第2話「鋼鉄箱の心」

いじめに負けたくない一心で傷ついた心を「鋼鉄の箱」に詰めて隙間もしっかり埋めて、出来上がった新たな私という存在。「人を見たら 敵と思え!!」

当然、嫌なヤツでした…


初対面の人に会った時のパターンは、大体こんな感じでした。

①無表情になる。

②無口になる。

③話しかけられても、そっけない返答しかしない。


大事な初対面でこれですから、結果は目に見えている……

友達ができない。人間関係も悪い。

けれど、その原因が自分にあるとはまったく思っていない。


この頃、毎日私の心にあったものは

「私という人格を分からないお前らが悪い」

「私はお前らと違う特別な人間だから、お前らごときが理解できるわけがない」

「お前らが馬鹿なんだ」


今こう書き連ねると本当に当時の自分が「何様なんだ?」と思います。

恥ずかしい。

しかし、逆にこれは病の「種」であったのはないかと思います。


でも、この「種」はみんなが持っているものだと今は思います。

違いは、芽吹くか芽吹かないか。

そして、芽吹いた場合、どんな「苗床」で芽吹いたかだと思います。


私の場合は「鋼鉄の箱の上」に立派に芽吹いてしまったので、それは鋭い刃になりました。


「人を見たら 敵と思え!!」


こうして、バイト先でも先輩にたてつき、接客も悪いと注意され、バイト仲間を助ける事もせず「私が私の好きなようにやっているんだから、いいでしょ?

誰にも迷惑かけてない!!」


そんなスタンスで一秒、一分、一時間、一日、一年を何回も積みかさねて来ました。そして、今思えばこれが大きな矛盾点であり、私が病になる原点だと思うのですが……


他人に攻撃的な感情を持つわりに、他人が私をどう思っているかはすごく気になる

という感情も常に持っていたのです。

簡単に一例を申し上げますと・・・


「それ、一口ちょうだい」

その言葉に何度も歓喜したことを覚えています。

「この人は私のものを口にしても平気なんだ…」


「この人は(  )私のものを口にしても平気なんだ」

今は(   )のなかに(こんな)を入れます。

あの頃も(こんな)という言葉はあったのだと思いますが


「他人を攻撃する鋼鉄の箱(表の心)」

「他人の事が気になりすぎる心(中の心)」


その頃の私を支配していた心は「鋼鉄の箱の心」なので、きっちり閉じたはずの鋼鉄の箱の隙間からにじみ出てくるモノがわからなかった。

あの頃の私はそのアンバランスさにさえ気づかず生きてきました。


その小さなひずみ抱えたまま、歳を重ねてしまった。

なので、地震の様につい最近パンッとはじけたのだと思います。


何かいつもの感情と違うものが出ているときはありませんか?

まったく正反対のものが出ているときはありませんか?



◆読んでくださってありがとうございます◆

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