give up


 絶対におかしい。

 こいつの胃袋は一体どうなっているんだ。

 俺はホットプレートの前で片手に菜箸、片手にヘラを持って固まっていた。

 テーブルの上にはマヨネーズとかつおぶし、青のり。それともちろん紅ショウガ。

 俺の横には、プラスチックの透明ビニル袋。それがばらばらと散らばっている。その数は全部で12袋。市販の焼きそばは、1人分ずつ小包装されて3つずつがセットで売られている。

 だから、つまり、4セット。12人前。

 どこのキャンプかバーベキューか、と思われるかもしれないが、ここはれっきとした俺たちのマンション。いつも通りのリビングのテーブルの前である。

「この、カリカリになったところがまた、おいしいんだよね」

 お前が、ホットプレートの端っこで、ぺきぺきと音を立てて折れそうなほどに硬くなった焼きそばを箸でつまんだ。

「おいしいけど、何か、物足りないなあ」

 唇の端に青のりをくっつけて、お前が言った。

 俺は菜箸を構えたまま、ふるふると震えた。

 さすがに、12人前は食べすぎだろう?

 そう思ったけれど、目が合った瞬間、にこりと笑ったお前の姿に、毒気を抜かれた。

 俺は大人しく、もう1セットの焼きそばを作らなきゃいけないかもしれない、と溜め息をついた。


 仕事で遅くなった俺は、電車の中からお前にメールを打った。食事を作る時間が取れそうにないから、何か買っていこうか、と訊ねると、簡単でもいいから作って、と返事が返ってきた。

 手抜きでいい、とのことなので、いつものスーパーの前で待ち合わせて、何を作るか考えることにした。

「簡単なものって何かな」

 お前がカゴを持って首を傾げた。

「どのくらいからが、簡単じゃなくなるの?」

「どのくらいからだろうな」

「揚げ物は、面倒だよね」

「時間はかかるな」

「煮物は絶対無理?」

「食うのが夜中になりそうだな」

「ご飯炊いてなかった。今から炊く?」

「早炊きなら」

 そんな会話をしながら歩き、野菜売り場でキャベツが安売りしていたのでカゴに入れた。もやしが15円だと言うので、それも入れた。

「あ、この前の、塩味のナムルみたいなの、食べたい」

 俺は、もやしをもう一袋追加した。多分、この前、何か一品足りないな、と思って作ったアレのことだろう。もやしをレンジで加熱し、水気を切って、千切りにしたきゅうりとともに鶏がらスープの素を混ぜただけの、簡単な和え物だ。

「うどんでも煮るか?」

「あ、今日のまなかい、『男の肉うどん・俺限定特盛肉増し増し増しスペシャル』だったから、違うのがいいな」

 男の肉うどん・俺限定特盛肉増し増し増しスペシャル?

 俺は眉をひそめた。

 お前が務めるカフェは、飯もとてもうまい。だから俺は、週に何度か、ランチを食いに行く。メニューに並ぶのは基本的なカフェ飯で、見た目もおしゃれなものばかりだ。ところが、なかなかに優秀なキッチンスタッフは、毎日のまかないに闘志を燃やしているらしく、それはまさしく「男!」的な料理が多いのだと言う。

 人の何倍も食べるお前を満足させるべく、お前の分のまかないは、他のスタッフよりも量が多いらしい。もちろん、他の人よりも多くまかない代を収めている、とは本人の弁。いくらなんだ、と訊ねたら、みんなが250円払っているところ、お前は300円払っているのだと言う。

 それを聞いたとき、俺はめまいがしそうだった。

 たった50円で、一体、他のスタッフの何倍の量を食っているんだ?

 俺が呆れたような顔をするとお前が慌てて、だっていつの間にかキッチンスタッフが面白がってるんだよ! と言った。

 初めはちょっと大盛り、くらいだったらしいが、お前がもっと食べたいなあという顔をしていることに気付き、余っていたものを足してくれたらしい。それから、ちょっと大盛り、が大盛りに、大盛りが特盛りにと変わっていった。今やキッチンスタッフが一時期流行った「メガ盛り」風にお前のまかないを作り始め、お前がそれをぺろりと平らげていくうちに、通例になってしまったらしい。

 ずいぶんいい職場だな。

 とにかく、今日の肉うどんは、きっと恐ろしいくらいのどでかい丼にうどんが4~5玉──で済めばいいが──突っ込まれ、「増し」が3つもつくくらいの量の肉が乗っていたのだろう。まさしく「俺限定」で「スペシャル」だったに違いない。

 俺は右手を立てて、カフェの方角に向かって、申し訳ない、と頭を下げた。

 大食漢の恋人を持つと、色々と考えることがあるものだ。

「じゃあ、麺類はやめるか」

 簡単に済ますなら麺だな、と思っていた俺は、手にしていた玉うどんを陳列棚に戻した。

「別に、麺でもいいよ。──あ、焼きそば。焼きそば食べたい」

 うどんから一歩分横にずれたところに、中華麺のコーナーがある。3食入りの焼きそばが、98円で売っていた。

「1日、麺の日だな」

「うん、平気」

 お前はぽいぽいぽい、と立て続けに3食入りの焼きそばの袋を3つ、カゴに入れた。そして、首をひねって少し考えてから、さらに2つ、追加する。

「……買いすぎだ」

「余ったら、明日か明後日、おやつにする」

「おやつって」

 人はそれを、食事と言うんだ。

「紅ショウガ、買っていい?」

「ああ」

「実は好きだよね、これ」

 袋に入った紅ショウガをカゴに落としながら、お前が笑う。確かに俺は紅ショウガが好きである。昼飯に牛丼を掻っ込む場合、紅ショウガは山盛りだ。できれば着色料の入っていないピンク色の方をオススメしたいところだが、お前が選んだのは見るも鮮やかな真っ赤に染まった紅ショウガだった。

 ──まあ、紅ショウガ、というくらいだから、赤いのは当然だが。

「キャベツと、もやしと、あとは?」

 丁度、安売りしていた野菜は、焼きそばの具にぴったりだった。俺は短く答える。

「豚肉」

「分かった」

 お前がうなずいて、まるでスキップするように精肉売り場へ向かった。俺はそのあとを、途中、安売りしていた豆腐やサンマの開きを手にしながらついて行く。豚肉は、小間切れと切り落としがあった。どちらでもいい、と言ってやると、お前はグラム表示を見て、100グラム当たりの値段が安い方をカゴに入れた。少しは食費のことも考慮しているらしい。

 ただし、買ったのは500グラム。これを多いと考えるか、少ないと考えるかは微妙なところである。

 エコバッグを抱きかかえるようにして、お前が楽しそうに歩く。俺はその隣を歩きながら、他に何を作ろうか、と考えていた。手抜きでもいいというのなら、今日はとことん手抜きだ。けれどさすがに、焼きそばだけでは味気ない。

 マンションに帰ると、俺が着替えている間にお前がホットプレートを用意していた。俺はキッチンで、ひとまずもやしを洗った。一袋は焼きそば用に、もう一袋は水気を切って耐熱性のガラスボウルに入れ、ラップをしてレンジで加熱。千切りにしたきゅうりと鶏がらスープの素を加え、カウンターにいるお前に押しやった。お前はそれをかき混ぜている間に、鍋に湯を沸かす。

 乾燥したスライスきくらげと干しシイタケを入れ、煮立ったら鶏がらスープの素と、しょうゆ少々で味付け。千切りのネギと、とき卵でかきたまスープの完成。

 キャベツはざく切り、ネギは斜め薄切りにする。

 ホットプレートを熱し、油を多めにひいたら、まず麺をほぐし入れる。レンジで軽く温めておくとほぐしやすくなる。ただし、温めすぎは厳禁。広げるようにしてあまりいじらないように焼き付け、焼き色がついてきたら手早く炒め、一旦取り出す。

 この時点で、使った麺は4セット12人前である。さすがにはみ出しそうだ。

 麺をどけたホットプレートに油を足し、豚肉を炒める。色が変わったら、キャベツ、もやし、ネギを手早く、水っぽくならないようにしっかりと炒める。麺を戻しいれ、少量の酒をふってさらに炒める。あとは付属のソースを散らして混ぜながら炒めれば完成。俺は菜箸とヘラで麺をほぐすように操る。

 俺が焼きそばを炒めている間に、お前が取り皿とマヨネーズ、かつおぶしの入った大きなプラスチックケース、青のりの入った小瓶を用意した。もちろん、紅ショウガも小鉢に移されている。

 もやしの和え物は耐熱ボウルから、きちんと楕円の鉢に移されていた。青磁が鮮やかなそれに、きれいに盛り付けられている。

 スープを並べて、お前が両手を合わせた。

「いただきます」

 俺も、自分の皿に焼きそばを取り分けた。青のりと紅ショウガを乗せて、食べる。

「おいしいね」

 ふわふわのかつおぶしが踊るお前の皿は、焼きそばが山盛りだ。マヨネーズのクリーム色と、青のりのグリーンと、紅ショウガの赤が、バランスよく散っている。

「焼きそばって久しぶりかも」

「ああ、あんまり作らないな」

「たまにはいいねー」

 そういうお前の手はちっとも止まらない。俺は時々、焦げ付かないようにホットプレートの上の麺をかき混ぜる。その隙にもお前が次々に箸を伸ばしてさらっていく。

「麺類って、ついつい食べすぎちゃうよね」

 などと言いながら。

 俺は、あっという間に山のように目の前にそびえていた焼きそばが消えていくのを、半ば呆れたように見ていた。

 確かに、仕事が遅くなってお前を待たせた自覚はある。いつもより夕飯の時間が遅くなったのは悪いと思っている。だから、腹が減っていたのだろう。

 しかし──

「大丈夫か?」

 俺の問いかけの意味が分からなかたらしい。お前がきょとんとして俺を見る。

 ──ああ、知ってるさ。分かってるさ。お前の胃がどっか遠い時空の彼方へつながっているってことくらいはな。

 それにしたって、12人前だぞ?

 俺が食べたのは、ほんの2人前くらいなものだ。だから、つまり、約10人前。確か1人分は150グラムだった。つまり、お前の胃の中には、1,5キロもの麺が詰まっていることになる。

 思わず頭を抱えそうになった。

 もちろん、やきそばの中身は麺だけではない。野菜や肉も入っている。そして、もやしの和え物やスープも、きれいに平らげていく。結局、お前の胃には、何キロ詰まっているんだ?

「うーん、何か物足りない」

 ほとんど残っていない焼きそばの、お前の言うカリカリしたところ、を回収しながら、そんなことを繰り返す。

「……そうか」

 俺は、自分の皿に残っていた焼きそばをもそもそと食べた。

「ねえ、これは市販のソース焼きそばでしょ。あんたなら、色々アレンジしそうだよねえ」

「そうだな……」

 俺は少し、考える。

 男の1人暮らし、手っ取り早く作れるので、昔は焼きそばをよく作った。始めのうちは市販の粉末ソースをまぶすだけだったが、そのうち飽きてきて色々とアレンジしたことはある。

「塩焼きそばとか」

「うん」

「これだと、簡単なのは豚肉と、ニラあたりだな。シンプルでうまい」

「うん」

「ピーマンと牛肉で、青椒肉絲風にして作ったりもしたな」

「それ、食べたい」

「今度な。──それから、エビマヨ風とか、バター醤油でも作ったかな。シーフードも行けるよな。もちろん、五目焼きそばは、たっぷりのあんかけだな。それに、豆板醤とひき肉で作ったりもしたし──」

 お前がスープの器に口をつけたままうんうんとうなずいている。

「そういや、あれだ」

 俺は、唐突に思い出す。

「麻婆焼きそば」

「──麻婆?」

 お前の目がきらんと光る。

「俺の場合は、焼きそば炒めて軽くオイスターソースで味付けして、わざとかりんと焼き付けて、その上に麻婆豆腐をぶっかけるっていう……」

「それ」

 お前が器をばんとテーブルに戻して、言った。

「次、絶対、それ!」

「お、おう」

「それ、すっごく気になってたんだよっ。前にテレビで見たことあってさ、でも近くでやってるお店がなくって──作れるなら言ってよ!」

「ん? ああ、はい、作れます」

 お前の勢いに、なぜか思わず敬語になってしまった。

「絶対ね」

「分かった」

 俺は苦笑する。

 食事を終えて片付けを済ますと、さすがにお前がソファに身体を投げ出して、お腹いっぱいだー、と言った。背もたれにもたれ、両手と両足を伸ばし、首をそらす。

 俺は隣に腰掛けて、まるで油断して腹を見せて伸びる猫のような格好になっているお前の腹に手を伸ばしてみた。

「ひゃ」

 お前が短く叫び、頭を持ち上げた。

「な、何?」

「いや、すごいなあ、と思って」

 お前の胃はパンパンに膨らんでいる。よくぞここまで詰め込んだなと思うくらいに張りつめている。

 俺はお前の胃を撫で、ぺちぺちと軽く叩いてみた。

 今日1日で、うどんと焼きそば、合計2キロ以上の小麦粉が、ここに詰め込まれているというわけだ。

 俺は、お前の服をぺろりとめくってみた。

「わわ、何なの?」

「いや、直接見たら、もっとすごいのかと思って」

 いつもは平たいその腹が、なだらかな丘に変わっていた。俺とは違い、滑らかな肌理の細かい肌が、ぴんと張っている。俺は指でそれを押してみた。

「苦しいから、やめてよ」

 俺の手を振り払おうとしたお前が、そっていた身体を戻そうとした。

「いつものことながら──」

 俺は手のひらで、その胃をさする。

「感心するよ」

「ちょ、離し」

 撫で続けていたら、お前がどんどん赤くなっていく。

「もう、本当に、ちょっと、やめてくれる?」

 無理矢理、めくれた服を下ろすと、お前が俺から目をそらしながら言った。

「さすがに恥ずかしい」

「今更?」

「今更」

 むっとしたように答えて、今度こそ俺の手を引きはがす。

「仕方ないでしょ。おいしいのが悪いんだから」

「市販の焼きそばだぞ。炒めるだけの」

「それでも、あんたが作れば、すごくおいしくなるんだよ!」

 怒っているのか褒めているのか分からないことを言う。

「だから、食べちゃうのは当たり前! 食べすぎちゃうのは、当たり前!」

「──悪いなんて言ってない」

「だからー、触らないでー!」

 俺の手は、再びお前の腹に触れていた。焦るお前がかわいくて、しつこく撫でる。

「だから、本当に、駄目だってば」

 さわさわと触りまくっていたら、どうもむらむらしてきた。俺の手から逃げようとしていたお前の腕を引っ張って、ぎゅうと後ろから抱きしめる。

「あー、何で、もの食ってるお前って、こんなにかわいいんだろうな」

「もう、食べ終わったから!」

「──何で、もの食い終わって満足そうなお前も、こんなにかわいいんだろうな」

 どっちも本音である。

 俺は、おいしそうに飯を食うお前の姿も、満腹で幸せそうなお前の姿も、どちらも愛しい。

 首筋にキスしたら、お前が、ふわあ、と声を上げた。

 食欲が満たされたら、次は性欲。

 俺は耳元で、お前の名前を呼んだ。ささやきかけたその耳がゆっくりと赤く染まる。

「最後まではしない」

「最後、って──わ、わわ、本当に駄目だって。俺、今、死ぬほど苦しい──」

「なら、なおさら、ちょっと、運動」

「──その言い方」

 お前が顔をしかめて俺をにらんだ。

「オヤジくさい」

 俺はほほう、と思う、

 その顔を見て、お前がしまった、という顔をする。

「えーっと……ごめん」

「別に。どうせお前より5つも上のオヤジだしな」

「ごめんってば」

「許してほしいなら──」

 俺はにやりと笑って、その方法を、告げた。

 お前が諦めたように溜め息をつき、降参ですとでもいうように、両手を上げた。


 了



 焼きそばは、3食入りのも買いますが、バラになってるのをよく買います。

 それこそ、あんかけ(五目か、シーフード。シーフードは、オイスターソースかなり多めで作るとおいしいです)、麻婆(仙台だけにしかないって本当ですか? 私は麺に味付けしますけど、実際はどうなんだろ)はかなり好評。

 私自身はシンプルな方が好きなので、小説の中に出てきた、豚肉とニラの塩焼きそばや、牛肉とオイスターソースで作るような、具の少ない焼きそばが好きです。

 キムチとかもいいですねー。

 チリソースもおいしかったので、お試しあれ。かなり辛い方がいけます。

 ちょっと甘くして、目玉焼きのっけて食べるのもいいですね。半熟でね!


 作中で、「あんまり焼きそば作らない」とか書いてますけど、ちょっと前にUPした「オコノミヤキフリーダム」で、しっかり食べてました。すみません。

 チーズも、おいしいよ~。

 私もカリカリ、好きなんです。

 紅ショウガはマストで!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る