、そうだな。結構おっちょこちょいで、抜けてるところがある人だな」
「弟さんは?」
「うちの弟はいいやつだぞ。俺より当たり柔らかで、二枚目で、すごくモテる」
「へえ」
「人付き合いもいいし、俺のこともちゃんと慕ってるかわいいやつだ」
たまに飲みに行くと、弟は今も昔と同じように、兄ちゃん、と呼びかけてくる。彼女はとっかえひっかえ、でもまあ、うまくやっているようで、今のところは問題もない。
──家のことは心配いらないよ。俺がちゃんと後継ぎ作るからさ。
そんな風に、ふざけたように笑う弟の頭を、撫でる。
──いつか兄ちゃんの恋人にも会せてよ。
そう言って、別れる。ひらひらと手を振りながら、弟が帰っていく。それを見送って、俺は何だかとても、嬉しい気持ちになる。
お前がもやしの入った器を抱え込んで、さらに訊ねてきた。
「お父さんは?」
「うちの親父はただの頑固親父だよ。ごく普通のサラリーマンで、子供の頃から、けんかになると否応なく拳骨一発、みたいな」
「あはは、想像できるかも」
「頭固いから、人の言うことも聞かないし、妥協もしないんだ」
「あんまり似てないね」
「似てるのは顔だけ」
「え、じゃあ、お父さんってかっこいいの?」
お前が身を乗り出したので、俺はその額をぺちん、と叩いてやった。食らいつく場所がおかしいだろう、それ。
「親父に浮気とか、やめろ」
「だって、あんたに似てるんなら、絶対かっこいいよね」
さらりと褒めるのもやめろ。照れる。
「だから、ただの頑固親父だって。融通効かない、クソ親父」
家を出るときも、俺を見送ろうともしなかった。卒業も、就職も、おめでとうの一言もなく。
「だから、まだ、許してもらってない」
何気ない気持ちで、さりげなく言ったつもりだった。けれど、お前がぴたりと笑うのをやめた。
「──ああ、悪い」
俺はその表情に、急いで謝った。お前がふるふると首を振る。
「知りたいんだ、俺」
ごとんと抱え込んでいた器をテーブルに置いた。
「どんなことでも、全部、知りたい」
少し前、お前は確かにそう言っていた。
その日、俺は夕食の前にチーズケーキを作っていた。お前が食べたいというので、久しぶりに作ったベイクドチーズケーキだった。
夕食後、できたばかりのまだ味の馴染んでいないそれを食べながら、お前が言った。
──一緒にいたい。ずっと。
まるで懇願するように。すがるように。そんな目を向けられたら、思いきり心が乱された。
好きだ、と言われた。
俺は、知ってる、と答えた。
お前が俺を見る目は日に日に熱を帯び、いつでもそれは俺を追った。まるで近くにいることを確認するかのように。そして、目が合うと、安心したように、嬉しそうに微笑んだ。
知りたいことがある、と言った。
いっぱいある、と。
どうしてそんな風に辛そうに言うのだろう。そう思った。まるでそう口にしたら俺に拒否されるとでも思っていたのだろうか。
そんなことはあり得ないのに。
お前が知りたいと思うことなら、何でも話してやるつもりだった。
それから、時々、お前が俺のことを訊ねる。大抵は他愛ないことだった。子供の頃の話、学生時代の話、高校時代の部活の話、それから、ちょっとだけ、昔の恋人の話。
俺が話すのを、お前は真剣に聞いている。楽しそうに、心配そうに、辛そうに。そして、それから安心したように笑う。
俺のことを知るたびに、いつも。
お前が3本目のビールを飲み終えた。俺はぐい吞み片手にぬる燗に移行していた。
「俺のことも──」
お前が小さくつぶやいた。
「知りたいって思ってくれてる?」
どこか寂しそうな目をしていた。知りたいとは思わない、と俺が拒絶するかもしれない、とでも思っているのか。
「もちろん」
俺は、素直にうなずいた。
今まで付き合ってきた相手には、一度も口にしなかった言葉だった。
いつか話してくれるだろう、そう思っていたから、俺から口火を切る必要はないと思っていた。
お前は黙ったまま目を伏せた。
「言っただろう、この前」
俺は、できるだけ優しく声をかけた。
「いつか、でいい。お前が話したいと思うまで、いつまでだって待つ」
お前が、そのきれいな顔を気に入っていないのは知っている。友達と呼べるような相手がいないことも知っている。仕事は楽しそうだが、その職場でだってさえ完全に自分をさらけ出しているわけじゃないことも知っている。
けれどそれを問い詰めはしない。お前がそれを望んでいないと知っているから。
だから、待つ。
お前が話したいと思うまで、ずっと。
根気のない俺にしては、なかなかのもんだろ?
「──俺、何もないんだ」
声が震えている。うつむいたその顔がどんな風になっているのか、想像できた。
「何もないんだよ」
その震えは、ゆっくりと身体まで伝わる。小さく揺れる肩が、とても寂しそうだ。だから、俺は、お前の隣に移動して、その肩を抱き寄せた。
「そうか」
「語る過去なんて、何ひとつないんだ」
かろうじてまだ泣いてはいなかったが、アルコールも相まって、その目元はさっきよりもずっと赤く染まり、瞳は潤んでいる。
「俺、何もない人生送ってるんだ。──でもね」
その目が、俺を見つめた。すぐ目の前に、じんわりと濡れる大きな瞳。それは、とてもきれいだと俺は思った。
「あんたに会って、初めて、人生が変わったんだよ」
丸い水滴が、眼の縁をぎりぎりのラインで踏みとどまっている。
「誰かを好きになったのは、初めてだから」
そんなのは、反則だ。
ぷつりと、張りつめていた糸が切れる音がした。
ゆらゆらとお前の目の縁をうろうろしていた水滴が頬に落ちた。俺はその頬を引き寄せ、キスをした。
俺が、お前の人生を変えられるのなら、甘んじてその役を引き受ける。
人を好きになるのは初めてだって?
その相手が、俺なのか?
過去が何ひとつないなんて、あり得ない。きっと、お前はこれまでだって、色んなことを考え、感じてきたんだろう。けれど、それを語るほどのことではないと思っている。
俺だって一緒だ。
お前に会うまでの俺の人生だって、きっと、同じように語るほどのものじゃない。
だって──
俺を見つめるその目が、ふわりと微笑んだ。
「なあ」
俺はその目を見つめながら、問う。
「幸せか?」
料理している俺を見つめて、お前が笑う。幸せそうに。
──本当に、幸せか?
「すごく」
お前がさらに、嬉しそうに言った。
「すごく、幸せ」
俺はお前を抱き締めて、その頬にキスをした。濡れた唇を舐めると、涙はしょっぱかった。
お前の腕が俺の背中に伸びた。
誰も、何も、入り込めないくらいに密着した。ぎゅうっとお互いに力をこめて、離れないように。
このままずっとこうしていたら、いつか2人溶け合って、ひとつになれるだろうか。
俺はそんなことを考えていた。
「愛してる」
そのささやきは自分でも驚くほど甘く、熱を含んでいた。
密着した身体はその熱を全身に巡らせた。酔ったように赤く染まった目元。俺は瞳を覗き込み、もう一度、低くささやく。
「愛してるよ」
お前が甘い吐息とともに、俺の腕の中でゆっくりと、溶けていくのが分かった。
了
「お前」視点の「by my side ~another eye~」(https://kakuyomu.jp/works/1177354054884132930/episodes/1177354054884167033)とリンクしています。よろしければ、合わせお読みください。
ゴボウのから揚げ、おいしいからぜひー。お酒に合いますよ。
砂肝はおいしいですよー。
作中のように食べることが多いのですが、味付けてから揚げにしたり、炒めたり、色々使えます。おいしくてヘルシーで素晴らしいです。
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