その13-5 英雄は手を差し伸べ

 結晶と化した魔力が星屑のように対峙する二人の間に舞いおりてゆく。

 薄い硝子が打刻された際に奏でる、共鳴に近い音色を部屋に響いたかと思うと、やがて霧散していたその星屑は救国の剣に集結しその刃の中へと消えていった。


 後に残ったのは澄み渡りそして清められた空間だ。

 久々に振るった救国の剣の力。はたして上手くいくか不安だったが、しかし十年前と変わらず私を主と認め発動してくれた――

 グランディオーソが生み出した気流により宙に漂っていたおさげ髪がふわりと背中に落ちると同時に、マーヤは小さな吐息を漏らす。

 

「二人とも大人げないなあ、その辺にしておきなさいよ?」


 呆気に取られて自分を見据える紫電の魔女と神算鬼謀の指揮者の視線を真っ向から受け止め、彼女は形の良い眉を吊り上げて告げた。

 だがトモミは不満そうに紫色に染めた唇を歪め、大きな眼をギョロリとマーヤへ向ける。


「止めるなよマーヤ。喧嘩をふっかけてきたのはこのクソガキからだ」

「あっそう。なら決めた! これ以上続けるなら私が相手するわ」

「はあ!? おまえが?!」


 そう言ってグランディオーソの切っ先をこちらへと向けたマーヤに対し、途端トモミは目を見開いて思わず身じろいだ。

 正直言うと不完全燃焼。とってもやきもきしていたのだ。

 十年ぶりに訪れた大冒険のチャンスだったというのに、オーバースペックなパートナーのおかげで拍子抜けする程にすいすいとここまで来てしまった。

 だからやるなら是非も無し!――マーヤは強気な笑みを口元に浮かべてみせた。


「おい、ちょっと待て」

「いーやーだ、待たない! 久々に勝負しましょうかモミ」

「冗談じゃねえ。どうしてそうなる?!」

「ならこれでお開きにしなさい! いいわよね?」

「……くそっ、わかったよ!」


 なんだか妙な話になって来た。果たすべき義務のために呼んだ救国の剣の主と何故戦わなくてはならないのだ。

 ゆっくりと腰を落とし、蒼き英雄は臨戦態勢に移ったマーヤの挑戦的な笑みを受けて、トモミは渋々ながら彼女の要求を受け入れ、新たに生み出そうとしていた雷の魔法を解呪し、苦虫を噛み潰したように押し黙った。

 よろしい――と、ようやく構えを解くとマーヤはグランディオーソの切っ先を床へと向ける。


 なるほど、これが救国の剣の力か――

 他方、乱れた呼吸を必死に整えながら、ササキは救国の剣を観察するように双眸を細めていた。

 察するにあの剣が持つ力とは具現化した魔力を霧散し吸収する力。

 魔力を源とする魔の眷属や、魔法を使役する魔法使いにとっては天敵ともいえる力だろう。

 まさしく切り札と呼べる存在だ。おかげで乾坤一擲の魔曲も一瞬にして無効化されてしまった――

 蒼き女王が放った一閃により、瞬く間に掻き消されてしまった五体の獣がいた空間を一望し、ササキは諦観の溜息を漏らす。 

 これで力を示すことは難しくなった。

 だがそれでも。

 日笠君彼女を救わねばならない。

 自分のため。仲間のため。そしてオケのため。

 

 どうするか? どうやって魔女を説き伏せようか。

 考えろ。脳漿の隅々まで使って考えるのだ。

 未だ白銀色に光を放つグランディオーソを見つめ神算鬼謀の指揮者は拳を握りしめる。

 

 と――


「聞いてモミ。彼の言ってたことは本当よ。だから力を貸してあげて」


 救国の剣が生み出した陶器が共鳴するような鍔鳴りに惹かれるようにして、思わずササキは顔をあげていた。

 同時に聞こえてきたのは蒼き英雄の静かでそして諭すような声だ。

 彼の視線の先で、マーヤはグランディオーソを鞘に納め、神妙な顔つきで魔女を見上げていた。

 

「彼は異世界から来た。今迷宮にいる一組も彼の仲間……ササキ君と同じくあなたを訪ねてきたの」

「マーヤおまえ……正気かよ? お前も信じてるのか? あいつの言ってた突拍子もない話を」

「至って正気よ。嘘じゃない、弦国当主として誓ってもいい――」

 

 さっき対峙してみて薄々あなたも気付いているはずでしょ?――

 大真面目な顔でマーヤはゆっくりと頷いてみせる。


「大丈夫、彼等はあなたが懸念するような人物じゃないわ」


 目の前の魔女がかつて魔王に利用され、自らの意志ではなかったにせよ取り返しのつかない業を背負ってしまったことは良く知っている。

 自分が持つ強大な力がこの大陸に禍をもたらすことを彼女は何よりも恐れている。

 だからこそ自ら『隠遁』という余生の過ごし方を選んだのも重々承知だ。

 

 だが彼等は違う。神器の使い手と称される少年少女達は違う。

 彼等は純粋に、元の世界へ帰ろうとしているだけだ。


「彼等に邪な気持ちはない。ただ病に伏した仲間を助けたいだけ。あなたの力を利用した魔王や心無い人々とは違う……お願いよモミ。どうか力を貸してあげて」


 そう言ってマーヤは静かに返答を待った。

 不貞腐れるように口を尖らせていたトモミはやにわに態度を改め、じっとマーヤの顔を覗き込む。


「その願いは女王としてか? それともマーヤ=ミカミという英雄としてか?」

「んー……両方かな?」


 やれやれ――と。

 僅かな思案の後に、あっけらかんとそう答えたマーヤを見やりトモミは片眉を吊り上げた。

 魔王の呪縛から解放され、正気に返り彼女に匿われてわかったことがある。

 この英雄は『冒険中毒』と呼べる程にスリルと命のやり取りを求める奇特な性格の持ち主ではあるが、真顔で嘘を吐くような人物ではないということだ。

 そして今も真っ直ぐに自分を見上げるその黒い瞳に偽りはない。

 彼女のその目は十年前と変わらない英雄の目だった。


 さればこそ。

 もう俗世には拘わらない――トモミ=コバヤシという一人の魔女としてそう誓いはしたが。

 剣が主と認めた者を援けよ――そう、今もこの血潮の中より語ってくる一族の使命には従わねばなるまい。


「神器の使い手だったか……随分と高く買ってるんだな?」

「もちろん、だって恩人だもの」


 彼等は国の恩人だ。彼等は大切な兄の命の恩人だ。

 そして自分にとっても、胸の奥底で眠っていた大事な気持ちを思い出させてくれた恩人でもあるのだ――

 躊躇せずそう断言しマーヤはゆっくりと頷いてみせる。


 そんな彼女をしばしの間黙して語らずじっと見つめていたトモミは、やがて根負けしたように深い溜息を吐くと、腰に手を置き、数間離れて立ち尽くしていた青年を向き直った。

 そして、静かに息を呑んだササキに向けて口を開く。

 

「おい、わかってんだろうな? 魔女と取引するということは相応の対価を捧げるということだ。おまえにその覚悟はあるのか?」

「……愚問ですな」

「ああん?」

「覚悟なら先程既にお見せしたはずですが? あれが私の全てですコノヤロー。命以外であればどうぞご自由に。ああただ、可能であれば肉体労働は勘弁願いたいですがね……」


 どの道この世界で自分が仲間に貢献できるものなど、せいぜい机上で生み出せる知恵程度だ。

 この頭脳を使役できるだけの力があれば後はいらない。

 眼か、鼻か? それとも手か足か?――


 腰の後ろで手を組み胸を張り、しかしそこでよろめきかけ、笑う膝に力を籠めて踏み止まると、ササキは真っ白な顔に皮肉めいたいつも通りの笑みを浮かべてみせる。

 精一杯の虚勢を張った青年のその言葉を受け、トモミは呆れたように舌打ちしていた。


「まあいいだろう。その言葉、忘れんじゃねえぞ?」

「それは薬を作るという肯定の言葉と受け取ってよろしいですか?」

「ちっ、まったく口の減らない憎たらしいガキだ!」


 そう言いつつも一目置くように満足気に笑い、トモミは踵を返すと部屋の奥へと歩き出した。


「どちらへ行く気で?」

「マーヤとの約束が先だ。あれは時間がかかるんでな。先にそっちを済ます」

「……」

「心配するな。そっちが済んだらすぐに作ってやるよ」


 顔だけで振り返り、訝し気にこちらを見ていたササキに答えると、トモミはそのままマーヤの肩の上で成り行きを傍観していた世話係の妖精少女に視線を移す。


「ヒロミいつまで油売ってんだ。早速『浄化』を始めるぞ、手伝え」

「は、はいっ! ただいまっ!」


 びくりと一度、我に返ったように身体を震わせたヒロミは慌てて羽ばたくとふわふわとトモミのもとへと飛んでいった。

 

「待ってモミ、浄化って?――」

「説明するより自分の眼で見た方が早いだろ? お前も来てくれマーヤ。ああ、グランディオーソを忘れるなよ」


 マーヤの問いかけにそう答え、トモミは紫の法衣を靡かせながらのっしのっしと部屋の奥に続く横穴へと消えていった。

 ぐつぐつと魔女の窯が煮立つ音のみが静寂を破る部屋の中、残ったマーヤは訳がわからず、腰に手を当てやれやれと溜息を漏らす。


 想定外、ギリギリもギリギリではあるが何とか成功。

 だがしかし……嗚呼、現実は理論通りにはいかないものだ――と。

 時同じくして精根尽き果てたようにササキはその場に崩れ落ちる。

 そして荒い息を吐きながら右手の中で細かな火花をあげ、細い煙をあげる曲発動装置ペンダントで『あったもの』の残骸を見下ろしていた。


 オーバーロード。限界を超えた曲発動により、ペンダントは完全にその機能を停止していたのだ。

 をもって制御しても、負荷が大きかったようだ。

 五曲同時発動でも計算ではそれに耐え得る自信はあったのだが。

 制御が甘かったか。

 柄にもなく感情的になってしまったせいか。

 いずれにせよ、これでもう魔曲は使えない。切り札はもうないのだ。

 よしんばペンダントが無事であったとしても、もはや自分に使役できる程の余力は残っていない。


 いや、そもそもにだが――

 もしあの場で女王が止めに入らなかったら自分はどうなっていただろう。

 全精神力を賭し魔曲を駆使したとして、魔女のあの一撃に耐えることができたであろうか?

 そして力を示し、彼女に勝ち得たであろうか。


 否――そこまで考えてから彼はその疑問を振り払うようにして目を閉じる。


 たらればはそれこそ机上の論と相違ない。

 結果として自分は女王に助けられたのだ――と。



「平気? 立てる?」



 ふと聴こえてきた声にササキは顔を上げる。

 そして自分に向けて差し伸べられていた白い手に気づき、彼は浮かべていた苦渋の表情を慌てて引っ込めていた。

 その手の主である蒼き英雄は首を傾げてみせる。


「君、見かけによらず結構直情的なところあるんだね。まさかモミに真っ向から挑むとは思わなかったわ」

「必死だっただけですよ。だがそれも総身の知恵も知れた凡夫の、無謀な挑戦に終わりましたが」

「よく言うわよ。勝つ気満々だったでしょ? でも必要以上に相手を煽るのはやめたほうがいいかな。いくらマユミちゃんを助けるためでもね?」

「ご忠告どうも。何分、まだまだケツの青いクソガキなのでね」

「……素直じゃないなあ」

「クックック……」


 皮肉まじりにそう答えたササキをジトリと目を細めて見下ろしながらマーヤは口を尖らせた。

 いつも通りの不敵な笑みを浮かべつつ、ササキは彼女のその手につかまって身を起こす。

 そして汚れてしまったブレザーの臀部を軽く払うと、彼は踵を返し紫電の魔女が消えていった横穴を見据え小さな溜息を漏らした。


 やはり、言うは易し行うは難し。

 理論と『実践』は大きく異なる。

 演習と『実戦』も大きく異なる。

 

 もっと冷静にならねば。

 もっと精密な演算ができるようにならねば。

 もっと戦況を見定められるようにならねば。


 日笠君、私もまだまだが必要のようだ――


「ありがとうございますマーヤさん。助かりました」

「あら、急に素直になった。それはそれで気味悪い」

「……ならどうしろというのです?」

「冗談よ。どういたしまして、頼れるパートナーさん? じゃ行きましょうか」


 片眉を吊り上げ、珍しく照れながら口を歪めたササキを見て、マーヤはアハハと笑いながら彼の背中を叩くと、トモミの後追って横穴へと歩き始めた。

 大分呼吸も落ち着いてきた。歩くくらいはできそうだ――無言で頷きササキもその後に続く。


「ところでさ――」

「はい」


 と、歩きながらふと思い出したように呟いたマーヤを向き直り、ササキは先を促した。


「さっきヒロミちゃんが言ってたの覚えてる?」

「と、言いますと?」

「今迷宮に入っている私達以外の組のこと」


 そう、あの妖精少女は言っていた。

 自分達が迷宮に入る少し前に一組。そして二日前にさらにもう一組迷宮に入ってきた――と。

 彼女の報告を聞いた時、彼女は違和感を覚えていたのだ。

 その違和感とは、即ち――


「一組はカッシー達だとして、もう一組は一体何処のどちら様で……そしてどうやってこの迷宮に入ったのかしら?」


 再び頭の中で状況を整理しながら、マーヤは覚えた違和感の中身を口にする。

 この遺跡は三方を崖と森に囲まれ、かつ森の中には無数の罠が仕掛けられている天然の要塞なのだ。

 つまりこの遺跡に入るためには、いやでも関所を通過するしかないのである。

 にも拘らず、関所に詰めていた警備隊士達は神器の使い手である少年少女達のことしか口にしていなかった。

 穿った見方をすれば、隊士がもう一組の報告を忘れていたとも考えられるが、彼等にそのような様子は感じ取れなかった。


 言い換えれば、二日前にやって来たというもう一組は、関所を通過せず遺跡に侵入したということに他ならない。

 だとしたら、どうやって?

 テクテク歩きながらマーヤは腕を組み、可愛らしい唸り声をあげた。


 と――


「別に関所を通らなくても遺跡に入ることはできるではないですか」


 断言するように、そして何故か抑揚した声が聞こえて来てマーヤは隣を歩く青年を向き直る。

 その声色から想像した通り、彼の口元には得意気な笑みが浮かんでいた。


「どういうこと?」


 どうやら彼は既にこの疑問の解へと到達していたようだ。

 いや、今回は少し違うかもしれない。どうもかのような、妙な余裕が感じられる。

 いずれにせよ悔しいのは変わりない。また先を越された――そう思いつつもマーヤはササキへと尋ねる。

 はたして、ササキは伸びかけた無精髭を撫でながら解答を述べはじめた。

 

「例えば森を突っ切って、或いは崖を飛び越えて」

「は?」

「いや、直接地下から掘って侵入することも可能かもしれないなコノヤロー……」


 前言撤回しよう。どうやら勘違いだったようだ。

 途中から自問自答するように眉根を寄せてブツブツと呟き始めた青年を見据え、マーヤは落胆したように肩を落とす。


「君大丈夫? 本気で言ってるの?」

「いえ、至って正気ですが?」

「そんなの無理に決まってるじゃない」


 やはりさっきの戦いで頭かどこかぶつけておかしくなってしまったのだろうか。

 先刻までとは打って変わり、極めて非現実的かつ無根拠にもとれる発言をしたササキの顔をマーヤは心配そうに覗き込んだ。

 間近に迫った蒼き英雄の整った顔立ちを眼福である――と言いたげに一瞥し、青年は一度小さく頷いてみせる。

 

「仰る通り、普通に考えれば無理でしょうな」

「なら――」


 だがしかし。

 反論しようとしたマーヤの言葉を遮るようにして、ピンと立てた人差し指を左右に揺らし――

 それでも鬼才の生徒会長は不敵な笑みを絶やすことなくこう続けたのだ。



「ですが、私のならば可能なのですよコノヤロー」

「君が造った……もの?」


 さっぱり訳がわからず、頭の上に『?』を浮かべたマーヤに対し、ササキは得意気に頷いてみせた。

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只今異世界捜索中!~Capriccio Continente de Oratorio~ 第五部 コントラバスの魔女 ヅラじゃありません @silverbullet

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