第78話 女装男子は、男装女子を泣かせた
ぽろりとこぼれた涙は頬を滑って顎から落ちる。私は震えたまま結局返事も動きも出来ない。
覚悟も勇気もない私は。
ただただ、壁にはりついて震えるだけだ。
「……悪かったよ」
アルは呟く。彼の口唇ではなく、呼気が私の口唇に触れた。
するり、と体を離し、ゆっくりと私の手を握る指から力を抜く。
「泣かせるつもりはなかったんだ」
アルはそう言うと、膝を抱えて座りなおす。目は、もう私を見ていなかった。カンテラをぼんやりと見つめ、立てた膝の上に乗せた腕に顎を沈ませる。
「悪かった」
アルはもう一度、私に謝った。
あれだけ乱暴で、暴言を吐いて、ワガママばっかりしか言わなかったのに。
悲しそうにそう、謝った。
「私、スターライン家があるもん」
言い訳のような言葉が口からこぼれでた。風邪を引いているわけでもないのに、喉の奥がやけに痛む。
「私が婿を取らずに御取りつぶしになったら……。うちで働いている人はどうなるの。若い人は良いよ、次の仕事先が見つかるかもしれない。だけど、年を取ってる人は、もう次の仕事が無いかもしれない」
喋りながらどんどん声が震えてくる。痛むのは喉じゃないと知った。痛いのは胸だ。
「領地だってそうだもん。お父様は『返せばいい。どこかの貴族がまた領主になる』っておっしゃるけど、その人が悪い人だったら? 税金一杯とる人だったら? きっと、みんな困るし悲しむよ。スターライン家が領主だったころはよかったな、って思うよ」
一粒だけしか流れなかった涙が、次から次へと頬を流れ落ちた。
「お母様は姉妹がいたからよかったのよ。運命の相手を見つけた、って家を飛び出したって、妹がいるんだもん。サザーランド伯爵家はアリスおばさまが婿をとって継いで……。でも、私は違うもん。ひとりしかいないもん」
喉から大きなしゃっくりが飛び出て、顎を伝った涙がドレスに落ちる。
「アルだってそうじゃない。ひとりっこで。領主の息子で。継がなきゃいけないこと、いっぱいあるのに」
何言ってんのよ、と私はアルを詰って頬の涙を強引に拭った。
薄暗く。
カンテラの灯しか頼りのない書庫には、しばらく私がぐずぐず鼻を鳴らす音と、みじろぎをする音しか響かなかった。
アルは黙っていたし、私も何も言わない。
橙色のともしびは、時折なにかに揺れて伸びあがるように周囲を照らしたかと思うと、灯心に集中するように太く短い光になる。
そんな灯をぼんやり見ていたら。
次第に心が落ち着いてきた。
泣いていたのが気恥ずかしく。
また、言ってしまってから自分がそんなことを考えていたのか、と冷静になったりもする。
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