七、逆転の一手
教室でノートとにらめっこしているわたしが気になったのか、雨森さんが声をかけてきました。
「なにやってるの、朝井さん」
「今日中に企画書を完成させないといけないんです」
「なんで残業してるサラリーマンみたいなことを言ってるの? って、よく見たらすごいクマができてるよ朝井さん! だいじょうぶ?」
「一時間しか寝てませんけど、まあなんとか」
「えええ……」
雨森さんが心配そうです。実際疲れていますが、ここでふんばらないといけません。
昨日は遅くなったので、お兄さんに家まで送ってもらうことになりました。
お母さんは「いのりちゃんが男の子を家に連れてきた! しかも年上の!」とびっくり、お兄さんがとても礼儀正しかったものだから二度びっくり、十六歳のプロ棋士と知って三度びっくり……といろいろあったのですが、その話は置いといて。
昨晩は寝る時間をけずって、逆転の一手を考えに考え抜きました。味方になってくれる人はだれか、どんな攻め方をすれば良いのか……。
おかげでどうにかこうにかアイデアは浮かんだわけですが、実行に移すのがまあ大変。今日と明日で根回しを完了させたいところです。そのためにも、昼休みに考えをノートにまとめようとしていたのでした。
と、そんなときに斎藤くんがわたしの席へ近づいてきました。
「朝井、ちょっといいか」
「なんです?」
斎藤くんから声をかけてくるなんてめずらしい。この一か月、浅倉さんをめぐって微妙な関係が続いていることもあって、まともに話していません。別にけんかしているわけではないんですけど。
「実はさっき浅倉が……わ、なんだそのクマ!」
「ちょっと夜ふかししちゃっただけですから、気にしないでください。浅倉さんが?」
「これから昼休みはもう将棋をする気がないから、毎日サッカーしようって言っててさ。ここ一か月はだいたい日替わりで将棋とサッカーやってたじゃん。朝井はいいのか?」
斎藤くんの顔はなんだか申し訳なさそうでした。そうか、浅倉さんがそんなことを……。
「浅倉さんをわたしと取り合ってるわけだから、斎藤くんとしてはうれしいんじゃないですか?」
「おれとしては、そうなんだけどさ。けど、そう言う浅倉が元気なかったからさ。本当にいいのかなって思って」
「あれ? わたしと浅倉さんがけんかしたかもって、心配してくれてます?」
「……まあ、一応」
斎藤くんはぶすっとして言いました。彼も悪い人じゃないんですよね。
「安心してください。けんかしたわけじゃないですから。浅倉さん、どこにいます? ちょっと浅倉さんと斎藤くんに話したいことがあるんですけど」
「入口のところにいるよ」
斎藤くんがそう言って指差した通り、教室のドアの前ではズボンをはいた浅倉さんが心配そうにこちらを見ています。
が、わたしと目が合うと、あわてて体を一八〇度回転させて向こうを向いてしまいました。なんだかかわいいぞ。
わたしは席を立って、浅倉さんに近づいていきました。斎藤くんもついてきます。
「浅倉さん」
浅倉さんはわたしに声をかけられてビクッとした後、おそるおそるこちらを向きました。
「朝井さん、その、昨日は……」
うわあ、すごい気まずそう。わたしは笑って、
「いいんですいいんです、気にしないで。どうせわたしも、今日と明日の昼休みは将棋指すひまがないですから。サッカーしててくださいよ」
そう。今日と明日は、です。
「その代わりに、明日の放課後にこの一組の教室へ来てくれませんか? それで、一時間くらいお話させてほしいんです。浅倉さんも、斎藤くんも」
浅倉さんと斎藤くんが顔を見合わせました。やがて斎藤くんがふしぎそうに、
「おれはかまわないけどさ、話ってなんだよ」
「それはまだ言えませんよ。ただ、その場に集まるのはわたしたち三人だけじゃありませんからね。一組の担任の赤尾先生と、浅倉さんのいる二組の担任の
「う、うん……」
さっぱりわたしの考えが読めないからか、困った顔で浅倉さんがうなずきました。
「みなさんおそろいですね。おいそがしいところお集まりいただき、ありがとうございます」
黒板の前に立ったわたしは、席に座るメンバーに向かって司会者気分で言いました。
翌日の放課後、予定通り一組の教室に浅倉さん、斎藤くん、赤尾先生、そして二組の担任である魚住
「なんで先生が子ども用の椅子に座らなきゃならないの……」
座りにくそうにしながら魚住先生が不満げに言いましたが、
「まあまあ、おとなしく聞こう。自主性を尊重しようじゃないの」
となりの席の赤尾先生になだめられています。
赤尾先生から聞きましたが、二人は一乗学園がまだ女子校だった時代の同級生だそうです。わたしの一〇ン年先輩ということになりますね。
これからわたしがやろうとしていることを知っているのは、赤尾先生だけ。ちょっと緊張しますが、だいじょうぶ。いざとなったら赤尾先生が助けてくれる。
そう自分に言い聞かせながら、わたしは口を開きました。
「それでは今から、再来週の土曜日にある一組と二組の合同ホームルームで行う企画を提案させてもらいます。プレゼンってやつですね」
「プレゼン?」
「……おくりもの?」
浅倉さんと斎藤くんが言葉の意味がわからなかったようなので、
「それはプレゼント。『プレゼン』っていうのはプレゼンテーションの略で、企画や提案を聞き手に対して説明することね」
魚住先生が、二人に解説してくれました。
一乗学園では、毎月最終土曜日に同じ学年のふたつのクラスで合同ホームルームを行うことになっています。そして今度の合同ホームルームでは、わたしたちの六年一組と浅倉さんの二組がセットなんです。
何をやるかはけっこう自由で、先生が決めてしまうこともあれば、クラスの中から出た意見を取り入れることもあります。
わたしが考えたのは、この合同ホームルームを利用できないか、ということでした。
ヒントになったのは、鳥居宗和先生の本にちらっと書いてあった『不利なときは戦線拡大』という将棋の格言です。簡単に言えば『こちらが優勢なときはそのまま単純に攻めたほうがいいけど、不利なときは戦いの場所を増やしたほうがいいよ』という意味。
つまり、わたしを取り巻く状況が不利なら、わたしだけの問題ではなくしてしまえばいい。みんなを巻きこんでしまおう、という発想です。
だからって、巻きこんで時間を取らせるだけでは悪いですから、どうせなら楽しく巻きこまないと、ね。
「先生方だけでなく浅倉さんと斎藤くんにも来てもらったのは、わたしの考えた企画に協力してもらいたいからです。まずはわたしの話を聞いてください」
「うん」
浅倉さんの返事を確認して、わたしは準備していたスケッチブックを取り出しました。
「わたしが考えた企画というのはこれです。ドスン!」
そう言いながら、表紙をめくりました。マジックで大きく書いた文字を読み上げます。
「『将棋&PK戦』!」
これが、『お母さんを説得して将棋の道場に通う』『浅倉さんにやる気を取り戻し、また将棋を教えてもらう』どっちも実現するためにわたしが考えた一手です。
「チェスボクシングといって、チェスとボクシングを交互に行う競技があるそうです。チェスとボクシングのどちらかで決着がつけばそこで終わり、というルールなんですよ。その将棋とサッカー版ですね。サッカーは集団競技ですが、PK戦なら一対一でできますから」
PK戦は5回ずつキックする形式です。そして将棋は平均するとだいたい一二〇手で決着すると言われています。
ということは、例えばお互いが一回ずつPKを蹴ったら、次に将棋を二〇から三〇手指すということを交互に行うルールならば、競技として成立するはずです。
わたしが考えたルールを説明するのを聞いて、浅倉さんと斎藤くん、魚住先生はとまどっているようでした。その様子を見て、赤尾先生はニヤニヤ笑っています。楽しんでますねえ。
「ええと、朝井さん。合同ホームルームでこの企画をやるにしても、クラス全員が参加できるわけじゃないよね」
最初に疑問を口にしたのは、魚住先生でした。
「一対一でやるわけだよね。他の子は見るだけという形になるのかな」
「そういうことになりますね」
「うーん。悪いんだけど、それだと見てる方は退屈しないかな? この学校は元女子校だけあって、女子のほうが多いじゃない。PK戦は見ればなんとなくわかるけど、将棋ってそもそもルールがわかる子が少ないと思うの。先生だって全然わからないし」
申し訳なさそうに魚住先生が言いました。しかし、想定の範囲内です。
「確かに、そう思います。わたし自身、ついこの間まで将棋に興味ありませんでしたから。そこで、もしこの企画が正式に決まったら、将棋について初心者向けにやさしく解説してくれるゲストが来てくれることになっています。ちゃんと約束をとりつけましたから」
「解説してくれるゲスト? 誰?」
きょとんとしている魚住先生に向かって、わたしは答えました。
「プロ棋士の浅倉要四段です」
「お兄ちゃんがっ?」
浅倉さんがおどろいて声をあげました、
「はい。プロなのに無料で協力してくれるそうですよ。かわいい妹のためだからって」
わたしがそう言うと、浅倉さんはため息をつきました。
お兄さんは無料でいいと言ってくれましたが、もし本当にこの企画が実現したら、お父さんにもお願いして『三つ盛屋』のサービス券くらいはお礼に渡そうと思っているんですけどね。
「そうか、浅倉さんのお兄さんはプロ棋士だったよね。うーん、プロの人が解説までしてくれるんだったら、せっかくの機会だしやらないともったいない気もしてきたわ」
魚住先生は悩み始めました。と、今度は斎藤くんが質問してきました。
「なあ、これやるんなら一対一って言ったよな。誰がやるんだよ。ひょっとして……」
「斎藤くん、お願いします。この場に呼んでいるということは、そういうことですよ」
「まあ、そんな気はしてたけどさ。それで? 相手は?」
「もちろん、わたしですよ。言いだしっぺですから」
「朝井がぁ?」
斎藤くんがすっとんきょうな声を出しました。女子と対決するということがピンと来ていないようです。
でも、わたしにとっては……。
「わたしと斎藤くんが戦うのは、わたしにとって必要なことです。魚住先生も、浅倉さんが昼休みに一組に来て、わたしと将棋したり斎藤くんとサッカーしたりしていることはご存知ですか」
「え、ええ」
「浅倉さんは、初心者のわたしにていねいに将棋を教えてくれました。おかげでわたしはそれなりに強くなりましたし、これからももっと強くなりたいと思っています。だけど、浅倉さんはもう将棋を指すのをやめようと思っているそうです」
わたしの言葉を聞いて、浅倉さんが目をそらしました。魚住先生はおどろいたようです。
「浅倉さん、本当なの? どうして? いろんな大会で優勝したり、強いんでしょう?」
「浅倉さんにもいろいろ事情はあるんですよ」
わたしは魚住先生を止めると、
「でも、わたしは浅倉さんに将棋をやめてほしくありません。だから、もう少しだけ決めるのを待ってくれませんか、浅倉さん。わたしは斎藤くんにこの将棋&PK戦で勝負を挑みます」
浅倉さんに勝負を挑むことを最初は考えました。ですが将棋では浅倉さんにとてもかないませんし、なにより浅倉さん自身が指したくないと言っています。
他の競技でもスポーツ万能な浅倉さんに運動音痴のわたしが勝てるものはありません。ハンデをつければ勝てるかもしれませんが、それで勝ってもハンデのおかげ。すっきりしません。
だったら、相手が浅倉さんでなく斎藤くんならどうか。サッカーでは絶対に勝てません。一方、将棋だと逆にわたしが勝つのが確実。どちらも結果が見えていて、やるだけむだです。
それならば、将棋とサッカー両方で戦えばいいのではないか、と考えたんです。
「浅倉さんは斎藤くんに将棋を教えたりして、協力してくれてかまいません。それでわたしが負けたら、浅倉さんの好きにしてくれればいいです。でもわたしが勝ったら、将棋やめないでください。せめて、もう一度よく考えてください。わたしは、もっと浅倉さんと指したい」
わたしがまっすぐ浅倉さんを見ると、彼女は下を向き、考え始めました。将棋で次の手を考えているときのように。やがて、
「……斎藤はどう思う?」
冷静な声で言いました。
「おれはかまわないよ。将棋も駒の動き方くらいは知ってるし、めちゃくちゃなルールだけど面白そうじゃん。それに、挑まれた勝負から逃げるのはいやだからな」
斎藤くんの返事を聞くと、浅倉さんは「そうか、そうだよね」と言って顔を上げ、
「いいよ、やろう。わたしは斎藤に全面的に協力するけど、いいよね」
「もちろん。……ありがとうございます」
わたしはホッとしました。ですが、最後の関門が残っています。
浅倉さんがいる二組との合同ホームルームである以上、魚住先生の許可も得る必要があるからです。赤尾先生に相談したときは「たぶんだいじょうぶだよ」と言ってくれていましたが……。
「あのう、魚住先生。どうでしょうか。浅倉さんたちはかまわないと言ってくれたんですが」
そうたずねて魚住先生を見たわたしは、ぎょっとしました。
魚住先生が「うふふふふ」と笑っていたからです。
「すばらしい! すばらしい提案よ、朝井さん!」
魚住先生はそう言って立ち上がりました。
「ひっ」
「まるでお姫様をかけて騎士が決闘するみたいじゃない! この場合棋士だけど! すてき!」
「はあ」
めっちゃテンション上がっとる……。
「あのう、お姫様って……あたしですか」
担任の先生の豹変にびっくりしながら浅倉さんが言うと、
「そうよ! 浅倉さんってばそんなにかわいいのに男子みたいな格好ばかりしてるから、もったいないなって先生思ってたの! いい機会だわ、当日はプリンセスになりましょう浅倉さん! 中等部の演劇部だったら背の高い浅倉さんに合うサイズの衣装があるはずよ! 当日借りられるよう、話をつけてくるわ! 浅倉さん、いっしょに行きましょう。さあ!」
「え、ええええっ?」
混乱している浅倉さんの手を取ると、魚住先生は彼女を引っ張って教室からものすごい勢いで出て行きました。
わたしと斎藤くんは開いた口がふさがりません。赤尾先生は笑って、
「景子、昔からこういうの好きなんだよ。お姫様とか王子様とか、騎士とか決闘とかさ」
「はあ……」
「とにかく、がんばりたまえよ、きみたち。二週間後まで斎藤くんは浅倉さんに将棋を習えばいい。逆に朝井さんはサッカーあまりできないだろうから、先生が教えてあげよう」
「先生、サッカーできるんですか」
「問題ないよ、地元のチームの試合をよくスタジアムまで見に行ってるから」
「蹴る側じゃなくて見る側じゃないですか!」
「冗談だよ、それだけじゃないって。これでも学生時代は女子サッカー部に入ってたから」
「そ、そうなんですか……。よろしくおねがいします」
せめてまともにゴールの枠内にシュートが蹴れるようになっておかないと、格好がつきません。
この勝負は、わたしが本気で将棋を習わせてもらいたいというアピールのために、お母さんにも見に来てもらうつもりです。結果はどうあれ、努力の跡は見せる必要があります。
「やるからには負けないからな、朝井」
「もちろん。お互いが勝つためにベストを尽くさないと、面白くないですから」
斎藤くんに向かって、わたしはそう言ってやりました。
こうして、二週間後の『将棋&PK戦』に向けてわたしは動き始めました。やらないといけないことは山積みです。
だけど、やる。やりたいことをやるために、やるべきことをやる!
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