その13-3 逸を以って労を待つ
「面白い事ぬかすじゃねえか。この私を脅すとは大した度胸だ」
陽炎のようにトモミの肩から立ち昇っていた魔力が
怒りと共に八重歯を覗かせ笑った魔女の周囲で、やにわに小さな稲光が迸っては断続的に部屋を照らしはじめた。
彼女を中心に始まった放電に気付き、血相を変えながら止めに入ろうと羽ばたいたヒロミは、だが目の前で弾けた静電気に悲鳴をあげつつ、再びマーヤの影へと退避する。
「ひゃああっ!? モ、モミ様ッ! 落ち着いて下さいっ!?」
「ちょっとモミ――」
何とも懐かしい光景だ。
別名『紫電の魔女』。それが彼女、トモミ=コバヤシの二つ名だった。
その名通り得意とする魔法は『雷』。
大陸有数の強大な魔力の持ち主である彼女が放つ雷撃には十年前大苦戦した。
だがあの『雷の嵐』をこんな狭い部屋の中で起こされてはたまったものではない。
下手をすればこんな部屋いとも簡単に崩壊しかねない威力なのだ。
今も鮮明に瞼の裏に焼き付いている死闘を思い出しつつ、マーヤは慌てて止めようと手を伸ばす。
だがしかし――
「貴女が仰る通り我々の『運命』が懸かっているんですよ。こちらもそう簡単に引くわけにはいかないのでね」
冷静沈着かつ低く良い声が彼女の制止に割って入り、魔女へと告げた。
カツカツと革靴の音を雷嵐の中に木霊させトモミとの距離を取ると、ササキは上着の内ポケットへ手を入れ、中にあったものを取り出す。
ピクリとトモミの眉が僅かに動いた。
はたして、ササキが取り出した物はシンプルな銀の球体が先端に付けられたペンダントとそして
だが同じくその様子を窺っていたマーヤだけは気づいたのだ。
あのペンダントには
まさしくそれは、病に倒れた神器の使い手である少女が、いつも首からかけていたものと一緒だった。
そう、即ち『簡易曲発動装置』と称される彼が自作したペンダントだ。
ただし今彼が手にしているものは、少女が身に着けていたものとは別物の、所謂『スペア』と呼ばれる予備だった。
もしものことを考えて時間がある時に彼が作成しておいたものである。
やれやれ、万が一を考慮して持ってきたが本当に
全て私の手の内だコノヤロー――
やがて鎖を右手に巻きつけペンダントを垂らし、左手で構えた
そしてササキは宙で弾ける無数の電光を一瞥しつつ、決して臆することなくトモミへ小首を傾げてみせる。
「それはさておき、答えは?」
――と。
再び空気が張り詰めたものへと変わった。
「ああ?」
「さっきも聞いたでしょう。
返答はいかに?――
鬼才の生徒会長は不敵な笑みを絶やすことなく口元に浮かべ尋ねていた。
いや、敢えて煽るために尋ねたというべきだろうか。
刹那、部屋を裂くような稲光が一陣、中央に迸る。
時を同じくしてに彼女の額にさらに浮かび上がった、新たな青筋のように。
「ここまで私に舐め腐った態度を取った奴は初めてだ……」
地の底で鳴動するような低く滾った声色で魔女は呟くと、ギョロリと血走った眼でササキを睨みつけた。
まさに噴火寸前の活火山の如し。
だがそれでもササキの態度は変わらない。
彼は問いかけを続ける。
あろうことか挑発するように、なお煽る様に。
「それもやはり答えにはなっていませんが?」
「このガキがっっっっ!」
怒髪天。
まさに落雷の如きトモミの怒声が部屋――いや迷宮中に響き渡った。
「ササキ君! やめなさいっ!」
一体何を考えているのだろう。
僅かの間ではあったがパートナーを務めた青年が、聡明かつずば抜けた頭脳の持ち主であることをマーヤは既に見抜いている。
だからこそ解せない。
今対峙している人物がどれほどの実力を持っているかを推し量れぬ程、君は愚かじゃないでしょう?
モミを怒らせて一体どうする気なの? 君が求めてきた相手でしょ?!――
だが眉を顰め、毅然とした声で彼を諫めようとしたマーヤのその声は、やはり半ばで遮られることとなる。
凄まじい魔力の胎動と共に、部屋中に出現した無数の
それはまさに紫電の魔女が
「そんなに聞きたいなら答えてやる。この私を誰だと思ってるんだ? 私に作れない薬なんてねえんだよ!」
「クックック、ありがとうございます。その言葉が聞きたかったのですよ」
「待ってモミッ! 彼は普通の人間よ、そんな魔法を使ったら――」
「離れてろマーヤ。仮にもお前のパートナーとしてこの迷宮に足を踏み入れたのなら、私に喧嘩を売るってことがどういうことかくらいは知ってるはずだろう」
あいつはその上で堂々と正面からこの私に舐めた態度をとってきたのだ。
それはつまり、覚悟はできてるってことだよなあ?――
もはや聞く耳持たず。何とか止めようと割って入ったマーヤを向き直りもせず、トモミは血走った眼でササキを睨みつけながらスパークする右手を正面へと翳す。
「安心しろ。恩人の連れだ……命までは取らねえよ」
「ほぉ、意外と冷静ですな。てっきり周りが見えない程にご立腹かと思いましたが――」
怒りは視野を狭める。判断力も鈍らせる。交渉にせよ勝負にせよまず相手の実力を削ぎこちらの土俵で戦う――それが彼の得意とする戦法だった。
しかし流石は歴戦の魔女、思惑通りにはいかないか。
まあいい、布石はここまでとしよう――眩いばかりに周囲を照らす稲光に対して僅かに双眸を細め、ササキはゆっくりと
「ならばさて、どうやって作っていただくことにしましょうか」
「ほざいてろっ!」
その会話が戦闘開始の合図となった。
怒号と共にトモミが掌を振り下ろすと、宙を浮遊していた無数の雷珠が一斉にササキ目掛けて飛んでゆく。
だが前、横、そして頭上――まさに全方位から迫りくる雷の球を目の当たりにしても、やはり彼はその不敵な笑みを絶やさず、掲げた
かくて指揮者は舞台へと躍り出る。
「Activate Saint-Saens:Le carnaval des animaux, group No.4 『Tortues』 ――」
口早に発せられたその
刹那、空間に変化が生じだした。
蒼く輝く指揮棒を突き付けるように魔女へ向けた青年の眼前が歪んだかと思うと、巨大な脚が地を鳴らしつつ虚空から姿を現したのだ。
はたして、その巨大な脚の主とは、
魔曲発動による精神摩耗により滲みだした額の汗をそのままに、ササキは間近にまで迫った雷珠の群れを見据え、横一文字に指揮棒で宙を薙ぐ。
その指示に応えるかのように大亀が皺だらけの瞼を見開き、
一瞬の間を置いて、立ち塞がった堅牢なる亀甲と雷珠の迫撃は正面から衝突する。
激しいショートと共に閃光が部屋を覆い、爆ぜた雷珠から飛び出した電流が結界の表面を伝って床を迸った。刹那、所謂
これが彼の余裕の正体だってこと? 本当に
口火を切ったその勝負をやむなく傍観せざるを得ないでいたマーヤは、一瞬の攻防を目の当たりにして不謹慎にも目を輝かせていた。
一方で舞い戻った静寂の中、床より燻る白い煙を挟んで、紫電の魔女と鬼才の生徒会長は再び対面する。
「何だこりゃ……」
「クックック、まずまず――か」
ほぼ同時に口を開いた二人は、お互いの声に気付き視線を絡ませた。
片や驚嘆と共に唸り、片や不敵な笑みを浮かべながら。
「おい、なんだそのカメは? 今一体何の魔法を使った?」
怒りに任せた部分もあった。殺さない程度に手加減もしていた。だとしても、こうも見事に雷撃を防ぐとは。
どうやらただ口だけの小賢しい小僧ではないらしい。
そして魔力を明確な『物質』として具現化させ、かつそれを使役する魔法。
恐らくそれがこいつが今使った魔法の正体だ。精霊使いが使役する魔法と似ているが、別物と考えた方がいいだろう。
しかしこんな魔法が存在し得るのだろうか――
数百年という月日を生きてきた彼女でも初めて見る魔法だった。
青年に対する認識を変え、トモミは目の前の人物を量るように尋ねる。
「さてなんと説明したものか。敢えて定義するならば
ササキはやや伸びてきた顎髭をつるりと撫で、指揮棒を降ろしながら言葉を選びつつ答えた。
シャルル・カミーユ・サン=サーンス作曲『動物の謝肉祭』より第4曲『亀』――
それがたった今彼が発動させた『魔曲』の正体であり、そして日笠さんにすら送信していないまだ試作段階の曲だ。
深謀かつ慎重なこの生徒会長は、作成した魔曲を全てまとめ役の少女へ送っていたわけではない。
何度か作成して判明したことだが、魔曲の効果は実に多種多様であり曲の数だけ存在していた。
曲の副題や作曲者の表現方法からある程度は効果を想像できるものの、実際には演奏してみなければ何が起こるかわからないのだ。
故に、いざ作成しても実用的でない曲も多々あった。
例えば今発動させた『亀』もそうだ。
効果はご覧の通り、『防御に長けた結界を展開させる大亀を具現化させる』というやや特殊な魔曲である。性質上『召喚』という表現が近いかもしれない。
光の弾丸の群れを放つ『魔弾の射手』や、強力な光の弾を放つ『1812年』と異なり、この曲は発動時以外にも大亀を呼び出している間、常に精神力を消耗し続けるという特性を持った魔曲だった。
そのため、他の魔曲と比較して精神の消耗が大きく(諸事情によりテストをせずに転送してまった『雷鳴と稲妻』というイレギュラーを除く)、召喚してから効果発動までさらにワンステップ指示が必要で即効性に欠ける点。また亀の
その他にも、酒を真水に変えるだけといった、何にどう使えばよいのかわからない不毛な曲もあれば、マグマを噴出させるといった使用者の身にも危険が及ぶような曲も作成していたが、彼はそういった魔曲に関して活用方法が確立できるまでスペアのペンダントに保存していたのである。
「我々の世界だと? どういうことだ?」
話を戻そう。
青年の口から返ってきた突拍子もない言葉に、トモミは訝しげに眉を顰め鸚鵡返しに尋ねていた。
対してササキは大亀の額を軽く撫でながら、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに頷いてみせる。
やはりその口元に浮かべていた不敵な笑みを消さないままに。
「言葉通りの意味ですよ。我々はこの世界の住人ではない。別の世界から迷い込んだ哀れな『タダノコウコウセイ』……」
「ふざけんな、別の世界だぁ? そんな妄言信じられるか! おい正直に答えろ……てめえ一体何モンだ?」
笑えない冗談だ。魔女の瞳が益々もって警戒の色を濃くする。
初撃は手加減したが魔法が使えるというなら話は別だ。しかも見た事もない不思議な魔法だった。
魔の眷属という可能性もありえる。返答次第では容赦はしない――トモミは威嚇するように口調を荒げる。
それでもササキの態度は変わらない。
「どのような答えをご所望ですか?」
「……ああん?」
「薬を作っていただけるなら、いかようにも用意しますよ。あなたの満足いく答えをね」
「……この野郎」
彼が求めるものは徹頭徹尾変わらない。
信じてもらえないことは百も承知だ。想定内だ。
だが、どんな手段を使ってでも作ってもらう――そのための『交渉』はまだ続いている。
無い知恵と少ない才能をあらん限り使役した彼流の交渉はまだ続いているのだ。
再びペンダントを胸の前に捧げ、それに指示をするように指揮棒も掲げ、ササキはトモミに向けて問い返した。
刹那。幾つもの紫電が柱のように迸り床へ落下する。
同時に部屋を埋め尽くさんと出現したのは、放電を繰り返す『雷の矢』の群れだった。
「……いや、やっぱりいらねえ。お前が何者かは直接身体に聞くことにするぜ」
先刻の雷珠とは比較にならない数と魔力の質。
だがそれを操る魔女の表情は怒りだけでなく、青年の正体を見極めようとする冷静さと好奇も秘めていた。
彼女は悟りつつある。
よくもまあここまで人の神経を逆撫でする言葉を選んで放つことができるものだ、と感心するほど生意気な身の程知らずのクソガキだが、まんざら全て嘘というわけでもなさそうだ――と。
別の世界から来た? もちろん、はいそうですかと信じられる次元の話ではない。
だがそれがただの口八丁な虚言とは断言できない気迫と覚悟が、目の前の青年の言葉と態度からは感じられる。
そして余裕で取り繕った態度の中に必死に隠そうとしている焦りも僅かに匂ってくる。
もし本当ならば、仲間のために薬を求め無謀とわかりつつも自分に挑んできた異世界の大バカ野郎ってことになるが。
だがいずれにせよ、こいつの使役した魔法は正体不明。
その正体次第では、
ならばこいつが何者か。その決意がどれほどのものか。そしてこいつの言葉が真実なのか。
それを推し量る必要がある――
トモミは右手を横薙ぎに一振りし、宙に現れた雷の矢を一斉にササキへと向ける。
その拳が握られれば、本気になった魔女の一撃が即座に放たれる状況。
だがしかし――
「クックック……」
魔女のその様を見て鬼才の生徒会長は笑う。
いや嗤っていた。
やっと相手が
ならばそう、今ここで自分が示すべきは『言葉』ではなく。
そして魔女の情けに縋って『懇願』することでもなく。
自分が何者であるか、信用に足る人物であるか、
「やれやれ、肉体労働は苦手でしてね。できれば平和的に解決したいのですが」
「嘘つけこの舌先三寸野郎が! いい加減その減らねえ口を噤め!」
「仕方ありませんな――」
それではお望み通りお見せしようかコントラバスの魔女殿。
かくて玉石混合、『
「Activate Saint-Saens:Le carnaval des animaux, group No.5 『L'éléphant』, and group No.7『Aquarium』――」
淡く輝く指揮棒が宙に光のト音記号を描くと、先刻同様空間に波紋を起こしながら現れたのは二匹の生物……いや、厳密に言うと一つは『群れ』だったが。
片や石柱のような四本の太い脚を地へと突き立て、立派な
片や半透明の鱗を淡く光らせながら、所狭しと
先に鎮座していた大亀は新たにやって来たその仲間達を見上げ、双眸を細めながら歓迎する。
発動させたその曲は、シャルル・カミーユ・サン=サーンス作曲『動物の謝肉祭』より第5曲『象』、そして第7曲『水族館』。
即ちそれは『三曲』同時発動――
「さて諸君、
新たに現れた二体のしもべを傍らにはべらせ、ササキは優雅に
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