三、スカートとサッカーボール

「そしてそのとき買った将棋盤が、こちらになります!」

 翌日の昼休み。教室でわたしがかばんから将棋盤を取り出すと、それを見た雨森さんが、

「持ってきてるの! へえ、ずいぶん小さいんだね」

「五〇〇円で買ったマグネット式のものですからね。小さい分、持ち運びに便利でいいですよ」

 それ以外にも小さい将棋盤が便利なのは、家での隠し場所に困らないことですね。なんせバレエをサボったわけですから、お母さんに見つかるわけにはいかないのです……。

「しかし、朝井さんが将棋にハマるのはいいんだけどさ。学級委員のあたしとしては、一応そういうものを学校に持ちこんでいいのか先生に確認しないといけないのかな。個人的には全然問題ないと思うんだけど」

 雨森さんが少し困った顔になりました。学級委員も大変です。ですが、心配ご無用。

「ふっふっふ。実は今朝、すでに赤尾あかお先生の許可をもらってきたんです」

「あら、行動が早いね朝井さん。こっちとしても助かるわ」

 雨森さんが感心してくれました。

 六年一組の担任である赤尾清海きよみ先生は、さっぱりした性格の女性です。たぶん二〇代後半くらいの年齢で、頼れるお姉さんという雰囲気。

 わたしがお願いしても「へえ、朝井さんが将棋。意外だね。うん、いいよいいよ」と、あっさり許可してくれました。これで合法的に学校で将棋ができるというものです。

 本当なら、将棋を指す場所はいろいろ考えられます。

 まずは家ですが、わたしの場合、バレエをサボってしまった関係で両親に将棋のことをないしょにしていますから、ちょっとやりづらい。家のパソコンを使ってインターネットで将棋をすることもできるのですが、かんじんのパソコンが家族共用のものしかないので、見つかる危険を考えるとこれも無理。

 そして最近はスマートフォン用のアプリで将棋もできると浅倉さんから教えてもらったんですけど、これもだめ。わたしが買ってもらっている携帯電話は、ほぼ電話機能だけのシンプルなものだからです。スマートフォンは中学に入ってから、と両親と約束しています。

 さらに将棋のゲームソフトもあるのですが、ゲーム機自体を持っていませんから、これもアウト。

 もっと言えば、将棋の道場に通って本格的に習うのが一番いいのでしょうけど……両親にないしょにしている以上、もちろん不可能です。もっとも、ルールを知ったばかりで道場に通うというのも気が早い気がするんですけどね。

 そんなわけで、今のわたしが将棋を指せる場所は学校くらいしかないのでした。あとは、浅倉さんから借りた詰将棋の本を家でこっそり読むくらいでしょうか。

「ん? でも学校で将棋って、だれと……。ああ、言うまでもないか」

 雨森さんがそう言うと同時に、教室のドアが勢いよく開きました。

「朝井さん、いるー?」

 浅倉さんの登場に、教室の注目が集まりました。有名人である浅倉さんがとなりのクラスからやってきたことに加えて、その服装も理由でしょう。

 先週まではいていたズボンではなく、学校指定のスカートをはいていたからです。

 ……浅倉さんスカートも似合う! かわいい!


 わたしと浅倉さんは向かい合い、机に置いたマグネット将棋盤の上にお互いの駒を並べました。やっぱり、一〇枚落ちです。まずはこの一〇枚落ちを卒業するところが目標です! 

 周りでは、雨森さんをはじめとした見物人が遠巻きにわたしたちを見ています。となりのクラスの有名人と転入生のわたしが教室で将棋を指すという状況は、気になるんでしょうね。

 周囲の視線を感じつつ駒を並べ終えたわたしたちは、お互いに「お願いします」と礼。それから指し始めようとしましたが、予想外のじゃまが入ってきました。

「浅倉、今日はサッカーやらないのか?」

 突然わたしたちに男子が声をかけてきたのです。誰かと思えば斎藤くんでした。Jリーグのジュニアに所属しているという子です。なんか女子に人気があるそうですよ。どうでもいいですが。

 そういえば、昼休みに浅倉さんとサッカーをしていると雨森さんが言っていましたね。

「うん、朝井さんと将棋を指そうと思って。悪いね」

 盤から顔を上げて、浅倉さんが斎藤くんに言いました。

「ふうん……。あれ、スカートなのか、めずらしいな」

「なんだよ、斎藤。あたしがスカートはいてちゃ悪いの?」

「いや、悪くない、悪くない! 全然悪くない!」

 浅倉さんが少しムッとしたので、斎藤くんがあせったようです。

 わたしは斎藤くんとはろくに話したこともありませんし、だまって様子を見ていました。ああ、早く指したい。

「今日はわかったけどさ、明日からどうするんだよ、昼休み。まさか、ずっと将棋するからサッカーやめるって言わないよな」

 わたしを一瞬見てからの斎藤くんの言葉に、ちょっとイラッとしました。サッカー続けるのが当然で、将棋なんてやめろ、というニュアンスが含まれているように聞こえたからです。

「そう言われると、あまり考えてなかったな。どうしよう」

 浅倉さんが腕を組んで考え始めました。

「頼むよ。浅倉以外おれとまともにやりあえるやつがいないから、つまらないんだよ。サッカーやっても!」

「それを言ったら、わたしだって浅倉さん以外に将棋を教えてくれる人なんていませんよ」

 お互いそう言ってから、わたしと斎藤くんはにらみ合いました。

わたし自身、怒っているというほどではないですが、この雰囲気のままだとあぶないかもしれません。

「ちょっとちょっと、けんかはやめてよ」

「浅倉自身はどうなんだよ。どうしたいんだ、これから」

 あわてて止めに入った浅倉さんに対し、斎藤くんが視線を向けて問いかけました。

「えっ。あたしは……どうしよう。今聞かれても、明日の気分は自分でもわからないっていうか……」

 浅倉さんがつぶやきました。二人の心をもてあそぶ罪な女ですね! ……と、突然、

「おーい、どうしたの、この騒ぎは」

 という、よく通る声が聞こえてきました。担任の赤尾先生が教室にやってきたのです。


 学級委員の雨森さんから正確な報告を受けると、赤尾先生は言いました。

「なるほど、動機は三角関係のもつれか」

「殺人事件みたいに言わないでください!」

 ついつっこんでしまうわたしです。でも、三角関係と言われればそうかも。

「まあ、けんかにまで発展しなくて良かった。結局は浅倉さんの気持ちしだいなんじゃないの。浅倉さんは朝井さんのものでも、斎藤くんのものでもないんだからね。決めるのは浅倉さんだよ。二人とも、浅倉さんが決めたことには文句を言っちゃいけないよ」

 赤尾先生がやさしく言うので、わたしも斎藤くんも「はい」とうなずくしかありませんでした。しかし浅倉さんは、

「はい。でも、わたしにもわたしの気持ちがよくわからないっていうか……」

 まだ自分の考えがまとまらないようでした。赤尾先生は笑って、

「だったら、いいじゃない。決めなくても」

 ……は? わたしは抗議しました。

「せ、先生。さっき、決めるのは浅倉さんって言ったじゃないですか!」

「だから、これから先のことを今すべて決めてしまわなくてもいいんだよ。浅倉さんがその日の気分でサッカーするか将棋するか決めたらいいじゃない」

 赤尾先生の言葉に浅倉さんがぽん、と手を打ちました。


 それ以来、浅倉さんが毎日昼休みに六年一組の教室にやってきたときの格好で、わたしたちは浅倉さんが何をやりたいのか判断することになりました。

 スカートをはいていたら将棋、ズボンならサッカー。スカートのときは教室で浅倉さんから将棋の指導を受け、ズボンのときは浅倉さんが斎藤くんたち男子と校庭へ行っちゃうので雨森さんたちとおしゃべりする、というのがわたしの昼休みの過ごし方です。

 どちらか一方ばかりだとわたしと斎藤くんがけんかになったかもしれませんが、浅倉さんはほとんど一日置きにスカートとズボンをチェンジしてきました。浅倉さんなりに気をつかってくれているのかもしれませんね。

 ただ、それでもわたしと斎藤くんの間はなんとなく気まずくなって、彼とはほとんど会話していません。まあ、仕方がないかな……。

 

そんな毎日が、一か月ほど続きました。

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