その13-2 運命だから諦めろと?

 五分後。

 

「ええっ!? 今朝入って来たんですかぁ!?」


 一頻り再開の喜びを分かち合い、ここまでの経緯を掻い摘んで話し終えたマーヤの顔を覗き込むようにして、ヒロミは驚嘆の声をあげる。

 話を聞くに、マーヤとササキがこの迷宮に入って来たのは丁度自分が本日の定期確認を終えた直後だったようだ。

 道理で自分の記録にこの二人が載っていないわけだ――内心納得しながらも、しかしヒロミは鳩が豆鉄砲を食ったようにマーヤとササキの顔を繁々と眺めていた。


「だからちゃんと監視しておけって言ったんだ」

「い、いくら何でもこんなに早くゴールできるなんて思いませんよー」


 怠慢である――そう言いたげに腕を組み、大きな双眸を細めたトモミに対して、ヒロミは口をもごもごとさせながら反論する。

 ちなみに彼女が行っている確認方法というのはどんなものかというと、毎朝一度決まった時刻に、この大空洞のはるか上空から俯瞰で迷宮を見下ろし、確認するといったものである。

 こんな辺鄙な遺跡に足を運ぶ者など早々いないし、さらに言えばこの十年間、誰一人として踏破した者がいないほどの大迷宮なのだ。だからその日確認し漏れても、次の日迷宮内を巡回すれば大抵その跡を追う事ができていたため、一日一度で十分だと思っていたのだが――


「言い訳してんじゃねえよ、仕事さぼりやがって」

「だってぇ、五時間ちょいですよ? しかも今まで誰もこの迷宮クリアした人いなかったし」

「私が初めてってこと?」

「はい、マーヤ様がこの十年間で初めての迷宮踏破者ですよー」


 それがまさか僅か五時間足らずで、この迷宮をクリアする猛者がいたなんて誰が想像できただろうか。

 しかも過去十年で初めての踏破者というダブルの偉業。恐らくこれから先もこの記録を破る者は出てこないのではないだろうか――

 ヒロミは小さな手をパチパチと打ち合って惜しみない称賛をマーヤへと贈る。

 

 だがマーヤはというとそんな妖精少女の賛辞を受けつつも、意外そうに眉根を寄せて首を傾げていた。

 そして、どうしたのだろう?――と、やはり小首を傾げたヒロミに向かって口を開く。


「ねえ、私達の他に誰かこの迷宮に入って来なかった?」

「他にですか?」

「うん」

「ええ。丁度お二人が入ってくるちょっと前に一組入ってきましたけどー、まだ迷宮の中にいるんじゃないかなー」


 やっぱり、カッシー達もちゃんと来ていたようだ。状況を見るにどうやら私達の方が先にゴールしちゃったみたいね――コクコク頷きながらそう答えたヒロミの言葉を聞いてマーヤは確信する。

 ちらりと横目で見ると、ササキも同じ結論に至ったようだ。マーヤと目が合うと彼は無言で小さく頷き返していた。

 だがしかし――


「それと二日前にもう一組ですねー」

「え? もう一組?」

「はい、男女の二人組ですぅー。子供だったかな」


 続けてヒロミの口から飛び出した報告に、マーヤはきょとんとしながら鸚鵡返しで聞き返す。

 ヒロミはやはりコクコクと小さな顔を縦に振ると、予想外に吃驚した反応を見せたマーヤを不思議そうに眺めていた。

 だがマーヤは構わず、腕を組んで思案に耽り始める。

 どういう事だろう。カッシー達の他にもまだ来訪者がいるようだ。

 だとすると、腑に落ちないことが一つあるのだが――と。

 

「二組……」

「どうしたマーヤ? 気になる事でもあるのか?」

「ううん、こっちの話」


 前人未到の迷宮を超スピードでクリアした割には浮かない顔だ。

 様子を窺っていたトモミは、上半身を屈ませてマーヤの顔を覗き込みながら尋ねる。

 だがマーヤはすぐに顔をあげると、ニコリと笑ってそう答えた。

 ならば良いが――と、魔女は話を続ける。

 

「まあしかし、この短時間で迷宮を踏破するとは流石は英雄だな。感心したぜ」

「あ、違う違うそれ私じゃないわ。彼のおかげ」


 操られていたとはいえ、稀代の魔女と呼ばれた自分と対等に渡り合った英雄。

 十年経ってもその類稀な才能は変わりないようだ――そう思いつつ、感心しながらトモミは一人うんうんと頷いていたのだが。

 しかし首を横に振り、傍らにいたササキを向き直ってあっけらかんと答えたマーヤを見て、彼女は固まってしまった。


「何だと?!」

「私は彼についてきただけ。何にもしてないから」


 それまでの強面をストンと顔から滑り落とし、単なる妖艶な美女となったトモミはしばしの間マーヤとササキの顔を交互に眺めていたがやにわに叫ぶ。


「そうなのか?」

「うん、


 そう。本当に残念無念ながら。

 今回自分はここまで何もやってない。自分でも拍子抜けするくらいに。

 マーヤは表情を変えず、やはりあっけらかんと肯定して今度は首を縦に振ってみせた。


 信じられん。複雑極まりない迷宮をこの短時間で踏破したのが、見た目もパッとしない、ひげが濃いこの青年によるものというのか――と、マーヤの肯定を受けてなお半信半疑の様子で唸り声をあげたトモミに気付き、ササキは小気味よさ気に口の端を歪める。

 お決まりのクックック――という鬼才の生徒会長の含み笑いが聞こえて来て、トモミは我に返るとその場を誤魔化すように咳払いした後、ササキを向き直った。

 

「おいお前、名は?」

「トモカズ=ササキです」

「やるじゃねえか、まあ中々に才ある者が集まって来てるみたいで弦国も安泰だな」

「それも違うわ、彼は私の臣下じゃない」

「……なに?!」


 取り繕うようにそう告げたトモミは、そこで表情を剣呑なものへと変えマーヤに詰め寄る。

 やっぱりね――と、彼女のその反応を窺いながらマーヤは頷き返し、間近に迫った魔女に向かって笑ってみせた。


「どういうこったそれは?」

「たまたま目的が一緒だったから、同行することになったの。んー、そうだなあ頼れるパートナーってとこ?」


 パートナー……ね。ま、取引はしたが半ば強引に同行を持ち掛けたのは貴女でしょう――

 ちらりとこちらの様子を窺って来たマーヤに向かってササキは目線で訴える。

 だがマーヤはクスリと悪戯っぽく笑って目配せをしたのみだ。


 あら不満?――

 いいえ、まあそういう事にしておきましょうか――

 

 アイコンタクトで会話をし、二人はすぐに視線を外す。

 しかし億びれずにそう答えたマーヤに対し、トモミは不機嫌そうに喉奥で唸り声をあげていた。

 ならば話は別だ――まるでそう言いたげに。

 

「てっきりマーヤの従者かと思ったが……ならササキ、お前の目的ってのはなんだ?」


 隠すことなく警戒心をその艶やかな美貌に露わにしながらトモミは尋ねる。

 その威圧的に吹き付けてくる魔力の風に息を呑みながらも、しかしそれを態度に出さず、ササキは敢えて胸を張り不敵な笑みを浮かべつつ話し始める。


「他でもない。貴女に聞きたいことがあってここまで来ました」


 そう前置きをして、彼はここに足を運ぶことになった経緯を魔女へと伝えていった。

 数分後――


「……ヘオン病だと? また随分と化石のような病に罹患かかったな。その娘は何処で何してたんだ?」

「話せば長くなるのですが色々ありましてね」

「まあいい。それで私に特効薬を作って欲しいというわけか?」

「そういうことです」


 話を聞き終えたトモミは大きな鼻息を一つ吐き、ササキをめ下ろす。

 だが先刻まで彼女の身体から迸っていた魔力の風は幾分収まった。

 魔女の瞳に灯る警戒心が和らいだのを感じながら、ササキは双眸を細めトモミの返答を待つ。


「モミ、私からもお願いするわ。彼等は国の恩人なの」


 手紙で事情は知っていたが、事態は想像していた以上に急を要するようだ。

 改めてササキの口から経緯を聞いたマーヤも、表情を曇らせ口添えする。

 だがしかし。

 低い唸り声をと共に長考に入っていたコントラバスの魔女は、やがて二人を一瞥するとゆっくりと首を振って見せた。


「誰の入れ知恵か知らないが、私は俗世から接触を断つためにここに籠ったんだ。今更関わるつもりはない」

「モミ……」


 それはつまり、二人の求めるものと相反する素振り。

 途端目を見開き、マーヤは思わずトモミに詰め寄る。

 それを目で制して、魔女はササキを向き直った。

 

「そんなーモミ様ぁ。いいじゃないですか、作ってあげれば――」

「黙ってろヒロミ」


 ふわふわと宙を漂いながら話を聞いていたヒロミが同情の眼差しと共に言及するも、トモミはそれを一喝して黙らせる。

 頑固なんだから――と、妖精少女は身を竦ませつつ不満気に頬を膨らませていた。


「モミ、どうしても駄目?」

「いくらマーヤの頼みでも無理だ。残念だが他を当たってくれ」


 十年前。その未熟さ故に自分は魔王に操られ、多くの者の命をこの手で奪ってしまった。

 目の前の英雄はそんな自分を赦してくれたが、だが犯した罪が消えるわけではない。


 だからこれ以上自分のこの強大な力が世に影響を与えぬよう、残る余生は隠遁することを決意したのだ。

 だからこのような辺鄙な遺跡の奥の奥まで自らの意志でやってきたのだ。

 

 誰とも交わらない。

 誰とも関わらない。

 私の力は世を不幸にするだけだ。

 

 使

 

 いや、してはならないのだ。

 コントラバスの魔女は揺らぎない決意を黒真珠のような瞳から放ち、マーヤを見下ろす。

 英雄はそれでも引き下がらない。

 なおのこと眩いばかりの感情を顔に浮かべ、マーヤはトモミの顔を覗き込んだ。

 

「なら、どうして私を呼んだの? 十年もこんな場所で関りを絶っていたのに……私はよくて彼等は何故駄目なの?」

「お前は別さマーヤ。お前をここに呼んだのは私の意志じゃない」

「……どういうこと?」

「英雄をたすけることが、私に課せられた使命だからだ」


 それが私の、いや

 そしてコントラバスの魔女として力を使う『最期』となるだろうさ――

 そう付け加えて、トモミは詰め寄ってきた英雄を諭すように大きな目を細めた。

 

 何かを決意し、自らの死地を悟ったような有無を言わせぬ口調だった。


 使命って何?

 モミ、あなたは何をしようとしているの?――ついさっきまで荒々しい魔力をその身から迸らせていた人物と同一とは思えぬほどに、穏やかなトモミの表情に気づきマーヤは言葉を失う。

 

「というわけだ、ササキと言ったな。せっかく足を運んでもらって悪いが私は誰にも力を貸すつもりはない」

「……」

「その娘は運命だったのさ……諦めろ」


 罹るはずもない六百年前の病に侵されることになるとは、まさに不幸としか言いようがない。

 だが裏を返せばそれは天命とも取れる。彼の言うその少女は運がなかったのだ。宿命だったのだ。

 運命は天が定めたもの、受け入れるのがこの世の理だ。


 だからそう、――と。

 黙して語らずこちらをじっと見据えていたササキにそう告げて、トモミは踵を返し奥へと歩き出そうとする。

 

 

 刹那。

 

「クックック……クックックックック――」


 聞こえてきた含み笑いに気づき、魔女は足を止めた。

 先刻同様。相も変わらず。

 それは自信に満ちた不敵な笑い声だった。

 

 俗世より離れた身にも拘らず、やけに気を引く低いその笑いに、思わず振り返ったトモミの瞳に映ったのは、剣呑な表情でを見つめるマーヤと、得体の知れない不気味なものを見るように眉根を寄せるヒロミの姿。

 

 そのさらに奥で、腰の後ろで手を組み俯き加減で笑い声をあげていた鬼才の生徒会長は、こちらを振り返ったコントラバスの魔女へと顔を上げる。

 

「そんなクソ怪しいどこぞの新興宗教の教祖がほざくような説法を聞くために、私はここへ来たのではないのですよコノヤロー」


 運命だから諦めろと? 

 残念ながらそれは解答としては赤点だ。

 

 我々はその言葉から最も遠い方向ベクトルに向けて常に突っ走っているからだ――


「そんなことはどうでもいいのです。私の質問に対する答えをお聞かせ願いたいのですが? コントラバスの魔女殿」

「……何がいいたい?」

「ヘオン病を治す薬を作れるか作れないか、それをお聞かせ願いたい」


 先刻、彼はこう言ったのだ。

 ――と。


 魔女の決意や意志などどうでもよい。

 彼女が薬を作れるか、そうでないか。それが重要なのだ。

 つるりと七三の分け目をなぞり、そしてその二本の指を翳すようにトモミへと向けて、ササキは口元をさらに歪ませる。


 やにわに、ゆらゆらと紫のローブの奥から怒気を含む魔力が吹き出し始め、魔女の身体を包み込んだ。

 ズン――と、踏みこまれた足が地を揺らす。

 嗚呼、まずい。世話役である妖精少女が青ざめながら諫めようと口を開きかけたが時すでに遅し。


「いい度胸じゃねえか。てめえ誰に向かって口を聞いてやがる?」


 半ば殺意に変貌しつつあった怒気を孕み、呪詛のような問いかけを放ったトモミを見て、ヒロミは思わず顔を覆っていた。

 だが頬を撫でるように吹き付ける魔力の風を意にも返さず、ササキは涼しい顔で『口撃』を続行する。

 

「失礼ですがこちらもあまり時間がないのですよ。あなたが作れないというのなら、別の方法を探さなくてはならない」

「ほぉ……なら、もし私が作れると答えたらどうするつもりだ?」

「決まってます」


 仲間の命が懸かっている。

 さらに言えば我々は運命共同体。

 日笠まゆみという少女の『運命』は、謂わば音高交響楽団全員の『運命』。

  

 ならばそう。

 指揮者コンダクターたる私の指示も決まっている。

 敢えてもう一度言おう。

 運命? 諦めろ? 残念、神器の使い手うちの楽団は諦めが悪いのだ。

 さあ、意地でも首を縦に振ってもらおうかコントラバスの魔女――




「どんな手段を使ってでも作ってもらうつもりですがコノヤロー?」


 神算鬼謀、縦横無尽。鬼才の生徒会長は今日一番の不敵な笑みを口元に浮かべ、そう断言したのだった。

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