無花果千秋

鷹宮 センジ

無花果千秋

「きっと意味は無い」


男は言った。その言葉、そのものにすら意味が無いことを知っていて、それでも言った。


「意味は無いんだよ、今からすることに。別に僕らは生きたい訳じゃないんだ。そして死にたい訳でもない。根本的な所で――昔は持っていた儚い生物としての願望が――無い。本能なんてこれっぽっちも無いから、当たり前だね」


男と女は木の根元に腰掛けていた。2人とも空を見上げて、足を伸ばし、頭を木の幹に寄りかからせている。


そして女は、男の言葉に応える。


「あんたはどうせ、『無い』って言いたいんでしょ。過去も未来も、夢も希望も、悪夢も絶望も、何もかもが無い」


男が黙って頷いた。木の葉が仄かな微風に揺られて、1枚だけハラリと落ちる。


女は続ける。


「でも、ただ『無い』訳じゃない。私も、あんたも、この木も、そしてこの大地もある。確かに存在している。そしてそれは否定なんて出来ない。みんな確かに『有る』」


言いながら女は遠くを眺める。何も無い地平線。灰色の岩と石の大地が何処までも続く。空は快晴で申し訳程度に雲が散らばるだけなのに、そこに歪な感情を抱いてしまう。わざとらしい、パレットに塗りたくった青と白の混ぜこぜ。


そう感じるのも無理はないのだ――だってだから。


「失ったモノは大きい。余りにも大きい。私達は生物としての本能を失って、生きることに、死ぬことに、自由を得ることが出来た。本能に邪魔されることなく死を選び人生を終えることも出来る」


男はそれを聞いてふと右手を見た。


何も持たない右手。しかし自分は、今からその手で手頃な岩を拾い、そのまま躊躇いなく自分の頭に打ち付けて自殺することが出来る。出来てしまう。


それが出来るのも無理はないのだ――だってのだから。


「生きる価値はあるのか?」

男が言う。

「死ぬ価値はない」

女が言う。


「ここで全てを終わらせるのもありかも」

男が言う。

「私達がここにいる意味を証明したい」

女が言う。


「無いことに意識を向けて、今ある全てを捨てる。勿体無いよ」

「まあ、そんなに言うなら食べる?これ」

「私はまだ終わりたくない」

「君が言うなら、まだ終わらせないでおこう」


男の右手が、女の左手が、同時にその実をもぐ。

大きな泪の形をした、無花果いちじくの実を。


「歴史は繰り返すと言うけれど、案外そんなものだね。これって本当にそっくり。そうじゃない?」

「アダムとイブが食べた『禁断の実』も、確か無花果いちじくだったわね。皮肉にも程があるわ」


本能を得る最終手段。遺伝子の歪な進化を正すウイルスを持つ特殊な無花果いちじくの実。


「それなら僕らをそそのかした蛇は何だろうね。ここにはそんな動物はいないけど?」

「私はくだらない『愛』だと思うけどね。本能からその感情が来るって下らない考えを知ってる?」

「それは確かに下らないね。何せ本能を失った僕らでさえ――」


その先は敢えて言わずに、男は大きく口を開けて無花果いちじくにかぶりつき、女もそれに倣った。


男はどうやって失った全てを取り戻していくか考えながら思う。


ここに次の人類が、次の千年が、洒落て言うならば次の千秋せんしゅうが始まろうとしていた。


1日が千年かと思う程に待ち遠しい、その気持ちを表す四字熟語が一日千秋いちじつせんしゅう


それならさしづめ、人類が何度も繰り返すこの愚行あるいは奇跡の始まりは。


無花果千秋いちじくせんしゅうとでも呼べばよいだろうか。



歯型に削り取られた右手の大きな無花果いちじくの実をじっくりながめ、その味わいが口の中に溶け込んでいく感覚を味わってからもう一口だけかじった。


ザリッ

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無花果千秋 鷹宮 センジ @Three_thousand_world

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