第五章 超文明Aの遺産
その13-1 コントラバスの魔女
同時刻。
コントラバス遺跡、高台――
「迷路って何だろう……」
幾重にも『くの字』を描き、崖の側面に掛けられていた石階段をあがり終え、そして高台に到達したマーヤは思わず呟いていた。
時間にして約五時間。
正直もっとかかると思っていたが、予想を遥かに上回る驚異的なスピードクリアだ。
もっとも、この結果を導きだした張本人はさも当然――と言いたげに、哲学的な言葉を漏らした彼女を向き直っていたが。
わかってる、彼に非はない。窮地に陥った仲間を助けるために最善を尽くしただけだ。
今自分が感じているのは無い物ねだり……けれどこう、もうちょっとさー……あるじゃない?――
高台より見える広大な迷路も今となっては空しい限りだ。
トラップらしきトラップも特になかったし、ただの曲がりくねった道を歩いてきただけのそんな感想しか残っていない。
身も蓋もなく言えば不完全燃焼。血沸き肉躍る冒険を求めていたマーヤは、堪えきれず落胆の色を顔に浮かべる。
「先程も申し上げましたが、この迷宮は最初に答えを見せてくれていた。当然の結果でしょう?」
「そうかもしれないけれどさー? けれど、こんなことできるの多分君だけだよきっと?」
「何故むくれているんです?」
「……別に」
「まあ、褒め言葉として受け取っておきます」
迅速かつ正確に、ついでに言えば最小限に罠との遭遇も留めてクリアできたというのに、敢えてリスクを楽しもうとするなど、なんと非合理なことだろう。
理解に苦しむ――子供のように唇を尖らせたマーヤを横目で眺めながら、徹底的な合理主義者であるササキは嘆息する。
閑話休題。
とにかく迷路を踏破しゴールに到着することができた。
「しかし、ここがゴールかと思っていましたが――」
だが今二人の眼前にあるのは、岩肌を刳り貫いてできあがった洞穴が一つ。
他に目ぼしきものといえば、天高く聳える塔のような建築物のみだ。
恐らく入口から微かに見えたのはこれだろう。無機質な灰色の物体を積み上げて構築されたそれは、見ようによっては卒塔婆にも見える。
洞穴はというと人工的に掘られた穴ようだ。大きさは大人二人が横に並んで通れるほど。
歪な形をしておらず左右均等の幅で半円状をしたその穴は高台のさらに奥へと続いている。
いずれにせよ魔女の姿は見えない。
「まだ先があるようですな」
穴の先に目を凝らし、ササキはマーヤへと尋ねた。
と、鬼才の生徒会長の問いかけを受け、同じく洞穴の奥を見つめていたマーヤは足を踏み出した。
「進んでみましょうか」
「わかりました」
抑揚のない口調でそう答え、ササキはマーヤの後に続く。
穴に入ると途端に視界が暗くなった。
徐に懐に手を伸ばし、ササキは内ポケットに入れていたペンライトを取り出すとそれを点灯させる。
「それ、君の世界の道具?」
「ええまあ。簡易なカンテラのようなものとでも思ってください」
マーヤの眼が好奇心で輝きだすのを感じ、ササキは苦笑を浮かべつつ答えた。
小さな光が照らす洞穴内は特に何もなく、至って普通の
警戒を怠らず、足下に気を付けながら進んでいくと、ほどなくして灯りが前方に見えてくる。
二人が足早にその灯りに向かって進んでいくと、すぐに洞穴は終点を迎えた。
現れたのは新たな空間。いや『部屋』というべきか。
岩肌が剥き出しではあるが、綺麗に磨きあげられ凹凸がなくなっている。
松明やランプといった光源は見あたらない。なのに視認できるほど明るいのは、先に抜けてきた迷路と同様、部屋自体が発光しているからであろう。
その事からも、やはりここが自然の手によってできたものではないことを物語っている。
そして広さおよそ二十平方メートルほどのドーム状に広がったその空間には、椅子やテーブル、竈、そして無数の本棚といった家具が一式揃っていた。特筆すべきは部屋の中央で火にくべられ、煮立っている大きな窯だろうか。
中に何が入っているかここからは見えないが、ポコポコ・ぐつぐつといった表現がぴったりくるような音が聞こえてくる。
それはさておき、生活器具が一式整っているということはこの『部屋』に誰かが住んでいるということだ。
こんな辺鄙な罠だらけの迷宮に住んでいる者など一人しかいない。
やはりここで間違いないようだ。マーヤはにんまりと笑いながら大きく息を吸い込んだ。
「おーい! モミいるー? 約束どおり会いに来たわっ!」
口元に両手を当てて大声でそう叫ぶと、マーヤは腰に手を置き胸を張る。
「モミ?」
「そ、彼女のあだ名。トモミ=コバヤシだから略してモミ」
「……なるほど」
まあそんな事だろうと思ったが、しかしなんという緊張感のない訪問だろう。
まるで小学生が友達の家に遊びに来た際のような、なんとも脱力するその呼びかけに、ササキは釈然としない表情を浮かべつつ返答を待つ。
と――
「はいはーーーーいっ! いらっしゃいましー!」
時間にしておよそ十数秒。期待していた返答があった。
だが想像していたハスキーな女性の声とは異なる何とも可愛らしい声色が聞こえて来て、マーヤは眉根を寄せる。
この声は誰だろう。私の良く知る魔女ではないが――と。
刹那、頭上からキラキラと光る粉が降り注いだかと思うと、光の帯が螺旋を描いて舞い降りてくる。
鼻傍で静止したその光の正体を見つめ、マーヤは二、三度瞬きを繰り返しながらぽかんとしてしまった。
はたして、現れたのは淡く紅い光に包まれた、手のひらサイズの翅が生えた少女だ。
「ようこそ大魔法使いトモミ=コバヤシの館へ~! 凄い凄い! 初めてですよ、この迷宮を抜けてここまでやって来たお客様は!」
燃えるような紅髪のその少女は口早にそう告げると、光の粉をまき散らしつつ諸手をあげて歓迎の意を示した。
だがマーヤは狐につままれたような表情を浮かべたまま、目の前をふわふわと漂うその少女をじっと見つめる。
「これはまた随分と可愛らしい魔女ですな。想像していた姿と大分違いました」
まあこれなら『モミ』という愛称もわからなくもないが――困惑する様子のマーヤに気づき、ササキはピクリと片眉を吊り上げた。
皮肉の混じった含み笑いを浮かべたササキに対し、マーヤはフルフルと首を振って否定する。
「わかってて言ってるでしょ?」
「冗談ですよコノヤロー」
「……絡みづらい! 嫌味に聞こえる!」
「クックック」
「もう……えと、君は誰? 音の妖精が何故こんな所に?」
顎を一撫でして含み笑いを浮かべたササキを冷ややかな視線で一瞥した後、マーヤの自らの鼻先で浮かぶ妖精少女を向き直って尋ねた。
と、妖精少女は彼女の問いかけに慌てて態度を改める。
「ああ、申し遅れましたー! 私はモミ様の身の回りのお世話をしてます、ヒロミ=タカガキといいます! よろしくでーす!」
やたら明るくそして軽い口調で自己紹介を終えた妖精少女改めヒロミは、ニカっと可愛らしく笑って、敬礼のポーズをとって見せた。
その陽気な雰囲気につられてマーヤは思わずクスリと微笑む。
「音の妖精とはなんです?」
「遥か大昔からこの大陸に住んでいる種族よ。滅多に人前に姿を見せないから、今じゃ空想の生き物だと思われてるけど」
「その割にはよくご存じで。会ったことがあるように見えますが」
「ええ。前に一度ね。オーボエの大森林で」
十年前の冒険で音の妖精とは面識がある。
どうやら明るい性格と紅い髪は、音の妖精の特徴のようだ。あの時森で出会った彼女もやはり肩までの紅い髪の持ち主で、クリクリの眼をした明るく可愛らしい少女だった。
名前は確か、ハルカだったような――当時を思い出しながらマーヤはササキに答えた。
なるほど、珍し物好きのこの女王様が大して反応しなかったのはそういうことか――
マーヤの返答に納得しながら、ササキは愛嬌ある音の妖精へ視線を移し、興味深げに彼女を見つめる。
「君こそ驚かないのね?」
「何がです?」
「妖精に対して」
「ああ……いや、もう慣れました」
見た目手のひらサイズの翅の生えた少女。この世界でも相当珍しい存在の種族らしい。
だが魔法という原理の存在。死神、吸血鬼が実在する世界。ついでに言えば喋る刀……今更妖精がいたとて不思議ではないだろう。
しれっと答えて、しかしササキは自嘲気味に苦笑を浮かべる。
言い換えれば随分と自分もこの非常識な世界に慣れてしまったものだ――と。
「ところで本日はどういったご用件ですかー?」
「私達、モミに用事があって来たのだけど彼女は今何処に?」
とにもかくにも、目の前のこの妖精少女は魔女の世話係らしいが、肝心のその魔女は何処だろう――
そんな二人の様子に気づかず、不思議そうに小首を傾げたヒロミに向かってマーヤは話を切り出した。
「モミ様でしたら奥の部屋に居ますよー。今呼んできますねー」
相槌を打ちながら話を聞いていたヒロミは、合点承知――と腕まくりをする仕草をして見せる。
そして空中で宙返りをすると、翅を瞬かせ奥の部屋へと飛び立とうとした。
だがしかし――
「その必要はねえよ」
何処からともなく聞こえてきた低い女性の声が彼女の挙動を制止する。
やにわに部屋の中央に一陣の風が吹いたかと思うと、それは旋風を巻きつつ人の形へと変貌していった。
瞬きのその一瞬の間に現れたのは深い紫色の法衣を身に纏った大柄な女性。
場に漂う空気が変わった。
その場にいる者の心に畏怖をもたらす、威圧的で重苦しい魔力が女性を中心に部屋を支配してゆく。
「モミッ!」
マーヤは彼女の名を口にすると、旧友との再会を懐かしむようにその口元へ笑みを湛えた。
対してササキは、女性から漂ってくる『圧』に冷や汗が噴き出すのを感じつつ双眸を細める。
先も述べたが
はたして、その場に姿を現した『コントラバスの魔女』ことトモミ=コバヤシは、全く正反対の反応を見せた二人の来客を一瞥すると、憮然とした表情で小さな鼻息を一つ吐く。
そして紫のアイシャドウに包まれた切れ長の目を紅く光らせ、ついでに大きな青筋を額に浮かべつつ、ギョロリ――と、宙に浮かんでいたヒロミを睨み付けた。
「あ、モミ様! 丁度良かったお客様が――」
「ヒ~ロ~ミィ~?」
アハハと笑いながら明るく陽気に手を振って彼女を出迎えようとしていたヒロミは、鬼のような形相の主に気付き、詰まった悲鳴をあげて翅を止める。
嗚呼まずい。このトーンは何か怒ってる口調だ。なんだろ? 部屋の掃除はきちんと済ましたし、お昼ご飯の後片付けもちゃんと終わらせたし、えーとえーと――
そこまで考えてから落下しはじめた自らの身体に気づき、ヒロミはジタバタと手足を振りながら慌ててマーヤの肩にしがみ付いた。
「えっと、あのぉモミ様? 私何かやらかしましたかー? 何で怒ってるんですかぁ?」
「何でじゃねえっ! 私はお前に何て言った?」
「と、いいますとー?」
「迷宮に人が入ったら知らせろと言っておいただろっ!? なのに何故この英雄様はいきなり私の部屋にいるんだ?」
「ええっ!? だから今朝だってちゃんと報告を……って、あれ? ちょっと待って!?」
と、そこでヒロミはマーヤとササキの顔を交互に眺めた後、二、三度目をぱちくりさせると、そそくさと懐から手帳を取り出して確認する。
そうだった。現在迷宮にやって来ている組は二組。片方は二日前に二名、もう片方は今朝五名。いずれも子供だったはず。
でもこの人達、どう見ても大人だよね? どういうことだろ? ていうかいつの間に一組増えたの?――
経緯が理解できず、首を傾げるマーヤを彼女の肩から見上げ、ヒロミはポリポリと頬を掻いた。
「私がどうかした?」
「いえ~えっとその……もしかして成長期ですかぁ? 少し見ない間に立派な大人になりましたねー」
「んなわけねえだろがっっっっっ!」
途端、雷鳴のような魔女の怒声が部屋に響く。
再び落下しそうになったヒロミは翅を羽ばたかせ、怯えるようにマーヤの影に隠れた。
「ほぉ、隠れるとは仕事放棄か? そこを動くなよこのダメ妖精!」
「ひぃぃぃぃモミ様ぁ? 落ち着いてください。これは何かの手違いで――」
紫の口紅が妖艶に光る唇をペロリと舐めながら、ズッカズッカと大またでやってきたトモミに気づき、ヒロミは顔面蒼白でマーヤの鞄の中に潜り込む。
「待ちやがれ! 逃げるんじゃねえよ佃煮にして食ってやる!」
「やれやれ、相変わらずねモミは」
怒りっぽいのは十年前と同じだ。雷のようなこの怒声も懐かしい。
隠れた妖精少女を追ってやって来た魔女に向かって、マーヤは苦笑する。
「久しぶり。元気してた?」
マーヤも女性としては背が高いほうに入るが、目の前の女性は彼女よりもさらに頭一つ分は背が高い。
自然と見上げる姿勢となったマーヤを、逆にギョロリと大きな目で見下ろしてトモミは不敵に嗤う。
「ほぉ、あの頃はまだ乳臭いガキだったけど、すっかり大人になったなマーヤ」
鼻と鼻がくっつく程の距離まで近づいた、並の人間なら震えてしまうような、魔力の籠った眼力――
だが蒼き女王はその視線を真っ直ぐ見つめ、なお嬉しそうに笑い返す。
「モミは相変わらずね。見た目も性格もあの時から変わってない」
「アッハッハ、あたりまえだ。魔女だからな」
やにわに豪快な笑い声をあげ、トモミはマーヤの背中に手を回すとぎゅっと彼女を抱きしめた。
「ちょ、ちょっとモミ……苦しいって!」
「おっせえよマーヤ、約束忘れたのかと思った」
「アハハごめんごめん。ちょっと城を抜けるのに手間取っちゃった」
「まあいいや、ちゃんと来てくれたしな。歓迎するぜ、よく来た蒼の英雄。元気だったか?」
「うん、おかげさまでね……」
いきなりの熱く強烈な抱擁にマーヤは咳き込みながらも、トモミの首に手を回す。
魔女と英雄は十年ぶりの再会をしばしの間喜び合っていた。
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