第86話 女装男子の父親は、命を狙われる

 開けると同時に。


 ふわりと。

 穏やかな音楽が私の体を取り巻く。

 シャンデリアのまばゆい光に目を細め、荒い息のまま室内を真っ直ぐ上座に向かって走った。


「オリビア」

 最初に私に声をかけたのは、お父様だ。


 上座はフロアより一段上に作られ、凝った細工の入った布張りの椅子が二脚並べられている。そこに座るのは、ユリウス様とアレクシア様だ。背後に立っていたお父様は、怪訝そうに、だけどすぐに私の顔を見て何か感じ取ってくれたのかもしれない。

 するりとお二人の背後から移動し、私の側に来てくれた。


「アルが!」

 抱きつき、ようやく足を止めた。

 足を急に止めたせいでもないだろうけど、肺が大きく収縮する。空気を押し出し、また吸い込む。今度空気を吐き出した拍子に言葉をぶつけた。


「アルを助けて!」

 途端にお父様の顔色が変わる。


「侍従団!」

 フロアを、お父様の声が圧した。楽団の音が止まり、参加者の笑いさざめきが止まる。拍車の音が上座の近くで鳴るが、お父様は左手を上げて制した。右手は私の腰をしっかり抱きしめている。


「殿下のではない。アルフレッド様の侍従団だ! アルフレッド様はいずこに居られる!」

 慌しい拍車の音や軍靴の音を立てて近づいてきた男達の中に、蒼白のカラムもいた。


「第二書庫の側よ! アルが賊を止めてる!」

 私はカラムに叫ぶ。


「この館に火をつけようとしている男達がいる! アルが今、戦ってる!」

 途端に、拍車をつけている侍従たちが走り出した。その後を、カラムも必死になってついて行っている。私はお父様にしがみつき、「ねぇ、どうしよう」と尋ねた。声が震え、目からは涙が溢れている。


「大丈夫だよ」

 お父様は私を見下ろし、それから腰を抱く手に力を入れてくれた。

 そのときだ。

 会場で、小さな悲鳴がそこかしこで上がり、男達の低い声が遠雷のように室内に広がる。


「大丈夫」

 もう一度お父様が私に声をかけた時だ。


「世の秩序を乱す悪党に、天誅を下す!」

 聞き慣れない大声が室内の空気を裂く。


 反射的に振り返った。

 フロアの東の方で女性のけたたましい悲鳴が上がり、ばたばたと人が移動する足音がした。声の主を避けたせいだろう。まるでその暴言を吐いた男に道を譲るかのように人波が割れた。


「覚悟せよ!」

 さっきのお父様のような大声を出してはいるが、緊張のためかやけに語尾が震えていた。


 領主館では見かけない男だ。

 まだ、若い。

 二○代のように見える。商人ではないだろう。拍車をつけ、古いとはいえ生地のしっかりとした上着を身につけている。


 そして。

 男は一人ではないらしい。

 背後にいる数人の男達も腰の剣を抜刀した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る