800年―横浜防衛戦—⑵

 2096/6/14 11:30

「うそでしょ?」

 凛が息を切らしながら驚きの声を上げた。

 桜木町駅に着いた二人は、駅のシェルターに逃げ込もうとした。しかし、式典に来ていた観光客と市民が合わさり、シェルターの前は長蛇の列ができていた。

 横浜はこの時代でも観光地であり、それを見越して数万人は収容できるようにシェルターは設計されている。

 一人でも多く入れるように、駅員やU.D.Fの兵士が誘導にあたっているが、列が解消される見込みはほとんどなかった。

「どうするの、彼方?」

「ここにいてもシェルターに入れるかわからなし、並んでたら的になるだけだ」

「じゃあ……」

 凛は何か言いかけたところで、その言葉を飲み込んだ。言わなくても彼方はそうするつもりなのだと感づいた。

「このシェルターは横浜基地とつながってるから、きっと基地側も同じような状態だろう」

「ってことは、もう逃げ場がないの?」

 ——ドドーン!

 地響きがしたとたん、黒煙が市街地から上がった。

「U.D.Fが近くて戦っているのか」

 彼方が空を見上げると、飛兵が編隊を作り、空を駆けていた。

「そこの学生たち!」

 二人が道路の真ん中で立ち尽くしていると、U.D.Fの兵士が声をかけてきた。斥力ウィングは装備していないが、背中に光学突撃銃BC-20-42-MH『ムスペルヘイム』を装備している。

「こっちの入口は入れそうにないから、基地が開放しているシェルターに回ってくれ。そこなら入れるはずだ」

「わかりました、ありがとうございます」

 彼方は凜の手を引いて、基地のシェルターへ急いだ。



 2096/6/14 11:52

 横浜基地研究棟。独立航空機動隊第二分隊の姫宮班と敵勢力の交戦は、姫宮班がやや押す形であった。

 戦闘では姫宮班が有利。しかし、マギアレリックを奪取するという敵勢力の目的は、あと一歩で達成というところまで近づいていた。

「奏音、撃ちすぎだ。オーバーヒートするぞ」

「このままだと押し切られます」

 研究棟の中では碧と奏音、外ではそれ以外の姫宮班がマギアレリックを守っていた。

 ニブルヘイムカスタムを両手に持った碧は、苦い表情を浮かべながら、ニブルヘイムカスタムの引き金を引き続けた。

 敵勢力の数が分からないのに対して、姫宮班は奏音を含めて一六人。個人の戦力では姫宮班が圧倒的に有利だが、光学兵器はエネルギー供給不足に加えてオーバーヒートが欠点である。      実弾銃のようにマガジンを交換すれば持久戦にも耐えられるわけではなく、一度エネルギーを補給しに行かなければならない。

「笹塚、外の勢力はあとどれくらいだ」

 碧はインカムに向かって口を開いた。

『ざっと四〇人くらいです。倒しても、すぐ増援がきてキリがないです』

「わかっているとは思うが、持久戦は避けろ」

『承知』

 碧と奏音が相手にしているのは一〇人前後の兵士。しかし、笹塚同様、倒しては増援が来て一進一退を繰り返す。

『少佐、すみません五人抜かれました』

「任せろ」

 笹塚から入った通信の直後、二人の後ろに、アサルトライフルをかまえた五人の兵士が現れた。

 狭い建物内での挟み撃ちとなり、碧は斥力ウィングを起動させる。

 碧の背中に伸びる薄緑色の四枚の羽根。

 碧は軽く地面を蹴ると、宙に浮かんだ。

 横目で後ろの敵の配置を確認し、奏音に斥力フィールドを展開。

「え?」

 困惑する奏音をよそに、碧は体をひねりながらニブルヘイムの引き金を引く。そして片方のニブルヘイムの引き金を引く。ほとんど同時に放たれた二発は、二人の敵を屠った。

 間髪入れず、体を戻して正面から向かってきた敵の頭部を打ち抜く。

 さらに宙に浮いたまま回転し、前後の敵をすべて沈黙させた。

 「……すごい」

 奏音は碧が士官学生のときに戦っている姿を見てきた。少し見ないうちに、ここまで技術が高くなっているとは思わなかった。

 碧の戦闘にあっけにとられていた奏音は、今、自分が標的になっていることに気付かなかった。演習では、相手勢力が沈黙したら勝利であって、辛うじて生きている敵の反撃など考えもしなかった。

「奏音、後ろだ!」

 碧が撃った敵の一人が、最後の力でライフルの銃口を奏音に向けた。

 碧は両手に握るニブルヘイムカスタムをホルスターに戻すと、腰の後ろから二本の柄だけの剣を引き抜いた。

 ブン、という音を立てて柄の先から桜色の刃が出現する。

 BB-20-41-GS『ゲーネルシュベル』——兵士たちの間では「ビームブレイド」と呼ばれる光学刃。

 碧は地面を蹴ると、斥力ウィングの推進力を利用して一瞬で距離を縮めた。

 ——ザシュ!

 奏音は目の前で起きた出来事に、思わず目をつぶった。それは、一六歳の少女にはあまりにも刺激が強すぎた。

 奏音は目を開けるのが怖かった。しかし、いつまでも見たくないでは済まされないと思い、目をそっと開いた。

 そこには、いままで学校で行ってきた殺傷の無い武器による演習が、いかに非現実的か思い知る光景が広がっていた。

 奏音の視界に情報が入ってきた瞬間、肉の焦げる不快な臭いが鼻を突く。

 投げ捨てられたゴミのように重なる死体の中、桜色の二刀を持った碧だけが立っている。

 制服には返り血が付き、右のゲーネルシュベルがアサルトライフルを、左のゲーネルシュベルが頭部を貫いていた。

「貴様ごときが奏音を見るな。おのが身分をわきまえろ」

 碧はゲーネルシュベルを戻した。

「あの、ごめんさない。せんぱい」

「気にするな。奏音が無事で何よりだ」

「わたし、足引っ張ってばっかりで——」

 碧は奏音の頭に手を乗せて首を横に振った。

『少佐、外の敵勢力を排除しました。それと、民間人が二名、避難中に迷ったものと思います。現在保護していますが、どうしますか?』

「ここの防衛は絶対だ。数名で基地のシェルターまで護衛しろ。残りは引き続き研究棟の防衛につけ」

『承知』



 彼方と凜はいよいよ本格的な戦地に踏み入れた。

 基地のシェルターを目指しているつもりが、逆に戦火に突っ込んでいってしまっている。

 幸運にも交戦中の部隊に助けてもらい、研究棟まで無傷で来れたことには胸をなでおろした。

「我々が、君たちを安全な場所まで護衛する」

 二人の目の前にいるのは、光学突撃銃「ムスペルヘイム」を持ったU.D.Fの兵士だった。

「私はスカイブーケ隊姫宮班副隊長の笹塚だ。よろしく頼む」

「横浜海浜高校の九条彼方です」

「私は花江凜です」

 彼方が自己紹介をしたとき、笹塚が眉をひそめた。彼方は自分の見間違いだと思い、何も言わず会釈した。

「とりあえず、基地のシェルターまで案内する。ついてきてくれ」

 そう言って二人の隊員を連れて動き出そうとしたとき、遠くから桜色の閃光が一直線に飛んできた。幸い、二人のいるところではなく、研究棟の真横に着弾し、爆発を起こす。

「副長、敵襲です!」

 隊員の一人が指さした方向に二〇人程度の飛兵が見えた。

「何としでも民間人を守れ! 君たち、急いで!」

 笹塚の背中を追い、彼方と凜は研究棟を離れようとした。

 その瞬間、流れ弾が彼方と凜をかすめた。

 激しい爆風と耳を裂く爆発音。瓦礫が宙に舞い上がる。

「くっ……」

 その爆風で、彼方は吹き飛ばされそうになり、身を低くして飛ばされないように耐えた。

「まだ来るぞ! 警戒!」

 笹塚の注意の直後、光学弾の雨が研究棟に降り注いだ。

 さらに激しい爆風と音が彼方と凜を襲う。

 彼方も凜も、戦闘の光をこんな近くで見たことはない。音も光も迫力も、メディアやゲームで見るそれとは段違いだった。

 激しい風圧に耐えかねて、凜がバランスを崩した。

「え…」

 まるで風に飛ばされた紙切れのように、凜の華奢な体は研究棟のほうへ飛ばされた。

「凜!」

 彼方はとっさに手を伸ばし、凜もその手を取ろうとした。しかし、触れることなく凜は吹き飛ばされた。

 彼方は何も考えずに凜の飛ばされた方向に走りだした。

「君、危険だ!」

 笹塚の制止も無視して彼方は研究棟に走った。

 彼方自身でも驚くくらい冷静さを欠いていた。凜が好きだからとか、そんな理由ではなく、ただ「助けなければならない」という一心が彼方の脳内を支配していた。

 だから、周りが一切見えていなかった。

 彼方の視界の端に、桜色の閃光が煌いた時には、彼方の全身を灼熱の空気が襲い、すさまじい風と音が感覚を支配した。

 目など開けていられない。立ってるのもやっと。

「くっ……」

 彼方は跪き、両手両足で吹き飛ばされないようにこらえた。

 しかし、そんな努力は皆無で、彼方は灰のように容易く吹き飛ばされた。

 瓦礫とともに宙に舞った彼方は、そこで意識が途切れた。



 ——ギュイン!

 研究棟の中を強烈な光が照らした。コンクリートの破砕音と同時に強風が窓ガラスを粉々にする。

「増援か」

 碧は敵の増援を撃ち落とさんと、ニブルヘイムカスタムの引き金を引き続けていた。しかし、今までのように全射必中とはいかなかった。明らかに動きが今までとは違う。それなりに腕の立つ部隊なのだろうと予想した。

「奏音、一度外に出るぞ」

「はい……でも、どうして?」

「敵の増援はかなり腕の立つやつらだ。外に出て斥力ウィングの機動力を生かす」

「わかりました」

 奏音はうなずくと、斥力ウィングを展開した。

 奏音は碧が学生のとき、碧から戦闘のいろはを教えてもらったことがある。初めて碧の戦い方を見たとき、奏音は自分の常識を覆された。

 奏音は、銃とは敵に狙いを定めて攻撃するものであり、飛び道具であると考えていた。しかし、碧は敵にできる限り接近し、ドッグファイトで戦っていた。もちろんアサルトライフルやスナイパーライフルはその利点を生かしているが、ハンドガンはまるで格闘兵装のように扱っている。

 それは、碧自身の技量によるものもあるが、斥力ウィングの機動力によるところもある。射程の短いハンドガンは小回りの利きを生かして、零距離射撃を仕掛ける。「狂える射手バーサックガンナー」と言われた碧を相手に勝てる者は一人もいなかった。

 奏音は碧のこの指示を、碧の本気のスイッチが入ったと受け取った。

 碧は斥力フィールドを展開すると、奏音に離脱の指示を出す。

「俺が時間を稼ぐ。奏音は先に引け」

「はい」

 奏音はうなずいて研究棟から離脱した。

「……花と散れ」

 碧のニブルヘイムカスタムの銃口から桜色の閃光がほとばしる。

 ——ピュン!

 敵兵士たちは瞬時に斥力フィールドを展開して、碧の攻撃を受け流した。

 碧は射撃をめず、そのまま後退する。

「せんぱい! 早く!」

 先に離脱した奏音が心配そうな顔で叫んでいた。

 奏音が何を焦っているのかはわからないが、碧は斥力ウィングの推進力を最大にして離脱した。

「君、危険だ!」

 碧が外に出た瞬間、笹塚の声が聞こえた。碧がちらりと目をやると、高校の制服を着た少年が研究棟に走っていく姿が目見入った。

 笹塚が保護している民間人だとはわかるが、研究棟に走っている理由はわからなかった。

 ——ギュイン!

 そのとき、空から桜色の閃光が一直線に地上に伸びた。その閃光は研究棟に吸い込まれ、中から爆発を起こした。瓦礫がバラバラと落ちて山を作り、全壊とまではいかないが、建物の半分は崩れ落ちていた。

「姫宮班各員、敵勢力を排除せよ」

「「了解」」

 奏音、碧以外の一四人は、一斉に散開して交戦に入る。

「奏音、さっきはありがとう」

「いえ、無事でよかったです」

 碧が研究棟から離脱するとき、奏音の注意がなければ、今はあの瓦礫の下敷きになっていただろう。

 碧はニブルヘイムカスタムの冷却を確認すると、再び空に舞い上がった。



 視界が暗くて何も見えない。わずかに光が差しているが自分がどういう体勢で、どこにいるのかはわからない。

 敵の射撃で吹き飛ばされたことは覚えているが、そこから先がわからない。

 彼方は、ゆっくりと体を起こそうとした。

「……凜は」

 彼方が起き上がると、彼方に覆いかぶさっていた瓦礫がパラパラと落ちた。

 見渡す限り廃墟。そこに凜の姿は見当たらなかった。

「凜…どこ」

 重い体を起こしてあたりを見渡す。制服は埃まみれになり、淡い青色のワイシャツは黒くなっていた。

 彼方は廃墟と化した薄暗い研究棟の中を、手当たり次第に動き始めた。

「おい、こっちだ」「奪取したら早く離脱するぞ」 

 しんと静まり返った中、複数の男の声が聞こえた。彼方にはその会話内容が理解できず、怖いもの見たさで声のしたほうへと進んだ。

 自分でも呼吸が荒くなり、手を握っていたことに気付いた。

 通用口の陰から、そっと中をのぞくと、そこには四人の男が立っていた。

 それぞれ防弾チョッキとヘルメット、アサルトライフルで武装している。さらには腰に手榴弾をいくつかぶら下げており、とても彼方一人でどうにかなる相手ではなかった。

 しかし、そんな理性的な分析も意味を無くすような光景が彼方の視界に飛び込んでくる。

「…凜?」

 男たちの立っているその奥、瓦礫の山の下に凜が横たわっていた。

 瓦礫が影となり、兵士たちは気づいていない。それよりも、何か別のことに気を取られている様子だった。

 彼方は今すぐにでも飛び出したい衝動に駆られたが、ぐっとこらえて隙を伺った。

 外ではスカイブーケ隊が交戦しているのか、光学兵器の銃声や流れ弾の揺れが時折伝わってくる。

「リード=ナルガニッヒを発見した。確保し次第、すぐに撤退」

 リーダーらしき男がそう言うと、残りの三人がアサルトライフルをかまえて周囲を警戒する。

「これが魔術の遺産か」

 リーダーの男は、ガラスケースを拳で割ると、中にあった軍刀を手に取った。

 彼方はその軍刀に見覚えがあった。子供のころ、両親に連れられて博物館でみたマギアレリックだった。細かいところまでは見えないが、装飾の無い黒い柄に、白銀の刀身。何よりの証拠は刀身に刻まれた幾何学的な魔法陣。

 ガラスケースが割れたことで、警報音が鳴った。

「目的を達した。全軍撤退」

 リーダー格の男がインカムで短く伝えると、一斉に反対方向へ走り出した。

 ——ギュイン! 

 そのとき、流れ弾が研究棟に着弾したのか、瓦礫が舞い、強烈な風が彼方を後ろから襲った。

「うわっ!」

 体が宙に投げ出され、扉の向こうに吹き飛ばされ、床にたたきつけられた。

 投げ出された先は、武装した男たちの目の前。男たちの目線が彼方に杭付けになる。

 今まで一七年間生きてきて、ここまで絶体絶命の状況には遭遇したことがない。今日の朝まで、何事もなく平穏に一日が終わると思っていた自分が愚かに思えてきた。

「何だ貴様!」

 リーダー格の男が声をあげ、アサルトライフルの銃口を彼方に向けた。自分の悪運もここまでと彼方は察した。学校のシェルターでは運が良かっただけで、自分は足立のようにあそこで最期を迎えるはずだった。

 そう考えただけで、彼方の全身を絶望が支配した。力のない自分には凜一人すらも助けられない。それどころか、自分の身一つすらどうすることもできない。

「あれって……」

 彼方は誰にも聞こえない程度の声でつぶやいた。横たわる彼方の視線の先にあったのは、一振りの軍刀。

 さっきの爆風で男が手放したものが床にあった。

 幼いころに目の前で見たあの軍刀を、今も目の前で見ている。これが何の因果かわからないが、この軍刀は状況を変えてくれると思った。

 不思議と彼方の中の恐怖心は消えつつあった。

「——やってやる」 

 ただの軍刀。しかし、マギアレリックと呼ばれる魔術的な能力を持った武器。格闘兵器だが、魔術があれば四人の男が持つアサルトライフルに勝ると確信した。

「凜も守る。またいつもの明日を迎えるんだ」

 彼方は、起き上がりざまに床を蹴った。

 ——ザッ!

 突然のことで面食らったのか、男たちはすぐに引き金は引かなかった。

 彼方は迷うことなく軍刀——リード=ナルガニッヒをつかむ。呪文か何かが必要なのかと思ったが、そんなことを考えるまでもなく、体が誰かに憑依されたかのような感覚が走った。

 体全身が凍り付くかのような悪寒が走ると、自分の意思とは反して、リード=ナルガニッヒを握って、敵の一人に斬りかかっていた。

「撃て!」 

 四人が一斉にアサルトライフルの引き金を引く。

 彼方はその銃声に目を閉じたくなったが、体が言うことを利かない。

 襲来する銃弾がまるでスローのように見えた。その瞬間、刃が閃き、彼方が持っているオリジナルと同じ形の軍刀がいくつも出現した。それらが自立して動き、すべての銃弾を弾き返した。

 彼方は十分に接近すると、リード=ナルガニッヒを振り下ろす。

 ——ガギン!

 しかし、敵も戦闘に慣れているのか、ナイフで彼方の斬撃を受け止める。

 ——ドス! ドス! ドス!

 彼方が一度距離を取ろうとしたとき、飛来したコピーの軍刀が何十本も男に突き刺さった。

 男は吐血し、目を見開いたまま倒れた。コピーの軍刀は残滓を残して消え去った。

 ——ガガガガガガガガガ!

 残りの三人が一斉にアサルトライフルの引き金を引く。

 フルオートで吐き出される銃弾の嵐。彼方がそれに気づいた時には、すでにコピーの軍刀がすべての銃弾を弾き、さらに出現したコピーの軍刀が三人を串刺しにする。

 血の池に倒れる、見るにも無残な四体の死骸。見ているだけで吐き気をもよおしようになったが、体が言うことを利かず、不快な感覚を持ちながら目をそらした。

 どうして体が勝手に動くのかは知らないが、四対一を制した彼方は研究棟から出ようとした。そのとき、研究棟が大きく揺れた。

 研究棟自体が、戦闘の流れ弾の影響で崩落寸前になっていた。天井からパラパラと瓦礫が落ちてきている。

 外ではまだ戦闘が続いているらしく、振動が伝わってくる。

 彼方は視界の端に、凜の姿を見た。すぐに助け起こしたいと思ったが、その意思は彼方に憑りつく何かが阻む。

 彼方はまるでリード=ナルガニッヒが、彼方の体を乗っ取っているかのように感じた。

 凛を助けるという彼方自身の意思とは反して、研究棟から脱出した彼方は外でスカイブーケ隊と交戦している敵兵士をちらりと見た。

 無意識のうちに彼方の周りに数十振りの軍刀が出現し、彼方を中心に円形に浮遊し始めた。

 これが魔術と分かっていても、はいそうですか、と簡単に受け入れることは彼方には難しかった。

 出現した軍刀は、戦闘機が隊列をつくるように敵兵士に向かっていった。

 交戦していた姫宮班は彼方の軍刀の動きに合わせて散開し、飛来した軍刀が敵兵士を串刺しにする。

 統率の取れた動きで敵兵士を屠る軍刀に交じり、碧がゲーネルシュベルで敵兵士を切り裂いていく。

 今になって、彼方は自分が何十人も殺しているという事実に気付いた。

 学校での出来事から、ここでの戦闘まで必死になっていて気づいていなかった。リード=ナルガニッヒの攻撃は故意ではないとはいえ、自分の体が言うことを利かなかったという言い訳を聞いてくれる者など、どこにいない。

 彼方は、空を踊るように敵兵士を切り裂く碧と目が合ったような気がした。銀色の髪の奥からのぞく碧の瞳は、どこかこの世ならざるものを見ているような感じがした。

 残る敵兵士は、いよいよ五人まで減っていた。

 コピーの軍刀は隊列をそろえて、敵兵士を追撃している。

 彼方は勝利を確信した。これで、自分と凜は助かったと。

 しかし、彼方を急な倦怠感が襲い、体が不調を訴えていた。これ以上は戦えない。本能がそう叫んでいる。

 薄れていく視界の中で、彼方は凜が無事であることだけを願っていた。



 ***


 2096/6/14 17:46

此度こたびの戦いはどうなった」

 夕暮れ時。タイムスリップしてきたかのような武家屋敷の一室。畳の敷き詰められた素朴な部屋に座る一人の男の老人。その向かいには、若い男が正座をしていた。

 老人の名は九条重くじょうかさね。釣りあがった三白眼に逆ㇵの字の眉が、老人であることを否定するように主張している。七八才でありながら、老いを一切感じさせない口調で若い男に訊いた。

 対して若い男の名は九条勝くじょうまさる。重の息子にして歳は四〇歳。重とは逆に四〇歳でありながら、かなり老けているように見える。

「侵入した部隊は、リード=ナルガニッヒの奪取に失敗。U.D.F壊滅させられました」

 勝はU.D.Fに所属している。第一海上警備隊として、横浜基地に配属されている。当然、今日の式典にも海上警備として参加したし、謎の集団による横浜の襲撃も知っている。

 重が勝に訊いたのは、勝の身分を知ってのことだった。

「加えて、リード=ナルガニッヒが彼方のところに渡ったと思われます」

 彼方、というのはもちろん九条彼方のことである。彼方と勝は甥と叔父の関係にあたる。つまり、彼方と重は孫と祖父と関係ある。

「彼方にだと?」

 重は目を細めて聴き返した。

「はい。どういう経緯かは知りませんが、スカイブーケ隊と一緒にいました」

「もし、リード=ナルガニッヒがあちらの手に渡れば、我々の悲願は露と消える」

「いかがしますか。もし、あちら側がかかわっていれば、こちらもそれ相応に対抗しなければなりません」

「ならば、勝」

 二人の間に鋭い空気が漂った。

「彼方を何としてもこちらに引き入れよ」

「わかりました。しかし、彼方はマギアレリックを持っています。こちらには対抗手段がありませんが……」

「案ずるな。こちらにも用意はある」

「それは?」

 勝は目を見開いた。彼方のリード=ナルガニッヒに匹敵するものを、すでに重が用意していることは知らなかった。

「だが、あれはじゃじゃ馬だ。次の戦いで様子見とさせてもらう」

 勝は何も言わずにうなずいた。



 ***


 2096/6/14 20:34

 彼方が目を覚ますと、まぶしい光が目を刺した。

 とっさに目を瞑り、目が順応するのを待つ。

 姿勢を変えると沈み込む感覚。今、ベッドに寝かされているとわかる。周りは静かで、消毒の匂いがする。

 彼方は、自分がいつの間にか医務室に寝かされているのだとわかった。

 ようやく明るさに慣れた目をうっすらと開けると、真っ白なカーテンに囲まれ、真っ白な天井が彼方を見下ろしていた。

 彼方は右手を無意識に握った。そこにさっきまで握っていた軍刀はなく、包帯が巻かれていた。


 ——銃声——悲鳴——血——軍刀——


 彼方の中で、不快な映像がフラッシュバックした。

 思わず口を押えて苦悶する。

 高校生にはあまりにも刺激が強く、トラウマになるに十分な出来事だった。

「……凜」

 彼方は、完全に覚醒しない意識の中で、その名前を呼んだ。

 きっと凜も一緒に助けられてるはず——彼方はそう思ってカーテンを開けた。

 ——シャー

 カーテンが開くと、いくつものベッドが並んでいた。

 戦闘から数時間が経過したらしく、窓から見える横浜基地は、航空障害灯の光が明滅していた。いつのまにか、日は落ちていたらしい。

「目が覚めたかい」

 彼方が声のしたほうを向くと、白衣の男がいた。歳は三〇代だろうか。さわやかな笑みを浮かべて彼方を見ていた。

「どこか調子の悪いところはないかな?」

「はい」

 男は嬉しそうにうなずくと、思い出したように言った。

「自己紹介が遅れたね。私はU.D.Fの軍医の浅田だ、よろしく」

「九条彼方です。あの、助けていただいてありがとうございました」

「君を助けたのは私ではない、姫宮少佐だ。私は、ただ応急処置をしただけさ」

 少佐というのが彼方にはわからなかったが、あの場にいた誰かであることはわかった。

 彼方は先から気になっていることを浅田に訊いた。

「あの、自分ともう一人、同い年くらいの女の子いませんでしたか?」

「いや、運ばれてきたのは君一人だったよ。あの後スカイブーケ隊と複数の部隊が崩落した研究棟を捜索したけど、後にも先にも生きて見つかったのは君だけだったよ」

「……生きて?」

 彼方はその言葉に引っかかった。もしかしたら、凜はもう死んでいる——そんな予感を、頭を振って振り払った。

「ああ、所属はわからないが、君やスカイブーケ隊と交戦した敵の死体だ。君の言っているような子はいなかったな」

 では、凜はどこへ?——彼方は制服のポケットから端末を出して凜につなぐ。もし、一人で研究棟から脱出したならば、きっとどこかに身を寄せているはずだから。

 しかし、端末から凛の声が返ってくることはなかった。何度も何度も繋いでも、凜の声は聞こえてこなかった。

「九条君、君に話さなければならないことがある。これは、君の人生にかかわることだ。できればご両親にも話さなければならない」

 浅田の唐突な発言に彼方は面食らって何も答えられなかった。

「私から…というよりは、U.D.Fからと言ったほうが正しいかもしれない」

「両親は海外にいて、それほど合わないので今言っていただいてかまいません」

「わかった」

 浅田は短く答えると、通信端末に話しかけた。

「連隊長、分隊長。本人の許可が出ました。救護室へ」

 彼方には、何の話か皆目見当もつかなかった。あるとすれば、さっきの戦闘で人を殺したことくらいだった。非常時とはいえ、民間人が軍の兵器を使って人を殺したのだから、見て見ぬふりはされないだろう。しかるべき裁きを受けなければならないと覚悟した。



 彼方が目覚めるほんの数分前。

 戦闘が終わり、独立航空機動隊——スカイブーケ隊連隊長の藤原は伊吹と碧を自室に呼び出していた。わざわざ、ミーティングルームを使うまでもない、というわけではなく、誰かに聞かれるのを嫌ったからである。

「率直に聞く。敵の正体はなんだと思う」

 伊吹と碧は押し黙って何も言わなかった。手がかりとなるものがあまりにも少なくて、答えが探し出せなかった。

 マギアレリックが戦略的要点となっている今、政府組織にせよ民間組織にせよマギアレリックを狙うのは必須である。

「聞いてわかれば苦労しないか」

 藤原は自問自答するように言った。伊吹と碧にもわからないことは、藤原も初めから知っていた。

「連隊長」

 唐突に藤原を呼んだのは伊吹だった。

「リード=ナルガニッヒが民間人の手に渡ったのは本当ですか」

「それは姫宮に訊いたほうがいいんじゃないのか。研究棟で交戦していたのは姫宮班だ」

 伊吹と藤原の視線が碧に注がれた。

「リード=ナルガニッヒが民間人の手に渡ったのは事実だ。よりにもよってリード=ナルガニッヒだ」

 藤原と伊吹は碧の後半の言葉の意味を知っていた。

「リード=ナルガニッヒには意思がある。あのマギアレリックは、自分の使い手にふさわしい使い手を自分で選ぶ」

 伊吹の確認のような独り言に碧はうなずいた。

「しかも、リード=ナルガニッヒは自分が認めた使い手以外には扱えない。あれは厄介だぞ。それに、あの民間人、戦闘中に呑まれていた」

「『魔術師喰い』ね——」

 碧の言葉に藤原が返した。

「リード=ナルガニッヒは、その使い手の技量がなければ、リード=ナルガニッヒ自身が使い手を呑み込んで自由を封じる。おそらく、あの民間人も呑まれていたんだろうな」

 リード=ナルガニッヒは一部の人の間では「魔術師喰い」と呼ばれている。それは碧の知識通り、リード=ナルガニッヒ自体に意思があり、その意思で使用者を選ぶ。そして、自分の使用者には未熟とリード=ナルガニッヒが判断すれば、使用者の体はたちまちリード=ナルガニッヒに呑まれてしまう。

 意思を持って使用者を乗っ取ることから、この二つ名が付いた。

 さらに、この三人が懸念しているのは、リード=ナルガニッヒの特性である。

 リード=ナルガニッヒは最初に使用した者の生体を記憶し、その人以外には使えなくなる。そして、その人が死んで初めて使用者の上書きができる。つまり、今現在、この世界で彼方以外にリード=ナルガニッヒを使える者はいないということである。

 これらの特異な要素が重なり、リード=ナルガニッヒは発見されて以来、誰も使ったことがない。

『連隊長、分隊長。本人の許可が出ました。救護室へ』

 突然入った通信は、救護室にいる浅野からだった。

 本人というのが彼方であることは三人には知れている。

 藤原は伊吹と碧を交互に見てから目を細めた。

「さっき話した通りだ。お前たちはついてくるだけでいい。事情は私が話す」

「「了解」」

 伊吹と碧はより表情を引き締めて両手を腰の後ろに回した。これがスカイブーケ隊特有の敬礼であることはU.D.Fでは有名である。



 目の前に立っているのは容姿端麗、スタイル抜群の女性。いかにも、できる女性を形にした士官だった。この女性が上級士官であることは後ろの二人とは違い、白色の軍服であり、彼方でもわかった。

 その女性士官の後ろには二人の青年の士官。どちらも黒の軍服を着こんで、淡い水色の髪の人当たりが良さそうな青年は、左右の腰に細身の軍刀を差し、銀髪の冷ややかな雰囲気をまとう青年は左右の腰に二丁ずつ——計四丁のハンドガンと、足に一丁ずつのハンドガンをちらつかせている。

「——あの」

 彼方は絶対零度の空気に耐えかねて、こもった声を上げた。

 目の前の三人は、表情一つ変えずに彼方を見ていた。

 軍人はそう固い性格をしているのかと彼方は思ったが、それでも納得できないほどの威圧感を彼方にぶつけている。

 それが意図的か無意識なのかは本人たちに訊かなければならないが、これが軍人の普通のなら、彼方は竦んで動けなくなりそうだった。

「私は、U.D.F独立航空機動隊——君にはスカイブーケ隊のほうが聞き馴染みがあるかな。連隊長の藤原詩織だ」

「スカイブーケ隊第一分隊分隊長の国東伊吹。よろしく頼むよ、九条君」

「……」

 銀髪の青年は自己紹介をせず、彼方に鋭い眼光を向けていた。

 その双眸が、研究棟で見たそれと重なった。

「君に話がある」

 藤原は腰に手をあてて彼方を見た。

 彼方はじっと藤原の眼を見返す。ここで、拒否をしても藤原は聞き入れてくれないだろう。彼方は軍の兵器を勝手に使った裁きを受ける覚悟はできていた。

「単刀直入に言おう。君にはU.D.Fに入隊してもらう。拒否権はない。心当たりはあるね」

 彼方は静かにうなずいた。

「失神するかと思ったが、ずいぶんと肝が据わっている」

 肝が据わっているというよりは、何も言い返せないだけで、彼方は頭の中が真っ白だった。

 軍に入るということがどれほど自分の人生を左右するか想像できなかった。

「君は、我が軍のマギアレリックを無断で使用した。本来であれば、君をすぐに捕縛して、それ相応の裁きを受けてもらう、……が、あのマギアレリックは少々変り種で、もう君にしか使えないんだ」

 彼方の頭の中は疑問符でいっぱいだった。あの軍刀が自分にしか使えないとはどういうことなのか、彼方は理解できなかった。

 彼方は説明を求めようとしたが、藤原が先に口を開いた。

「君が使ったあのマギアレリック、名前はリード=ナルガニッヒという。そして、このマギアレリックは我々と同じく意思を持っている」

 彼方には物が意思を持っていると言われて、はいそうですか、と納得できるほどではなかった。

「意思を持っているというのが厄介で、リード=ナルガニッヒは自分の使い手を選び、無能と判断すればその使用者の意識を乗っ取るのだ。おそらく、戦闘中に君の体は動かなくなっただろう。理由はそれだ」

 自分が無能であった——。彼方の心の中でその言葉が引っかかった。

 道具とは自分が利用するもの。その考えをひっくり返され、自分が道具に利用されていた。

「その上、リード=ナルガニッヒが一度使用者と決めた者が死なない限りは、その者以外には使えないようになっている。つまり、君にしかリード=ナルガニッヒは使えない」

 藤原はそのまま話を続けた。

「そういうわけで、君にはU.D.Fに入隊してもらう。だが、マギアレリックを持っている以上、我々が君の監視という名目で、独立航空機動隊に入隊してもらう。特殊な状況故、階級は准尉を与える」

 藤原はそう言ってプラスチックケースを彼方に渡した。その中には准尉の階級章が入っていた。

「今日はもう遅いから、詳しい話は明日する。今日はここで休んでくれ」

「あの……」

 彼方は無意識のうちに藤原を引き留めた。自分でも驚き、すぐに言葉が出なかった。

 しどろもどろになりながら、藤原を見た。

「どうした?」

「あの、今日自分が戦ったところに、自分と同い年くらいの女の子が倒れていませんでしたか」

「研究棟か……。姫宮、お前が戦ってたところだ、どうだった?」

「あの後、基地全体で事後調査をしたが、報告は来ていない」

 彼方は碧の返答に肩を落とした。それを見て、心当たりがあったのか、伊吹が彼方に近づいてきた。

「もしかして、一緒に逃げていた子かな?」

 伊吹は戦闘中に、桜木町の付近を基地方面に逃げていく二人の高校生を目撃した。その生徒と、目の前の彼方が重なって気になっていた。

「はい」

「基地内での民間人の死者は確認できていない」

 彼方の返事を、碧は否定するかのように言った。

 これで、凜の行方は本格的にわからなくなった。

「九条君には悪いが、光学兵器の直撃を受けて、遺体自体も残っていない可能性がある」

「でも! 凛の姿は戦闘が終わるギリギリまでありました。多分、リード=ナルガニッヒに呑まれていたから助けられませんでしたが、凜は必ず生きています」

「凜……というのは、その子の名前か?」

 藤原の質問に彼方はうなずいた。

「花江凜です」

 それを聞いて、藤原と伊吹、碧の三人は目配せをした。その意味を彼方はわからなかったが、手がかりを引き出せそうな気がした。

「わかった。何か報告が上がったらすぐに知らせよう。とりあえず、今日はゆっくり休んでくれ」

 そう言って藤原は伊吹と碧を引き連れて救護室から出て言った。

 彼方はこの一日で、多くを失いすぎた。足立や多くの友人、凜。リード=ナルガニッヒを手にしたことで平穏な日常は、足音も立てずに消え去った。

 明日からは世界が変わったように彼方を取り巻く環境が一変する。それについていけるか不安なまま彼方はベッドに横になった。

 凄惨な現場と、血と死体の匂いを嫌というほど吸い、意思に反したとはいえ、二桁人の人を殺した夜に、すやすやと寝られるはずもなく、何度も寝返りを打った。

 藤原にもらったばかりの階級章を彼方はまじまじと見た。

 軍に入る——言われたときは何も言えなかったが、改めて考えれば、恐怖のほか何物でもなかった。自分はこれから死ぬまで戦い続けなければならない。

 そう考えただけで頭の中を恐怖が支配し、全身の震えが止まらなかった。



 2096/6/15 13:13

 翌日、彼方はこれからの生活について、もろもろの説明を午前中いっぱい聞かされた。

 配属は独立航空機動隊第二分隊であった。できれば、物腰柔らかな伊吹のいる第一分隊が良かったが、それは心のうちに秘めておいた。

 続いて午後は第二分隊内でのミーティングだった。ミーティングと言っても、自己紹介と戦術の説明が主な内容だった。

 しかし、彼方は昨日まで机に向かって英語やら数学やらをやっていたのに、軍事用語を並べられたところで、一ミリも頭に入ってこなかった。

 唯一の救いとえば、研究棟の一件で見知った笹塚が懇意にしてくれたことだった。

「ずいぶんと痛々しい姿だけど、無事でよかったよ」

「はい、笹塚さんのおかげです」

 笹塚はそれを聞くと、ハハハと笑った。

「ただ、その軍服はちょっと似合わないかな?」

 確かに、今朝支給されたばかりの軍服は少し違和感があった。

 笹塚は彼方に近寄ると、襟元をくいっと直した。

「……すみません」

「なに、新兵にはよくあることさ。入隊早々第二分隊に配属されるなんて君は強い悪運の持ち主だよ」

 彼方は激しく同意したかったが、喉で飲み込んであいまいな返事をした。

「第二分隊にいる人たちはみんな、姫宮少佐に憧れを持っている人の集まりなんだ」

「え?」

「もちろん私もそうだ」

「どういうことですか?」

 気づけば彼方は食い入るように聞いていた。

「二年前のことだ。中国が日本のマギアレリックを狙って侵攻してきた日本海海戦って知っているかい?」

「はい」

 連日のニュースをにぎわせていた日本海海戦は彼方の記憶にも新しい。

「当時士官学校の四年生だった少佐は、第二分隊に仮入隊していたんだ。そのころのメンバーは、私を含めて、たかが学生風情と思っていた」

 笹塚は思い出にふけるような言い方に変わった。

「日本は飛兵を本格的に導入したが、中国艦隊の対空砲火と敵の飛兵に押され、敗北を覚悟した。実際に、前の第二分隊の隊長は敵の対空砲火にさらされて戦死したよ」

 ということは、碧は隊長になってから長くても一年しかたっていないということに彼方は気づいた。

「隊長を失って、我々はばらばらになった。精鋭部隊なんて言われているけど、指揮する人間がいなければ、マンパワーの寄せ集めにすぎない」

 それが自虐か、本物の戦場を超えてきた者の経験談かわからなかったが、彼方は何も言わずに聞いていた。

「そんなとき、少佐——当時は准尉だった隊長が指揮を執り始めた。私も含め、全員が驚いたよ。演習弾で訓練してきた学生が鋭い目で敵を睨み、体は震えていない。きっと、当時の我々に失望したんだろうね、「何が精鋭部隊だ……」。少佐の眼がそう言っていたよ」

 今の碧を見れば、そんなことをするのは容易に想像ができた。

「でも、一部のメンバーは少佐の指揮に従わなかったんだ。学生に命を預けたくない気持ちは私にもわかる。だが、私と数名のメンバーは少佐に従った。そのメンバーは一人残らずここにいる。今も生きている」

「従わなかった人たちは………」

「一人残らず海の藻屑さ。少佐は自分に従わなかったメンバーを切り捨てて、自分についてきた数名の兵士に指示を出し、敵艦隊と飛兵部隊を撃退した。少佐を含めてたったの六人だ。それで数百の飛兵と数十の艦艇を撃退した。あそこで少佐は私たちの死神になった」

「……死神ですか?」

「私たちの死に場所を決めてくれる存在だ。私たちはこの命が続く限り、少佐についていく。たとえそこが敵陣の真っただ中でもだ。あの一件以降、少佐は第二分隊の隊長の座に着き、第二分隊は入隊困難な部隊になった」

 自分はそんなとんでもない部隊に配属されたと知ると、彼方にはそれはそれでプレッシャーになった。

「だから、ここにいるのはみんな少佐に憧れてきた人たちなんだ。死神について行けば、死に場所を教えてくれるからね」

 そこまで話すと、笹塚は端末を取り出した。

「おっと、世間話はここまでみたいだ。このあと会議があるから私はこれで失礼するよ」

「はい、ありがとうございました」

 笹塚は手を上げて部屋から去っていった。

「そういえば、少佐本人に死神って言ったらだめだからね。これは少佐以外のメンバーの秘密だから」

 彼方は苦笑いして笹塚を見送った。

 憧れは、その本人の知らないところで勝手に広がっていくのだろうと彼方は思った。



 ***



 2096/6/15 19:47

 日が沈み、海上は波の音しかしなくなっていた。

 横浜基地の沖、貨物船が行きかう東京湾の海上に、一隻の貨物船が漂っていた。

 夜闇に紛れるかのような濃紺の船体。全ての明かりが消えており、幽霊船と見紛うほどだった。甲板には山のように貨物が乗ってるが、その貨物には物資ではなく、 武装した飛兵が入っていた。

 その貨物船の艦橋に、突然無線が響いた。

『こちらはU.D.F横浜基地管制塔だ。航行中の船舶に通達する。所属と識別番号を求める。繰り返す。こちらは——』

 艦橋に響いていた無線は、すべてを告げることなく沈黙した。

 ——バリン!

 艦長席に座っていた男が、腰のホルスターから抜いたハンドガンで通信機を撃った。

「よし、作戦を開始する。U.D.Fの犬どもに痛いのくれてやれ」

「作戦開始。総員、発艦はじめ」

 男の声の後、オペレーターが積み荷の中の飛兵たちに指令を送る。



 一つあたりの貨物の中には、五人の飛兵が入っていた。

 そのうちの一つには、肩をこわばらせている少女の姿があった。吸い寄せられるような水色の瞳に、前髪を切りそろえたクリーム色のロングストレート。

 緊張しているのか、視線はただ一点を見つめ、足はガタガタと震えていた。

 少女の手には白い弓が握られていた。ところどころに金の装飾が施され、ファンタジーに出てくるようなデザインであった。

「必ずリード=ナルガニッヒを持ち帰れ。そのためのマギアレリックだ」

 隣に座っていた男に話しかけられ少女は肩をびくつかせて、横目で男を見た。

「サテラ=ガーゼルナハルと共に、我らの悲願を成し遂げよ——」


「——花江凜」


 後に「セナトス戦役」と呼ばれる戦いは、この横浜基地防衛戦によって幕を開けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空の花束 村崎志木 @siki_kkym

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ