その13-4 指揮者の本懐

 現れた三体の生物を面喰ったように一瞥し、トモミは息を呑む。

 三つの魔法を同時に使役。いや、正確にはまだ魔法と断定はできていないが。

 だとしても異なる性質のことわりを同時に使役するなど、相当に高度な技術が無ければできない芸当だ。

 まず魔力の供給が追い付かずにあっという間に枯渇しかねないし、よしんばできたとしてもその制御は相当に難しい。

 稀代の魔女である彼女ですら同時に二つの魔法を使役したことはあったものの、三つは試したことがなかった。

 それを目の前に立つ二十歳かそこらの青年は行っているのである。


 見た目に反してよほど高位な魔法使いか、或いは後先考えない命知らずの無謀なガキの愚行か。

 そしてもう一つ。これが所謂、なのか。


「てめえ、マジでなにもんだよ?!」


 我々はこの世界の住人ではない。別の世界から迷い込んだ哀れな『タダノコウコウセイ』――

 途端現実味を帯びてきた青年の言葉を必死に頭の中で振り払い、しかしトモミは思わず口を衝いて出てしまったその疑問を止めようともせずササキへと投げかけていた。

 対してササキは挑発するように首を傾げてみせる。

 

「直接私の身体に聞くのではなかったのですかな?」

「……ああ、そうかい。そうだったなぁ! なら遠慮なくその身体に聞かせてもらうぜっ!」


 呆れるほどに減らない口だ――青筋を一つ額に浮かべた魔女の怒号が部屋に響くと、待機していた雷の矢群が一斉に動き出す。

 先刻の雷珠より威力も数も倍。正真正銘、紫電の魔女の本気の一撃が雷霆万鈞らいていばんきんササキ目掛けて襲い掛かった。


♪♪♪♪


 実用に難がある――スペアのペンダントに保存していた『訳あり』魔曲について、彼はそう定義していた。

 だがそれは、あくまでが使うことを想定した際の話だ。

 彼女の名誉のために補足しておくと、魔曲を使役するにあたって日笠まゆみと佐々木智和という二人の間に、スペック的な差はほとんどない。

 精神的なタフさは年長者であるササキに一日の長があるが、魔曲の使役には何ら影響しない。もちろん冷静な判断力は、それそのものが実戦において重要なメソッドではあるといえるが、やはり純粋に『精神力』という面では二人の間に大差はない。

 むしろ男女の差があるにも拘らず、肉体労働が三度の飯よりも大嫌いな彼よりも日笠さんのほうが運動神経もフィジカル面も上といえるだろう。

 

 だとしても彼は例外だった。

 そう、彼は例外なのだ。

 が使役するのであればまた話は違ってくるのだ。


 当たり前だが彼は意地や根性、気合といったもので魔曲を使役しているわけではない。

 のような精神論は、彼が最も嫌いとするところであるし、たとえ追い詰められたとしても合理を好む彼が、非合理的な手を率先して行うことなど決してないのだ。


 つまり、召喚している間常に精神力を消耗する、身も蓋もない言い方をすれば『燃費が悪い』この魔曲亀も象も水族館も、ササキにとっては実用の範囲内。

 そして『三曲同時発動』という、一瞬で精神力が枯渇し意識を失いかねないような無謀な使役方法も、彼にとっては裏付けられた根拠に基づいた合理的な使役方法である。


 では何故か。

 何故、彼だけが例外なのか。

 それを可能としている『物』が今、彼の左手で輝きを帯びている。

 それは日笠まゆみという少女にはなく、佐々木智和という青年だけが有している物。

 即ち――


poco a poco徐々に crescendo大きく――」


 サイリウムのように青白く輝く指揮棒タクトを傍らの亀へと向けてササキは囁いた。

 指示を受けた奏者の如く亀が首を垂れると、やにわに先刻よりも大きな亀甲の結界が青年の前に出現し雷の矢を拒む。

 機関銃のように激しい矢嵐が、結界を穿たんと吶喊する都度、無数の閃光と振動が煌びやかに部屋を彩っていった。


 だがしかし。

 ものの数秒もせぬうちに結界が軋みを帯び、小さな亀裂を生み出し始めたことに気付きササキは眉を顰める。

 亀がゆっくりと皺だらけの瞼を閉じ、丸まり始めた。

 言うまでもなく圧され始めているのだ。


「クックック……」


 鼻先より滴り落ちた汗をそのままに、ササキは苦笑を浮かべる。

 三曲同時発動、理論的には可能なはずだった。演習も何度か行い確証は得ていた。

 ここまでは予定通りだったし、コントールも問題なかった。


 だがやはり、言うは易し行うは難し。

 理論と『実践』は大きく異なる。

 演習と『実戦』も大きく異なる。


 現実は机上論通りにはうまくいかないものだ。

 初撃からある程度量ってはいたが、予想以上の雷撃だったということか。

 。少々早いが反撃と行こうかコノヤロー――


 自らの紫電の魔女に対する分析と演算シュミレートの甘さを反省しつつ、ササキは頭上に待機していた魚群へと右手を翳す。


presto cantabile急速にそして謳うように――」


 そう呟くと同時にササキは翳していた右手をゆっくりとトモミへと向けた。

 透き通る蒼い鱗を光らせ、魚群はその場で一度旋回すると、大海原を遊泳するように紫電の魔女目掛けて一直線に突撃を開始する。

 

 想定はしていた。あのクソガキが防戦一方なわけがないと。

 いつか機を見て反撃に転ずるだろうと。

 宙を泳ぐ魚の群れ。はたしてその魔法の効果は未知数だが、降りかかる火の粉は払わなければならない――

 蒼き槍の穂先の如く、こちらに向けて泳迫する魚の群れを視界に捉え、トモミは雷矢の照準を結界からそれへと変えようとした。


 刹那、魔女は気付く。

 二つの変化に気付く。

 未だ雷嵐の猛攻に悲鳴をあげつつも輝く亀甲の結界の向こう側で、不敵にほくそ笑んだ青年と。

 そして、自らに迫る魚群が通過した床から湧き出し始めた清き水にだ。

 目を見開き、慌てて翳していた右手を胸元へ引き寄せて、トモミは結界を造らんと詠唱を開始する。


「来たれ雷鳴、壁となって我を護れ――」

subito ritenuto急速に速度を緩め――」


 自分の詠唱に重ねるようにして聞こえてきたササキの声に舌打ちしつつ、薄い膜のような雷の結界を生み出した魔女の前方で、目前まで迫っていた魚群が散開した。

 時間にして僅か一秒にも満たなかっただろう。目眩ましのように前方を覆っていた魚の群れが部屋の上空へと離脱し、再び開けた視界に見えたその光景にトモミは驚嘆の吐息を漏らす。

 

 はたして彼女の目に映ったのは、自分と青年を繋ぐように床で波打つ小さな潮の流れだった。

 くっきりと幅およそ一オクターブほど。まるで見えない水槽に覆われたような潮流が生み出されていたのだ。

 いや、厳密に言うと水ではないのかもしれない。蒼白く透き通る水のような『魔力』の潮流――魔女の目にはそう映った。


 クソガキめ、これが狙いかよ!――

 それ以上トモミに考える余裕はなかった。

 途端、周囲に展開していた雷の結界が激しい放電を繰り返し、彼女はから強襲してきた『衝撃』を受け止める。


 衝撃の正体、それは先刻紫電の魔女が生み出した電撃そのもの。

 即ち、『亀』の生み出した亀甲の結界を滑り、そして『魚群』の生み出した潮の流れを伝い、自らの元へ跳ね返ってきた『雷の矢』のなれの果てだった。


 結界が眩いほどの閃光を生み出しながら電流を掻き消してゆく。

 我ながら凄まじい雷撃だと自画自賛したいところだが、自分の魔法でやられるなど笑えない話だ。

 仕方なく雷の矢による攻撃を一時中断し、トモミは両手を使って結界の効果を高めると、床より這い迫る電撃を払いのける。


 即座に水に気付き、なんとか結界を張って凌ぐことができたが、なるほど、どうやらあの魚は水流を召び起こせるようだ。あくまで魚群本体は陽動、その目的はここ自分まで雷の通り道を生み出すことだったということか――

 たった一度の応戦で雷魔法の本質を理解し、意表をつく反撃を繰り出してきたササキに向かって、トモミは感心したように大きな鼻息を一つ吐いた。


 と――

 

「次の一手でチェックメイトですが、まだ続けますか?」


 これで雷撃は封じた。無理に使えば自分に返ってくる。

 さて、どう出るコントラバスの魔女殿?

 

 poco a poco morendo徐々に抑え――傍らの亀と上空の魚群に口の形でそう指示を出し、ササキは指揮棒を真っ直ぐに魔女へと向けて問いかけた。

 その指揮棒の先を見据えトモミはピクリと眉を動かす。


「随分強気な発言をするじゃあねえか。もう勝った気でいやがるのか?」

「私がこの指揮棒を振れば決着はつく。それとも、雷を封じられたあなたに何か策がおありで?」


 咽喉奥でくぐもった笑い声をあげ、ササキは小さく肩を竦めてみせる。

 トモミは表情一つ変えずにそんな彼をしばしの間見つめ続けていたが、やがて大きな溜息を一つ吐くと右手を翳す。


「決着がつく? 勝手に終わらせるんじゃねえ。ここから先はだろ?」


 そう告げたトモミの顔から既に怒りは消えていた。

 代わりに浮かんでいたのは、臆することなく自分に挑もうとする青年に対しての敬意と好奇だった。

 我慢比べ――敢えてその言葉を強調した魔女の、強気な笑みに合わせて上空に現れたのは先刻同様、雷の矢群だ。


 なるほど、短気に見えるがその実、優れた洞察力を持っている。

 こうなってはもはや挑発によって判断力を削ぐことも無理だろう。

 ハッタリも併せてこの場で自分有利に決着を付けようとしたのだが、こちらの状況ガス欠は見透かされていたようだ。

 流石に手強い。魔女と呼ばれるだけはあるということか――

 先刻のさらに倍。宙にて放電が始まるほどの矢の数を見上げ、今度はササキがピクリと眉を動かす番だった。


「おい。この辺で退いた方が身のためだと思うが?」

「と、いいますと?」

「よくやったのは認めてやる。だがそろそろだろ?」


 先刻までとは打って変わった気遣いの感じられる口調に思わずササキは苦笑する。

 敵に情けをかけられるとはね――と。


 だが彼女の言う通り、肩で息をするササキの顔色は真っ白で生気がなく、既に尋常ではない汗が額より噴き出していた。

 神器の使い手特有の所謂精神枯渇ガス欠の兆しが出始めていたのである。

 雷矢を防ぐために当初の思惑より亀の結界に精神力を使い過ぎたのが仇になった。

 秘策をもってしても完全に精神の消耗を抑えるのはやはり無理のようだ。


 そしてこの状況。

 魔女の言う通り相手の持つ結界を先に壊し、相手に電撃を浴びせた方が勝者となるだろう。

 故に如何にして結界を維持するか? トモミが『我慢比べ』と表現したのはそう言った理由からだ。

 だがあの矢の数。亀をしたとても、はたしてあの数を捌けるだろうか?


 そこまで考えてから彼は自嘲気味に笑い、そして更なる強き意志を瞳に灯し、改めてトモミを向き直った。

 

largo energico緩やかに力強く――」


 やにわに掲げていた指揮棒で大きく虚空を斜めに薙ぎ、ササキは声高らかに指示を飛ばす。

 主の指揮に呼応して、牙門の奥のつぶらな瞳が肯定するように瞬かせると、長い鼻を天へと向けて象が一度嘶いた。

 刹那、上部にいくつもの青白い光が生まれ、波紋を形成したかと思うと、空間が歪み無数の光る槍がその中心から現れる。

 若干反りを伴った蒼き槍はまるで象牙のようだ。

 突撃チャージの号令を待つ騎士の如くトモミ目掛けて切っ先を向け、槍の群れは上空で制止する。


 これが最後の魔曲『象』。

 効果はご覧の通り象牙を模した光の槍を作り出す効果だ。


 『亀』の結界で雷を受け流し。

 『水族館』の潮流でそれを跳ね返す。

 然る後攻撃の手を封じたうえで、『象』の牙によって『詰み』とする。

 それが鬼才の生徒会長が考えた対紫電の魔女用の作戦だった。


 だが象を加えたとしても、簡易な演算ではあるが勝てる確率は32.134%。

 残念ながら『否』と結論すべき数値だ。


 加えて持久戦はまず望めず。無念だがガス欠が近い。

 以上から導き出される結論は――

 

 我慢比べは明らかにこちらが不利。素直に……である。

 

 そうだ。

 勝てない戦いは挑まない。

 それが自分。佐々木智和という人間のはずだ。


 力を認めさせる。信用を得る。

 完全とは言い難いとしても魔女の軟化した態度を見る限り、こちらの意図は伝わっているはずだ。

 当初の目的は達成したと思ってよいではないか。

 後は得意の弁舌で、或いは交渉成立できるかもしれない。


 先も述べた。

 気合と根性による精神論は大嫌いだと。

 可能性が『零』でなければ挑む価値があると考えるのは無謀で愚かな大バカ者だ。



 だとしても――



「クックック、隠遁されていた魔女殿はご存じではないと思いますが、私達が巷で何と言われているか知っていますか?」

「あん?」

使――そう言われているんですコノヤロー」


 紛紛紜紜ふんふんうんうんとして闘い乱れて、乱すべからず。

 渾渾沌沌こんこんとんとんとして、形円まるくして、敗るべからず。


 神算鬼謀の指揮者はやはり笑う。いや嗤う。

 そうだ。

 勝てない戦いは挑まない。

 

 だからこそ。

 縦横無尽、勝つための策を最後までこの脳漿で生み続けるのが自分の役目だろう。

 音響交響楽団指揮者としての役割だろう。


 少女が死ぬ運命など認めない。

 さあ、薬を作ってもらおうか紫電の魔女――

 右手に握ったペンダントを胸元に捧げ、ササキは口を開く。


「Activate Saint-Saens:Le carnaval des animaux, group No.1 『Introduction et marche royale du lion』, and group No.13『Le cygne』――」


 次の瞬間。変わらぬ不敵な笑みと共にササキが紡いだその詠唱に従い、新たに虚空より現れたのは蒼き獅子と、両翼を大きく広げた白鳥の姿だった。

 やはり『動物の謝肉祭』より第1曲『序奏と獅子王の行進曲』、そして第13曲『白鳥』、即ち三曲同時発動改め、五曲同時発動――

 

「てめえ……何考えてやがる? 気でも狂ったか?」


 同時に五つなど前代未聞、無謀としか思えない所業だ。

 権現した更なる二体の獣を垣間見て、トモミは驚愕と失望相混じった吐息を漏らす。


 愚問である――そう言いたげにササキは首を傾げてみせた。

 

「至って正常ですよ。覚悟と無謀の違いなど十分過ぎる程わかっている。だからこそ足掻くのだ」


 耳鳴りが喧しいくらいに脳を揺らす。

 吐き気も込み上げてくる。吹き出す汗はとめどもない。

 一瞬でも気を抜けば、意識を失ってしまうかもしれない。


 だがしかし。

 あの短気で非論理的で我儘な少年と同じことを言うのは酷く癪だが、敢えて言わせてもらおう。

 

 我々全員、あの日にとうに決めているのだ。


「もう一度言いましょう。


 持久戦も我慢比べも必要ない。

 目指すは超が付く程の短期戦だ。次の一撃で決着を付けよう――

 真っ青になった唇でそう告げて、ササキは震える指揮棒の先端をトモミへと向ける。


「クソガキッ! どうなってもしらねえぞっ!」


 ギリリ――と、奥歯を噛み締め、魔女は左手に雷の結界を生み出しながら吠えた。

 攻防一体、二種魔法の同時発動。もはや加減すればこちらが危険に晒される規模の魔力展開だ。

 一度始まれば恐らくどちらかが無事では済まないだろう。


 まさに鎧袖一触。

 蝗のように部屋の上空を埋め尽くした蒼き槍角と紫電の矢の群れは互いの切っ先をそれぞれの目標に向け、主の合図を今かと待っているようだった。


 後は号令を下すのみ

 神算鬼謀の指揮者と紫電の魔女――両者は翳したその手に力を籠める。

 

 

 刹那。

 

 

 澄みきった涼しい陶器のような音色が部屋に鳴り響いた。

 やにわに白銀の剣閃が一度部屋の中央を大きく薙いだかと思うと、無数の光の結晶が煌びやかに宙を舞い瞬く間に魔力を掻き消してゆく。

 


「そこまでよ――」


 

 静かだが有無を言わさぬ気迫の籠った声が後を追うようにして二人に告げた。


 制御していた魔力が霧散したことに気づいた両名が対峙を中断し、驚嘆の眼差しを向けたその先で――

 たった今振り終えた救国の剣をそのままに、声の主である蒼き女王は凛と佇んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る