『けものフレンズ』は映像業界の先駆者になるかもしれない ~監督降板の是非についての考察~

冬野氷空

『けものフレンズ』監督降板の是非に関する考察

 まず初めに、どうしても言っておかなければならないことがある。

 今回『けものフレンズ』ひいてはその監督のことを語っていくわけだが、まあまあ、結構ぶっちゃけたことを言うだろう、ということだ。

 読者諸君の中には私に対して殺意、ないしはそれに準ずる感情を抱くかもしれないが、何とか堪えてもらいたい。本当お願いします。批判しても良いけどほどほどにね!




 さて、みっともない保身はこのくらいにして、本題に入りたいと思う。

 今回考察していくテーマは『けものフレンズ監督降板の是非について』である。


『けものフレンズ』って何? 監督降板ってどういうこと?

 という疑問は、各々検索するなりして調べてもらいたい。初見の読者に厳しくて申し訳ないが、その辺りのことは他の方々がまとめてくださっていると思うので、割愛させていただく。

 しかし、前提として知っていてもらいたいことは、『けものフレンズ』というアニメ作品は、二期制作にあたって前期の監督が、KADOKAWA上層部のお達しによって降板させられた、ということだ。


 で、今回書いていきたいのは、この上層部の判断が正しいのか、間違っているのか、ということだ。


 結論から言わせてもらえば、経営者としては正しいが、創作を支える人間としては間違っている、である。

 ここでは経営者として正しいとはどういうことか、創作を支える人間として間違っている

とはどういうことか、の二つに分けて述べていく。




①経営者としての判断


 これは正しいと言えよう。

 と、言うのも、それは『けものフレンズ』という作品がなぜ人気が出たのかという点に着目すれば簡単なことなのだ。


(この辺りから叩かれるかもしれないが……)

 正直な感想を述べると、『けものフレンズ』という作品のクオリティはかなり低い。脚本、演出が及第点ではあるものの、他の点では赤点ものである。

 “癒し”という点も“SF”という点も、これまでの他のアニメ作品でさんざんやり尽されてきた内容ではないか。

 おそらく五年後、十年後の未来で『けものフレンズ』の作品としての価値を語る者は少なく、そのブームという現象だけが語り継がれているだろう。


 では、そんな作品がなぜ人気が出たのか。

 それはズバリ、「縁日の焼きそば理論」である。

 縁日で売られているものなら焼きそばでなくても食べ物なら何でも良いが、冷静に考えると大抵のものは美味しくない。なぜそんな美味しくもないものを買うのかというと、縁日の雰囲気がそうさせているのだ。

 これは『けものフレンズ』も同じで、Twitterやニコニコ動画などで、視聴者が感動や考察を共有できたからこそ、あれだけの人気が出たのである。


で、話しを本題に戻すが、今回の騒動に関して、経営者としての上層部の判断は正しいと言えよう。

なぜなら先程述べたように、『けものフレンズ』は作品としてではなく、そのブームという現象そのものに価値があったからだ。そしてそのような現象は、少なくとも今の日本で狙って起こすことは不可能である。そう考えると、作品としてのクオリティをさらに上げる新たな監督を起用するため(少々現実味はないが)、あるいは話題作りのために、前監督を降板させるという判断は、正解だと言えよう。




②作り手としての判断


 ここに着目すると、今回の上層部の判断は間違いである。

 先程述べた『けものフレンズ』の長所と重なる部分もあるが、端的に言うと映像業界そのものの未来に繋がっていくことだからだ。


 昨今、テレビ離れが進み、では何を視ているのかと言うと、視聴者の多くはYouTubeやニコニコ動画を見ているのが現状であるし、その傾向は今後より一層強くなっていくだろう。

 そう考えると、次世代のアニメ(あるいは映画などの創作物も含めるか)は、作り手から一方的に贈られるものではなく、視聴者と共に創っていくものになる可能性が高い。

 となると、『けものフレンズ』のブームというのは、この前身とも言える現象なのではないだろうか。

 そう考えると、今回の監督降板という判断は、創作に携わる者としてはやはり間違いなのではないだろうか。

(テレビが廃れるというのを危惧しての行動なら尚さら質が悪いかもしれない)




 まとめ

 それでは、上層部は今後どのような措置を取るべきなのか。


一、前監督を復帰させる


二、完全に一期を超えるクオリティの二期を制作する



 一は現実的。むしろ話題作りとしての自演を疑うレベルで上手くいく、つまり騒動がない(という仮定)より成功するかもしれない。


 二はかなり難しいが、不可能でもない。前監督降板が自演でないとするなら、KADOKAWAが胸を張れる展開はこれくらいしかないのではないだろうか。




 以上が私の考察である。

 ただ一つだけ加えるとするなら、『けものフレンズ』という作品が好きなら、作品が発表されるより先にその出来を判断すべきではないということ。

 当然、前監督がどれだけの業務を担っていたのかを理解してはいるが、それをブランド化するのはやはり間違いでないのだろうか。

 我々視聴者としては、やはり作品が発表されてから判断すべきだと述べて、今回の考察を終わらせてもらいたい。

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