空の花束

村崎志木

800年―横浜防衛戦—⑴


 『マギアレリック』——それは、世界各地で出土、発見されている考古遺物である。

いわゆる『魔導遺産』と呼ばれるそれは、この世界の物理法則を無視した奇跡、魔術の類を現実とするものである。

 

——ある者は言った、この世界には魔術と、魔術を行使できる者がいると。


——また、ある者は言った、自分たちが見ている世界とは違う異世界が存在していると。。


西暦二〇九六年、マギアレリックが初めて発見されてからちょうど六〇年を迎えてもなお、その謎は一つとして解明されていない。

マギアレリックはなぜこの世界に存在するのか、その正体は何なのか。

そして、マギアレリックとその謎を巡る戦乱が、幕を開こうとしていた。


***


2096/6/13 6:45


 カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。

 九条彼方くじょうかなたにとって、二度寝は縁がない。というより、いつも同じ時間に起きていれば、自然と目覚ましは必要なくなっていた。

 ベッドから出て、カーテンを開けると、部屋の中が一気に明るくなり、彼方の目をくらませた。

 彼方は朝に何かをやるという習慣はなく、いつも通り顔を洗うため、洗面所に向かう。

 鏡に映る姿はどこにでもいる男子高校生のそれ。格闘家よろしく筋骨隆々としているわけでもなく、かといって骨細でもない、程よい肉付き。茶色がかった黒髪が、目にかかるので軽くかき上げた。

 彼方は顔を洗ったからと言って、これで目が覚めるとは思っていない。だが、習慣なのでこうして毎朝洗面所に立ってる。

 誰もいないリビングまで来ると、これもまたいつもの習慣で朝のニュース番組をつけた。

 誰もないというのは、彼方が一人暮らしだからであり、これもいつものように両親がリビングで朝食を作ってくれているということはない。

『マギアレリックというのは、その名の通り、魔術を発動できる遺物です』

 モニターに移るコメンテーターは、身振り手振りでマギアレリックの解説をしている。

 この程度の知識は、オカルト番組でも取り上げられているため彼方でも知っていた。

『本来出土物は、その土地で断層のずれや、土砂崩れなどで地層が動かない限りは古いものほど下の地層で発掘されるのが通常です』

 彼方はオカルトに興味があるわけではないが、朝食を作る手を止めて、コメンテーターの解説に聞き入っていた。

『ですが、マギアレリックはこの法則を無視して、銃器が新石器時代の地層から出土したり、この世界の技術では作れないものが出土したりしてるんですよ』

 彼方は子どもの頃、両親に連れられて博物館でマギアレリックを見たことがある。リード=ナルガニッヒというそれは、軍刀の形をしており、単一のオリジナルが数十の質量を持った分身を作り出すという能力を持っている。

 実際、その能力を見たわけではないので、彼方は信じられなかったが、それがこの世界のものではないということはわかった。

 モニターの中では、司会者がコメンテーターに質問をしていた。

『魔術というのは具体的にどういったものなのでしょうか』

『それを挙げていったらきりがないですよ。ですが、中には兵器として軍事利用を試みる国も出てきているんですよ』

『兵器……ですか』

『ええ、例えば攻撃として用いることはもちろん、再生や治癒の能力のあるマギアレリックも用いられています』

 彼方は歴史の授業を思い起こした。

 人類史において、初めてマギアレリックが戦場に登場した大西洋戦争——この戦争は二〇六一年に、難民の影響で経済危機に陥っていたEU(ここでは二一世紀初頭の地域統合体という意味とは異なり、ヨーロッパ諸国の統一国という意味)が、当時、軍事路線でトップを走っていたアメリカに対して宣戦布告し、アメリカが勝利したという出来事である。

 この戦争でアメリカが勝利した要因として、軍事路線のトップを走っていたということもあるが、最大の要因はマギアレリックを投入し、一騎当千の戦力としてEUを圧倒したことにあった。

『二一世紀初頭とは異なり、現代では斥力ウィングを歩兵に装備することで、航空戦力は艦載機から飛兵に変化しました。艦載機が不必要となったことで、コストが大幅にカットされ、飛兵にマギアレリックを装備することで、従来よりも多くの敵を同時に相手にでき、艦載機よりも強力な戦力になります』

 二〇九六年現在、戦場の絵図に艦載機はほとんど存在しない。

 斥力により、立体機動を可能とした斥力ウィングを装備した歩兵——いわゆる「飛兵」によって、人が空中戦を行うという戦い方が常識となっている。

 さらに、二一世紀中ごろに開発された光学兵器によって、陸空問わず兵士の武器も変化した。

 それくらいの時事ネタは、彼方も知っていた。

「あっ……」

 彼方ははっとして朝食の準備を始めた。このまま見入っていたら学校に遅れかねない。

 手慣れた手つきで食パンをトーストし、フライパンを温め、卵を落とした。目玉焼きを作る予定だったが黄身がくずれたため、スクランブルエッグに変更、トーストの上にのせてダイニングテーブルに運ぶ。

 冷蔵庫からお茶を出してトーストの横に並べる。

 いつのまにか番組は、マギアレリックの話題から天気コーナーに変わっていた。

 彼方はそれを聞き流しながら朝食をとり、身支度をして家を出た。



 彼方の家は横浜の保土ヶ谷にある。そこから電車で二駅乗り継いで学校に着く。

 学校の近くが幸いして、ギリギリに家を出ても間に合う近さだが、彼方は十分に余裕をもって家を出ている。

「彼方」

 ちょんちょんと肩をつつく感覚がして振り返ると、そこには清楚な出で立ちの少女が立っていた。

 前髪を切りそろえたクリーム色のロングストレート、水色の丸い目は精巧に造られた人形よろしく彼方を見上げていた。

「凜、おはよう」

 彼方はその少女にいつものようにあいさつした。

 言われた花江凜はなえりんは、にこっと慎ましげな笑みを見せると、「おはよう」と彼方に返した。

 彼方と同じ横浜海浜高校よこはまかいひんこうこうの制服をまとった凜は電車の中を見渡すと、「うーん」と首をかしげた。

「どうした?」

 彼方が訊くと、凜はしばらく間をあけて答えた。

「明日って横浜基地の記念式典でしょ? 意外と人少ないなぁって思って」

 二〇九六年現在、横浜は東神奈川からみなとみらいにかけて、軍事基地が敷かれている。それまで軍港と言えば横須賀基地であり、現在も変わらず横浜基地と並んで使用されている。

 二つの基地が併設されるようになった経緯は、二一世紀中ごろにある。

 アメリカ、日本が共同で開発した光学兵器の運用規則(簡単に、双方が平等な戦力を確保し、両国に専用の駐在基地を作る)に基づき、アメリカ軍と自衛隊が一本化し横須賀基地を主にアメリカ軍が使用し、横浜を主に日本が使用する世になった(あくまで建前であり、厳密には双方がそれぞれの基地に入り交じっている)。

 二〇五六年に世界中の軍を統合した統一国防軍(United Defensive of Force=U.D.F)が設立されてからは、日本の軍事の心臓部として機能している。

 明日は、U.D.Fの設立四〇周年記念式典が予定されており、その中には斥力ウィングを装備した飛兵による演習も盛り込まれている。それを見に来る観光客でにぎやかになるというのが凜の予想だった。

「まぁ式典は明日だし、まだ来ないんじゃないか?」

「それもそうね、彼方は見に行くの?」

「行きたいけど、明日って学校あるだろ。午前中だけだから行こうと思えば行けるけど、飛兵の演習は見れないだろうな」

 明日は土曜日だが、現在では土曜日に学校があるのが常識である。しかし、授業は午前中だけになっている。

「基地見学は午後からでも行けるよ」

「基地なんか見てどうすんだよ。凜ってそういうの興味あるのか?」

 凛は首を横に振って答えた。

「スカイブーケ隊が来てるのよ」

 凛の目はきらきら輝かせながら言った。

「スカイブーケ隊? 何それ?」

「U.D.Fの精鋭部隊よ。全員が斥力ウィングを装備してて、自在に空を飛び回るの。それがかっこよくて」

「へぇ~」

 彼方の「いかにも興味なさそう」な返事に、凜はむすっとした表情を作った。

「三年前の日本海海戦で、空から敵艦隊を壊滅させたのよ」

「っていわれても」

 スカイブーケ隊——U.D.F独立航空機動隊の通称で、高度な戦闘技術を持った精鋭の兵士で構成された部隊である。

 彼らは、三年前に中国が日本のマギアレリックの奪取を目的に侵攻してきた日本海海戦において、斥力ウィングと光学兵器の組み合わせが、艦載機に勝ることを証明した。

「スカイブーケ隊のエンブレムのピンバッジが売ってるんだって。この式典だけの限定品だから、絶対買いたいわ」

「エンブレムってどんなの?」

 彼方は言いながら、端末で調べた。しかし、画像が出る前に凜が目を輝かせて答えた。

「その名の通り、花束よ」

「これか」

 彼方は端末の画面に表示されたエンブレムを見ながらつぶやいた。

「ずいぶんと可愛いデザインだね」

 彼方が言うと、凜は「そうなの!」と食いついてきた。

「かわいよねぇ、彼方にもわかる?」

 彼方は踏んではいけない地雷を踏んだと確信した。

 学校に着くまで凜がスカイブーケ隊について語り明かしたことは、これ以上言うまでもない。



 彼方と凜の通う横浜海浜高校は、三年制の普通科高校である。

 同じクラスである彼方と凜は、二人一緒に二年生の教室に入った。教室でも二人でいるということはせず、二人はそれぞれの友人達のもとへと向かった。

 彼方は自分の席に着くと、この時代では当たり前であるIDカードでの出席確認を手早く済ませる。

「おはよう彼方、今日も花江と登校か?」

 彼方の前の席に座る足立あだちが声をかけてきた。人当たりがよさそうな性格で、クラスの中心的な人物である。

「方向が一緒なんだから仕方ないだろ」

 このクラスでは、彼方と凜が恋人同士であるという噂が広がっている。

 足立もその噂を信じている一人であり、この発言はそれに基づいている。

「相変わらず仲いいことだ。で、明日の式典は二人で行くのか?」

「わからん。時間あったら行くと思う」

「本当は付き合ってんじゃねぇの?」

「またその話かよ……。何回も言ってるけど、それはない」

 彼方は否定はするが、凜のことが嫌いでも、うっとうしく思っているわけでもない。ただ、彼方が凜に一方的に想いを寄せていることがばれていないことには安堵した。

 その日の授業が終われば、彼方は基本的に暇である。

放課後の過ごし方はその日の気分次第だが、この日のように凜と二人で、ファミレスでレポートを書くことはまれではない。

「マギアレリックの実用性って、何書けばいいのよ」

 これで何杯目かわからないドリンクバーのドリンクをストローですすりながら、凜は不平を吐いた。

 この時代ではノートも教科書も端末一つに集約されている。レポートもこの端末で編集、送信が完結する。

 凛はキーボードを数回打っては、ため息をついてバックスペースキーを同じ回数打っている。

「エネルギー問題と絡めてみたらどうだ?」

「私、そんな難しいことわかんないよ」

 彼方は端末を少し操作すると、歴史の教科書のファイルを呼び出して凜に見せた。

「二〇世紀後期に始まったエネルギー問題は、二一世紀の中ごろに新エネルギーに転換した。けど、増え続ける人口に対して、新エネルギーだけじゃまかなえなくなったから各国間で紛争が頻発する原因になったてこと」

 試験の記述問題なら模範解答にでもなりそうな彼方の説明を、凜は右から左に聞き流していた。

「で、それをどうやってマギアレリックに結びつけるの?」

「新エネルギーに変わる新しいエネルギーに、マギアレリックを利用すること。アメリカが実験しているみたいだけど、まだ実用化はできないみたいだね」

「ねぇ、彼方ってどこでそういうネタ仕入れてくるの?」

 レポートの内容はどこ行った、という彼方のつっこみは、のどまで出かかったところで飲み込まれた。

「新聞読んでれば自然と身に着くと思うけど……」

「普通の高校生は新聞読まないのよ」

 彼方は自然とため息をついていた。



 翌日、クラス中が記念式典の話題で持ちきりであった。朝から横浜の上空を輸送機や中継のヘリが飛んでおり、式典というより祭りと言ったほうが似つかわしいと彼方は思った。

 朝の電車内は観光客が多く、いつもより車内が狭かった。

「ちょっと彼方、少し離れてよ」

「そんなこと言われても、仕方ないだろ。電車混んでるんだから」

 今、彼方と凜は非常に気まずい状況だった。

 触れ合った肌から、ほんのりと凜の体温が伝わり、凜が恥ずかしそうな表情をつくるため、彼方は不要な罪悪感を抱くことになった。

「あ、あんまり見ないでよ」

 凛も自分で意識しているのか、彼方から目をそらし、頬を赤らめていた。

——ガタン!

 突然電車が揺れ、凜はバランスを崩した。

「きゃ!」

 凛は不可抗力で彼方に抱き着く形になった。突然のことで、彼方も凜の肩をつかんでしまった。

「……ちょっと」

「ごめん、大丈夫だった?」

 二人の間に気まずい空気が流れ、お互いに目をそらした。

「うん……ありがと」

 彼方は日ごろからこういう場面に出くわしているわけではない。とっさに何を言えばいいか出てこなかった。

 それから二人は目を合わせず、何も話さないまま学校へと到着し、それぞれの友人のもとへと向かった。

 この日の授業は、記念式典が包む雰囲気もあってか、どこか浮ついていた。

 彼方の教室からは横浜基地が見える。彼方は授業そっちのけで横浜基地を眺めていた。



 記念式典の最終準備に追われる横浜基地では、式典の警備にあたる部隊の最終ミーティングを行っていた。

 一〇〇人は余裕で入るほどのミーティングルームに集まっているのは、U.D.F横浜基地の精鋭部隊である独立航空機動隊——通称スカイブーケ隊であった。

 U.D.Fの制服に身を包んでおり、制服の肩部分に花束を模したエンブレムがついている。

 スカイブーケ隊は二つの部隊に分かれている。

 第一部隊——国東班と言われるこの部隊は、剣の名家である国東家の国東伊吹くにさきいぶき少佐を隊長に置き、強襲を得意とする部隊である。

 第二部隊——姫宮班と言われるこの部隊は、弓の名家である姫宮家の姫宮碧ひめみやあおい少佐を隊長に置き、後方支援、狙撃を得意とした部隊である。

 勘違いされがちではあるが、伊吹も碧も男子である。

 去年、士官学校を卒業したばかりで一九歳だが、名家の出身であり、戦闘能力が高いことからスカイブーケ隊の隊長に抜擢された。

 補足ではあるが、U.D.Fは完全能力主義であり、血筋や家による官職の優越は認められていない。伊吹や碧がスカイブーケ隊の隊長に任命されているのは、彼らの実力に他ならない。

「本作戦は記念式典における会場の警備である。昨今の世界情勢を鑑み、テロや非政府組織による攻撃も予想される。各員、これを厳として警戒せよ」

 スカイブーケ隊の面々の前に立って声を上げたのは、スカイブーケ隊司令官の藤原詩織ふじわらしおりであった。

 女性ながら、凛とした面持ち、鋭い目つきで、絵に描いた「できる女性」をそのまま具現化したような立ち姿である。

 三〇代にしてスカイブーケ隊の司令官なのは、彼女がいわゆるキャリア組だからであり、スピード出世である。

「なお、本作戦にはスカイブーケ隊全員に斥力ウィングを装備する」

 第一部隊、第二部隊ともに一五人で、非戦闘員である藤原をのぞけば全員で三〇人と、他の部隊に比べて非常に少数である。斥力ウィングが全員に配備されるのは、精鋭部隊であるとともに、少数であることが理由である。

「加えて、今回の作戦から一年間、士官学校二年次の主席、次席の生徒が本部隊に仮入隊する」

 藤原の隣には、戦いとは縁遠いような少女が二人立っていた。

 U.D.Fの士官学校には、U.D.Fへの体験入隊制度がある。各学年の主席と次席は、U.D.Fの希望する部隊に一年間仮入隊する権利が与えられる(もちろん断ることも可能)。これは、学生のうちに現場を体験することで、優秀な兵士を育成する目的があるが、未成年を戦場に送り出すのは、非人道的であるという主張も少なくはない。

「紹介する。主席、第一部隊国東班に配属となる国東涼花くにさきすずか准尉だ。国東少佐、妹だからといって甘やかすことのないように」

 国東涼花は伊吹の実の妹で、国東家の中でもとりわけ剣の才能に恵まれている。幼さの残る容姿だが、剣士の慧眼と纏う雰囲気が相まって、ある意味で異様な少女である。

 長い黒髪を結い、前髪を切りそろえ、大和撫子のようだった。

「承知しています」

 伊吹は藤原に敬礼をかえす。

「もう一人だ。次席、第二部隊姫宮班に配属となる雪村奏音ゆきむらかのん准尉だ。姫宮少佐が士官学生時に交流があったと聞いている。頼んだぞ、少佐」

 碧は静かにうなずいた。もともと話すほうではなく、藤原もそれを知っている上官に対してそっけなくても、藤原は何も言わなかった。

 雪村奏音は、碧が士官学生のときの碧の後輩である。

 涼花ほどではないが、短めのポニーテールを淡い水色のリボンで結っている。目じりが垂れ下がり、ほんわかと雰囲気は涼花と対照的で、周りに癒しを与える印象である。

 涼花と奏音は一礼すると、それぞれの隊に向かった。

「以上でミーティングを終わる。解散!」

 藤原の号令に合わせて全員が敬礼をする。

 涼花と奏音も見よう見まねで敬礼をした。

「お久しぶりです。よろしくお願いしますね、せんぱい」

 それぞれがミーティングルームを後にし始めている頃、奏音が碧に挨拶に来ていた。

 奏音は碧が士官学生時と変わらない銀色の長い髪のままで、懐かしい感覚がした。

「久しぶりだな、奏音。元気そうで何よりだ」

「ええ、でも、せんぱいが最近会ってくれないので、わたしは寂しいです」

 伊吹と涼花しか知らない事実だが、碧と奏音は付き合っている。碧が士官学生のときに出会い、今に至る。

「ごめん……でも、だからってスカイブーケ隊に来ることはないだろう。会いたかったら合間縫っていくらでも会ってやる」

「がんばって次席になったんですよ、さすがに涼花は超えられませんでしたけど」

 碧は奏音の頭に手を置いた。

「よく頑張ったな」

 はたから見れば、かゆくなるようなやり取りだが、部屋の中にはほとんど人がいなかったのが幸いし、嫉妬の眼は向けられなかった。

「そういえば、わたしに新装備の試験運用を頼まれてるんですけど、知ってます?」

 奏音は制服のポケットから端末を出して碧に見せた。そこには、U.D.Fが開発した新装備の概要が記録されていた。

「BCS-20-91機動戦盾『I-ath』。……アイアスっていうと、トロイヤ戦争のアイアスの盾か?」

「そうだと思います。『I』は『独立』を表す『independence』、『ath』は『機動』を表す『athleticism』らしいですよ。二つの文字の頭文字をとってアイアスの盾になぞらえたらしいです」

「へぇ、開発部もいろいろ考えるものだ。戦盾だから、攻撃もできるのか?」

「はい。二枚の盾にそれぞれAIが搭載されていて、攻撃と防御の両方ができます。それぞれの盾に二門の光学砲がついてるんです」

 碧は、奏音の話を聞きながらマニュアルに目を通していた。

「DD装甲を使っているのか。光学砲付きですごいな」

 奏音は碧の絶賛に目を輝かせていた。

 碧の言っていたDD装甲とは『Damage Dispersion装甲』の略語である。光学兵器による攻撃に対し、その熱を盾の表面に分散し、I-athに搭載されている光学砲の冷却装置を使用して瞬時に盾へのダメージを抑える機能を持っている。

 あくまでこれらは設計上の性能であって、本当に機能するかはわからない。それを試すために奏音に装備させている。

 碧はマニュアルを一通り読むと、何かを思い出したように言った。

「奏音、いくら学生の研修だからって、いつ戦闘に巻き込まれるかわからないから、何かあったら必ず逃げろ」

「お心遣いありがとうございます。せんぱいが卒業して、せんぱいに会えなくなってさみしいから次席になってスカイブーケ隊に来たんですよ。そんな簡単には引き下がりませんからね」

 碧は今回の警備任務では小さな騒ぎこそあれ、戦闘は起きないと思っている。そこまで過保護になる必要はないが、奏音に傷をつけるわけにもいかない。

 碧の本音を言えば、奏音のような戦いとは縁遠い少女を戦場に立たせること自体、好ましく思っていなかった。



2096/6/14 10:42

 土曜日の授業は午前中だけである。二時間目の授業が終わった休み時間、残り半分を折り返したところで彼方は不快なサイレンの音を耳にした。

 避難訓練ではない。横浜の街の至るところに設置されたサイレンである。

『横浜基地で爆発を確認。基地周辺にいる方は警戒してください』

 彼方は、友人たちとの話を止め、頭の中を切り替えた。

 横浜海浜高校はその立地上、横浜基地で何かあったときの訓練を日ごろから実施している。

「爆発……式典中のはずじゃないのか」

 彼方は窓から横浜基地のほうを見た。

 横浜基地から立ち上る黒煙。その間を斥力ウィングを装備した飛兵が飛んでいる。

 式典中に爆発をともなう演習が予定されているならば、サイレンは鳴らさない。

「戦闘?」

 しかし、彼方は逃げようとはしなかった。もし戦闘であるとして、市街地に戦火が伸びることはめったにない。

 逆に不用意に動いて戦闘に巻き込まれてしまう可能性もある。避難が必要ならば、学校から指示が出るはずである。

 彼方は指示が出るまで待機することにした。



2096/6/14 10:36

 スカイブーケ隊は上空から警備にあたっていた。眼下には式典の会場が広がり、本部棟の前では、U.D.F日本の総司令官が演説をしているのが見える。

 碧は横浜から東京湾を見ていた。なにもさぼっているわけではなく、海上からの攻撃に警戒しているのである。

「スカイブーケ隊から管制へ、海上は異常なし。引き続き警戒を行う」

『管制、了解』

 碧はインカムで報告を済ませると、奏音を見た。

 初出撃だが、緊張しているそぶりはない。よほど強心臓なのか、碧を信用しているのかは奏音にしかわからない。

 スカイブーケ隊のだれもが、今日の警備任務はこのまま平和に終わると思っていたそのときだった。

——ゴゴ―ン!

 体を中から揺さぶるような振動が、スカイブーケ隊を襲った。

「爆発か?」

 瞬時に伊吹が周りを見る。

「戦闘用意!」

 碧の一声でスカイブーケ隊の全員が武器をかまえる。

 光学兵器が一般的に配備されるこの時代、U.D.Fの兵士に最も好まれる光学銃BC20-40-NH『ニブルヘイム』を装備したスカイブーケ隊のメンバーたちは全方向に注意を向ける。

 ニブルヘイムはいわゆるビームガンである。小型で取り回しが利き、なおかつエネルギー供給が安定している。しかし、小型ゆえに冷却が遅く、連射しすぎるとオーバーヒートする可能性が高い。

 碧は左右の腰のホルスターからニブルヘイムを抜き注視する。

 ただ、碧のニブルヘイムは外見こそ他のメンバーのものに似ているが、碧専用に調節されたBC-20-95NH[C]『ニブルヘイムカスタム』である。

 ニブルヘイムカスタムは冷却不足によるオーバーヒートを改善し、碧の戦闘スタイルに無理やり合わせた武装である。

 ちなみに碧の戦闘スタイルは銃での零距離におけるドッグファイトである。射撃全般が得意であるため、戦況に応じて狙撃や支援も務めるが、やはりドッグファイトが碧にとって一番やりやすいらしい。

『訓練棟で爆発を確認しました。爆発の原因を調べています独立航空機動隊第一、第二部隊は現在の空域にて待機をお願いします』

 無線が碧と伊吹に届いた。

 煙の出ている方向から見て訓練棟なのはわかる。当然、その付近の警備にあたっている部隊が調査に出ているのもわかる。

「了解」

 碧はなぜか嫌な予感がしてならなかった。単にテロや、反乱などというものではない大きな存在を感じた。

「警戒しつつ待機」

 碧はそういうと、インカムを藤原につないだ。

「管制から待機命令が出た」

『で? お前の感覚は?』

「正直言って嫌な予感しかしない」

 碧はそう言いながら伊吹を見た。伊吹も碧と同じ感覚らしく、首を縦に動かした。

『何の爆発かわからない以上動くな。情報が入り次第、交戦が予想されれば支援に回れ』

「了解した」

 碧は無線を斬ると、通信の内容を隊に伝えた。

 再び警戒に戻ろうとしたとき、さっきと同じような振動が至るところから押し寄せてきた。

 いたるところから黒煙が上がり、警備にあたっているU.D.Fの部隊が空を、地上を動き回り始めた。

「伊吹、動くぞ。研究棟だ」

「碧、まだ指示が」

 碧が斥力ウィングで飛び去ろうとするのを伊吹が止めた。

 いくら独立部隊とはいえ、戦場で好き勝手動いては他の部隊に支障が出てしまう。ある程度他の部隊と足並みをそろえるために、管制から指示が出る。しかし、碧はそれを無視して自己判断で動き出した。

「——指をくわえて見ていろ」

 碧はそれだけ言って研究棟の方向に飛んで行った。

 それに続いて姫宮班の飛兵たちも研究棟を目指した。

「せんぱい、どうして研究棟なんですか?」

 隊列を気にせず碧の横を飛ぶ奏音が訊いた。士官学生でも隊列や戦術は習う。しかし、奏音は周りを一切気にせず飛んでいる。姫宮班のメンバーが、好ましくない目で奏音を見ているのは精鋭班にそぐわない行動を奏音がとっているからである。

「戦闘の基本は、高性能の艦載機でも鉄壁の戦車でもない、マギアレリックだ。反乱にせよテロにせよ、個人や組織がマギアレリックを持つことは法律で禁止されている」

 これは士官学校でも平気で習うことである。もちろん奏音も知っていた。

「ならば、実戦で最初にマギアレリックを握った者が戦場を統べる」

 研究棟は、U.D.Fが国から許可を受けてマギアレリックの保管をしている施設である。敵の本隊はマギアレリックを求めて研究に来るというのが碧の予想であった。

「——少佐」

 碧のすぐ後ろから声がした。第二部隊の副隊長である笹塚ささづかだった。三〇代後半ながらスピード出世で姫宮班に入隊し、碧の右腕とも称される精鋭である。

「敵の本隊となると、かなりの数がいるのではないでしょうか。もしマギアレリックを取られていれば、いくら少佐でも危険かと」

 姫宮班のメンバーは碧の情報分析能力をよく知っている。一年前、碧と伊吹の初出撃であった日本海海戦で、忘れられないくらい思い知らされた。

 レーダで敵を追っている管制よりも、碧のほうが早く敵の動きをつかみ、的確に応戦した。

 当時の隊長は、その戦闘で重傷を負い、次期隊長の選定の際、姫宮班は満場一致で碧を推薦した。

 姫宮班にとって碧とは頭脳そのものであり、命綱である。碧についていけば間違いはない、そう信じて彼らは碧と翼を並べている。

 彼らからすれば奏音の質問は愚問であった。碧の指示に背くことは、自分の死を意味することを知っている。

「確かに、マギアレリック持ちは俺が一人で対応するとして、敵の戦力がわからない。だが、他国の軍でない限り、たかが知れている。国東班も混ぜれば問題ないだろう」

「しかし、少佐お一人でマギアレリック持ちと戦うのは危険では」

 マギアレリック一つあたり、並の兵士五〇人に相当すると言われている。いくら碧が精鋭部隊の隊長とはいえ、無理があった。しかし、碧は恐れるどころか涼しい顔をしていた。

「所詮はにわか仕込みの技術だ、俺の敵じゃない」

 碧は戦闘力、指揮能力、状況分析においては申し分ない。世界を相手にしても、トップクラスだろうと笹塚は思っている。しかし、協調性に欠けている。

「笹塚、手順はいつもと同じだ。ただし、奏音は俺が連れていく。敵の正体が分かったら教えてくれ」

「承知」

 笹塚の返事を訊くと、碧は体ごと振り返った。

「敵の狙いはマギアレリックだ。各員、マギアレリックとの戦闘は避けつつ、基地の防衛を最優先せよ」

『了解』

 第二分隊は散り散りに分かれ、研究棟に接近する。

「奏音は俺についてきてくれ」

「わかりました」

 奏音の左右にはI-athが浮遊している。縦一八〇センチ、幅八〇センチの二枚の盾は、奏音の姿を覆い隠し、その存在感を示している。

『碧、こっちは研究棟の周りの敵勢力と応戦する。マギアレリックはそっちに任せる』

 伊吹からの通信に碧は短く「了解」と答えた。

「陽動……ですか?」

 奏音は、この状況から自分の見解を碧に訊いた。

「そうだな。マギアレリックを保管してある研究棟以外を爆破して、そこにU.D.Fを集める。手薄になった研究棟からマギアレリックを奪取して離脱。差し詰め、そんなところだろう」

 碧は最初は何らかの組織による、式典の襲撃だと思っていたが、爆発の箇所が研究棟以外であることから、敵の狙いがマギアレリックだと予想した。

「——奏音」

 突然名前を呼ばれ、奏音は少し驚いたように碧を見た。

「はい?」

「危ないと感じたらすぐに逃げろ」

「はい、ありがとうございます、せんぱい」

 奏音はニコッと笑って見せた。

「せんぱいのそういうとこ、好きですよ」

 奏音は、碧があえて奏音だけを連れてきた理由をうすうす知っていた。

 自分が大切にされていると思うと、奏音は戦闘中にもかかわらず、笑みをこぼしてしまった。

 碧は無言のまま、奏音に近づき、奏音の頭をそっと撫でた。

 研究棟に近づくと、地上から光学銃の対空砲火が二人を襲う。

「せんぱい!」

「俺から離れるな」

 碧は斥力フィールドを最大展開し、奏音と自分を包み込んだ。

「奏音、I-athを防御優先に切り替えて研究棟に取り付くぞ」

「はい!」

 碧の斥力フィールドは実弾に対しても光学兵器に対しても有効である。対空砲火をすべて受け止めても、綻ぶことのない浮沈の盾。しかし唯一の欠点は、斥力フィールドを展開している間は、内側からの攻撃もできないというところである。

 奏音のI-athは奏音の前面に展開し、奏音を守っている。DD装甲は光学兵器を受けると、盾の表面全体に熱を分散し、光学砲の冷却装置でダメージを最小限に抑える設計になっているが、裏を返せば、冷却装置を防御に使っているときは攻撃には使用できず、その逆もあり得るということである。攻撃と防御を同時に行えば、冷却装置に負荷がかかり、機能しなくなってしまう。

『管制より、スカイブーケ隊へ。市街地にて敵勢力を確認。市街地への被害を最小限に抑えてください。付近の部隊もそちらへ回します、合流して撃破をお願いします』

「姫宮、了解」

 しかし、碧は市街地に向かうことなど考えていなかった。

 碧は、市民を見捨ているという非人道的な思想の持ち主ではない。

「伊吹、聞いての通りだが、市街地のほうもおそらく陽動だ。俺たちを研究棟から引き剥がすのが目的なら、このまま研究棟の本隊を蹴散らすぞ」

『だが、市街地だぞ』

 碧は伊吹の言っていることもわからなくはなかった。軍人であるならば、市民を守るのが義務であり、伊吹はそれに則っている。伊吹の言っていることは模範的回答だった。

「それが敵の狙いだ。マギアレリックが奪われれば市街地を守るどころの話じゃない」

『第二分隊が研究棟に行くなら、俺たちは市街地に行く。それでいいな』

「わかった」

 碧は通信を切ると、両手に握ったニブルヘイムで地上の敵に照準をつける。

 伊吹の第一分隊が離れたことで、碧は第二分隊だけとなった。それでも碧の戦略は変わらない。

——ドシュ!

 左右のニブルヘイムから桜色の閃光がほとばしり、銃口から一直線に伸びた光線は地上にいた敵兵士を打ち抜く。

 碧がU.D.F最強と謳われるの理由は二つある。一つは状況把握力。五感で周囲を把握し、まるで後ろにも目がついているかのように立ち回る。二つ目は頭の回転の速さ。知り得るすべての情報を統合し、最適な戦術を導き出す。常に最悪の状況を想定しており、不測の事態にも柔軟に対応する。

 これらを糧に、基本的な戦闘能力が突出していなくても、碧は最強の座を手にできた。

 三六〇度、前後上下左右、碧の死角となるところはどこにもない。それがたとえ建物の裏側だろうが関係はない。

 背中に装備した斥力ウィングを、その体の一部と化し、空を踊るように敵を屠る。

 それをただ見ているだけだった奏音は、碧のその姿を何かに形容することはできず、見とれるのが精一杯だった。



2096/6/14 10:57

 横浜海浜高校は、横浜基地での襲撃に備え、全生徒に対して避難指示を出した。こういうことを想定し、敷地内にシェルターを設置していた。

 しかし、職員は最後までその決断に迷っていた。学校のシェルターを利用し、全生徒の安全を一時的に確保するか、家の近い生徒は帰宅させ、遠方から通っている生徒だけをシェルターに入れるか。

 結果的に言えば、前者をとったわけだが、その決断を下したときには、桜木町、元町一帯は敵勢力に占拠されていた。

 生徒たちの頭上を、斥力ウィングを装備した飛兵が縦横無尽に飛び交っている。

「学校のシェルターなんて役に立つのかよ」

 彼方の横で身を抱えてうずくまっていた足立が独り言を言った。

 シェルターとはいっても、普段は地下体育館として使用されており、足立が不安を覚えるのももっともである。

「なあ、足立。お前も薄々感じてるかもだけど、ここはシェルターとしては役に立たない」

 足立はおびえた顔で彼方を見た。

「何が言いたいんだよ!」

「落ち着いて聞いてくれ。基地を襲撃した敵の目的が式典の襲撃なら、わざわざ市街地まで戦火を広げる必要はない」

「だから何だよ」

 足立の声は震えており、怒りがこもっているのを彼方は感じた。

「敵の目的は襲撃じゃない。市街地にまで侵入してきた理由が、市民を囮にとるからだとしたら、ここも安全じゃない」

 彼方は落ち着き払った声で淡々と説明を終えた。そして、彼方の予想は言い終えた直後、的中した。

「全員動くな!」

 防弾ベストに迷彩の服、両手にアサルトライフルをかまえた一団が、シェルターの入口を塞いだ。

 銃口を向けられて飄々としていられる高校生はそういない。普段見ることのない凶器を見せられれば、とたんに悲鳴、怒号、恐怖が入り交じり、シェルター内は混乱に陥った。

 彼方も恐怖で足が震えていた。

「おい、彼方。さっさと逃げるぞ」

 足立は額に汗を並べて、食い掛かるように言った。逃げ出すという考えは足立だけではなく、数名の生徒も逃げ出す隙を窺っている。

「止めておけ」

 彼方はここから逃げ出す気はなかった。たとえ友人たちが逃げ出しても、彼方には動けに理由があった。

「俺たちは行くからな」

「ああ、また月曜日な」

 この状況が終われば、いつもの休日が来て、また一週間が始まる。それは、終わればの話だが。

 彼方は周りを見渡して凜の姿を探した。彼方はここから脱出するよりも、凜を無傷で逃がすことのほうが重要であると考えていた。

「いくぞ!」

 数名の生徒が立ち上がり、出入り口に向かって走り出した。その中に彼方の知っている生徒もいた。

 シェルターとなっている地下体育館の出入り口は前後の二つのみ。前方を塞がれていれば、必然的に生徒は後方の出入り口に集中する。

——ダダダダダダダ!

 アサルトライフルが一斉に火を噴いた。耳をつんざく炸裂音が空間を貫き、弾丸が逃げ出した生徒たち目がけて飛び出した。

 銃弾は、彼らの最期すら与えぬまま絶命させ、倒れた生徒たちの周りに血の池ができていた。

 誰も目の前で起きた出来事を理解できず、時間が凍り付いたように誰も声をあげなかった。それは、彼方も同じだった。さっきまでしゃべっていた友人が、一瞬で屍となりそれを受け入れることは、並みの高校生には不可能であった。

 教師たちでさえも、口を開けてその場に立ち尽くすしかなかった。

 出入り口を塞いでいる一団は、子供を殺すことに何のためらいもなかった。精巧な機械のようにスコープをのぞき、引き金を引いて命を奪った。

 この時点で彼方の頭の中では二つの案があった。一つはここにとどまり、U.D.Fの助けを待つか。二つ目は強行突破を試みるか。しかし、後者はすでに結果が知れている。必然的に問うべき道は一つしかなかった。

 すると、一人に教師が他の教師たちに耳打ちをしているのが彼方の視界に入った。

 おそらく何らかの策を練っているのだろうと彼方は予想した。うまくすればこの状況を打開できるかもしれないと。

 悲鳴に包まれる地下体育館で突然、スキンヘッドの体育教師、大崎おおさきが火災用の緊急ボタンを押した。

———ジリリリリリリリリリ!

 途端に警報音が悲鳴をかき消し、空間を支配した。

「何をした!」

 さすがの一団も、これにはひるんだらしく目を丸くしていた。

「いまだ!」

 大崎が叫ぶと、消火器を持った教師たちが出入り口の一団に向かって消火器を吹きかける。

「生徒たちは裏の通用口から逃げなさい!」

 大崎の言葉に従って、生徒たちが一斉に出入り口に集中した。しかし、我先にと押し掛けた生徒たちは出入り口で詰まってしまい、かえっていい的になった。

 その生徒たちの塊の中に、彼方は凜の姿を見た。友人に手を引かれ、もみくちゃにされていた。

「……死ぬぞ」

 彼方はその場から動かず、ぼそっとつぶやいた。

———ダダダダダダダダ!

 アサルトライフルの炸裂音が再び響く。

 標的になったのは消火器を持って生徒たちの逃げる時間を稼いでいた教師たち。一人残らずその場に倒れ、大量の血が池を作った。中には腕や足が千切れている屍すらあった。

 再び悲鳴の雨霰。

 これで時間稼ぎはできない。五〇〇人近い全校生徒が狭い出入り口で、お互いに暴言を吐き、殴り合い、中には恋人のために死を覚悟している生徒もいた。

 彼方は自分に明日はないと、直感がそう告げているのを感じた。

 次の的は自分たちだと、そんなこと、見るまでもなくわかる。

「俺が死んだら、凜は——」

 しかし、脳裏に恋い慕う少女の顔が浮かんだ。まだ、自分の気持ちすら伝えていない。二人で出かけることはあっても、ちゃんとしたデートは一回もしていない。ここで凜がいなくなったら、デートどころか、一緒に登校することすらできなくなってしまう。

 彼方は、深呼吸をして冷静さを取り戻す。

 そして横目で周りを見る。

「……正面の出入り口は占拠されている。後ろの出入り口は生徒であふれている。他に出入り口はない」

 血臭が彼方の鼻を突き、むせかえりそうになるが、ここで考えなければ、自分も床に転がる屍の仲間入りである。

「……消火器、イチかバチかこれしかないか」

 彼方は床を蹴り飛ばし、裏の出入り口にいた凜の手を取り反転し、体育倉庫に向かった。

「ちょっと彼方」

——ダダダダダダダダ!

 銃声が轟くが、教師たちが撒いてくれた消火器の煙のおかげで、彼方と凜が被弾することはなった。

 しかし、出入り口に群がっていた生徒たちが的となり、血しぶきを撒き散らしながら次々と倒れていく。

 あまりにも無残な光景に、凜は吐き気をもよおした。

「これじゃ虐殺じゃないか」

 彼方は口を押えながら、つぶやいた。

「彼方、どうするの?」

 凛はおびえ、肩を震わせていた。

「大丈夫さ」

 彼方は体育倉庫の消火器をとると、立てかけてあったバールを手にした。

「彼方?」

 自分の名前を呼ぶ凜の声。そして、こちらに近づいてくる足音。

「凜、できるだけ壁側に寄っててくれ。できれば何か遮蔽物の後ろにいたほうがいい」

 凛は、彼方が何をするか理解できないまま、言われた通りに壁に寄った。

——ガンッ!

 彼方は消火器にバールを突き刺した。それを外に放り投げて扉を閉めた。

「凜! 頭下げて!」

 彼方は跳んで扉から離れ身を低くする。

——ドン!

 鈍い音を立てて扉が吹き飛んだ。爆風と轟音に続き、吹き飛んだ扉が粉々に砕け散る。消火器の煙が視界を奪い、彼方は目を瞑っていた。

「やったか?」

 凛と彼方は恐る恐る目を開けた。

扉の残骸の先、数体の死体が重なっている。手足が吹き飛び原型がほとんど残っていない。消火器の破片が壁に突き刺さっており、爆発の威力が計り知れた。

「彼方、何したの?」

 凛は驚きを隠さず、彼方に訊いた。

「加圧式の消火器だよ。少し前の時代までは普通に使われてたんだけど、劣化して傷つくと破裂するから最近は使われなくなったんだよ」

「よくそんなこと知ってるね」

「これで地上に出られる。基地のシェルターに行こう」

「基地の?」

 彼方はこくりとうなずいた。

「桜木町駅の地下シェルターとつながってるから、そっから行こう」

「わかった。……ありがとう、彼方って頼りになるね」

「………さっさと行くぞ」

 彼方は照れ隠ししながら体育倉庫を出た。



2096/6/14 11:09

「分隊長、市街地に進入した敵勢力は市民の一部を人質に取っているようです」

 国東班の副隊長、矢野香織やのかおりが伊吹に報告した。

「市民を守ることを最優先にしろ、敵の排除はそれからだ」

「「了解!」」

 国東班の面々は市街地防衛部隊に合流し、市民の避難の手助けに入った。

 そのとき、伊吹は横浜基地に向って走る、少年と少女の姿を見た。

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